第6話 逃亡劇

「はぁっはぁっ……」


 しばらく走っていたがソルチェの体力が限界に近い。ティオはこの先は歩いて進むことにした。だが歩を止めることはなかった。ザンギであれば、いずれ追いついてくるだろうからだ。


 ここから先は賭けになる、とティオは策を練りながら考えていた。もう手の内はほぼさらけ出した。次にザンギと相対したらもう太刀打ちできないだろう。


 絶望的な状況ながらも、ティオは諦めることだけはしなかった。ソルチェを守ることもあるが、イグスと約束を交わしたからだ。自分から無茶を言い出したのだ。ならば自分が屈することは許されないし、自分でも許せなかった。


 その時、商隊内で待ち伏せされたときと同じ感覚を覚えた。嫌な予感以上の何か。咄嗟に左に体をずらす。


 さっきまでティオがいた場所を通り過ぎ、何かが正面の木に刺さった。よく見るとそれは小ぶりのナイフだった。投げナイフというやつだろう。


 まさかと思い振り返ると、遠くにザンギの姿が見えた。


(早過ぎるっ!!)


 ずいぶん離したはずなのにあっさり追いつかれ、ティオは動揺を隠せなかった。


「くそっ!」


 悪態をつき、ソルチェの手を取って再び走り出す。ザンギもそれを追いかけていく。


 もう投げナイフはないのか、真っ直ぐ追いかけてくるザンギ。その差はみるみる縮んでいく。ティオは一瞥すると魔術を繰り出す。


「シャイニング!」


 先ほどと同じ光がザンギを襲う。だがザンギは腕で光を遮り、難なくやり過ごす。先ほどのような奇襲ならまだしも、無詠唱とはいえ単体で使ってもザンギほどの実力者には意味を持たなかった。


 走り続けるティオ達と、それを追うザンギ。いつの間にか両者の距離は3メートルを切っていた。


 捕らえた、そうザンギが確信した時だった。両者の間に大岩が飛来・・した。


「なんだぁ!?」


 直前に気付き、咄嗟に飛び退のいて何とか岩を回避したザンギだったが、次の瞬間その表情が衝撃に染まる。


「ト、トロール……だと!?」


 そこにいたのは、高さ5メートルはあろうかという巨大な魔物、トロールだった。巨大な棍棒を携え、全身緑色といういかにもな姿をした魔物だが、その巨大さに違わず、圧倒的な力で並みの傭兵なら難なくねじ伏せるだろう。この常夜の森でも1,2を争う強さを持つ、ランク5の大物である。


 少し離れた位置で状況を観察しているティオが自嘲気味に呟いた。


「大当たりだな、くそっ」


 これも一応、ティオの作戦通りではある。そもそもここまで奥に来たこともそうであるし、先ほどのシャイニングも、ザンギ狙いでなく、近くにいる魔物をおびき寄せるつもりだった。


 この森は大小様々な魔物が棲む地である。ランク1,2程度の魔物が来て場を混乱させてくれれば、それに紛れてザンギを撒く算段だった。ザンギに比べればそこらの魔物などかわいいものである。だが、流石にこれは想定外だった。


 どの程度の魔物が来るかは賭けであったが、よりによってとんでもないものが来てしまった。まだ森の浅い場所にそんな大物がいるとは思っていなかったのだ。あんなのはザンギ以上の怪物である。


 幸い、トロールはザンギの方を意識しているようで、この隙に逃げるか、と後ずさりしたところでザンギと目があった。


 ザンギはティオの顔を見て、大方察したようだ。顔が引きつっている。ティオが構わず逃げようと背を向けたところでザンギが叫ぶ。


「待て糞餓鬼! 逃がさねぇぞ!」


 どこか面白がるようだった今までとうってかわり、その表情には大きな怒りが浮かんでいた。ここまで状況をひっかき回れては、流石に愉しむ余裕はないのだろう。だが大きな声をあげたことが災いした。


「ゴアアァァアアッ!!」


 ザンギの叫びに反応して、トロールが動き出す。ザンギに向かって棍棒を振り下ろした。


「ぐおおおっ!」


 後ろに飛びのいてなんとか直撃は回避するも、圧倒的な膂力で振るわれた棍棒の威力は凄まじく、衝撃で数メートル吹き飛ばされた。何とか態勢を立て直し、トロール越しにティオ達を睨みつける。


「くそがぁっ! 風よ! 全てを切り裂く嵐となり、死を撒き散らせぇ! ストームブレイダー!!」


 悪態をつき全力の呪文を唱えると、ザンギの周囲に暴風が吹き荒れる。


 ザンギが唱えたそれは、スラッシュウィンドなどと同じ、中級魔術である。ただし、同じ中級魔術でも長めの詠唱と、操る魔素の量がその威力の高さを物語っている。広義に中級魔術といっても当然、その効果や威力、またその難度も様々である。


 それを裏付けるかのようにザンギの纏う嵐がその暴威を増していく。すでに周囲の木々はこま切れとなっていた。トロールも不用意に手を出せないのか、距離をあけて警戒している。そんなトロールを尻目に、ザンギは己の標的に向けて手をかざした。


「死ねぇ!」


 叫ぶと同時、嵐が弾けて幾つもの刃にその姿を変え、嵐の勢いそのままでティオ達に向けて殺到した。


 射線上にいたトロールだが、その巨体に反した機敏な動きを見せ、鈍く光る刃を棍棒で掻き散らしていく。だがそれでも対処しきれないほどの数の刃が生み出され、体を掠るように数発被弾した。トロールの屈強な肉体をあっさりと切り裂き、体液を撒き散らす。ひとつひとつのサイズは小さいが、それぞれにスラッシュウィンドと同等か、それ以上の切れ味を秘めているようだ。


 そして刃の群は必殺の威力を秘めてティオ達に迫る。


「くっ! 壁よ、グレイブウォール!」


 足を止めず、ザンギが使ったものと同じ土壁を作り出す。強度もザンギのそれと変わらない出来である。だが、風の刃は壁など意に介さずあっさりと切り刻む。


「――っ! それなら……輝き纏う風の盾、フェアリーシェル!」


 ティオは一度立ち止まって集中し、少しの詠唱と共に魔術を発動した。


 ティオとソルチェの周囲を光り輝く風が覆い、ザンギの魔術と同じく、嵐を作る。だがティオのいる中心付近は穏やかなものであった。呪文の通り、術者を護る風の盾、ということだろう。


 ティオは再び駆け出し、風の盾もティオに追従する。どうやら発動場所でなく、術者の周囲に作用するようだ。そして、ついにザンギの放った死の刃に追い付かれ、風の刃と、風の盾が接触する。


 ティオが作った嵐は、ザンギの様な激しいものでは無い。盾というには些か以上にお粗末だが、それは物理的な攻撃に対しての話である。


 この魔術、フェアリーシェルは魔術に対してこそ、威力を発揮する。この魔術の効果、それは魔素の分解である。この光り輝く風は、魔素を分解し、吹き払う力があるのだ。特に魔素で生成したものを直接、攻撃の手段とする魔術に対しての効果は絶大である。ザンギが放ったストームブレイダーなどはまさにそれだ。


 風の刃は、自身を構成する魔素を散らされ、明らかにその威力を落す。そして暴風によってあらぬ方向へと軌道を逸らしてゆく。


「よしっ」


 チラッと後ろを振り向きながらその光景を視認したティオは安堵して視線を正面に戻す。しかしそれは、まぎれもない――油断だった。


 フェアリーシェルは、ティオをして足を止めて集中しなければ放てない高等魔術である。だがストームブレイダーもまた、中級の上位魔術とでも言うべき高等魔術であり、その威力は並ではない。切れ味もさることながら、迫る刃は数えきれない数である。どちらが競り勝っても不思議ではない。


 それを証明するかのように、軌道を少しだけ・・・・逸らされた刃が、威力を減衰させつつも、狙いティオから少しだけずれてソルチェへと向かう。


「――きゃあ!」


 逸れた刃はソルチェの背を薙ぎ、鮮血が飛び散った。


「母さん!!」


 ティオが思わず足を止め、ソルチェの治療をする為、傷の状態を見ようとした。


「止まらないでティオ! このまま走りなさい!」


 瞳に強い意志を込めてソルチェは叫ぶ。ザンギはまだ狙ってくるだろうし、これだけ暴れればすぐに他の魔物まで寄ってくるだろう。一刻も早くこの場から移動するべきだ。


 そう、頭では分かっているのだろう、ティオは迷うそぶりを見せる。しかしソルチェと目を合わせ、再び駈け出した。


「……止血だけはしておくよ」


 言いつつ、ティオは走る速度を緩め、ソルチェの後ろに回って傷に手をかざした。


「癒しを、ヒール」


 ティオの手が光り、ソルチェの背を照らす。幸い、傷はそこまで深くないようだ。だが走りながらでは集中できないため十全に効果を発揮できず、完治には至らない。ティオは苦い顔をして、己の油断を恥じながら再びソルチェの手を取り走り出した。


 まだ数発の刃が迫っていたが、今度は油断せず、逸らしきれないものをしっかり察知し、避けるか魔術で対抗して凌ぐ。そしてすべての刃を捌ききったときには、トロールとザンギは視界から消えていた。


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