第5話 奇襲

 ティオ達は森へ入った後、街道が見える程度の浅さに留まり、街道に沿って進んでいた。森の奥は魔物の住処である。追っ手を撒ければいいのでわざわざ危険を冒して森の奥へ進むことはしないつもりだった。だがそううまくはいかないようだ。


 さっきも聞いた独特の風切り音が耳に届き、ソルチェの手を引いてその場に伏せる。直後、さっきまで頭があった位置を矢が通り過ぎて行った。


 ティオの視界の端に見覚えのある男の姿が映る。先ほど相対した時はかなりの距離があったのにあっさり追いつかれたこともそうだが、まだそれなりに距離があるにも関わらず木々の間を縫って正確な射撃をしてきたあたり、相当な実力者のようである。


 ここでティオは一瞬迷いを見せた。このまま逃げるか、この場で迎撃するか、だ。


 逃げることが出来るのならそれに越したことはない。だが、一度は男の視界から外れたはずなのに追いつかれたのだ。ここまで距離を詰められてはもう逃げ切れないだろう。


 ならば迎撃するか。それも難しいだろう。ティオはラステナの元で5年間積み重ねた修練によって、魔術に関してなら15歳としては圧倒的と言えるほどの腕となった。だがそれはあくまで15歳としてであり、それ以上でも以下でもない。さらに、当然ながら人間を相手に生死を懸けた争いなど経験しておらず、この状況で実力を発揮できるかも怪しいところだ。


 対して目の前の男は明らかに数多の経験を重ねた実力者であり、時間を掛けるとさらに相手方の増援が来る可能性が高い。勝てる見込みは無いに等しい。


 ならば、とティオは策を考え付くが逡巡する。策などとは言えない、ただの賭けである。だが他に手も思い浮かばず、何より時間がない。ティオは意を決してソルチェの手を引き、森の奥へと駆け出した。


 それを見た男は、ティオ達を追って駆け出すと共に呪文の詠唱を始めた。


「風よ、刃を纏い、障害を薙ぎ払え。スラッシュウィンド」


 唱えながらその手を薙ぐと、巨大な風の刃が生まれ、ティオ達に迫った。


「――っ!! 母さん伏せて!」


 聞こえた呪文からどんな魔術かを悟ったティオは、ソルチェの手を引きに地に伏せた。その頭上を死の刃が木々を薙ぎ払いながら通り過ぎて行く。


 それは風の刃を放つ中級魔術である。殺傷力に特化しており、その威力は文字通り障害を薙ぎ払って見通しが良くなった森が証明している。ティオは魔術の威力に戦慄するも、振り返って敵を見据えた。


 ティオ達が魔術を避けたことは想定内なのか、男は即座に次の行動に移る。見通しが良くなった森の中を、木の残骸を足場に飛び渡りティオ達に迫っていく。だがティオも黙ってはいなかった。


「震えろ……トランブルシェイカー!」


 たった一小節の呪文詠唱で発動したティオの魔術。空気の波が衝撃となり、周辺を飲み込む。


「なんだと!!」


 男が咄嗟に腕を交差させ、防御姿勢をとる。それしか出来なかったという言う方が正しいか。皮肉にもティオ達との距離を詰めたことが災いした。いや、ティオはそれ踏まえてこのタイミングを狙っていたのだ。


 衝撃が空気を伝って男を襲い、吹き飛ばす。十数メートル吹き飛ばされたところで体勢を立て直そうとするが、何故かうまくいかず、そのままさらに数メートル先へ落下した。


 何とか受身は取ったようで、すぐに立とうとするも、バランスが取れず、ふらついている。


 ティオの放った魔術は振動の波を放射する中級魔術である。物理的威力はほとんど無いものの、全方位をカバーでき、さらに空気の振動により人の三半規管にダメージを与えて一時的に行動不能にすることも可能である。


「貫け! ライトニングスピア!」


 間髪入れず、ティオが追撃の魔術を放つ。またも一小節の詠唱で発動させる。


 何もない空間から雷が出現し、2つの球体を形作る。球体は稲光を鳴らし、存分に存在感を示している。男が驚愕に目を見開くと同時、雷球の1つが雄叫びの様な轟音を響かせ、男に向かって真っ直ぐに解き放たれた。雷が横に落ちる、と言えばいいだろうか。それはまさに雷の槍と言える様相だった。


 しかし、男もやはり只者ではなかった。三半規管をやられたというのに驚異的な反射速度で跳び、高速で飛来する雷を回避する。さらに回避しながら呪文を唱える。


「土よ、万難を排す城壁と成れ! グレイブウォール!」


 ティオは避けられたことに驚き一瞬動揺を見せる。その隙に男が呪文を唱えるのを見てすぐさま気を取り直し、もう1つの雷槍を放つ。しかし、男の魔術が一瞬早く完成した。


 男の触れた地面が盛り上がり、硬質化して即席の壁となる。直後、壁に雷槍が直撃する。


「――かはっ!」


 壁に阻まれた雷槍だが、実体を持たないそれは壁をすり抜け、もろとも男を貫く。しかし衝撃のほとんどを壁が吸収したようで、男は膝をつくに留まった。代わりに壁が半ばまで崩れ落ちる。


 ティオは不意打ちの、しかも超高速の攻撃をも直撃を回避した敵に戦慄する。


 ライトニングスピアは擬似的に雷の様な現象を起こす魔術だが、実際の雷ほどの速度は無く、またその威力も本物にはほど遠い。とは言え、普通の人間には反応することも難しい程度には速度があったはずだ。


 ティオは悔しさに歯噛みする。しかし、男の方も内心は安堵より驚愕で埋め尽くされていた。ティオの魔術の技術に戦慄してのことである。


 通常、魔術を使う際はそれに伴った呪文を詠唱する。それはより強力な魔術を使うほど、長く複雑な呪文となってくる。


 確かに、呪文の内容は自由である。魔術構築のイメージを保管できるのならば術者の好きにすればいい。だがそれを短くするというのはそれだけ素の魔術構築が優れているということでもある。


 中級魔術を一小節程度の呪文で発動させる。それは決して並の傭兵に出来ることでは無い。一線級か、或いは天賦の才を持つ者だけだろう。そして、ティオは後者であると言える。少々特殊・・でもあるのだが。


 男が警戒するのも当然といえた。何せ明らかに少年と言える年齢だというのに中級魔術が使えるだけでなく、一小節まで呪文を短縮したのだ。ただの獲物から、警戒すべき敵へと認識を改めるのもまた当然だろう。


 ティオもまた、苦々しい表情を浮かべる。


 いくらティオの魔術の腕は優れていても、直接的な戦闘の経験はない。しかも、相手は相当の実力者である。


 先ほどのライトニングスピアも現時点でティオが使える最強の攻撃魔術であるが、大してダメージを与えることはできなかった。しかも三半規管にダメージを受けた状態で、だ。


 攻勢に出るなら男がまだ身動きの取れない今であるが、その事実からティオは動けずにいた。


「いってぇなぁおい。……ひひっ、お前ぇ、名前教えろよ」


 半分ほど残った土壁に隠れながら男が問いかける。ティオは一瞬動揺したが、ひとつ息を吐くと、吐き捨てるように呟いた。


「わざわざ聞かなくても、知ってるんだろ?」


「いや、聞いていたのは商隊長とそっちの女だけだ。ガキの名前なんか聞く必要もないと思っていたが、今は少し後悔してるよ」


 全く後悔していないような明るい口調だ。まるで新しいおもちゃを見つけたように楽しそうな表情を浮かべている。


 一方、ティオは予想していたものと全く異なる答えに怪訝そうな表情を浮かべる。


 商隊の荷を狙った行為では無いことは、ここまでティオ達を追ってきた時点で判っていた。そしておそらく、その狙いは自分だと、思っていた。


 だが今の言葉からすると、狙いはティオではなくマグナー家当主のイグスと妻のソルチェ、つまりはマグナー商隊そのものを狙ったようだ。それに関しては、気になることは多々あるものの、今は考える時ではないと一旦胸の中に押し留める。


 しかしあっさり情報と出してくれたものである。悪びれる様子も無いところを見ると、そもそも秘密を守る気が無いのか、あるいはここで確実に口封じする自信があるのか。おそらく後者か、両方だろう。


 ティオとしては男が動けないうちにさっさと逃げたいのだが、ソルチェの消耗が激しい。戦う心得も無いソルチェが命を狙って追いかけられていたのだから無理も無いだろう。男もすぐに動けるようになるであろうし、これでは逃げ切れない。とはいえ、ずっとこうしている訳にもいかない。ティオは時間稼ぎと、隙を見つけるために男と会話を続けることにした。


「……ティオ・マグナー」


「おう。俺はザンギ、ザンギ・グレイだ。よろしくなぁティオ」


 今まさに殺し合いしている相手とよろしくしてどうするのか。とティオは思ったが口にはしなかった。代わりに男、ザンギからさらに情報を引き出そうとする。


「これは誰からの命令? 僕らをどうするつもりだ?」


「それは流石に答えられねぇなぁ。それより、俺としてはどうやってそれ程の魔術の腕を手に入れたのか気になるねぇ」


 質問には答えず、逆に質問で返してくる。ニヤニヤしていて気味が悪い。


「師匠が良かったからな。あんたこそ、とんでもない実力者じゃないか。どこぞのギルドで団長でもやってるのか?」


 お前らは誰かに雇われたギルドなのか、と言外に聞いてみる。少しは口が軽くなることを期待し、不本意ながらも煽てながら。


「謙遜するなよ、教えが良いだけじゃとてもそこまでの力は得られねぇよ。それと、俺はまだ団長じゃあない。もうすぐそうなるけどな。ひひひっ」


 言いながら下卑た笑いを浮かべる。含みのある物言いだが、詳細は流石に口にはしなさそうである。


 ティオは冷静にザンギの言葉から情報をさらう。ザンギはギルド員であることは否定しなかった。あまり仲間意識もなさそうではあるが、一応纏まった集団ではあるようだ。団長でもない男がこれほどの実力者なのだ、おそらくそれなりに名の売れたギルドなのだろう。まぁ一般的ではない・・・・・・・だろうが。


 それほどのギルドを自分たちの暗殺のために雇ったとして、商隊の荷をそのまま譲るとしても安くはない対価が必要だったろう。そこらの人間には不可能だ。おそらく大手の同業者か、あるいは――。


 と、そこまで考えたところでザンギがとんでもないことを言い出した。


「お前のその力、殺すには惜しいんだよなぁ。……なぁ、俺と組まねぇか?」


 ティオは耳を疑った。ザンギの意図が読めず、一瞬言葉に詰まる。鼓動を落ち着かせ、努めて冷静に問い返した。


「組む? それはあんたのギルドに入れってことか? 僕らを殺さなきゃいけないんだろ、依頼人に背いていいのか?」


 ティオが矢継ぎ早に質問を繰り出す。それを受けてザンギは少し思案しながら答えた。


「んん、まぁそうだなぁ。お前には俺の配下ってことでギルドに入ってもらう。俺の下で働いて、成り上がりに協力してくれや。それと、依頼人からは当主夫婦しか殺せと言われていないから安心しろ。そこの女は……まぁ、どうしてもってなら死んだことにして俺の傍で隠してやってもいいぜぇ。当然手錠と首輪付きだがなぁ」


 ザンギが口の端を吊り上げながら言う。迷う余地なんてないだろう、とでも言いたげだ。ザンギの価値観からすればそうなのだろう。他人を蹴落としてでも生きて、成り上がる、そんな男だ。だが当然、ティオにそんな価値観は当てはまらない。


「論外だな、交渉にすらなっていない。最低でも母さんを逃がすことが絶対条件だ」


 そう吐き捨て、話は終わりだと立ち上がる。ソルチェもだいぶ回復した。ならば留まる必要はない。まだ森に入って浅いのだ、ここに長居すれば敵の増援が来るかもしれない。


「流石にそれは無理だなぁ。そいつに逃げられたら俺が裏切ったのがばれちまうからなぁ」


 ザンギも交渉は決裂したと、少し残念そうにしながらも立ち上がる。もうダメージからは完全に回復したようだ。


 ティオは改めてザンギを見据える。小柄な体格で黒いローブを羽織っている。フードから覗く顔は、余り生気を感じさせない顔色をしており、とてもではないがあれだけの技術を見せた男とは思えなかった。しかし、所作に隙が無く、冷たいほどの殺気を放っており、油断すると一瞬で終わってしまうと思わせるような不気味さを持っていた。


 しばらく、お互いに睨み合う。そして開戦の合図は二人同時だった。


「斬り穿て! エアブラスター!」


「土よ、硬き岩となって敵を粉砕しろ! ロックブレイク!」


 ティオの手から風の刃を纏ったが弾丸が放たれる。ザンギは土を練り上げて形成した大岩で迎え撃つ。いや、ほとんど盾にしているに近い。当然だろう、ティオの魔術は詠唱を短縮して速射を可能にしている上、弾速も速い。対してザンギの方は一般的には十分短い詠唱であるものの、魔術の発動までにティオの倍かかっている。一対一の戦闘においてそれがどれほどのアドバンテージか、もはや説明の必要もないだろう。ザンギが魔術を発動させた頃にはもうティオの魔術は眼前に迫っていた。


 ザンギは仕方なく大岩を叩き落とす形でティオの魔術にぶつけ、相殺した。だがティオの攻勢は続く。


「往け! ストーンバレット!」


 畳み掛ける様に一小節の呪文・・・・・・で発動させた・・・・・・ストーンバレット。周辺の石に指向性を持たせ、ただ飛ばすという単純な魔術であるがその分、操れる数も多い。宙に浮かんだ十数個の石が一斉にザンギを襲った。


「小賢しい!」


 叫びながら剣を振るい、迫る石を叩き落とす。


 おそらくこちらの魔術が速度で後れをとっているのをいいことに、速度と手数重視に切り替えてきたのだろう、とザンギは判断した。だがこの程度であれば魔術を使わずとも対処は容易である。


 やはりまだ子供だな、とティオの未熟さを認め、石を弾きながらティオとの距離を詰めていく。そして次の石を落そうと剣を振りかぶった時、視界の端でティオが笑みを浮かべているのが見えた。


「――シャイニング!」


 無詠唱で発動するティオの魔術。ただ強烈な光を発するだけの簡単な下級魔術だが、効果は劇的だった。なにせ至近距離で攻撃の瞬間を狙われたのだ。しかも無詠唱で奇襲され、対処する間もなかった。


 言うまでも無く、これはティオの作戦である。最初に速度の速い魔術を使ってこちらが速度で勝ることを意識させ、さらにストーンバレッドを放てば、ザンギの技量であれば剣で対応してくると読んでいた。その際、わざと詠唱して無詠唱は使えないというふりまでしていた。後はタイミングをみて奇襲するだけである。15歳の少年が咄嗟にたてる作戦とは思えないが、元々ティオは頭がよく、相手の行動を読むことは得意分野であった。


「ぐおおおっ! む、無詠唱まで使えたのかっ、くそ!」


 目を抑え苦しむザンギ。ティオはさらに追い打ちをかける。


「ストーンバレット!」


 今度は無詠唱のストーンバレット。再び多数の石がザンギを襲う。だがザンギも流石のもので、視力を奪われながらも咄嗟に横飛びで回避する。


 それを見て、やはり攻めきれないと判断したティオはソルチェを連れてさらに森の奥へと駆けて行った。

 気配が離れていくのを感じていたザンギだったが、視力の回復に集中しているのか、追いかける様子はない。だがその表情は喜色に染まっていた。


「くくくっ、やっぱおもしれぇよ、ティオォ……」


 何が面白いのか、肩を震わせて笑う。しばらくすると、ある程度視力が回復したのか、目を細めつつもティオ達を追って森の奥へ足を踏み入れた。


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