一章 雨夜、灼きつく想い

第4話 選択


 夜の闇を照らす灯りがひとつ、またひとつと消されていく。さらにあちこちから聞こえる剣戟の音や怒声、それに悲鳴。暗闇ではっきりとは分からないが、間違いなく、地獄絵図だろう。


 マグナー家当主 イグス・マグナーが率いる商隊は、王都ベルナートへ向かう途中、停泊していたところを何者かに強襲されていた。


 突然の奇襲に加え、灯りを次々消して夜の闇を利用して攻められ、護衛も対応しきれていない。


 襲撃の手際の良さから相当手馴れていることが伺える。護衛として連れてきた者はそれなりに腕に覚えのある者ばかりである。その彼らが圧されている以上、そこらの賊とは思えなかった。


 戦火から少し離れた、野営地の中心にあるテントにティオはいた。成長し、15歳となったティオは、イグスの助手として行動を共にしていたのだ。


 異変に気付いたティオはソルチェと共にテントから抜け出し、冷静に状況の把握を図っていた。


「賊!? こんなところに山賊が出たという情報はなかったはず……」


「ティオ、大丈夫よ。きっと護衛の人たちがなんとかしてくれるわ」


 ラステナに師事していたティオはもとより、ソルチェも比較的落ち着いている。商人の妻である以上、今まで似たような経験もあるのだろう、ただ、事態の違和感にも気づいているのか、額に汗が滲んでいた。


「ソルチェ! ティオ!」


 声に反応して振り向くと、イグスが護衛二人を連れて向かってきていた。


「父さん!」


「あなた!」


 大事な家族の生存に安堵し、駆け寄っていく。


「二人共、無事だったか!」


「父さんこそ!」


「ご無事で何よりです」


 一先ずの合流に喜び合う。だが事態が逼迫していることに変わりはない。まずは状況の把握だと、ティオは判断した。


「父さん、いったい何が?」


「わからん、突然襲われたんだ。状況が混乱していて賊の人数も把握できない」


「くそっ、見張りはいったい何を――」


「いたぞ! こっちだ!」


 護衛のうちひとりが悪態をついたと同時、声を上げながらこちら向かってくる人影があった。暗がりでよく見えないが、剣を抜き、殺気立っていることから敵なのは間違いない。


「マグナー様! 隊長! お逃げください!」


「わかった、後で落ち合おう。マグナー殿、こちらへ!」


 護衛が1人足止めで残り、隊長と呼ばれた男が先導して馬を繋いである場所へ向かう。


「――っ!? そっちはダメだ!」


 繋がれた馬が見えてきたところでティオが訝しげに眼を細め、唐突に叫んだ。


「なに……っ!? くそっ!」


 ただならぬティオの叫び声に警戒を強めた護衛は即座に足を止める。それと同時に馬の影から男が飛び出し、矢を放った。


 護衛はすぐさま剣を抜き、矢を切り払う。ティオの警告があったとはいえ、暗闇の中でほとんど見えない矢を切るその技術は、なるほど確かに腕に覚えがあると言えるだろう。同時に、それほどの護衛達を出し抜きうる敵であることを、ティオはしかと肝に銘じる。


 弓が無意味と察したのか、矢を射た男が剣を抜き、切りかかってくる。それと同時に物影から黒いローブを羽織った賊が二人、飛び出してきた。


「しまった! 待ち伏せされていたか!」


 予想外の展開に護衛は一瞬動揺を見せるが、すかさず剣を構えて臨戦態勢をとる。切りかかってくる男たちの剣を弾き、いなし、受け止めては防いでいく。さすが隊長を任されている人物だけあって、3対1でも一歩も引いていない。


「マグナー殿! ここは私が!」


 決死の覚悟で敵と相対し、イグスたちに逃げるよう指示する。


「……わかった、すまん。行くぞソルチェ! ティオ!」


 イグスは一瞬迷った後、護衛の覚悟を察し、ソルチェ達に声を掛けて走り出した。


「逃がさん!」


「させるか!」


 後を追おうとした敵の気がイグス達に向いた瞬間を逃さず、瞬時に踏み込み、一刀のもと切り伏せる。


 だが他の2人がそれを待っていたかのように連携して護衛の男を狙う。必死に対応するが、肩に一撃浴びてしまった。それでも彼の気勢は些かも衰えない。


「ぐっ……爆ぜろっ、イグナイトバースト!」


 叫ぶと同時、敵に向けて差し出した手から爆炎が発生し、敵を襲う。これは下位の魔術であり、ダメージはあまり期待できない。だが名前相応の派手さと衝撃力を有しており、迫る敵を押し返し、十分な立て直しの時間を作ることができた。


「この先は行かせん!!」


 その気勢に敵は一歩後ずさりしたが、かぶりを振って持ち直し、再び死闘を繰り広げた。




「くそっ! 馬が使えないのであれば、夜闇に紛れて出来るだけ遠くへ!」


 焦ったイグスがそう口にしたところでティオが待ったをかけた。


「いえ、馬を奪われた以上、平地では逃げ切れないでしょう」


「ぐっ……ならば、どうする?」


 ティオに何か考えがあるのだと察し、問いかける。ティオは何も言わず、すぐそばの森を指差した。


「馬鹿な、そっちは――」


「ええ、ですが月の明かりもあって平地ではすぐ見つかります。森を利用して撒くしかありません」


 唖然とする父の言葉をさえぎり、ティオが告げる。


 その森は“常夜の森”と呼ばれており、奥には多くの魔物が住み着いている場所だった。魔物の種類も多く、中央にある山の近くではランク5以上の中型種が出没することもある危険域でもある。


 ランクとは魔物の強さを大雑把に区分けしたものである。ランク5と言えば、高位の傭兵が徒党を組んで挑むほどのもので、間違っても多少戦闘に覚えがある程度の一般人が戦える相手ではない。


 そんな森に住み着く山賊はおらず、魔物が街道まで出てくることもほぼ無い。そのため、この近辺は森にさえ入らなければむしろ安全と言える地域だ。商隊が王都までの経路にここを選んだのはそのためである。


 当然そのことはティオも知っており、だからこそただの賊とは思えず、街道からでは逃げおおせるとは到底思えなかった。


「だが……」


 自ら魔物の巣へ入るという愚行に、イグスはすぐに頷けないでいた。


 ソルチェは何も言わずイグスを見つめている。どうやら全てイグスに託すつもりのようだ。そしてイグスは数瞬迷うそぶりを見せ、やがて力強くうなずいた。


「――よし、行こう」


 イグスが覚悟を決めて森に進もうとしたとき、別の男の怒声が響いた。


「いたぞー!!」


「走れ!」


 咄嗟にイグスが叫び、二人を連れて森へ駆け出した。


 敵は見えた限り3人いるが、ティオ達とはそれなりに距離があった。だがこちらはソルチェを連れている。捕まるのは時間の問題だろう。


「…………ここは俺が止める。二人は森へ」


 言って、イグスは走りながら剣を抜く。


「そんな!? ダメです、父さ――」


「行くんだ!!」

 

 ティオの言葉を遮り、イグスは声を張り上げた。


 イグスはこれでも、父親から継いだときには小さかったこの商家を、たった一代でここまでのし上げた傑物であり、若いころにはそれなりに無茶をして剣を握ることもあった。


 たとえ相手が得体の知れない連中でもすぐにどうにかなることは無いだろう。だが、それは敵が少数であった場合だ。敵の数さえ自分たちは把握できていない以上、それでなんとかなると言うのは楽観が過ぎるだろう。


「……僕ももう5年、ラステナさんのもとで力を磨いてきました。自分の身も自分で守れます。それでも、共に戦うことは叶いませんか?」


 あの時交わした父との約束。有事の際に前には出ないという約束はまだ生きていた。ティオが何度も撤回を要求したが、イグスが断固として受け入れなかったのだ。


「……ティオ、あの条件付けは今ここで破棄とする。母さんを、ソルチェを守るんだ」


 それは否定の言葉だ。自分を見捨てて、ソルチェだけを、守れと。ティオの想いを否定する言葉だ。


 ティオは選択を迫られる。ここで父の言葉に逆らい共に敵を迎え撃つか、敵に追いつかれない事に賭けて3人で森に走るか。戦いに覚えのあるイグスとティオだけならまだしも、ソルチェを守りながらでは逃走も迎撃も至難だろう。ならば、父に……この場を託すか。


 どの選択が最も生存率が高いか、また、その選択の意味を、理解出来ないティオではない。そしてそれを知る父も、残酷な選択を強いていることは分かっていたが、撤回する気は無かった。


 いつの間にか足を止めていた二人は数秒目線を合わせた後、言葉を交わす。


「……父さん。先に行きます。後で必ず、追いついてきてください」


 子供の我侭だと言わんばかりに無茶なお願いをする。それがどれだけ難しいことかはお互いに分かっている。だがそれを指摘する者はいない。


「ああ、すぐに追いつく。だから……母さんを頼んだぞ」


 子供の我侭ぐらい叶えてやるとでも言うように、平然と、力強く頷く。慈しむような、認めるような表情でティオを見据える。それは紛れも無く父親の顔だった。


「ソルチェ、すまない」


「いいえ、あなた。この先で、待っていますわ」


 いつもの微笑みを携えてソルチェは言った。諦めることは許さないとでも言うように。その言葉にイグスは苦笑し、俺にはもったいない家族だ、と呟きながら敵の方へ振り返った。


「行けぇ!!」


「……っ! 母さん!」


 父の叫びを背に、ティオはソルチェの手を取って森へ駈け出した。後ろ髪を引かれる思いで駆けていくが、決して振り向くことはしなかった。


「ふっ、ティオとトリウス、オルトがいればマグナー商会は安泰だな……」


 トリウスとオルトはもうある程度の仕事は任せられるほどに成長しており、トーライトの留守を預かっていた。まだ16,7の若輩だが、すでに信頼を築き始めているトリウスとオルトのことは心配など不要だった。ティオのことも、ここで果てるとは到底思えず、あの子なら道を切り拓くだろうと大した根拠もなく信じていた。


(ああ、明日はティオの誕生日だったのに、プレゼント渡せなかったな……)


 そんなことを思いながら、イグスは先ほどの護衛隊長に引けを取らない程の気勢を発し、迫る敵と剣を交えた。




 背中に父が戦う気配を感じながら、それでもなお、ティオは振り返ることなく進み続けた。


 そして森に足を踏み入れてすぐ、空気を切る音がティオの耳に届く。咄嗟に足を止めると、ティオの頬を掠めて正面の木に矢が刺さった。驚いてティオが振り向いた先には第二射を構える男の姿が月明かりに照らされていた。


 気付くと同時に矢が放たれた。月明かりに照らされて淡く光る矢が迫る。そしてその軌道の先には――ソルチェがいた。


 ソルチェは矢に気付くどころか、まだ振り向いてすらいない。ティオは腰の短剣に手をかけ、迫る矢の前に躍り出た。自信があった訳ではない、むしろ平時であれば絶対に出来ないと断じただろう。だがティオは根拠なく、しかし恐れも迷いもなく、迫る矢に短剣を振るった。


 金属同士が接触して甲高い音が鳴り響く。短剣を振りぬいたティオの足元には先ほどの矢が刺さっていた。


「ティオッ!」


 ようやく事態に追い付いてきたソルチェが驚くと同時にティオの身を案じる。ティオに傷がないのを確認し、安堵して息を吐いた。


 一方、矢を射た男はというと驚いた表情をして絶句していた。先ほどの護衛ならまだしも、まだ10代前半にしか見えない少年が夜闇にまぎれた矢を叩き落とすとは思わなかったのだろう。まぐれだとしても出来すぎているし、そもそも商家の子供が、護身用としても剣を携えている時点で異質である。男の動揺も当然と言える。


「――母さん! 急いでっ!」


 自分でも内心驚いていたティオだったが、男が動揺しているのを察してすぐ振り返り、ソルチェの手を引いて森へ入る。それを見て男もハッと気を持ち直し、さらに矢を射かけた。だが二人は既に森に入っており、木々が邪魔して届かない。


「……チッ!」


 男は舌打ちしながら二人を追って森へ向かう。その速度は当然ながら二人の比ではなかった。


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