第3話 決意 そして…
「はい、これであがりっ! これでまた私達の勝ちね」
アリンが天使の微笑みを携えながらそう宣言すると、相対していたトリウスとオルトは浄化された悪魔の様に燃え尽きていた。
「ぐっ、あそこで8を出してりゃあ……」
「過ぎたことを言うなオルト。戦略で僕らは完敗したんだ、潔く認め――」
「はーい、出すもの出してねー」
「ぐっ……」
宴会の翌日、アリン達は約束通り集まり、領主邸で数字の書かれた札を使ってゲームを楽しんでいた。
その遊具はとある小さな村で子供のアイデアから偶然生まれた、数字を駆使して戦う遊びに、イグス達が目をつけ明確なルールと札という媒体を与えて生み出した数札というものだ。いまやマグナー商会の目玉商品の一つでもある。
アリンがまだ全快ではないため、室内で遊ぶことになったのだが、室内での遊びといっても限られてしまう。流石に年齢や性別的にままごとなどはお断りだった為、宣伝も兼ねてトリウス達が持ち込んだのだ。
そしていざそれで遊ぼうとした際、アリンは初心者だということで、一番数札が得意なティオと組ませた。だが予想外なことに、ルールを教えて1,2戦行うと、十全にルールを理解したアリンは容易くトリウスとオルトを出し抜くようになった。ティオのサポートもあり、連勝記録を伸ばしていく。
ちなみに、あくまで盛り上げる為のチップ代わりとして硬貨を使用しているが、決して賭け事をしているわけではない。全てトリウスの財布から出ている硬貨である。
「さぁて、次はどうする? もっと難しいルールでもいいよ? すぐに覚えて勝っちゃうし」
アリンは分かり易く調子に乗っているようだ。パワーバランスが崩れてしまった以上、チーム変えした方がいいのだろうが、アリンの気持ちを察してティオと組ませたまま何も言わないトリウス達は空気が読める人間である。オルトに関しては負けっぱなしが嫌なだけかもしれないが。
「そうだな、次は別のゲームにしようか。なにか希望はある?」
アリンはトリウスに促され、数札に付属されている用紙を眺める。そこには数札を使った多種多様な遊び方が記載されていた。
「んー……じゃあこれとか」
「数並べか、わかった。オルトとティオもいいか?」
「いいぜー」
オルトから若干怠そうな返答が返って来る。だが声質とは裏腹に、その眼には『今までの分取り戻してやるぜ!』という意思が燃えていた。
年下相手にむきになる弟に若干の呆れを浮かべながら、ティオからの返事がないことに気付く。
「はは。…………ティオ?」
「……」
なおもティオからの返事はない。ただじーっと手に持った数札を眺めている。
「ティオくん? 大丈夫?」
「あっ、ごめんなんでもないよ。数並べ、だよね? 僕もそれでいいよ」
一応話は耳に入っていたようで、慌ててルールの変更を了承する。だがその不自然を流されはしなかった。
「おいおいティオ。お前ほんとうに大丈夫かよ」
「昨日の別れ際もそうだが、テントに戻ってからも何度かぼーっとしてたろ?」
「ティオくん……」
3人から『心配です』という視線をこれでもかというほど浴びせられる。昨夜に引き続き、心配させてしまったティオの失態である。それでもティオはこれ以上心配かけないようにと、安心させようと必死に言葉をひねり出した。
「だ、大丈夫だってば。体調だってもう全か――」
「じゃあ何が原因で悩んでるんだ?」
ティオの言い訳を遮ってトリウスが切り込む。体調が問題でないのならそれ以外で悩み事があると自白しているようなものだ。言葉を詰まらせるティオに他の2人からも追い打ちがかかる。
「正直めんどくせぇからさっさと吐いちまえ」
「……」
オルトはからかう様に促す。口は悪いが、それは確かにティオを気遣う言葉だ。アリンは何も言わず、ただじっとティオを見つめている。
兄と友人から言葉や想いを受け取り、申し訳ないような、気恥しいような気持ちになる。ティオは目を瞑って数秒黙り込んだ後、決めた。
「……うん、ごめんね。ちょっと、相談したい事があるんだ。みんなの意見を聞いてみたい」
そう言うと、3人はそれぞれ安堵したように息を吐いた。それを見て、ほんとに恵まれていると、ティオは思う。
ティオも一つ息をつき、ずっと頭の中で渦巻いていたものを整理していく。
「友達の、話なんだけど……」
前置きをして話し始める。トリウス達は、緊張させないようにとの心遣いか、ある程度楽にしてそれを聴いていた。
「その子には夢があってさ。なりたいものがあって、したいことがあって。その夢に向かって、その子なりの努力をしていたんだ。多分、その子のお父さんとお母さん、それにお兄さんたちも応援してくれていたと、思う」
3人は黙って、ただ黙って話を聴く。
「でも、実はその子にとても特別な……そう、特別な才能があったんだ。とても稀少で、珍しい才能が。でも、その才能が原因で、周りに迷惑をかけてしまうかもしれない。いや、夢を追いかけていれば、間違いなくかけてしまうと思う」
言うまでもなく、ティオ本人とルミナ・ロードの事である。昨日の話し合いでは問題ないという結論に至ったものの、ティオはそう楽観視していなかった。
このまま、商隊に付いて旅を続けていれば、商人となって世界を渡り歩けば、いずれ何かの拍子に秘密が漏れ、ラステナの警告が現実のものになると思っている。そして、その時に被害を被るのは商隊や家族であると。
「――夢を、諦めれば大丈夫だと思う。でも、たぶんその子の家族は許してくれない。……本人も、諦めたくないと思ってる。だけど……それ以上に迷惑を掛けたくないんだ」
家を捨て、どこか他の国か都市で身を移せばおそらく大丈夫だ。少なくとも家族に矛先が向くことはないだろう。いっそ傭兵や兵士になってしまえば国の庇護を受けることも出来る。
大事な家族に迷惑は掛けられない。掛けたくない。そんな想いがティオの心を支配していく。
(……やっぱり、諦めよう。家は兄さん達が継いでくれる――)
改めて口にしたことで気持ちを整理できたのか、ティオは自分で結論をつけた。未練があるのは確かだが一番大事なのは家族だと、自分に言い聞かせる。
「……うん、やっぱりそうだ。みんな、ありが――」
「掛けりゃあいいじゃねぇか」
ティオは覚悟を決め、相談に乗ってくれたみんなに礼を言う。だがそれはオルトによって遮られた。
「……掛けりゃあいいじゃねぇか。迷惑くらいよ」
「――オルト兄さん……」
繰り返すオルトをティオは睨みつける。
オルトは事の重大さをわかっていない。ルミナ・ロードの件は他言無用とされているので当然であるし、責めることは出来ない。だがそれでも、ティオは思わずにはいられなかった。何を勝手なことを、と。
オルトは”ちょっとした迷惑“程度に考えているのかもしれないが、現実はもっと深刻だ。ラステナが言っていたような財力や権力で迫られるのならまだ、良い。迷惑は掛けるかもしれないが、あくまで”交渉“の枠内だろう。最悪、自分が相手に従えばそれまでだ。だが問題は実力行使、暴力を伴って迫られた場合だ。その場合、想像したくもない最悪の結果が待っていることだろう。
「だめだよ……、危険なんだ」
「それがどうした? 家族を守るためなら上等だ」
「周りの人も巻き込んじゃうかもしれないんだよ?」
「わかってるさ。あいつらもその程度で――」
「わかってない!!」
一歩も引かないオルトにティオは声を荒げた。
「全然わかってない! ……死んじゃうかも、しれないんだよ」
「…………」
ティオの言葉が予想外だったのか、オルトが黙り込む。ティオはそれに安堵すると共に、声を荒げたことを反省していた。オルトの反応は詳細を知らない故の、致し方のない反応だからだ。自分の都合で秘密にしておきながら認識の齟齬で責めるのは勝手が過ぎるだろう。
ティオは心を落ち着けるため、声を荒げたことを謝罪するために胸に手を置いて深呼吸をする。ようやく鼓動が落ち着いてきたティオの心臓は、次の瞬間またしてもオルトの一言で一際大きな鼓動を打つ。
「それでもだ」
「――!!」
ティオは咄嗟に言葉を紡げずに息を呑んだ。
オルトの言うことが理解できない。心が
仕方ないことだと同意して欲しかった。いっそ冷たく突き放して欲しかった。何故なら叶わない夢や希望は絶望に変わるから。だから心の奥底に追いやった
「…………なんで」
半ば茫然としながら口にしたのは“疑問”だった。おそらく自分の真意も察しているであろう兄の、残酷とも言える仕打ちに対しての疑問。
オルトは一拍置き、ゆっくりと答えを紡ぐ。
「――俺は、ティオが……ここにいる“誰か”が、犠牲になるなんて許さない。絶対に。それが、家族だと、そう思ってる」
抑揚なく、気負った様子もなく、当然であるかのようにそれを口にした。その言葉にティオの
オルトが意見を変える気はないと察したティオはトリウスへ視線を向ける。根っこが直情型で人が良い、悪く言えば感情を捨て切れないオルトより、俯瞰的で、冷静な視点で物事を考えるトリウスなら自分の期待に応えてくれると思ってだ。
「…………」
トリウスは考え込んでいた。少なくとも手放しでオルトに賛同するつもりは無いようで、ティオは安堵する。トリウスならば冷静に判断してくれるだろうと。
ティオの視線に気づいたトリウスはその
「その子の、父上はそれを知っているのか?」
「っ!」
トリウスはティオの期待通り、冷静に、俯瞰的な視点で核心を突く。
ここで嘘をついても意味はないし、何よりフェアではない。ティオは正直に首を縦に振った。そしてその結果は容易に察せられる。
「なら、改めて僕から言うことは何もないな」
父が、イグスが事情を知っている。そして、ティオは先ほど『たぶんその子の家族は許してくれない』と口にした。事情を知っていて、ティオの逃避を許さない。つまりはそれがイグスの出した結論ということだ。
父が、家族が護ると決めたのであれば、家族としてそれを支えることに異論はない。何より、トリウス自身もそれを望んでいた。
「……で、でも」
ティオはまだ納得できない。いつか自分のせいで誰かを傷つけてしまう恐怖がそれを許さない。恐怖のせいか、あるいはままならないことへの苛立ちからか、手が震える。しかし横からそっと手を添えられると、不思議とそれは治まった。
「ティオくんは、私を助けてくれたよ?」
「え? それは……ま、まぁ……」
唐突なアリンの言葉にどもる。ティオとしても、恩を売るつもりなどは毛頭ないが、アリンを直接的に助け出したのは自分だという自負はあるので否定することはしない。無論、他の人間の助けがあったからこそだと思っているが。しかし、そのことをなぜ今言うのか。話の繋がりが分からなかった。
困惑するティオを優しく見つめながら、アリンは続ける。
「どんな才能や力だって、人を傷つけるばっかりじゃないはずだよ。ティオくんがしてくれたように、その人も誰かを助ける日が来るかもしれない。ううん、絶対来る!」
力強く言い放つ。そしてティオは一つの事実を思い出す。
(そう……か。この子を助けたのも……この、“才覚”か)
アリンを助けたのは紛れもなく、自分が嫌うルミナ・ロードという“才覚”である。家族を巻き込むかもしれない恐怖でそれを忘れてしまっていた。
もちろん、あれは様々な要因や幸運が重なった結果ではある。だが、確かにルミナ・ロードが無ければ、間違いなく、結果は変わっていただろう。
(でも、危険は確実にある……。確かにリスクばかりではないけれど、それから目を逸らす訳にはいかない)
アリンが言ったようにメリットもある。しかし、狙われる危険が無くなったわけでは全くない。ティオの悩みはより深くなっていく。
ティオが黙り、沈黙が流れる。そして、そういう時に真っ先に空気や状況をぶち破るのはこの男だった。
「ぶっちゃけるけどさぁ……ここで話してて意味あんのか?」
「……え?」
予想もしていなかったオルトの物言いに、ティオは耳を疑う。オルトは構わず続けた。
「だってそうだろ? おや……じゃなくてそいつの父親……ああもうめんどくせえっ! 親父が決めたことに、俺らが何を言ったってそうそう覆りゃしねぇよ! 俺らも親父と同意見だから尚更な!」
すごく、ぶっちゃけた。色々と。
唖然とするティオと、苦笑するトリウスが対照的だった。オルトの言葉を受け継ぐようにトリウスが続ける。
「そうだな。僕も同意見だ。というか、僕らが家族を見捨てるようなこと言ったら思いっきり殴られるだけだ」
「う……」
ティオの顔が引きつる。その場面が容易に想像できたからだ。ついでに言えば、トリウスとオルトの後、自分もぶん殴られていた。普段は優しいイグスだが、怒らせれば人が変わったように苛烈になる。それは兄弟全員の共通認識で、ソルチェと並び、絶対に怒らせてはいけない人物ツートップだった。
別の方向に変わった空気に、トリウスは再び苦笑し、諭すようにティオに語りかける。
「ティオ、お前がなんの才能を持っていて、それがどんな才能なのかは知らない。だけど、聞いている限り、すぐにどうにかなるというものでもないんだろう?」
「う、うん」
「なら、ゆっくり考えてみよう。逃げることより、まずは立ち向かうことを、前に進むことを考えよう。それなら僕らは……父上たちや商隊のみんなも、助けてくれる」
「前に……進む」
トリウスの言葉を反芻する。立ち向かうとは言っても、何に立ち向かうべきかもわからない。あえて言えば現実に立ち向かう、だろうか。この現実から逃げずに立ち向かい、家族を守る。それが、“前に進む”ことではないか。
ティオは思考する。もう、逃げない。逃げることは皆が許さない。許さないで、いてくれる。
ティオは思考する。ならば、家族を守るためにはどうすればいいか。
――簡単だ。守りたいならば、守ればいい。その力も、可能性も、不本意ながら持っている。
(そうだ、もう、人に頼り切るのはやめよう。逃げて、全部を運に任せるのも、誰かに守ってもらうのも。僕には、守れる力がある)
元凶であるルミナ・ロードは、皮肉にもみんなを守れる可能性を持っている。少なくとも、大きな助けにはなるだろう。
自惚れかもしれない。ただ開き直っただけかもしれない。それでも、逃げないと決めたのだ。後は前に進むだけ。絶望も、悲観も、今は必要ない。
「――は、ははっ」
自然と、ティオから笑いが漏れる。自嘲を含んでいるが、不思議と鬱屈さは感じられない。むしろ晴れやかにも思えた。
(僕は何を悩んでいたんだろう。あの父さんが僕を置いていく訳がないなんてこと、分かっていたはずなのに……)
ただ、愚痴を言いたかっただけかもしれない。ただ、どうしようもない感情を吐き出したかっただけなのかもしれない。けれど、確かにあったのだろう。目の前の3人が、自分の行き先を示してくれるという期待が、願いが。
勝手な言い分である。けれども、ティオは自己嫌悪以上に清々しさと誇らしさを感じていた。この3人と家族であることに、友人であることに。
「落ち着いたみたいだな」
トリウスが優しく声を掛ける。見れば他の2人もやさしく見つめていた。
「――うん。ごめん、ありがとう」
簡単な謝罪と感謝を口にする。この3人ならこれだけで伝わるだろうから。
「そっか。んじゃ、続きやろうぜ。そろそろ俺の本気を見せてやる」
「ああ、数並べだったな。まずは簡単にルール説明しながらやるぞ」
ティオの出した結論も聞かずにゲームを再開使用する2人にティオとアリンは苦笑する。聞かないのは信頼の証だ。
ティオは苦笑した後、決意を秘めた表情でもう一度謝罪を口にした。
「ごめん。これから行きたいところが、行かなきゃならないところが出来たんだ」
「――そうか。頑張ってこい」
「ったく、勝ち逃げかよ」
全て察しているような表情でトリウスが声を掛ける。続くオルトは不満気だが止める様子はない。アリンだけは口を挟まないものの少し残念そうにしていた。
「大丈夫、アリンだけでも勝てるから。勝ち逃げじゃないよ」
「「「えっ……」」」
ティオの言葉に呆気にとられる。特にアリンは無茶を言うなとでも言いたげだ。
「へぇ、言うじゃねぇか。いいぜ、アリンに勝ったら次はお前だからなティオ!」
挑発にのって鼻息を荒くする弟に、トリウスはため息を吐く。アリンはまだ状況についていけず、『えっ、えっ?』と混乱状態だ。そんなアリンにティオはそっと囁いた。
「大丈夫。さっきと同じように、アリンの思う様にやればいいよ」
不意に、耳元で囁かれてぼはっと沸騰したように顔を赤くする。
このように普段はごく普通の恋する乙女だが、こと遊戯、特に対人遊戯ではアリンは強かった。アリンは相手の裏を読む、というより相手の行動を読むのが得意なのだ。
何を言えばオルトがムキになって無理をするか、それをカバーするためにトリウスはどうするか。相手を読み、ゲームを自分の思う様に展開するのが得意だった。いっそ異常なほどに。
(たぶん、アリンに勝てたら僕には楽勝だよ、オルト兄さん)
そう、オルトの言葉に内心で応えながら身支度を整え、部屋の戸に手をかける。
「あ、帰るならメアリーに……」
「いや、いいよ。大丈夫」
アリンの言葉に微笑みながら返す。ちなみにメアリー嬢はアリンお付きのメイドである。
「じゃあ。みんな、ごめんね」
「ああ」
「おー」
ティオが声を掛けると、兄二人は割とあっさり返す。対してアリンは少しばかり名残惜しそうな声色で応える。
「うん。また、遊べるかな?」
「うん。またね」
簡単に挨拶を交わし、ティオは足早に去っていく。と、思えばすぐに戻ってきた。
「あ、みんな、さっきの話だけど……。僕……の友達の話は内緒にしておいてね」
「ああ」
「はいはい、わかってるよ」
「うん。大丈夫だよ」
3人は当然とばかりに返す。バレバレの嘘、というより隠す気があるようには見えなかったが、友達の事だと前置きした真意は皆察していた。口外しないように言われているか、無暗に広める話ではないと。話の内容を鑑みれば当然でもある。
「――ん。ありがとう」
ティオは安心したように息を吐き、簡単に礼を言って再び背を向けた。
***
「僕、魔術を習おうと思います」
ティオが決意のこもった表情でそう宣言した。テーブルを挟んだティオの向かいにはイグスが難しい顔をして鎮座している。そしてわざとか不可抗力か、ティオに聞こえるほどに大きくため息を吐いた。
夕刻。ティオがトリウス達と別れて数時間と言ったところか。
ティオは商隊の会議用テントにイグスを呼び出した。大事な話があると言って。
イグスは例のセンスに関わる事だろうと察していた。だがこの言い分は予想外だったのだろう。イグスの表情がそれを物語る。しばらくそのまま硬直した後、再び深いため息を吐き、真剣な表情でティオを睨めつける。
「はぁ……、傭兵か、兵士にでもなりたいのか? 家は継がないと?」
イグスも、ティオが商隊から離れる選択をとる可能性を感じていたのだろう。やはり、というような苦み走った表情だ。
「――いえ、家を継ぐのが僕かどうかはともかく、僕は商人になるのが夢です。それは今も変わりありません」
イグスは少し意外そうな顔をする。あっさり否定したこともそうだが、迷いや引け目が感じられなかったからだ。ティオの性格を考えれば、常にリスクを意識し、選択への迷いや、商隊への引け目を感じるはずだ。
決心したのだと察する。文字通り、“心を決めた”のだと。迷いはないほどに。
イグスは少し口角を上げ、続きを促す。
「――ほう。では、何のためだ?」
イグスの問いに、ティオは真っ直ぐに応えた。
「――守るために。みんなを」
簡潔な答え。だがイグスはこれ以上ないほど、真剣に聞いていた。
10になったばかりの、幼ささえある少年の言葉ではない。ほとんどの人間は一笑に付すだろう。だがイグスはそうしない。
商人とは、見る目が大事だ。商品を見定める目、流行を読む目。そして、人を見る目だ。これまでの人生で培った目が、勘が告げている。少なくとも今現在の、目の前の“男”は見た目通りの“子供”ではないと。
(一丁前なことを言う……。ティオの言いたいことも、気持ちも解かる。だが、しかし……)
ティオの考えていることは大方察している。決心の強さを見るに散々悩み抜いた結果なのだろうことも。だが、そう簡単に首を縦には振れない。
単純に護身術として魔術を習うのはいい。イグスも多少、剣術の覚えがあるし、護衛を雇う前提だとしても護身の心得があるのは大きい。
だが、ティオにとってそれは護身の粋を大きく逸脱することになるだろう。力と言うものは大きければいいというものでは無い。類稀な才覚が、諸刃の剣となる事は想像に難くない。そしてティオの性格上、必要な場面ではそれを迷いなく行使するだろう。
(……だが、問答無用で否定するのも憚られる。ティオの想いを踏みにじることになるし、ここまでの決意ならば、自力でどうにかしそうだ。ならばいっそ、自分の管理下に置いた方が……)
イグスが考え込んでいる間も、ティオはただじっと答えを待っていた。そんな息子に、応えてやりたいと思う一方、可能な限り危険に晒したくないという親心もある。
(わかってはいる。ティオの力は商隊を守る上で大いに役に立つということも。危険から離し、庇護下に置きたいのは
イグスとて、この状況を楽観視しているわけではない。ルミナ・ロードを、ティオを巡って起きうる様々な事態に対処できるように対策を考えていた。だが、根本を絶つことが出来ない以上、あくまで対策であって解決ではない。
なればこそ、ティオに修練を積ませるのは悪くないのではないか。ルミナ・ロードの一件を除いても、ティオを守る力になるのではないか。
考えながら、ティオの視線を受け止める。一見、睨み合っているようにも見えるほど、二人の表情は真剣だ。しばらくすると、イグスは諦めたように、納得したように目蓋を閉じた。
「…………条件がある。一つ。当然だが、センスで知り得たことは、信頼できる者以外には口外しない事。二つ。これまで通り、商隊の会議には出席し、また、勉学を怠らない事。三つ。師事するのはラステナに対してのみ。通常の魔術も、センスに関してもな。四つ。ラステナへはお前自ら話を通すこと。そして断られればこの話はなしだ」
イグスは指を順に立てながら捲したてる。条件と言うよりは、ティオのことを気遣ってのものであることはティオにも伝わった。ティオもこくりと頷いている。
「そして五つ目。力を得たからと言って、訓練以外で決して戦いの場には出るな」
「え?」
ティオは唖然とする。それでは何の為に力をつけるのか分からない、と目で訴える。ティオの視線を受け止めながら、イグスは撤回するつもりはないことを示すように、強い口調でティオからの無言の反発を撥ね退けた。
「守るなどと一丁前なことを言えるのは、最低限自分の身を守れるようになってからだ。第一、お前はセンス保持者である前に俺の息子だ。お前を守るのは俺の仕事だ、これは譲らん!」
高らかに言い放つ。どうだ、と言わんばかりの表情である。対してティオは守られる立場だとはっきり言われたからか、ムッとした表情だ。拗ねているようにも見える。とは言え、現時点では反論できないのは確かだった。
「悔しければ、強くなる事だな。俺が守る、と言わせないほどに」
これはイグスなりのエールであった。息子を戦わせることなど決して望まない、イグスの、父親からの精一杯のエールだった。当然、それをわからないティオではない。多少の悔しさも噛み殺し、スッと頭を下げる。
「わかりました。その条件、すぐに撤回させて見せます」
顔を上げ、ふん、と鼻を鳴らす。イグスは苦笑いしながらも、心なしか楽しそうだ。
「期待しているぞ? さっきも言ったが、まずラステナに許可を貰わないと論外だからな?」
「ああ、ラステナさんになら先に話は通してあります。商隊長の意向に従うそうですよ?」
ティオの答えにイグスの頬が若干引きつる。
「……根回しが良いな?」
「父さんの息子ですから」
仕返してやった、とばかりにティオは笑顔だった。
***
「ティオ様、魔術の事はどれほどご存知ですか?」
明くる日、商隊の停泊地の一角で、ティオは早速ラステナに教えを乞うていた。無論、商事の勉強や会議のない空き時間である。必然的に遊びの時間を削ることになり、アリンがとある魚類の様にぷっくり膨れていたのは別の話だ。
ラステナの質問に対して、ティオは首を横に振る。ほとんど知らないという意思表示だ。
「そうですか。では、まずは魔術の基礎から覚えていきましょう。“星”の勉強は基礎を完璧にしてからです」
少し考えながらラステナはそう提案した。ほとんど解明されていないとは言え、センスは一応魔術の延長線上にあると言われている。まず魔術の基礎からと言うのは正しいだろう。
ちなみに“星”とは、言うまでもなく
「はい、師匠!」
「し、師匠はやめてください……」
顔を赤くしながら手を振って拒否する。遠慮などではなく、ただ恥ずかしいのだろう。
「じゃあ、先生で」
「そ、それなら……まぁ」
ラステナの反応を予想していたのか、あっさりと呼び名を変える。本来は先生でも嫌がりそうなものだが、“師匠”と比べれば、と思わず了承してしまうラステナ先生。
ティオが悪戯の成功した子供の様に(実際そうだが)、にまにまと笑みを浮かべているのに気付いていないのか、ラステナ先生は落ち着くために深呼吸をして仕切り直した。
「――ふぅ。さて、魔術の基礎について、でしたね。まずは魔術とは何か、から話しましょうか」
――魔術。
それはこの世界――空気や水、木々や花々、果ては大地など、自然に宿る“魔素”を操り、様々な現象を引き起こす
そう、技術だ。特別な才能は必要なく、極端なことを言えば魔素さえあれば誰でも行使することが出来る。とは言え、魔素を操るのは術者自身の為、そこには個人の差が出る。極少数だがいくら訓練しても魔素を操れず、魔術を使えない者もいる。だが大多数の人間はある程度の訓練を積めば行使できる。それがこの世界における“魔術”というものであった。
訓練をしていない故に、一般的な平民のほとんどは魔術を使えない。使えても生活に使う程度が精々だ。逆に、傭兵や兵士など、戦闘を生業の一部とするものは全員習得していると言っても過言ではない。多少の訓練さえ積めば使える武器が増えるのに、それをしないのは早死にしたい奴だけだ。
「では、試しに私が魔術を使います。ティオ様は、よく見ていてください」
ティオはこくり、と頷く。ラステナはそれを合図に詠唱を始める。
「大地の欠片よ、飛翔せよ! ストーンバレット!」
通常、魔術を使う際はそれに伴った呪文を詠唱する。それはより強力な魔術を使うほど、長く複雑な呪文となってくるのだ。
ラステナの詠唱によって発動した魔術、ストーンバレットは、周囲の小石十数個を浮き上がらせる。そのまま、ラステナが近くの木に向けて手を振るえば、その木へ向かって小石が放たれた。カカカカカッと小気味のいい音を響かせて小石が木に命中し、そこでラステナは手を降ろした。
ティオがおーっと声を上げながら拍手する。ラステナは少し恥ずかしそうにしながら佇まいを直し、ティオに向き直る。
「今のが魔術です。と言っても、最下級の初歩ですが。さて、もう一度同じ魔術を使いますので、今度は――」
「ねぇ、先生」
ラステナの言葉はティオに遮られる。そして次の言葉に耳を疑った。
「今、“何か”が小石に集まっていった様に感じたのですけど、もしかしてそれが魔素ですか?」
「……え?」
魔素は目に見えないし、音も無く、匂いもしない。ましてや触ることなどありえない。味は……わからないが、ただ言えるのは、かつて試したことがある人間も、試すことが出来た人間もいなかっただろうということだけだ。
ではどうやって魔素を感知し、操るというのか。それは、“感じる”としか言いようがない。比喩でも、精神論でもなく、魔素の存在を第六感、文字通りの六つ目の感覚で感じ取るのだ。その感覚は、そのまま“第六感”や“魔術感覚などと呼ばれている。
(まさか……ただの一回で魔素を感じ取るなんて……。普通はそれだけで数日かかるのに)
魔術感覚は全ての人間に備わっている。しかし、それまで何の魔術的訓練を受けてこなかった者が魔素を感じ取るには、錆びついた魔術感覚を研ぎ直す必要がある。それは、錆びた刀を打ちなおすことに等しく、それなりに時間を要するのが普通であった。年齢を重ねた者ほどそれは顕著である。ティオはまだ10歳とはいえ、一度魔術を見ただけで感じ取れるものでは無い。
しかし、あり得ない訳でもない。普段から魔術と縁近い者は無意識に感覚を掴んでいたり、そうでなくても、この訓練で比較的楽に感覚を掴めるのである。魔術と接する機会が多い故に魔術感覚が自然と養われている為だ。
(ティオ様はもう何度も行商に同行している。ならそれなりに護衛の魔術を見る機会があったかもしれない。それでもいささか納得しきれないけど、あとは個人の才能かしらね)
基本的に誰でも扱える魔術だが、魔術感覚の鋭さという点で個人の才能が現れる。魔素に対する感覚が鋭いということは、魔術を操る上で絶対的な優位性を持つ。ぼんやりした視覚でパズルを解くか、しっかり視覚を確保した上でパズルを解く。どちらが速度、正確さ、パズルの質が優れるか、論ずるまでもないだろう。
ティオがこれまでに魔術と接する機会が多いとしても、才能が無ければこの結果はありえない。それを知っているラステナは、ティオは魔術感覚が非常に優れていると評価することは当然のことだった。
(真面目に傭兵を目指したらどれほどになるのかしら。……嫉妬しちゃいそうね)
「先生?」
「えっ。あ、ああ。そうです。それが魔素と呼ばれるものです」
黙ってしまったラステナを不審に思い、ティオが声を掛ける。ラステナは考え事をやめて話を戻しながら取り繕う。
「こほん。まぁ、もう魔素を感じ取れるのなら話は早いですね。実際に魔術を使ってみましょう」
「え、もう、ですか?」
予想以上に早い展開に、思わず聞き返す。実際に魔術を使うということへの多少の不安も見て取れる。
「はい。ご存知でしょうが、魔術は誰にでも使えるほど簡単なものです。だから、習うより慣れてしまった方が早かったりするのですよ」
「そんなものですか……」
そんなものです、と返すラステナ。ティオはその楽さと適当さに複雑な気持ちを抱きながら一応の納得を示す。そしてラステナと同じように詠唱を開始……しようとはするが、ふと疑問が浮かんだ。
「先生、ただ呪文を唱えるだけでいいんですか?」
ティオが疑問を呈する。確かに当然の疑問である。呪文だけで魔術が使えるのなら、訓練など必要ないし、もっと一般人にも浸透していていいはずである。
ラステナはいいところに気が付いた、とそこはかとなく嬉しそうに説明を始める。
「そうですね、とりあえず魔素を意識しながら唱えてみてください」
「意識、ですか」
意識しろ、と言われてもこれもあいまいな話である。だがラステナも言っていた、習うより慣れろと。ティオは意を決して呪文を唱える。
「大地の欠片よ、飛翔せよ! ストーンバレット!」
ティオの声に反応したように、周囲の小石がぴくり、と動く。だがそれだけだった。その結果を見て、ティオは考察する。
(魔素は反応してた……ならあと足りないのは……)
考え込むティオに、ラステナからのアドバイスが入る。
「初めてとしては見事でした。ただ、呪文は私と同じでなくて結構です。大切なのは魔術で起こす事象をはっきりと想像することですので、自分なりに想像しやすい呪文を唱えてください。コツを言うなら、各工程をしっかり意識することですかね。小石が浮かぶ工程、飛んでいく工程、と言う風に。これを魔術構築と言います」
ラステナの言う通り、呪文そのものに大きな意味はない。魔術とは魔素を操ってイメージする事象を起こさせる技術だ。呪文はそのイメージの補佐である。
たとえ話をしよう。この国で魔術を教える際、よく用いられるたとえ話だ。
自身の周りに数多の魔素がいる。魔素は
先ほどのティオはと言えば、呪文だけを意識しすぎて、魔術構築がおろそかだった。いくら道があっても、術者の誘導がなければ目的地へは辿りつけない。
「はい!」
ラステナのアドバイスに、ティオは大きく返事する。やる気は充分の様だ。再び構え、集中の為に目を瞑る。
(大事なのは想像、構築か。それならいっそ呪文は簡単に、その分魔素と魔術に集中して……)
この時点で、ラステナは異常を感じていた。ただそれが何かわからなくて、行動できなかっただけだ。
(―なに? 魔素の動きがおかしいような……)
そしてそうこうしている間に、ティオがそれを完成させる。――初めての魔術を。
「――往け! ストーンバレット!」
ティオがそう叫んだ瞬間、小石が3つほど浮かび、ラステナの時と同じように正面の木へ向かって飛んでいく。その速度はラステナと同じか、それ以上。
ガガガッと激しい音を立てて激突する。後に残されたのは大きな痕を残した木と、茫然とする2人だった。
「……でき、た?」
「……でき、ましたね……」
2人して似たようなことを呟くが、その内心は全く異なっていた。
(出来た? こんなあっさり? なんだ、簡単……誰にでも扱えるくらいなんだから当然か。なんにせよ、これで少しは父さんも認めてくれるかなぁ)
(いやいや! おかしいでしょう!? いくら初歩の魔術でもこんなに早く、というか1回や2回で出来るわけない……! 呪文も短すぎるし、それに魔素の動きもなんだかおかしいし!)
ラステナの動揺と狼狽が激しい。ティオは非常にあっさりと発動した魔術の余韻に浸っていて隣が茫然としていることに気付いていない。しばらく静寂が流れるが、ラステナは場慣れしている故か、動揺の割に比較的早く落ち着きを取り戻した。
「ん、んんっ。ティオ様、石が3つしか浮かばなかったのはわざとですか?」
「えっ、ああ、はい。とりあえず成功率を上げたいなと思って数を絞りました。とりあえず正面の3つに狙いを定めて……」
「…………」
ティオの言い分に、ラステナは表情をより一層厳しくする。ラステナには一つの推測があった。出来れば外れて欲しい、と思いながら周囲に人がいない事を確認し、ティオに指示を出す。
「……ティオ様。もう一度お願いします。ただし、今度は特に数を絞らず、使う小石に狙いもつけなくて結構です」
「あ、はい。わかりました」
ラステナの指示にティオが頷く。ティオは当然の様にこなしたが、魔術の素体、この場合は弾の小石を正確に選んで使用するのはそれなりに難しい技術である。その事実がラステナの推測をより確信に近づかせた。
目を瞑り、再び意識を集中させ始めるティオ。ラステナも決して見逃さないよう、視線を鋭くする。
「行きます。――往け! ストーンバレット!」
ティオが叫べば、周囲から2,30はあろうかと言う数の礫が浮かび上がる。内心仰天するティオだが、構築を乱さないよう動揺を抑え込む。そして手を振るえば数多の礫が解き放たれた。
再び激しい衝突音を響かせて、礫が木に殺到する。一つ一つの威力は先ほどまでと大差なく、今度はメキメキと木の悲鳴も聞こえてくる。
それを見たラステナの目が見開かれる。予想通りか、それ以上の結果に。そして推測は確信へと変わった。
(やはり、ティオ様は魔素への影響力が異常に高い。才能という言葉では片付けられぬほどに……)
ラステナの額を汗が伝う。初めはティオの魔術感覚が非常に優れているという見解だったが、思い直す。優れているどころではなく、異常だと。そしてその原因に、思い当たるのは一つだけだった。
(もし、もしもルミナ・ロードによって魔術感覚さえも強化されているのだとしたら。ティオ様にとって、魔素は意志疎通の難しい動物などではないのだとしたら……。それを他人に気付かれたら……まずいわね)
今、この国は魔術によって栄えていると言って過言ではない。兵士、傭兵は当たり前の様に魔術を繰り、国の研究、開発の中核にも魔術が関わってくるほどの魔術大国なのだ。もし、そんな中、魔術感覚を圧倒的に高めるセンスを持つ人間が見つかればどうなるか。
よくてティオの囲い込み、悪ければ奪い合いだろう。それも直接的な行動を多分に含んでの。ただ単に珍しいだけのセンスを持つ場合とはそれこそ規模と被害が桁違いになるだろう。
(まだ大丈夫、基本方針は変わらないはず。でもティオ様が魔術を使うのは極力避けた方がいいわね。これ以上はイグス様と相談して……)
そこまでで一旦思考を落ち着かせる。後はイグスと話した方がいいと判断し、意識を訓練へと戻す。
「お見事です、ティオ様。魔術は成功です。非の打ちどころもありません」
「はい! ありがとうございます!」
極めて順調な滑り出しに、ティオは思わず声を大きくする。そしてやる気にも満ち溢れたその眼は『次! 次の魔術!』と語っている。
『ある意味非の打ちどころはあるんですけどね! 能力が高すぎるという非が!』と内心では愚痴と嫉妬を叫びながら、ラステナは表情を厳しくする。
「ティオ様、今日はここまでにしましょう」
「……え? ぼ、僕はまだ大丈夫ですよ?」
ラステナからの突然の言い分に、ティオは首を傾げる。実際、訓練を始めて十数分というところだ。疑問に思うのは当然のところだろう。
「いえ、初めての魔術ですから、実感は無くてもこのまま続けるのは危険なのです。なので、次回の訓練の時まで、一切の魔術行使や訓練の類を禁止します。これを破ればもう私がティオ様に魔術を教えることはないと思ってください」
ラステナは早口で捲し立てる。言っていることは嘘ではないが、流石に初めての魔術だとしても下級魔術の1発2発でどうにかなることはない。ティオの魔術が他人の目に触れないための方便である。
「……はい、わかりました」
ティオは納得出来ない様だったが、魔術を教わる師にそう言われれば頷くしかない。ラステナの事を信用している為に敢えて言い募ることはしなかった。
ラステナは逆にティオの素直さに不安を感じる。今だって不自然さには気付いているだろうに、一度信用した相手だと多少納得出来なくてもその言葉を簡単に信用してしまう。そんなティオに悪意を持つ者が近づけばどうなるのか。年齢の割に聡いティオがそう簡単に騙されることはないとわかっているが、万が一そうなれば……。
頭を振って考えを振り払う。そうならない為に自分たちがいるのだと。自分たちが守ればいいし、偶然にもティオを育てる立場になってしまったことでそれを教える機会もあるだろうと。
自分を家族の様に扱ってくれるティオ達に対して、ラステナもまた家族の様に思っていた。家族の様に、弟の様に思うティオを危険に晒す訳にはいかない。そう、思えた。
「では、私はこれから所用がありますので失礼します。ティオ様はトリウス様たちのところへ顔を出してはどうです? おそらく寂しがっていますよ」
「あはは……」
ラステナが悪戯じみた笑みを浮かべてそう言うと、ティオは苦笑いで返す。あるいはティオ自身も内心では寂しいと思っていたのか、さっさと片付けを終えて駆けて行ってしまった。
残されたラステナはイグスにどう説明したものか悩みを抱えながら歩き出す。すると後ろから声が掛けられた。
「ラステナさん!」
「え?」
そこには先ほど駆けて行ったはずのティオが佇んでいた。ラステナがどうしたのか聞く前にティオは頭を下げる。
「ありがとうございましたっ!」
「…………ふふっ。明日もまた訓練しますので遊び過ぎて怪我しないようにしてくださいね」
ラステナが言うと、ティオは大きく返事した後、今度こそトリウス達のところへ向かって駆けて行った。後に残されたラステナはティオを守るという決意を新たにしてイグスのいるテントへ向かって歩き出すのだった。
***
夜、ティオはイグスに呼び出され、商隊の会議で使われている大きなテントに来ていた。よもや魔術の件でやっぱり駄目だとでも言われるのかと、不安に思いながら入り口をくぐる。
「失礼します」
「ああ、来たか。呼び出してすまないな」
会議机の一番奥、いつもの定位置にイグスは座っていた。隣にはラステナの姿も見える。
「いえ……」
ティオの反応が鈍い。心なしか緊張しているようだ。
このテントは普段、商隊に関わる大事な用で使われる。今日、ここを指定したのはただ単にここしか空きがなかったからか、それとも、話が相応の内容なのか。緊張するのも当然かもしれない。
「安心しろ。一度した約束を反故にするつもりは無い」
「そ、そうですか。では、何の用でしょう?」
イグスの言葉に、少し安心したように息を吐く。それでも若干の緊張を残して呼び出した意図を確認する。
「お前の魔術に関してだ。魔術の修練をやめさせるつもりは無い。が、少しその扱いに気をつけねばならんようだ」
ティオは黙って聞いているが、何のことかわからないのだろう、表情に疑問符が浮かんでいる。イグスは構わず続けた。
「ラステナに聞いたが、魔術を1、2回で成功させたそうだな。お前は知らんだろうが、それは凄まじいほどの才能を意味する。普通は、そうだな……初めての魔術を扱えるまでに1週間ほど要するだろう」
「え?」
ティオは驚きに目を見開く。そんな大それたことをしたつもりは無いし、ラステナに聞いた通りのことを実践しただけだと。
「…………自覚がない時点で異常なのだ……」
ティオの心中を正確に察したイグスはため息を吐きながら指摘する。
「それで、その魔術についてだが、基本的に不特定多数の人目に付く場所での訓練は禁止する。少なくとも魔術の制御に関してラステナが問題ないと判断するまではな。それから、習得の早さを誤魔化す為に過去に魔術訓練の経験があるということにする。もし聞かれたらそう答えなさい」
「……不用意に目立たない為、ですか?」
ティオはイグス達の考えを察して確認する。それにイグスは頷きながら答えた。
「そうだ。それと、ないとは思うが制御に失敗した時に周りに被害を出さない為だな。まぁ、普通は制御も出来ないうちに強力な魔術など使えないのだが、お前は少々特別だ」
「ほ、本当に僕にそんな才能があるんですか……?」
ティオは未だ信じられないのか、怪訝そうに尋ねる。
「ラステナによると、1か月ほど修練すればすぐに傭兵として引く手数多だそうだ」
「え、えぇ……」
あんまりな評価にティオは茫然とラステナを見る。ラステナはいつでも歓迎しますよ、とでも言いたげな笑顔だ。
「ティオ?」
「はい?」
唐突にイグスに呼ばれる。なぜか声に怒りのようなものが含まれているようにも感じた。
「私が約束を守って訓練の継続を許可したんだ、お前も自分が言ったことに責任を持ちなさい」
ティオは一瞬何のことかわからなかったが、すぐにティオの夢の事だと思い至る。ラステナに視線を向けたことで傭兵への鞍替えを考えているとでも思ったのだろうか。
「い、今でも商人になりたいのは変わりありませんっ!」
「ん……そうか。すまん」
焦りを滲ませながらそういってやれば、イグスは杞憂だったことに気づいて平静を取り戻す。本人も思わず言ってしまった、といった風で頬が少し紅潮している。ティオは期せずしてイグスに商人として望まれていることを再確認し、思わず頬を緩めた。
「……なんだ?」
「いえ」
横でティオと同じく笑みを浮かべていたラステナはイグスに軽く睨まれて佇まいを治した。矛先が変わる前にティオもそれに倣う。
「はぁ……。それで? この件で何か言いたいことはあるか?」
イグスがため息一つ漏らした後、話を元に戻す。ティオはしばし考える仕草をし、首を横に振った。
「特には。……あ、母さん達にはどうします?」
「ふむ。あいつらも多少は察しているだろう。敢えて言うことは無いが、聞かれれば話して構わん」
ティオは頷く。それからラステナの方を見て一つ問題を思い出した。
「ああ、そうだ。ラステナさん、今の仕事が終わった後、定期的にまた魔術を教えてください。依頼と言う形で、お金は出しますので」
ティオがそう言えば、イグスはため息を吐きながら会話に割って入る。
「その話ならもうしている。そもそも護衛の依頼中とはいえ、今回の訓練の様に別の仕事を頼む時点で普通は追加金が要る。お前もいずれ商人となれば傭兵と直接雇用関係になるんだ、覚えておきなさい」
イグスの言葉にはっとする。考えれば当然のことだ。気づかなかった自分に反省する。
「まぁ、ラステナの様に気安い関係だからこそ考えなかったんだろうが、商人ならばそう言った感情と金銭問題は切り離して考えねばならん。……説教は後にするか。ラステナには今日から継続的な訓練教師を依頼している。ラステナに傭兵としての用事がない時に限っての話だが」
「とはいえ、継続的に充分な依頼金をいただきますので、あまり他の仕事をすることは無いかと思います。強いて言えば今回のような護衛ぐらいですね」
イグスの言葉に続いてラステナが補足する。ティオは自分で思っているより大きな話になっていたことに驚いていた。同時に、また迷惑を掛けたという想いがめぐる。
「と、父さん。僕の言いだしたことですから、依頼料は……」
「お前の話に乗った時点で、これは商隊の問題だ。どうしてもというなら、一人前の商人になってから返してくれればいい」
有無を言わせないイグスの言い分に、ティオは一瞬泣きそうな顔をした後、頭を下げる。どこまでも自分は守られている、早く自身にも守る力が欲しい、と決意を新たにした。
「あれでよかったのですか?」
ラステナがイグスに問う。ティオをテントから退室させた後、仕事の話があると言って2人は残っていた。
「ああ。あまり気負わせん方がいいだろう。目標を見つけたからか平気そうな顔をしているが、内心はそう簡単に割り切れていないはずだ。今はまだ言う必要はない」
「……過保護ですね」
笑みを浮かべながら答える。それだけで彼女も同意見なのは見て取れた。
ラステナはもちろんイグスに全てを報告している。ティオの才能がおそらくルミナ・ロードによるものであること。そしてそれによる問題や危険性も。だがイグスはそれをティオに隠すことを選んだ。
「あいつは放っておいても抱え込む性質だからな。過保護なくらいがちょうどいい。お前には苦労を掛けるが……」
「いえ、家族の為ですから」
イグスは思わずラステナを見る。あのラステナがティオを、自分たちを家族だとはっきり言ったのだ。ラステナ自身は自覚が無いようで、きょとんとしている。
「……本当に、将来が楽しみだな」
イグスはラステナにも聞こえない程小さな声で呟いた。
商人にとって、人から信頼を得る術は大事だ。商売は信頼無くして成立しえない。自分が信頼されていなかったとは思わないが、ティオはラステナから最大級の信頼を勝ち取ったのだ。将来が楽しみだと思うと同時に、若干の嫉妬すらも覚える。
「何かおっしゃいましたか?」
「なんでもないっ」
イグスは立ち上がり、テントを出る。そして家族を1人引きつれて、夕食の準備を進めている家族の待つテントへ向かっていった。
***
ティオが訓練を始めてから数日経ち、商隊のティリアムにおける交渉はひと段落した。それによりマグナー商会は一部の行商人達を残して故郷トーライトに向けて出立することになった。
その反応は様々で、『娘の誕生日に間に合う!』と喜ぶ商隊員や、『もっと滞在しろ』と冷や汗を掻きながら引き止める領主と、その背後から無言の圧力をかける領主の娘など、賑やかなものだった。
「本当にもう発つのかね?」
「ええ。商人にとって行動は早ければ早いほどいいのです。名残惜しいのは確かですが、出会いがあれば別れもあり、そして再会もありますから」
出立の日、準備を進める商隊のところへ領主一家がやってくる。イグス達は事前に領主家へ挨拶に赴いていたのだが、それだけでは満足いかないのか見送りにまで駆けつけてくれたようだ。
「そうだな。君たちほどの商隊を私の我儘で縛りつける訳にはいかないだろう。ただ、機会があればいつでも寄って行ってほしい。領主として、友として待っているよ」
オルデスがそう言って右手を差し出す。イグスは一瞬驚いたような表情を浮かべた後、それに応じた。それぞれの傍らではソルチェとイーシャが柔らかく微笑んでいた。
「トリウスくん、オルトくん、……ティオくん。本当にありがとう。また、会えるかな」
「ああ、もちろんさ」
「次来たときは絶対数札で勝つからな!」
どうやらオルト達は最後までアリンに勝つことは出来なかったらしい。負けず嫌いのオルトはしばらくトリウスやティオ相手に特訓を重ねることだろう。
「アリン……。ごめんね、結局あまり遊べなくて」
「ううん。ティオ君が頑張ってたのは知ってるから」
謝るティオにアリンが優しく微笑む。
アリンには詳細は説明していない。魔術の訓練も知らないはずである。それでもアリンは時折見るティオの表情や言葉の端々からティオには大事なことがあると察していた。
「いつか、私にも話してくれると嬉しいな……」
「……うん、そうだね。いつか、話すよ。必ず」
そう言って見つめ合う。そこには確かに2人の絆があった。
アリンはもじもじと体を揺らせ、言葉を詰まらせながらも我慢できないという様にティオに問いかけた。
「あ……あの、ティオくん。……私のこと、どう、思う?」
ティオは唐突に投げかけられた言葉にどう返せばいいのか思い悩む。その言葉の真意も、アリンの気持ちも、察するにはティオは些か幼かった。
アリンもこの数日でティオがまだそういったことに興味も理解もないことはわかっていた。それでも聞かずにはいられなかった。
どこからか息を呑む音がする。いつの間にか大人組も聞き耳を立てていたようだ。
本人だけそんな空気に気付く様子もなく、
「――天使みたいだなって、そう思ったよ」
「え?」
「んなっ……むぐ」
大胆な告白だとでも思ったのだろうか。聞き耳を立てていたオルデスから緊張の含んだ叫び声が聞こえる。だがすぐさまイーシャに口を塞がれた。こういった場面を邪魔されるのはやはり女性としては許しがたいものがあるのだろう。
「……天、使?」
「うん。ほんと、なんとなくだけど。初めてアリンを見つけたあの時、なんとなく光って見えて、天使みたいだなって思ったんだ」
アリンは茫然としたようにティオの言葉を反芻する。もともとティオが問いかけの真意に気付くとは思っていなかった。精々、『可愛い』ぐらいの評価でも貰えればいいところだと。だが帰ってきたのは随分と切れ味のいい変化球だった。
ティオはそういったことを理解していない。だからこそ、掛け値なしのティオからの評価であることは確かであった。
「あ、あぅ……。にゃ、にゃにを……」
もはや言葉にもならない。顔をどんどん紅潮させてふらつくアリンを、いつの間にか回り込んでいたイーシャが支えた。そして耳元でそっと呟く。
「……よかったわね」
「うん……」
急に挙動不審になったアリンに心配な目を向けるティオと、そんなティオに畏怖と呆れの目を向ける他全員が対照的だった。
「隊長! 準備出来やした!」
そうこうしている間に商隊の準備が整ったようだ。後はイグスの指示待ちである。イグスはオルデスに向き直ると深く礼をする。
「お世話になりました。今後、また来ることも多いと思いますが、よろしくお願い致します」
「ああ、その時はまた宴でもしよう」
イグスに倣い、ティオ達も頭を下げる。いよいよとなった別れにアリンは佇まいを治す。そして、領主家の娘として、毅然とした表情で真っ直ぐにティオ達を見つめる。
「皆様。此度は貴方方のおかげで命を救われました。心より感謝しております。ぜひ、またいらしてください」
言いながら、頭を下げる。ティオ達は初めて見る、アリンの領主家としての立ち振る舞いに一瞬驚くが、顔を上げたアリンは悪戯っぽく舌を出しており、いつも通りの様子に苦笑いを浮かべた。
「では、これで」
「ああ」
イグスはアリンに優しい笑みを向けた後、オルデスに視線を戻し、最後に一礼する。オルデスからの返事を聞き、ソルチェを連れて商隊の馬車へ向けて歩き出した。
「――またね。アリン」
「うん。また……」
言って、ティオはイグスと同じ様に馬車へ向かう。やけにあっさりした別れは、それが一時の別れでしかないことを想起させる。
「またな、アリン」
「次までに数札強くなっておいてやるからな!」
「うん。トリウスくんもオルトくんも、また……」
ティオに続いて2人も背を向ける。お前はそればっかりか、とトリウスが呆れの視線を向けながら。
「よく、泣かなかったわね」
「……うん。泣いたらティオくんたちが心配するし」
イーシャが褒めたことでアリンの目尻に涙が浮かぶが、流れないよう必死に留めていた。アリンの言葉を聞いたイーシャが優しくアリンを撫でる。もう、アリンは涙を抑えられなかった。
「ティオ君」
「え? オルデスさん?」
いざ馬車に乗り込もうとしていた時、後ろから声がかかる。そこには予想外の人物が立っていた。
「すまない、ひとつ確認したくてね。先ほどアリンに言っていた言葉だが、どうしてそう思ったのかな」
「い、いやあれは本当になんとなくで……。第一印象と言うか、なんというか……」
オルデスの質問に対してしどろもどろになりながら答える。ティオにも理由なんてわからないのだろう。そう判断したオルデスは一つ息を吐いて引き下がる。
「そうか。すまないな、変なことを言って」
「いえ、気にしないでください」
オルデスは馬車から離れながら御者に合図する。御者はオルデスが離れたことを確認し、馬車を出発させた。
「またティリアムへ来たときはアリンと遊んでやってくれ!」
言いながらオルデスは馬車へと手を振る。ティオはオルデスの言葉への返答も含め、手を振り返した。
「でも、なんであんなこと聞きに来たんだろう? 何か気に障ったのかな?」
「あのおっさんも親馬鹿だってことだよ。あんまり気にすんな」
ティオはふと呟けば、オルトが呆れた表情をしながら適当に返す。ティオは意味が分からなかったが、気にしないことにした。
かくして、マグナー商会は一路トーライトに向けて出立した。思えば色々を実入りが多く、考えさせられることも増えた行商だった。イグスは商隊の、家族のこれからを想い、ため息を吐きながら笑みを浮かべた。
***
~5年後~
王都ベルナートへ向かう商隊一行。彼らはとある森の側で停泊していた。その場所から少し離れた小高い丘、そこにいくつもの黒い影があった。
「いい月だなぁ、遠くまでよく見えらぁ。…………今夜決行だ。2時間後に攻める、準備しておけ」
先頭の影が口を開いた。初めのどこか気の抜けた声は途中から無くなり、威厳と、ひやりとする冷気を纏った声で後方の影に指示を飛ばす。言い終わった次の瞬間には、影は先頭のそれ一つになっていた。
「天下のマグナー商会さまだ。相応の護衛を雇ってるんだろうなぁ。ひひっ、今夜は楽しめるといいが――」
言い終わると同時に軽い突風が吹く。それが去った後、声の主はもうそこにはいなかった。
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