第36話 高校1年生 病室の結婚式
2月6日。
朝早くから、俺と春香は貸衣装屋さんに行きタキシードとウエディングドレスに着替える。
春香がメイクをしているところを見ながら、俺は正式な式ではないけれど喜びがこみ上げてきた。春香も、カメラマンの撮影にどこか照れくさそうにしながらも、うれしそうにしていた。
……そうだな。今日だけはおじさんの病気のことは忘れさせて、いい結婚式にしたい。
係員の女性の指示にとまどっている春香を見ながら、俺はそう思った。
同じ貸衣装屋でスーツとドレスをレンタルしている啓介と優子も、着替えの終わった俺と春香を見て感嘆の声を上げた。
特に優子はうっとりとした目で春香を見ている。
「おめでとう。春香」
と優子に声を掛けられ、春香は照れくさそうに、
「うん。ありがとう。優子」
と言う。
衣装の準備ができたところで啓介と優子は先に病院に向かった。
俺たちは貸衣装屋さんの中にあるスタジオで何枚かの写真を取ってもらった。
俺は自分の初めての結婚式に急に照れくさくなった。隣に立つ春香を見て、より愛いとおしさがあふれてくる。
春香が俺の左腕に手を添えて、まっすぐ正面のカメラを見る。俺もその隣で背筋を伸ばしてカメラを見ると、フラッシュの音と共にシャッターの音が響いた。
貸衣装屋さんで用意してくれたワゴン車に乗り込み、俺と春香は病院へと向かった。
移動中も写真を撮られて、最初は気にしていたがすぐに撮られることに慣れ、美容師の女性をまじえて三人でおしゃべりをする。
病院の裏口から中に入ると、すれ違う患者さん達が驚きの表情で俺たちを見る。
ちょっと恥ずかしかったが、俺は春香の歩調に合わせてゆっくりと進み、エレベーターに乗り込んだ。
病棟ではナースステーションの前で看護婦さんたちが
俺と春香を見て歓声を上げる。俺と春香は苦笑しながらも、ゆっくりと病室へと向かった。
廊下では優子が待機していて、俺たちは入り口のところで止められた。
優子が中に合図すると、病室の中から啓介が、
「それではただ今より、夏樹様、春香様の人前式を開式致します。新郎新婦の入場です」
と言い、優子が俺たちを先導して病室へと入った。
拍手で迎えられながら中に入ると、病室の中は看護婦さん達の手によって、折り紙で作ったチェーンなどで飾られて、華やかな雰囲気だった。誰が手配したものか、きれいな花も飾られている。
ゆっくり進んだ俺たちは、ベッドに向かって並んで立ち、優子の指示に従って一礼した。
拍手が鳴り止むと、啓介が、
「お二人の固い意志が
と言う。
「本日、私たちは、皆様の前で結婚式を挙げることを宣言します。
これよりは、
平成十四年二月六日
新郎 夏樹
新婦 春香」
読み上げ終わると、啓介が、
「お二人より固い愛の誓いの言葉をいただきました。つづきまして、その愛を形にして指輪を交換していただきます。
これより交換しますのは、小学校四年生の時に互いの愛を込めて作った指輪にチェーンをつけ、ネックレスにしたものです。
幼い頃から変わらぬ二人の愛の象徴でございます」
俺は誓いの言葉のファイルを優子に渡し、代わりにまず一つのネックレスを受け取り、ティアラとベールに引っかからないように注意しながら春香の首に掛けてやった。
続いて、春香が優子からネックレスを受け取り、かがんだ俺の首に掛ける。俺と春香は、胸元に揺れるあの七夕の紙粘土の指輪を、みんなに見えるように掲げた。
つづいて啓介が、
「それではここで、一生を共にする新婦のベールを上げて、
と言う。
とたんに、みんなの視線が突き刺さるのを感じながら、俺と春香は向かい合った。
目を合わせてうなづくと、俺は春香のベールをゆっくりと持ち上げる。
それと同時に春香はゆっくりと腰を落として、祈るように首を掲げた。
春香の肘に手を添えて立たせると、緊張で頬を赤く染めている春香の唇に、そっと口づけをする。
再び拍手に包まれながら、みんなの方に向き直ると、父さんも母さんも、おじさんもおばさんもニコニコして見ていた。
ちらっと啓介と優子の方を見ると、啓介は微笑んでいるが優子は真っ赤になっている。
拍手が収まると、啓介は、
「本日の式は、参列者の皆様に二人の結婚の立会人になっていただくものです。その証として、結婚賛同書に御署名をお願いしました。
なお、本日は、担当医師様、またナースステーションの看護婦の皆様にも御署名を頂戴しております。
それではいよいよ婚姻届にお二人の署名、そして、保護者のサインを頂戴いたします」
この婚姻届は、事前に母さんが役所から取ってきてくれたもの。
実際には俺の年齢が法定の十八才を満たしていないし、そもそもこれは役所に提出せずに大切に取っておくつもりだ。
将来いざ結婚するときには、その時にまた改めて婚姻届に記入する。
まず俺が優子が掲げ持つファイルに挟まった婚姻届に自分の名前を書き、ついで春香が記入した。
優子はそのまま俺の父さんの所に持って行き、ついでベットのおじさんのところへ。
おじさんは俺と春香を見て柔らかく微笑むと、ゆるえる手でゆっくりと署名をしてくれた。
それを見たとたん、春香が涙を流す。俺はそっとハンカチでその涙を抑えるように拭き取った。
優子が婚姻届をみんなに見えるように掲げ、そして、俺に手渡してくれた。
「皆様の前にて、固く結婚の契りを交わしましたお二人。
この式は、皆様方のご承認があってこそ成立いたします。
お二人のご結婚を祝福し、確かにご承認くださいましたら、皆様方の拍手をお願い致したいと思います」
啓介の司会に、一斉にみんなが拍手をする。春香は目尻をハンカチで押さえながら、俺と共にみんなに深々と一礼した。
啓介がつづいて、
「それではここで、新婦の春香様より、ご両親への手紙を読んでいただきます」
変則的ではあるが、本来は披露宴でおこなう新婦の感謝の手紙をここで読み上げる。
春香は優子に預けていた手紙を受け取ると、
「お父さん。お母さん。今まで育ててくれて本当にありがとう。感謝の気持ちを手紙にしました。
お父さんへ
今日、こうしてお父さんに花嫁姿を見せることができて私は幸せです。
いつもお父さんは仕事が忙しくて、二人で一緒に何かをすることはほとんどなかったけれど、いつも私の悩みを真剣に聞いてくれて、いろんなアドバイスをしてくれました。
二人で深夜まで色々とお話をしたあの日のことを、私は決して忘れません。
お母さんへ
お母さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
私は甘えてばかりの娘です。夏樹さんに渡すチョコレートを一緒に作って貰ったり、こうしたら夏樹さんが喜ぶと色々とアドバイスをしてくれました。
まだまだ教えて欲しいことがたくさんあるので、よろしくお願いします。
まだ学生の私たちですから、家庭を築くのはまだまだ先のことになります。
ですが、その時は、お父さんとお母さんに教えて貰ったことを胸に、そして、お父さんとお母さんのように助け合い、明るく幸せな家庭を、夏樹さんと築いていきたいです。
夏樹さんのお父さんお母さん
ちいさい頃から、温かく迎えていただいて、本当にありがとうございます。
まだまだ至らない点ばかりの私ですが、末長くよろしくお願い致します。
平成十四年二月六日 春香」
春香の手紙を聞いていたおじさんとおばさんの目尻が赤くなっている。春香のすぐそばで聞いていた俺もじわっと来たが、ここで俺が涙を見せるわけにはいかない。
つづいて啓介が、
「つづきまして、ここで新郎の夏樹様より、本日ご列席の皆様へ感謝のご挨拶があります」
と言う。俺はポケットから紙を取り出した。
「本日は、私たちのためにお集まりいただき、まことに有り難うございました。
この式を挙げるためにも様々な方のお力添えをいただいて、こうして
まだまだ学生の私たちであります。
先ほど皆様に誓ったように、将来、春香と幸せな家庭を築くためにも、多くのことを学び、経験していかねばなりません。
謝辞といいながらもお願いするのは申しわけありませんが、皆様方からのますますの御指導を心よりお願い申し上げ、一言もって
一礼した俺にみんなが拍手をしてくれる。その拍手のうちに、司会の啓介が、
「お二人の終生変わらぬ愛と、末永いお幸せを祈り、夏樹様、春香様の結婚式を閉式とさせていただきます。
皆様方の大きな祝福の拍手のうちに、新郎、新婦、ご退場となります」
と言い、俺たちはみんなの拍手の中、優子の先導を受けて病室から退場した。
廊下では担当の医師、そして、看護婦さん達も拍手してくれていた。
見ると、近くの病室の人ものぞいていて拍手をしている。俺と春香はすべての人に感謝するように、ゆっくりと頭を下げた。
さてしばらくしてから、再び俺と春香は病室に入った。
残念ながらおじさんの体調を考えて、ケーキ入刀は取りやめたが、ベットのおじさんを中心に集合写真を撮るのだ。
カメラマンの男性が細かく立ち位置の調整を指示し、
「はい。ではお撮りします。一、二、三、はい!チーズ!」
と3枚ほど写真を撮った。
写真を撮りおわると、おじさんとおばさんが父さんと母さんに向かって頭を下げ、
「どうか春香をよろしくお願いします」
と言った。つづいて、父さんと母さんが、
「こちらこそ夏樹をよろしくお願いします」と言って頭を下げる。
それからおじさんは俺の方へ向き直り、俺の手を握ると、
「夏樹くん。本当にありがとう。春香を。よろしく頼む」
と言った。俺は力強くうなづき、
「二人で力を合わせて歩んで行きます」
と言う。おじさんは大きくうなづくと、安心したようにベットにもたれかかった。
その目尻から一筋の涙がこぼれる。
俺と春香はその場にいるみんなに改めてお礼を言うと、その日はそのまま病院から退出した。
――お義父さんは、その5日後、お義母さんと俺と春香が見守る中、眠るように息を引き取った。
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