第35話 高校1年生 緊急入院

 小康しょうこう状態をたもっていた春香のおじさんの容態が急変したのは2月2日の火曜日だった。


 授業中に、急に春香が職員室に呼び出され戻ってくるなり、俺に、

「大変! お父さんが緊急入院した」

と言った。まだ授業中だったので、先生も周りのクラスメイトも心配そうに春香を見る。


 春香に付き添ってきた事務の女性から、

「夏樹くんと春香さんは、すぐに病院に向かうようにそれぞれの御家族から連絡が入っています」

と言われた。俺と春香は急いでカバンに荷物を詰め、先生とみんなに挨拶をして教室を出た。


 焦る春香をなだめながら俺たちは病院に急ぐ。

 ロビーの受付で話を聞くが今は病室に入っているそうだ。

 エレベーターに乗り病棟の階のボタンを押す。ゆっくりと昇っていくエレベーターがもどかしい。


 病棟につきナースステーションに向かう。いかにも焦っている俺と春香を見た看護婦さんは、手慣れた様子で「大丈夫ですよ」と声を掛けてくれた。

 その看護婦さんの声を聞いたとたん、不思議と俺は落ち着きを取り戻した。隣を見ると、春香も同じようだ。


 看護婦さんと一緒に病室に向かう。

「入りますよー」

と看護婦さんが声を掛けて病室のスライドドアを開け、俺と春香は緊張しながら中に入った。

 看護婦さんはそのままナースステーションへ戻っていく。


 おばさんが俺たちを見て一瞬だけ悲痛な表情を見せたが、すぐにいつもの様子で、

「心配掛けちゃったわね」

と言う。俺は「いいえ。構わないです」と言って、おじさんの寝ているベットを見た。

 ベットの中のおじさんは眠っている様子で、ベッドの脇から何本かのチューブが機械につながっていた。

 春香がそれを見て悲痛な表情になる。俺は春香のわずかに震える手をそっと握りしめてやった。


 ベット脇の椅子に並んで座りおばさんの話を聞くと、どうやらおじさんは急にお腹の痛みを訴え、すぐに病院に運ばれたそうだ。

 鎮痛剤を投与しいくつかの検査をおこなったそうで、その結果は夕方に説明してくれるとのこと。その時にご家族様を呼んで下さいと言われている。


 ……どうやらおじさんの状態は予想以上に悪いようだ。

 俺たちはそのまま医師に呼ばれるまで、まんじりとせずに病室で待っていた。


 夕方になったがおじさんは薬が効いているのか、ずっと眠ったままだ。

 看護婦さんが「ご家族の方はこちらへ」と呼びに来た。俺はおばさんと春香に、

「俺はここにいるから、二人は聞きに行って」

と言うが、おばさんが「夏樹くんも一緒に聞いて欲しい」と言う。春香もうなづいている。

 俺はおじさんを一人にするのが心配だったが、看護婦さんから「機械で状態をモニターしているから大丈夫よ」と言われ、うなづいて一緒に医師の説明を聞きに行くことにした。


 案内された診察室に行くと、壮年の医師がレントゲン写真やMRI画像を見ていた。

「どうぞお母さんはお座り下さい」

と言われ、おばさんが医師のそばの丸イスに座り、俺と春香はその後ろで立ったまま聞くことにする。

 医師は昼間に取った写真や画像、そして血液検査などの数値を示しながら、一つ一つを冷静に説明していった。そして、

「残念ですが、いつどうなるかわかりませんので、その準備だけはしておいてください」

と非情な宣告を告げる。


 黙って聞いていたおばさんがピクッとなったので、俺はそっとおばさんの肩に手を置いた。

 おばさんはちらっと俺を見上げ、俺の手に自分の手を重ねる。


 医師に何か質問はありますかときかれ、おばさんも春香も何もないようだったが、俺は、

「実はお願いが一つあります。もちろんその時の状態次第になると思いますが、6日に春香の花嫁姿を見せてあげようと、家族同士の略式の結婚式を計画していました。どうにか病室でさせてもらえないでしょうか」


 俺のお願いに、医師はしばらく考える。そして、看護婦さんに、

「君、事務局に手配をお願いできるか?」と聞くと、看護婦さんは「わかりました」と返事をした。医師が俺の方を向く。

「わかりました。ただし、前日の状態を見てまた判断します。それとこれから事務局に手配をお願いしますが、ちょっとその答え次第になりますね」

と言った。俺は頭を下げて、

「わかりました。よろしくお願いします」

と言うと、医師は微笑んで「また連絡しますよ」と言ってくれた。


 俺たちは診察室から退出して、再びおじさんのいる病室へと向かう。その道すがら、おばさんが、

「夏樹くん。ありがとうね」

と言った。そして、

「これからしばらく私はお父さんにつきっきりになるわ。春香のことをよろしくお願いします。夜は夏樹くんの家に泊めてもらえるとありがたいけど、おじさんとおばさんにお願いできるかしら。……もちろん無理なら仕方ないけれど」

と言う。

 俺は「大丈夫だと思います。俺の嫁さんですから」と言うと、おばさんはようやく少し笑った。


 春香がうちに泊まることについては、父さんと母さんが許可してくれた。

 でもこれって簡単に言うけど、なかなかできることじゃない。父さんと母さんには感謝している。


 おじさんの状態については、夜の内に父さんと母さんには説明をしておいた。二人とも沈痛な表情になったが、6日の話をすると少し笑顔になった。


 春香は既にいつかくるおじさんの死の覚悟を決めていたようで、思ったほどの動揺は見られなかったが、夜、布団の中で少し泣いていたのでそっと頭を撫でてやった。


 次の日になり、俺は学校で啓介と優子に事情を説明し、病院でやることになりそうだと伝える。

 おじさんの病態を聞いて、二人は言葉を詰まらせたが、

「6日の件はまかしておけ」「うん。いい結婚式にしてみせるわ」

と頼もしく言ってくれた。俺と春香は二人に感謝し、改めて頭を下げる。


 学校から病院へと向かいおばさんに聞くと、おじさんは深夜に目を覚ましたようで、おばさんの口から病態のこと、そして、6日の結婚式のことなどを伝えてあるそうだ。


 そうそう病室での結婚式はOKになった。ただし、他の患者さんの影響があるので裏口から入って欲しいとのこと。


 俺たちはおじさんの病室に行き、持参した春香のアルバムをおじさんに手渡して少し話をし、洗濯物を持って早めに帰宅した。

 おじさんは6日の結婚式を楽しみにして、気合いで体調を整えるぞと宣言していた。


 帰り際のナースステーションを通りかかると、看護婦さんたちが俺たちを応援してくれて、当日の流れを教えて欲しいとのこと。

 何でも病室を少し飾ってくれるそうで、あと担当の医師も、もしものために待機していてくれるとのこと。


 俺と春香は、いろんな人たちの協力に、ただ感謝して頭を下げるのだった。

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