第32話 高校1年生 永遠にともに

 年が明け、おじさんは一週間の検査入院をすることとなった。


 入院の日、俺は春香と荷物を分担して持っておじさんの入院についていく。

 まだ正月気分のさめやらぬ冬の街中を、四人を載せたタクシーが走っていった。


 病院に到着し、ロビーで手続きをしてから病棟に向かう。病棟で看護婦さんから入院のスケジュールの説明などがあり、その後で病室へと向かった。

 荷物を下ろし、おじさんが入院患者さんの服に着替えるというので、俺と春香は病室から出た。

 この後、おじさんは早速、検査があるらしく、俺と春香には先に帰宅していいと言われていた。


 俺は春香を誘って病院の屋上に向かった。


 鉄の扉を開いて外に出ると、冷たい風が吹き込んでくる。さすがにこんなに真冬の夕方に屋上に来る人もいないようで、俺と春香の他には誰も姿が見えない。


「寒いね」

と言いながら、俺は転落防止の柵の近くまで行った。


 夕暮れが迫り、街には街灯がぽつぽつと灯ともり始めている。道を行く人々がまるで家路を急いでいるかのように見えた。

 空は上空に行くにつれオレンジ色から群青色まで変化し、冬の星々が輝き始めていた。

 ここに来るまでに買ってきたホットの缶コーヒーを春香に手渡す。二人して両手で缶を包み込むように持って、ちびりちびりとコーヒーを飲む。

 しばし、そうして言葉もなく暮れゆく街を二人で見つめた。

 アパートやマンションに灯ともる明かりの一つ一つに、それぞれの家庭の暮らしがある。そう思うと不思議な気持ちになる。

 そうしている間にコーヒーを飲み干してしまったので、春香の手からも空になった缶コーヒーを受け取って近くの床に置いた。


 春香には屋上に来た理由を言っていないから、さっきからちらちらと俺の顔をうかがっている。

 俺は苦笑しながら、一度、目をつぶった。不思議と緊張はない。


 ――よし。


 俺は春香の方を向いてそっと微笑む。


「春香。急にここに連れてこられてびっくりしたろ?」

「うん。まあそうだけど、いい気分転換になったよ」

 そういって春香は笑う。春香と向かい合ってその手をそっと握った。春香が俺を見上げる。

「本当は大人になってからと思っていたんだけどね」

 俺がそう言うと、春香は何のことかわからずにきょとんとした表情をする。


 春香の澄んだ瞳が空の色を映し出している。俺はその美しい目を見ながら、



「春香。愛してる。……結婚しよう」



と言った。


「……えっ?」


 春香は、いきなり何を言われたのかわからなかったようだが、次第に顔が赤くなってきて、


「……はい。夏樹。ふ、ふつつか者ですがよろしくお願いします」


と言った。俺はにっこり笑うと、

「こちらこそ。よろしくお願いしますだ」

と言って、ぐいっと春香を抱き寄せて、思いを込めて唇を重ねた。


「――ん」

 唇を離すと、春香の瞳は潤んでいた。俺は、そっと目尻の涙を拭き取ると、春香は恥ずかしそうに笑った。



「ふふふ。うれしい!」

 じわじわと喜びが春香の体に染み渡っていったようだ。今度は春香からぎゅっと飛び込んできて、キスをねだった。

 春香が少し落ち着いてきた頃を見計らって、二つの空き缶を手に院内に戻る。そのままおじさんの病室には寄らずに病院を出た。


――――。

 屋上を出てから終始ご機嫌な春香は、帰りの電車内で隣の俺の顔を見上げてはニコニコしている。

 電車が一つの駅を通り過ぎたとき、春香が、

「ねえねえ。急にぷ、プロ……ズ、うれしかったけど。どうして?」

ときいてきた。俺は小さい声で、

「おじさんのいるうちに、おじさんに認めてもらいたいんだ」

と言った。

 すると春香が電車の中だというのに、ぎゅっと俺に抱きついてきた。

「は、春香。ちょっとここじゃ……」と言うが、春香は「うん。うん。そうだね」と言って離してくれない。


 周りの乗客が、ちらちらと俺たちの方を見るが、春香にはそれが見えていないようだ。俺はとたんに照れくさくなって、

「電車の中だから、ほら、ちょっと離れて」

と言うとようやく春香は離れたが、今度はぎゅっと俺の腕にしがみついている。

 俺は苦笑しながらも愛おしくと思った。


 電車が降りる駅に到着し、駅前からバスに乗り、自宅の近くのバス停で降りた。

 もうすっかり暗くなった道を春香と一緒に歩く。


 今日はおばさんも帰ってくるから、春香は自分の家で寝る予定だ。

 先に俺の家で一緒に夕食をとり、それから二人で春香の家に行っておばさんの帰りを待つ。


 俺の家の前で、春香が緊張しながら、

「ね、ねえ。なんて挨拶したらいいかな?」

と言ってきた。俺は笑いながら、

「今晩にでも俺から言うから、まだ内緒にしておこう」

と言っておくと、まだ緊張しながらも春香がうなづいて、

「じゃ、私もそうする。うちもお母さんが帰ってきたら言っておくね」

「いや。おばさんには俺から言うよ。……で、おじさんにお願いするタイミングはおばさんと相談する」

 俺がそう言うと、春香はうなづいた。

 そして、春香は、

「うふふ。これで婚約者かぁ」

と言って、何かを思い出したように真っ赤になりながら、

「こ、今晩はさ。私の部屋に泊まる? ……あ、でもアレが」

と言い出した。俺はぺこんと軽くチョップして、

「まだ一年生だろ? 体もできあがってないし、それは将来だ」

と言って、春香の耳元で、

「一度抱いたら、止まらなくなるだろうし」

とぼそっと言うと、春香はますます真っ赤になった。

「……うん。将来か。でも私はいつでも、いいよ」

と言った春香に、今度は俺が気恥ずかしくなりその額に軽くキスを落とした。

 二人で顔を見合わせて、クスッと笑い、俺の家のドアホンを鳴らした。

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