第31話 高校1年生 余命宣告

 俺の部屋にやってきた春香が、声を押し殺すように教えてくれた。


「――余命6ヶ月。肝臓とリンパに複数箇所、さらに腹膜炎も起こしているって」

 心の中で愕然がくぜんとしながらも、だまって春香を胸の中にかきいだく。

 嗚咽おえつが漏れてくるが、頭をやさしく撫でながら抱きしめ続けた。


 俺は春香の気持ちを代弁するように、

「なんで……、なんで今までの検査で引っかからなかったんだ! 急にそんな……。くそっ」

 胸のうちの春香が泣きながらうなづいている。


 やはり前と同じくおじさんは亡くなってしまうのだろうか? 胃がんの手術まで上手くいったというのに。

 正直に言って春香に何を言ったか覚えていないが、そのまま春香が泣き止むまで泣かせてやった。


 時間はもう深夜だ。春香が泣き止む頃に部屋のドアがノックされ、母さんが顔を出した。


「夏樹。春香ちゃん。おじさんから電話があってね。おじさんとおばさんは今後のことを話し合うから、今日は泊めてもらいなさいって」

と伝えてくれた。きっと春香の家でもおばさんが泣き崩れていることだろう。

 俺はうなづいて「わかった。先に寝てて」と言うと、母さんはうなづいて階下したに戻っていった。


 ようやく泣き止んだ春香だが着替えもなく俺の家に来てしまっている。お風呂も入ろうという気にはならないだろう。

「春香。とにかく今日はもう休もう。明日からおじさんとおばさんを支えなきゃいけないだろ?」

と俺が言うと、春香はうなづいた。


 いまだにヒックヒックとしている春香を部屋の脇によけて、布団を敷く。

 タンスから俺の部屋着を一セット取り出し、「寝間着のかわりにこれ使って」という。部屋着を受け取った春香が一瞬固まるが、うなづくとおもむろに着替えだした。あわてて後ろを向いて着替えが終わるのを待つ。


 衣擦れの音が聞こえ緊張していると、「終わったよ」と言われて振り返る。

 だぼだぼの服を着た春香が、泣きはらした目のままで恥ずかしそうにしていた。


 うん。何だか「俺の女」って感じが半端ないな。そう思いつつ、洗面所で洗顔と歯磨きなどを済ませて、いつも通りベットと布団に潜り込んだ。


 暗闇の中で部屋の天井を見ながら考える。


 ――余命6ヶ月。


 前の時はおじさんの死のショックから春香の家庭は立ち直れなくなる。もちろん今回は俺がそばにいるから、少なくとも精神的には支えてやれるだろう。

 アムリタの力でガンを治せればなぁ。

 そんなことを考えながら、俺は目をつぶった。


 ――――。

 夢の中で、俺は再びあのチベットの不思議な場所。補陀洛への道でもあるシャングリラに来ていた。


 通路から外に出ると、アムリタの泉のそばにラマ僧姿のデーヴァ・インドラ様がたたずんでいる。

 俺は自分の手を見るが高校生の若い手のままだ。顔を上げると、デーヴァ・インドラ様が手招きをしている。


 そばに行くと、

「おお、久しぶり。……うん。順調になじんできているようだね」

と言う。俺は思わず、

「これは夢では……?」

とつぶやくと、天帝釈デーヴァ・インドラは、

「ははは。夢であろうとコンタクトは取れるさ。昔から言うだろ? 夢告とか霊夢とか。……まあ、直接そっちに姿を現しても良いけど面倒だからね」

と言った。とすると、俺の夢の中に来て下さったということか。


 俺は、

「実は相談があります」と切り出して、春香のおじさんのガンについて話をした。

 天帝釈様は黙って話を聞いていたが、

「結論から言うと、その者のためにアムリタの力を使うことを許すわけにはいかないね」

と言った。

「なぜですか?」

「確かに善神が増えることは我々にとっても良いことだけど、本来、神格はそのようにほいほいと得られるものじゃない」

 それはそうだろう。でないとこの世界が神様だらけになってしまう。それに、ここシャングリラへ来る選別も意味が無くなってしまうだろう。


 天帝釈様は続ける。

「世界の流れやあり方は全て過去・現在・未来にわたる因縁によってつながっている。無闇矢鱈むやみやたらに変更することはできないんだよ。……君はアムリタを飲んで神格を得たが、許せるのは前に話していた女性一人の運命を変えることのみさ」

 俺はうなづいて、

「すみません。無理を言ってしまいました」

と頭を下げると、天帝釈は、

「いいって。まだまだ神格を得たばかり。迷う時期だよ」

と笑った。


 そのまましばし俺を見つめると、

「今、君のそばにいるのが眷属にしたい女性かな? ……ふふふ。いい子じゃないか」

「えっ? ここから見えるのですか?」

 俺が思わずそう言うと、

「当たり前さ。我が天眼の前では距離は関係ない」

とのたもうた。天帝釈は右手を差し出して、

「さ、そろそろ目が覚める時間だ。次に会うのを楽しみにしておこう」

と言った。

 俺はその手を握りながら「ありがとうございます」とお礼と言うと、すーっと再び意識が深く沈んでいった。


――――。

 朝が来た。

 目を開けて起き上がり、隣を見ると春香はまだ眠っていた。寝ている春香の目から一筋の涙がこぼれる。俺はそっと手を伸ばして、その涙をふいてやった。


 あと6ヶ月。


 俺はあらためて覚悟を決めた。

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