第16話 小学校6年生 修学旅行6 三日目

「ふわぁぁ」


 布団から起きた俺は、眠たい頭のままで顔を洗うために洗面所に向かった。


 ここの宿泊施設は合宿などに使われるようで、部屋は大部屋、食事も大広間、お風呂は大浴場。そして、トイレと洗面所は各階ごとに共用だ。


 タオルを首に掛け、手に歯磨き道具をもって、大部屋でまだ寝ている同級生を起こさないように、そっと廊下に出る。

 洗面所に向かうと何人かのクラスメイトがいた。

 挨拶もそこそこに歯磨きをして顔を洗う。


 寝汗でどことなく気持ちが悪い。もちろん、世界の各地で発掘していたから、悪い環境での生活にはなれている。とはいえ、やはり朝はさっぱりしたい。

 蛇口から水を出して両手にためてジャブジャブと顔を洗う。夜のけだるさの残った肌にひんやりした水が気持ちいい。


「ぷは~」

 思わず声に出してタオルで顔を拭く。


 部屋に戻ると、さっきまで寝ていた啓介と宏が起きていて、顔を洗いに行くところだった。

「おはよう」「ふわあ。おふぁよう」

 二人ともまだ眠そうだ。


 俺はさきに着替えて荷物を整理する。今日が最終日だ。


 その頃にはみんな起きてきて着替えをしたりしている。

 布団をたたんで朝食会場の大広間に向かった。


 まだちらほらとしか来ていないようなので、適当に自分のクラスの席に座る。


「あ、おはよう。なっくん!」

 明るい声に顔を上げると、にこにこした春香がいた。優子と和美も一緒のようだ。


「おはよう。夏樹くん」「ああ、おはよう」

 朝の挨拶をすると、俺の向かいに春香が座りそのとなりに優子と和美が座った。

「あのね。昨日はありがとうね」

 急に優子がお礼を言ってきた。和美もうなづいている。


「別にお礼をいわれるようなことじゃないさ。俺と春香はちょっと手助けしただけさ。な?」

 そういって向かいの春香に言うと、春香もうんうんとうなづいている。


 その時、

「なつき~。どこだ?」

と呼ぶ声がした。顔を上げると啓介と宏がやってきたところだった。俺は手を振る。

「ここだよ! ここ!」


 俺を見つけた啓介と宏がやってくるが、向かいに優子と和美がいるのを見て急に緊張したようにおどおどする。さすがに昨日の今日じゃ、照れくさいのかね。


「ほらほら。二人ともこっち座れよ」


 俺が声をかけ、二人はそれぞれ優子と和美の前に座った。「ども。おはよう」「おはよう。和美」

 そんな二人を見て優子と和美はくすっと笑って、「「おはよう」」と挨拶した。



 さて、今日は修学旅行の最終日。行き先は上野の国立科学博物館、そして、公園でお弁当を食べてから動物園だ。


 ……ああ。そういえばこの頃、俺は天文学者になりたかったんだよなぁ。結局は文化人類学と考古学をやることになったわけだが、それでも中南米やチベットなど、調査や発掘のためにあちこちを飛び回った。その経験は薄れることなく、今も俺の中にある。

 そんなことを思いながら、どこへ行きたいとか、あれが見たいというみんなの声に耳を傾けた。その間に、朝食のプレートが準備されていった。


「さて、みんな揃ったね? ……では。おはようございます!」

 学年主任の先生がみんなの前で大きな声を上げた。


「今日は修学旅行最後の日です。朝食をとったら、早速、上野公園へ向かいます。……天気予報では、残念ながら午後は雨の予報が出ています。午後3時から降水確率30%なのでそれほどふらないと思いますが、雨具を確認しておいて下さい」


「「「はい!」」」


「では、今日も楽しい一日にしましょう。……いただきます!」

「「「いただきます!」」」


 いただきますの合図で、早速、箸を手に取りお味噌汁を一口いただく。


 今朝の朝食は、白飯にワカメの味噌汁、味付き海苔、大根おろしを添えた卵焼きに、あじの開き。小鉢にはほうれん草のおひたしが入っている。そして、ミカン一切れとヨーグルトというラインナップで、合宿の朝食としてはオーソドックスな方だろう。


「はい。なっくん。お醤油」

 そういうと春香が俺の大根おろしにお醤油をかけた。「これくらいでいいよね」

「さんきゅ。春香」

 俺は早速、卵焼きを一口大に箸で切り大根おろしを添えて口に入れる。これスダチを落としても旨そうだ。そう思いつつアジの身をほぐす。


「うん?」


 なぜか春香以外のみんなが俺を見ている。「どうした? みんな?」


 不思議に思って誰とはなしにきいてみると、啓介が、

「自然だな」

とつぶやいた。「ええ。自然ね」とは優子だ。春香も不思議に思ったのか、優子に、

「優子、どうしたの?」

 と尋ねた。


 優子は少し赤らんで、コホンと咳をする。

「ううんとね。春香が夏樹君の大根おろしに、すごい自然な感じでお醤油をかけたなぁって思ったの」

「……ふぇ?」「へ?」

 その答えを聞いて、俺と春香が変な声を出す。それを見てみんながため息をつく。


「もうお前ら結婚しちまえ」

 宏がぼそっとつぶやいた。……おかしいな。そこまで驚かれるようなことしたかな?

 お前らも6年生ではあるが、小学生にして彼氏彼女ってかなり早いと思うぞ。



 朝食の後、俺たちはバスに乗って上野公園へと向かった。ちなみに俺と春香で一緒に座るのは変わらないが、2日目までと異なり啓介と優子、宏と和美で座っている。


「あれ? 君たちの班は急に男子と女子が仲良くなったのね」

 先生がそれを見て驚いたが、ふふふと含み笑いをするとカメラで写真を撮る。四人が照れて赤くなっているのを見て、俺は思わずニヤニヤと見つめた。


「ふふ~ん。それとも夏樹君と春香ちゃんに当てられちゃったのかなぁ」

 律子先生。俺の耳元でそういうことをつぶやくのはやめて下さい。


 先生が後ろの席の写真を撮りに行くと、隣の春香が急に腕を絡めてきて頭を寄せてくる。


「えへへ~。みんなも彼氏ができたみたいだし。今日は堂々となっくんに甘えてもいいよね?」

「春香。俺はうれしいけど、それでもクラスの目があるから程々にね」

「うん。わかってるよ。……ふんふんふ~ん」


 春香が珍しく鼻歌を歌っている。春香さん、本当にわかっていますよね?


 そんな俺の思いはよそに、バスは賑やかに上野恩賜公園に向かって走っていく。


 午前は科学博物館の見学を行った。


 いやあ、やっぱりここの地球館はすごいなぁ。若返る前から数えると40才を超えるが、それでもここの展示は見るだけでワクワクしてくる。

 けれども、みんなは、はじめはキラキラした目で見ていたが、段々と疲れてきて、終わりには「ふ~ん」と言いながら足早に通り過ぎていった。


「春香はどれが一番楽しかった?」

 隣の春香にきくと、春香はアゴに指を当てて首をかしげる。


「う~ん。いろんな生き物のところかな」

「そういえば、春香は大人になったら世界のいろんな所に行きたいって言ってたよね」

「うん。ヨーロッパとか大都会もいいけど、ナイアガラの滝とかマダガスカルとか大自然の中にも行ってみたいよ」


 俺がフィールドにしていたのは、中南米、北米、オーストラリア、そしてアジアだ。アフリカとか中東、ヨーロッパは頻繁に行ったわけではないが、それなりに外国語もできる。やり直せるんだから、今度こそ、

「春香の夢を叶えてあげたいな」

 気がついたらそうつぶやいていた。


 急に腕に春香がしがみついてくる。……おいおい、人の目があるんだから。そう思って放そうと、

「は、春香。みんな見てるからさ、ちょっとくっつきすぎ……、うん?」


 春香の顔を見ると真っ赤になって、小さな声でささやいた。

「なっくん。絶対だよ。私を連れて行ってね」



 残念ながら降水確率30%の天気予報は外れた。

 お昼は上野公園でお弁当の予定だったが、雨が降り出したのでバスの中で食べることになった。午後は傘を差しながら動物園を回り、天候もあるので、早めに学校に向かって出発することになった。


 帰りのバスが東名高速道路を走っている。雨が車体に当たる音が聞こえる。どうやら段々と強くなってきているようだ。

 今ごろは田植えの時期で梅雨に入るにはまだ早いはずだが、残念だ。

 みんなは疲れてしまったみたいで、もうぐっすりと眠っている。お陰でバスの中はシーンとしている。


「夏樹君は起きてるの?」

 カメラを持った律子先生が話しかけてきた。


「ええ。大丈夫です」

「そう……。でも、夜は早めに休みなさいよ」

 そういって俺と春香を写真に撮ると、順番に子供たちが寝ている様子をカメラに撮っていった。


 先生が行ってしまった後、俺は隣で眠る春香を見る。

 傘を差していたものの肩とかスカートの端っこが濡れている。

 俺はリュックから、自分の長袖の上着を取り出すと、それを春香にかけてやった。


「……えへへ」


 不意に春香が寝言を言った。


 大切な春香を優しく見つめ、それから俺はジュースを飲みながら雨の車窓を眺めていた。

 

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