第11話 宇宙を見るひと
ひとつだけ望みを叶えてやろう、と言われた私は、
「死にたいときに死ねて、その時まで歳を取らない能力」
と、答えた。
死にたくないのは間違いない。不老不死がほしかった。
だが、その気持ちが永遠に続くとも考えにくかった。
素晴らしい死後の世界が発見されるかもしれない。
転生が証明されるかもしれない。
そうでなくても、遠い遥かな未来には、人類などいつか滅びるか、自分よりずっと優れた新人類に進化していくだろう。数十億年ののち、地球は赤色巨星と化した太陽に呑まれ、さらに時を重ねれば、宇宙は熱的な死を迎えるかもしれない。あるいは、ふたたびの大爆発を経て、騒がしい素粒子の海と化すのかもしれない。
そうなったときに、自分が、いまの人間のかたちをして生存していたとして、人間のこころを維持できているとは想像しがたかった。死なせてほしいと思う日が――いまはそんな感情がちっとも理解できないけれど――いつか来たとき、それを選ぶ自由は残しておきたいと思ったのだ。
「その望み、叶えよう」
私の願いをかなえてくれる存在が、言った。
こうして、私は、死を望むまで死なない存在となった。
★
数十億年だか、数百億年だかの時がすぎた。
そう、私はまだ死んでいなかった。死にたくならなかった。
宇宙の星はずいぶんまばらになり、ひんやりと閉じ、人類の文化の痕跡もすべて風化しつくして、星間物質のなかにただようぼろぼろの肉体になってなお、私は意識を保っていた。
死ねば、私という連続体は無になる。
調べつくし、知りつくしたときに、残ったのは恐怖だった。
生きて生きて、生き続け、蓄積された私の記憶と知識がふくれあがればそれだけ、失うことが恐ろしくなっていったのだ。
生きて、学ぶことで、人は「死」を受容することができるようになると思っていた。だが、それは間違いだった。少なくとも、私にとっては。
おそろしく退屈で孤独な時間が続いていたけれど、消滅するよりはましに思えた。
私はとっくに気がくるっているのかもしれない。
だが、もはや比べる他人が誰もいないのだから、そう仮定すること自体がくだらない。
もう、考えることさえ面倒だ。
★
……それでも私は心のすみで、微かな正気と思考のいとなみを捨て切れていなかったらしい。
ふと、気づいた。
いままでの、宇宙ひとつ分ほどに長い長い時間の記憶。
あの日、願いをかなえられてから――いや、そのずっと前、幼かった日の思い出からずっと。
昔の記憶になればなるほど、忘却はしている。ある特定の日の昼飯がなんだったか、着ている服の色、そんな細かいことはだいぶ忘れてしまった。
それでも、私の中には、幼少時から今までの連続する自分が、すべて蓄積されているのがわかる。過去に嗅いだ香りが不意に甦るときがある。むかし話をした人の声を覚えている。かつて学んだ宇宙理論、銀河の地図のゆるやかな変化、どれも抽斗のうんと奥にしまわれてすぐには出せなくなっているけれど、もしも必要になったら、私の脳内のどこかに、かならずあるのがわかる。
数百億年分。
そう、それがおかしい。
どんなに情報を圧縮したところで、私のこの体、今なおあの日のままのかたちをした肉体、たかだか2リットルたらずの脳、数千億ていどの細胞ネットワークに、しまっておけるはずがないのだ。
……わたしのこころは、からだの外のどこか深遠な場所につながっている。
私は震えた。何億年ぶりの涙がこぼれた。
ようやく気付いたのだ。
たましいのありかに。
私が死ぬべき理由に。
★
そのあと、宇宙がどういう終焉を迎えたのか、あるいは再びの開闢を迎えたのかは、もうわからない。
観測者がいない宇宙は、もう誰も知らない。
(おしまい)
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