第6話 愛を演じる

 愛という、形のないものの意味がわからなかった。


 運命の人に出会うということもなかった。

 家族がいとおしいと感じることもなかった。

 誰かを愛していないのはさみしいと、ある日突然気が付いたりもしなかった。


 ただ、ほかの誰もが、まるで息をするように自然に、あたりまえに誰かを愛し、心臓が鼓動を刻むのとおなじくらい内側から湧き出る本能として、何かを抱きしめたり、守ったりするのを見ているうちに、焦燥感ばかりがふくれあがるのだった。

 私は大きく欠けているのだと、そればかりが気になった。だからと言って、どこがどういう形に欠けているのかは、皆目わからないのだ。


 幸運だったのは、同じような感覚に悩む人と出会えたことだった。

 きみも、私と同じように、欠けている自分自身をどう扱えばいいのかわからず、ただ、劣等感にばかりさいなまれて生きていたと語った。

 我々は交際をはじめた。

 少なくともこれで、他者からは、二人がお互いを愛したかのようにみえるだろう。


 あとは、ひたすらの模倣だった。

 恋人のように手をつないで見せたり、会話をしたり、笑ったりしてみせた。

 結婚式を挙げて、指輪を交換した。それは私たちふたりにとっては何の意味も持たないように思えたけれど、少なくとも周囲の人間たちには何かしらの安心を抱かせる行為だったと思う。


 医学書の解説をなぞるように体をかさねて、そのうち子供が生まれた。

 産声を聞いても、乳を飲む姿を眺めていても、初めて自分を喃語で呼んだときも、やはり愛情がわき上がるようなことはなかった。ただ、子供はとても脆くて小さい生物だったから、死なないように、病ませないように、私もきみも毎日が目まぐるしかったことはよく覚えている。

 子供はみな、愛情を理解している様子だった。楽しく笑い、仲間を慕い、そのうち何度か恋もしていたと思う。両親二人の欠陥が遺伝しなかったことには心底安堵したものだ。


 そうして何十年も過ぎた。


 子供も孫も、遠い町へ行ってしまった。私とともに過ごしたきみは病気に罹って先に死んだ。ひとりぼっちになったけれど、だからと言って、騒がしくて慌ただしい過去に戻りたいわけではない。

 私はうまくやったと思う。周りの人間は、最期まで、私の心に大きな欠損があるとは気が付かなかった。子供たちさえ、気づいていなかったと思う。

 きみは、死ぬ間際に、私の手を強く握っていた。

 もしかすると、私は、きみさえも騙しきれたのかもしれない。

 あるいは、きみが、私を騙しきって逃げおおせたのかもしれない。

 どちらでもいい。


 ひとりぼっちの死の床で、いよいよという瞬間、私は何かおおきな存在が、私を呼ぶ気配を感じた。

 地獄へおちるのだろうかと思ったけれど、私が導かれる方角は、もっと上の方で、もっとあたたかくて明るいところのような感覚があった。

 これはきっと、死ぬ直前に脳がみせる幻か妄想なのだろう。


 私は騙しきった。生涯をかけて、愛のようなものを演じきった。

 誰の目にも、区別はつかなかった。

 もう、私にも、わからない。


 私は光に導かれ、そっと目を閉じた。


(おしまい)

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