第2話 終わる世界で本を読む
「きみ、なんで本なんて読んでるの?」
瓦礫だらけの地面から、むくむくと生えた低木にもたれて、彼女は茜色の表紙の古い本を読んでいた。
もちろん、今この大地に、「新しい本」なんてものはないから、全ての本は古い本だ。大昔の《みどりの災厄》が訪れる前につくられた、人間世界の残滓。
いまどき本なんて読んでいるいきものは、ほとんどいない。
だから、ぼくは純粋な好奇心から、彼女にそう訊いたんだ。
「おもしろいですよ。いろんな知らないことが書いてあります」
彼女はぼくを見上げてそう言った。
「きみは、その『文字』というものが読めるのかい?」
ぼくはおどろいて声をあげた。
本にはたいてい、『文字』がぎっしりと書かれている。ものによっては、絵がぎっしり描かれていて、『文字』がおまけのようにちりばめられているものもある。それはなんらかの有意の記号だということは研究により判明していたけれど、読み解いた者はまだ居なかったはずだ。
「読めませんよ」
彼女は涼やかな声で、ぼくの疑問に答えてくれた。
「何が書いてあるのかわからないから、すべて『知らないこと』なんです」
「なあんだ」
ぼくは少し笑った。
「世紀の大発見の現場に、居合わせたのかと思ったのに」
「残念でしたね」
「じゃあ、改めて訊くけれど、きみは、なんで本なんて読んでるんだい?」
「おもしろいからです」
「おもしろいのかなあ。意味がわからないんだろう?」
「わからないのが、おもしろいです」
そう言って彼女は、ふとぼくから目をそらして、遠くをみた。
瓦礫はどこまでも続いていて、奇妙なかたちの植物がその隙間をみっしりと埋めている。
かつては、もっと大きくて高くて、複雑で丈夫な建物が、いくつも建っていたという。
ぼくらのおじいさんやおばあさんの、そのまたおじいさんやおばあさんの……うんと、ずっと前の話だ。
今はなにもかも風化して、崩れてしまった。
地面に残る瓦礫もいつか、植物が覆いつくすだろう。
地平線まで、みどりいろ一色になるだろう。
「どうせ、世界は滅びるじゃないですか。この本も、あたしたちも、飲み込まれて消えちゃうじゃないですか」
彼女が、つぶやく。
「だから、何をしたって自由じゃないですか。わけのわからない本を眺めていてもかまわない。働けとか戦えとか、もう誰も言わない。あたしたち、とっても自由なんです。今やっと、いちばん、自由でいられるんですよ」
そう言って、彼女はまた、本を読み始めた。
茜色の表紙は、ずいぶん擦り切れて退色していたけれど、この、静かなみどりいろの世界では、ひどく鮮やかだった。
(おしまい)
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