第4話 不穏な職場

『いやぁ、それにしても谷嶋さん。あの新進気鋭と評判の新塚カンパニーの社長さんと幼馴染だなんて、すごいですねぇ』



 朝っぱらから俺の携帯に連絡を入れてきたのは、森田担当だった。


 あの後、新塚の誘いを受けた俺は会社側にその旨を伝えた。そして今日から新たな身を寄せる場所となる新塚カンパニーへ出社するのである。


 そんな記念すべき一日の朝にこんな電話をかけてきたこの人の神経はどうなっているのかと。



「幼馴染ではありません。同級生です」

『またまたぁ~』



 とてつもなくウザい。



「嘘ではありません。彼女とは確かに小中高と比較的に古い付き合いではありますが、当時は特段親しい訳でもなく、むしろ向こうが才女と評判だったこともあって距離を置いていたくらいです」

『ですが、今ではわざわざご自分で勧誘をなされるほどに親交があるわけですか。いやはや肖りたいものです』



 錬金術で電話先の相手を呪う道具は作れないだろうか。今度実験してみよう。



『新塚カンパニー株式会社と言えば、設立して数年で中国市場を中心に各地域へ販路を伸ばして加速度的に業績を上げた期待の新星ですよ。長らく続いてきた不景気の中でようやく芽吹いた新たな大木の苗と経済誌にも特集されていたほどです』



 知らんし。派遣社員がそんな経済誌なんて高尚なものを読んでいるとでも思っているのか。あるいは自慢か。



「へー、そうなんですか」

『そうなんですよ。その取材によりますと、あの会社、日本中のみならず世界中から天才を集めてシンクタンクのような組織を作り、それらの頭脳によって市場の動向や、人員をどこにどのように配置するのかな


どの問題の最適解を商売にしているそうですよ』

「へー」

『その天才たちも社長である新塚社長が直接見出した頭脳集団で、中にはハーバード大学を最優秀で卒業した逸材もいるのだとか』



 なんか、聞けば聞くほどファンタジー染みているな。俺のような一般人とは住む世界に超え難い隔たりを感じる。



「しかし、よくそんな人材を集められますね。特に外国の方なんて日本のぽっと出の企業に勤めたいなんて思うものでしょうか」

『そこが新塚社長のすごいところなんでしょう。なんでも新塚社長はそんな天才たちからも敬われるほどのカリスマで彼らを引き込んだのだとか』



 なんだか俺、新しい職場にものすごい不安を感じ始めたぞ。天才たちに崇め奉られる新塚の姿を幻視した俺は、体調不良に成りかねないほどの頭痛を覚えた。



『そんな新塚社長自らが是非にと三顧の礼でもって迎えた谷嶋さんを採用した我が社は誇りに思います』

「二回しか会ってません」



 誇り(失笑)。お前らはその誇り()とやらを数年間も雑用業務に派遣していたわけか。太っ腹だな。



『これを機に、新塚カンパニーさんには我が社の人員を更に採用していただきたく、谷嶋さんの今後のご活躍にも期待しています』



 結局、言いたいところはそれか。天才たちの集まる企業へ人材を派遣している実績をアピールすることにより、宣伝効果を狙っているということなのだろう。



『谷嶋さん。新塚社長にはよしなにお願いしますね』

「善処します」



 本当にアホらしいことだ。










 俺が到着したのは約束の時間の30分前である。新塚カンパニーが何分刻みで勤怠を管理しているのかは知らないが、これくらいの余裕があれば遅刻と言うことは無いだろう。


 俺の勤務場所は新塚カンパニー株式会社の本社ビルである。起業して数年しか経っていないはずなのだが、すでに自社ビルを保有するほどの利益や業績を上げているということか。改めて超人、新塚理美の凄まじさに畏怖する。


 ビルの受付で名前と用件をいうといきなり社長室へと案内された。本当に特別待遇なのだなと思っていると案内をしてくれている霜見翔さんが話しかけてきた。



「谷嶋聡介さん、派遣社員とは言え、あなたはこれから新塚カンパニーの一員となります」

「?」

「才能の無さや教養の無さを理由に、新塚カンパニーの品位を疑われるような言動をされないよう、くれぐれもご注意していただきたくお願い致します」



 ……はあ?



「それは、どういう意味でしょうか?」

「言葉通りの意味で捉えていただいて相違ありません」



 これは...。



「この会社は他の企業とはかなり特色が違います。特に特別採用として入社された社員の方々の、社長に対する態度には独特なものがございます。谷嶋さんにもお早めに慣れていただいた方が良いかと思いご忠告申し入れさせていただきました」

「……」



 これはかなりヤバい匂いがするぜ。


 それからは会話することなく社長室へ案内された俺は、新塚と対面する。今思い返せば高校卒業以来しばらく顔も見ていなかったのに、今日を入れて3日連続でこいつと会っているのか。



「よく来てくれた。谷嶋室長」

「なんだかむず痒いから普通に読んで欲しいな。谷嶋でいい」



 どうやら新塚はかなりのご機嫌のようだ。ただ、こいつが笑みを浮かべていると舌なめずりをするライオンを連想してしまうのは俺の被害妄想が原因だろうか。



「谷嶋、初対面ではないだろうが紹介しておく。こいつは霜見翔といってあたしの第一秘書をしている」



 霜見は俺に軽く頭を下げ、お互いに名刺交換をした。確かに名刺に第一秘書と書いてある。



「秘書はわかるが第一? 第二や第三なんかもいるのか」

「いるぞ。今はあたしの代行として各部署のミーティングに出席しているが、お前も会う機会があるだろう」



 なんともや、理解のし難い上司様だ。普通、社長の代行というと副社長だとか専務だとかがやるものだろう。



「うちには副社長はいないな。専務は一応いるが、こいつは基本的に行事くらいにしか出てこないから会う機会はめったに無いだろう。常務たちは各地域の拠点にいることが多いから本社内では秘書たちが執行役員の業務を請け負っている」



 いろいろとつっこみたい所はあるものの、納得するほかに無い。俺は派遣社員なのだ。



「まあ、立ち話もなんだし、会社の案内でもし...」

「申し訳ありません。社長、9時30分より臨時の役員会の予定がございます」



 一歩後ろで控えていた霜見が新塚の言葉を遮った。現在の時刻は9時過ぎであるが、会議の準備等もあるだろうし、俺を案内している暇は無い。そもそも、いくら変わった会社だとは言え、客でもない派遣社員の俺の案内をするのは社長の仕事ではないだろうが。



「ああ、そうだな。だが、こいつの業務についての説明は私自身でやらねばならん。どの時間なら空いていたか」

「14時から30分ほど空き時間がございます」



 この霜見とかいう秘書はスケジュールを完璧に暗記でもしているのだろうか。よくもまあ、メモ等を開いた様子も無いのにスラスラと答えるものだ。



「まあいい。昼飯を一緒に食いながら説明して、その後聞きたいことがあればその時間に聞くといい。今日の昼の会食の予定は無かったはずだな?」

「はい」

「なら、その通りでスケジュールを入れろ。こいつの世話役は...。入咲に頼もう。連絡しておいてくれ」



 霜見が備え付けの電話でどこかへ連絡を入れている間に新塚は、俺の方へ振り返りカードを差し出す。



「これが社員証だ。これがないと入退室も勤怠もカフェテリアも使えないから無くさないように。お前にやってもらう業務については昼飯を食いながら説明する。それまではビル内の施設や社内ルール、就業ルール、自分の持ち場についてよく覚えておくように」

「面倒見のよい職場のようで助かる」

「それらはお前と同じ新技術研究部の総務課を取り仕切る入咲課長に面倒を見るように頼んである。とりあえずの疑問等は彼女に聞け。霜見、谷嶋を新技術研究部まで案内しろ」










「こちらが新技術研究部の部署になります」



 霜見によって案内された一区画は、やけに分厚い衝立で周囲から隔絶された区画であった。周囲もキャビネットやダンボールなどの資材で囲まれており、他部署との物理的な隔たりが構築されていた。



「社長からはこちらは臨時のフロアであり、実用性の高い成果を上げられた場合は、専用の建屋を立ててそちらへ移動になるだろうとのことです」

「何から何まで特別扱いな」



 一派遣社員にここまでの優遇処置を取るなど到底信じられないことである。派遣社員は所詮他社の人間に過ぎず、必要なときには手軽に補充でき、自社の人間を切り捨てるリストラなどの看板に傷をつけかねない行為を行うことなく、人員の削減を行使することが出来る企業にとって利便性を追求したインスタント的な労働力だ。


 今の俺に与えられた待遇は俺自身でも驚天動地であり、それだけ新塚が期待していることの表れであろう。



「申し訳ありませんが、フロアは用意してあるものの内部については空っぽ同然です。必要なものがあればその時々で対応致しますので、新技術研究部総務課の方で手続きをお願い致します。予算の範囲内であれば必要経費として承認が下ります」

「元々必要になりそうなものは自前で用意するつもりでしたし、場所のみならず費用まででも負担していただけるとは有難いです」



 とはいえ、さすがにこの待遇は引け目というか気味の悪ささえ抱きかねない。



「総務課は谷嶋室長の総合的なサポートを行う部署となっており、入咲さんという方が事務全般を担っております。社内のことに関しましても彼女に窺うようにお願い致します」



 そう言いつつ、霜見は新技術研究部のフロアのシマにいた女性に話しかける。



「入咲さん、こちらが今日から配属になる谷嶋室長です。連絡したとおり、社内のことや業務に必要なものに関しての相談等をよろしくお願い致します」



 パソコンのディスプレイに向かい、なにやら作業をしていた女性が椅子を回転させて振り返る。



「新技術研究部総務課、入咲奈緒です。よろしくお願いします」



 椅子から立ち上がることもなく、一言だけの自己紹介というか挨拶を済ませると再びパソコンに向かい作業を再開させた。


 呆気に取られる俺を差し置いて霜見はそそくさを退出していってしまった。どうしろと。



「あの、谷嶋聡介です。よろしくお願い致します」

「……」



 無視かよ。



「あの...」

「席ならそこの端末が置いてあるところです。社内ルールや本社ビルの案内図は印刷して置いてありますので、ご確認ください」



 入咲さんはまったくこちらを見ることなく素っ気無く言い捨て、作業を続けている。うーん。


 俺は言われたとおりに指示された席に着くとデスクの上には数々の書類が置いてある。社員証の本登録申請書や自分の権限で立ち入っていい場所や悪い場所、アクセスできる権限、配布端末やメールの設定について、社内ルール、社内設備の利用方法、内線表、本社ビルの案内図、緊急連絡先、避難経路、社内行事スケジュール、各申請書類についてetc...


 一応、一通り必要な情報は網羅されている。どのみち、業務はおろか何をすればいいのかも分からないので、とりあえず、これらを読んでいよう。


 俺が各書類の内容を覚えたり、説明書通りに端末のセットアップや社内ネットワーク上での登録作業などをやっている内にあっという間に正午になってしまった。


 この会社、電子管理システムが非常に充実しているが、その分最初期段階でやることが多すぎるな。あとあと便利になるからやるが、結構面倒だ。


 人間関係的には最悪に近い想定をしているが、このまま続けていけるか不安で一杯だ。










 昼食を食べるためにカフェテリアの場所を聞こうとした俺が気づかないうちにどこかへと消えた入咲のことは一時棚上げにし、案内図を頼りに無事カフェテリアへ辿り着いた。どうやらこのカフェテリアの形式はビュッフェ形式のようで、入り口で社員証をかざしたら後は食べ放題のようだ。回数に応じて給与から天引きされるシステムだが、一人暮らしの俺にもやさしいリーズナブルな値段であり、この会社に来て初めて良かったと思えたことであった。



「谷嶋室長」



 俺が一通り昼飯を確保し、どこの席に座ろうかと思っていると霜見がどこからともなく現れて話しかけてきた。



「社長がお待ちです。こちらへどうぞ」



 新塚はカフェテリアの中でも一等景色の良いガラス張りの屋内テラスで昼食を取っているようだ。もうこの会社は企業などではなく、新塚を絶対的頂点に据えた一つの帝国と考えた方が良さそうだ。主に俺の精神安静的に。



「やあ、あたしの会社はどうかな? 谷嶋」

「想定以上のことばかりで頭痛になりそうなほどですね」



 いい意味でも悪い意味でもな。


 新塚は専用の一等席でさぞかし豪華な昼食を食べているかと思いきや、意外と普通の、というか俺も取り寄せていたビュッフェのメニューを食べていた。さすがに御用料理人なんてものはいなかったか。



「さあ、食うがいい。このカフェテリアの料理長はあたしがフランスを旅行していたときにスカウトしたシェフだ。味はミシュラン認定のレストラン並みだ。お前のような庶民ではまず有り付く機会はないだろう」

「有難くて、涙が出そうです」



 うまそうな料理だと思っていたが本場フランスのシェフが作っているのか。しかも社員限定とはいえ、あの値段で提供しているなんて、さすがとしか言いようがない。



「霜見や入咲から聞いているやもしれんが、今後の働き次第では更なる融通処置を取るつもりだ。精進してくれ」

「期待が痛いほど伝わってきて胃潰瘍にならないかが心配です」

「アッハッハ、まあ、お前の場合は先に脱毛症を発症するだろうな。天然パーマはハゲやすいと言うしな」



 新塚は女らしからぬ笑い声を上げながら俺を詰ってきた。こいつは一日に一回は人のコンプレックスを弄らないと気が済まないのだろうか。



「天然パーマが脱毛症を発症しやすいのは都市伝説で、実際には医学的にも統計的にも可能性に偏りはないそうですよ」

「知ってる。どうせ、お前のことだから気にして調べたんだろう?」



 反論しても詰ってくる辺り本当にさすがだと言わざるを得ない。これ以上、ひっぱっても勝てる要素がないので話題を逸らす。



「それより、社長はどんな感じの業務内容を考えているんだ? それによって揃える道具や行使する術の内容が変わってくるんだが」

「霜見」



 新塚の傍に立っていた霜見が新塚の声に即座に反応して書類を手渡す。というかこの人は昼飯を食わないのか。それともすでに食ってきたのか?



「あたしは白金の錬金術を行わせるつもりはないといったが、種別としたら似たようなものを頼むことになるな。対して精査もしていない草案だが、こんなものを始めたいと思っている」

「……『資源産業計画』。廃棄物を再資源化する事業か。簡単に言えばリサイクルってことか?」

「まあな、こういったリサイクル事業は中々利益を上げ辛いのだが、今のご時勢だと会社の知名度やはば慈善活動に近い側面を持っている。かつて資源の枯渇だとか、オイルショックだとかが叫ばれて、加工貿易国である日本は大打撃を受けた。なんせ日本にはそれらしい鉱物資源も石油資源もなく、輸入に頼っているからな。当然の反応だろう。それを克服は出来ずとも抵抗くらいはできるようにとエコ活動や3R活動が活発になり、今の省エネルギー主義が形作られた」



 工学系の大学に通っていた身からすると耳にタコが出来るほど聞かされた話だ。しかし、それだけ馴染み深い話題でもある。



「とは言え、世界的にも省エネルギー技術、再資源化技術の高さを誇る日本でも、そのリサイクル率はスチール缶、アルミ缶、ペットボトル等で約9割と高水準をマークしているが、それ以外の鉄、アルミ、樹脂製品などではそこまで高くはないのが現状だ」



 まあ、確かにそうだろう。再資源化するにしてもコストはかかるものだし、その過程で天然材料から生成した場合と比べてあまりにも費用が高くつくようなら普及などしないものだ。


 新塚が挙げたスチール缶、アルミ缶、ペットボトルはその再利用サイクルが完成されたものであり、比較的自動化が出来るが故に費用を抑えることに成功した例である。特に自動車や電化製品の類であるとその分別にはどうしても人の手が必要だ。そうなるとどうしてもコストは高くなりがちになってしまうし、金属と樹脂の複合材となればそのほとんどが再資源化されずに最終処分場に投棄される割合も少なくはないのだ。



「そこで最終処分場などで再資源化が諦められていた廃棄物を再資源化できる錬金術の研究をしてもらいたいというのが、当面の業務となるな」

「確かに有用な研究になりそうだな。しかし、リサイクルか。ちょっと思いつかなかったな」

「お前が見せてくれた物質そのものを変換してしまう錬金術はすごいものだ。しかし、この限られた地球の、限られた資源を考えると、別の物質へ変えてしまうよりも元からあるものを利用しやすいように循環できる技術の方が望ましい。その方が歪も生まれにくいしな」



 俺は今まで数多くの物質を別のもの変える実験をしてきたから、新塚が言うような物質の再利用というのを真剣に研究したことが無かった。目から鱗な気分ではある。



「一つ問題があるが、そういうことなら意外と早く、実用的な錬金術の開発が出来そうだな。実験に必要な材料を調達するためにゴミや土壌から鉄やアルミといった金属を抽出、分離する錬金術はすでに開発済みだし、それを応用してもっと多くの種類の金属物質を取り出せる錬金術ができるだろう。樹脂や石油由来製品については試したことはないが、回帰の術でいけるかな? まあ、目星もあるし、それほど研究が滞ることもないだろう」

「ほう、頼もしいな。期待させてもらおうか。それで、とは何かな?」



 聞き逃さなかったのか。まあ、これは俺にしか使えない錬金術という技術の問題でもあるのだが。



「錬金術の開発が成功したとして、俺はその再資源化事業に掛かり切りになるのか? 過去にも試してみたが、俺以外に錬金術が使えるような奴はいなかったぞ?」



 錬金術は俺にしか使えない。もしかしたら世界中の人間が試せば俺以外の人間でも使える奴がいるかもしれないが、それはいわゆる悪魔の証明ってやつだろう。少なくとも現時点では俺しかいない。


 で、錬金術で再資源化に成功したとして、俺は毎日ゴミの山と対峙しながら錬金術を使い続ける仕事をやらねばならないのは非常に不本意である。


 以前危惧した錬金術を行うだけの機械になるつもりはないのだ。俺がこいつの誘いに乗ったのは錬金術の機械になることじゃなく、錬金術の研究で普通に働くよりずっと“生き甲斐”となることをしたいためなのだから。

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