破:機械化部隊は二度死ぬ

「なんでそっち行くの? 絶対こっちの方が近道なのに」

「表通りは見晴らしが良すぎる。連中の無人探査機ドローンに見つかるだろ」

 ふてくされるアンジェラに言い切って、ジョシュアは錆びたドアのノブを捻った。

 飲食店痕の通用口は、ビルとビルの谷間、細い路地へと続いている。

 すぐそばのダストボックスには、かつては生ごみだった塵芥が積もり、更には腐った脚が覗いていた。

(……生ごみは分解されても、『喰人鬼グール』は腐ったまま、か)

 『悪疫ペスティレンス』が恐るべきは、にあった。

 つまり、のだ――死に絶えることすら許されず、ただ腐り、苦しみ、もがきながら、ただ“人喰いイーター”に喰われ弄ばれる為だけに。

、ハマっちゃって出られないみたい」

 アンジェラは当たり前のように、『喰人鬼グール』の脚へと手を伸ばす。

 ジョシュアはその腕を掴んだ。

「何してんだ、やめろ」

「は、なんで? 可哀想だよ」

 有無を言わさず、引きずりながら歩き出す。

「だったら首を落としてやれよ。それが思いやりだ」

「アタマ切ったら死んじゃうから! オッサン、もっとひとに優しくしなよ。でないと、に食べられるよ」

 咄嗟に振り向いてから。

 何を言うべきなのか、彼は言葉に迷った。

 この“霧の街ザ・ミスト”で育った彼女にしてみれば、当たり前のことなのだろうか。

 人間よりも、“人喰いイーター”の方が親しみ深いのなら。

 彼らが何を食べようと、問題ではないのか。

 否。

 それ以前に、彼はただの“運びクーリエ”だった。

 子供に倫理を仕込むのは、仕事ではない。

「……いいから、行くぞ。余り大きな声を出すなよ」

 それだけ言って、歩みを再開する。

 道を挟むビルの壁には、育ちに育った蔦が茂っていた。元は屋上庭園の一部だったのだろうが、すっかり野生化している。鬱蒼とした蔦と、錆びて千切れた配管を避けながら、路地の奥へと進んでいく。

 時折横目で、少女がついてきていることを確認しながら。

 同時に、改めて実感する。

 往路ではあれだけ苦しめられた“ザ・フォッグ”が、まるで彼らを導くように周囲を漂っていることを。

「……ねぇ、オッサン」

 視界は極めて良好。ガスマスクも不要。

 願えばこの街全てが解放されるのでは、と妄想するほど。

「サシミって知ってる?」

 彼は思わず、蔦を払う手を止めそうになった。

「……知らないのか?」

「この前読んだ漫画に描いてあったんだよね。生魚ってのをカットして作るんでしょ? 甘いの? 塩っぱいの?」

 生魚とはまた、随分な高級品である。恐らくは前世紀ビフォア・ブレイズのコンテンツだろう。

「まあ、ドッグフードよりはマシだな」

、サシミ食べられる? シュークリームとかも?」

 はしゃぎだしたアンジェラは、小走りにこちらとの距離を詰めてきた。

「ね、ね、あとさ、学校は? 行ったことある? なんかすごい過酷なんでしょ? 昼間の間に一人犠牲者を決めて、夜になったらマイムマイムってのを踊りながら焚き火の上に吊るしあげて、その下で告白した二人は永遠に結ばれるって」

「行ったことあるけど、お前が見たそれは学校じゃない。断じて」

 路地を抜けて、小さめの舗装路に出くわす。

 ガソリン車はすれ違えないぐらいの道には、ぽつぽつと死体が転がっていた。立ち上がっている何体かは、ぼんやりと宙を仰いでいる。

 慣れすぎてもう感じ取れなくなった腐敗臭のことを思い出しながら、彼は左胸の鞘から硬質カーボンナイフを抜いた。

 人間大の生き物を音を立てずに殺すのは、それなりに神経を使う作業である。暴れたり声を上げたり、殺害という行為はとかく騒音を出さずにはいられない。

 結局の所、一番良いのは音を立てても良い状況に持ち込むことである――

「オッサン! え、ちょっとまさか、ホントに殺す気なの?」

「……向こうの路地に移動したい。少なくとも二匹はこちらに気付く。他にいい方法があれば教えてくれ」

 次の路地までの間を、ちょうどふらふらと歩く『喰人鬼グール』――ボロボロのネクタイを締めた腐乱死体とほとんど破れ落ちたドレスの腐乱死体を示す。

 目を見開き、鼻の穴まで開いて、アンジェラが呼気を漏らした。

 これ以上ないぐらい、信じられないという表情をして。

「頼めばいいでしょ、通してって。無益な殺生は騎士のすべきことではありませんよ」

 余りにも意味不明なことを、得意気に言ってのける。

「あいつらはじゃないだろ」

「同じだよ。『喰人鬼グール』はみんな素直だし、いい仔だよ」

「……マジかよ」

 ジョシュアは少し考えてから、彼女の背中を押した。

「喰い付かれそうになったら、とにかく逃げろ。援護する」

「大丈夫だっての。オッサンは引っ込んでて。あの仔達、生きてる人間には厳しいから」

 これはいい機会だろう。彼女の特異能力スペシャリティ――“人喰いイーター”を御するという力が、果たしてどれほどのものなのか見極める為には。

(多分、それが切り札になる)

 彼にとって――そして、事によっては、全人類にとって。



 その女がどこから現れたのか、エレノアには見当もつかなかった。

 異種知性体研究所エウレカが用意したVAL機動研究施設は機密保持を第一とする為、万が一の場合には搭乗者ごと焼き払う程、徹底した保安管理システムを搭載している。機械化部隊の面々でさえも、許可無しには近づけない程のセキュリティだというのに。

「……ドクター・ナカトミ」

 エレノアから見て、彼女はまだ少女と呼んでも差し支えないような年頃に見えた。

 可愛らしさを閉じ込めようとして、それでも溢れてしまうぐらいには若い。眠たげに細めても、まだ零れ落ちそうな瞳。刈り上げた銀髪が、顔全体の線の美しさを強調している。特にチョコレート色の頬はほっそりとして、どこか儚さを漂わせていた。

「ええと。あなた……が、エージェント? そうは見えないけど」

 思わず口走る――少女は真っ黒なボディスーツこそ身につけていたが、身体の前で組んだ手を落ち着かなげに動かす様は、まるでハロウィンのティーンエイジャーのようだった。

 とても、世界的なテロリスト集団ペイルライダーの工作員とは思えない。

「そうエージェント。いいから、状況を教えて」

 見た目通り、言葉も辿々しい。吐く息と吸う息の区別がついていないような。

 エレノアは何故か、大学時代インスティテュートの同期を思い起こしていた。彼女は本物の天才だったが、恐ろしい程社交性に欠けていた。どんな時も自分の声帯を使わず、旧世代の合成音声に全てを喋らせる変わり者だった。

「早くして」

「先行している探索者の痕跡があると、報告が。そちらの人間じゃないでしょうね」

 乾く唇を舌先で潤しながら、告げる。

 少女は小刻みに頭を振った。

「違う。目標は?」

「一時間前に痕跡を掴んでいます。間もなく追いつくはず」

 言葉に頷いて、少女は続ける。

「座標を」

「これです。すぐに燃やしてください」

 追跡部隊から無人調査機ドローンを介して送られてきた位置情報を、メモの切れ端に記す。

 少女は一瞬だけ目を通すと、親指と人差指で紙を摘んだ。

 ふっ、と。

 少女が現れたその瞬間と同じように、何の前触れもなく紙片が消え去る。

 果たしてどんな特異能力スペシャリティなのか。

「……訊いてもいい? 急いでいる所、悪いけど」

「答えられない。かも」

 彼女は構わずに、続けた。

 意味の無い質問だと分かっていても、なお。

「あなた達は、“女王クイーン”をどうするつもり?」

 には価値がある。とてつもない価値だ――それこそ人類全ての福音となり得るような。果たして、それを売り渡して良いものかどうか。

 迷いがないといえば、嘘になる。

「……少なくとも。オマエ達のように、解剖する予定はない」

 その一言に。

 安堵している自分がいることに、エレノアは気付いていた。

 それが科学者として――否、人類として相応しい態度なのか、判じることは出来なかったけれど。

「幸運を。ミス・エージェント」

 彼女がそう呟いた時には、もう少女の影はどこにも無かった。



 結論から言えば、道程はこれ以上無いほどに楽だった――息さえ吸うのを躊躇うほどの地獄は、今やただの霧深い廃墟群でしか無い。

 『悪疫ペスティレンス』も『喰人鬼グール』も、アンジェラの前ではまさに飼い犬も同然だった。果たしてその事実は、考えるほどに恐ろしい――他の“人喰いイーター”を前にした時、彼女の特異能力スペシャリティはどこまで通用するのだろうか。

 だが、その前に、彼には取り急ぎ対処すべき問題がある。

「まあ連中も素人じゃないしな……どうしようかね、まったく」

 ジョシュアは口の中で、ぼそぼそと呟いた。

 半分以上崩れかかったビルの、最上階の窓辺――かつては窓だったと思しき空洞から、周囲を伺う。

 蠢く霧に包まれた廃墟の海にも、等しく夜は訪れていた。あらゆるセンサー系や通信機器を受け付けないこの街の夜は、真の闇といっても良いだろう。

 視界は完全に無く、腐乱死体が動く不快な音だけが辺りを支配する時間。全ての命あるものは孤立し、怯えながら灰色の朝を待つほかない。

 それは彼らも、そして機械化部隊マシンナーズ・ユニットも同じはずだった。

 ジョシュアは目を閉じ、耳を澄ませる。

(……近づいてる)

 予感はしていた。

 今夜は音がしない。『喰人鬼グール』共の不快な呻き声――かろうじて残された喉笛を空気が抜けた時の、ねっとりとした音さえも聞こえない。

 生きている人間は当然として、動く死体リビングデッドすらも、周囲に気配がない。

 つまり、機械化部隊マシンナーズ・ユニットによる範囲制圧クリアリングが完了しつつある、と見てよいだろう。

(流石、戦争の犬め)

 このペースで行けば、“運転手ドライバー”との合流地点の前で完全に包囲されるだろう。重火器で武装したサイボーグ兵に囲まれては、もう絶望しかない。

 マンション跡のガンラックから拝借した猟銃一挺と自前の九ミリ拳銃では、戦闘にもならないだろう――

「オッサン。ねえオッサンオッサン。聞いてんでしょ、オッサン」

 相変わらず呑気な声は、背後から。

 彼は嘆息して、振り返った。

「終わったか? 会談とやらは」

「ペス、手伝ってくれるってさ。久々に新しい餌がたくさん入ってきたから、機嫌良いみたい」

「……そりゃ良かった」

 思いもよらない答えに、かろうじて返す。

「オッサンの言う通り、最近捕まえたのをこっちに連れて来てくれるって」

 アンジェラは楽しそうに、そう言ってのけた。実際、楽しいのだろう――彼女にとっては、女王としての権威を守る為の、初めての戦なのだから。

 罪の意識などあるはずもない。

(新しい餌、か)

 もちろん彼自身も、常に罪悪感を背負って生きている訳ではない。かといって、どうでもいいことだと割り切っている訳でもない。

 かつて軍人として訓練を受けた折に、問題を棚上げする術を学んだというだけで。

 少女は違う。彼女は兵士ではない。ましてプロフェッショナルでもない。

 ただ、環境がそうさせている、というだけで。

 廃ビルにかろうじて残った屋根の下、ぱちぱちと小さな音を立てる熾火の傍に戻る。

「さっさと寝ろよ。明日は忙しくなるぞ」

「眠くない。なんか話してよ」

 愛用らしき古毛布に包まりながら、アンジェラが言った。

「昔々あるところで桃から生まれた桃太郎は犬と雉と猿を連れて鬼が島を征服しました。以上」

「もっと面白いやつ!」

 ジョシュアは保温シートを纏って、ソファの残骸に背中を預ける。

「“アウター”の話なら、昼間散々しただろ。後は自分で確かめろよ」

「ねえ、オッサンは“アウター”のどこから来たの? “運び屋クーリエ”の前は何してたの? どんな子供だった? 家族は?」

 子供のように無邪気な質問。いや、実際に子供そのものだったが。

 微妙な話ではある。隠すほどのこともないが、かと言って誇れることでもない。

「……話したら寝るか?」

「寝る!」

 どう見ても先程より目が冴えたという顔で、アンジェラが頷く。

 ソファの錆びたスプリングと肩甲骨の最適な位置関係を見つけてから、ジョシュアは瞼を閉じた。

「十六まではイーストサイドで育った。家族はいなかったが、家族のようなものはいたよ。金が欲しくて軍に入った。ムカつく上官の膝を撃って軍をやめて、この仕事だ」

「へー。わたしとおんなじだ」

 闇を通して響く声。

「母親がいるだろ、お前は」

「ホンモノじゃない。わたし、試験管ベビーだもん。十歳までは研究所にいたし」

「そりゃ……大変だったな。とにかく寝ろ、話しただろ」

 さらさらと毛布が擦れる音がする。どうやらアンジェラは寝返りを打ったらしい。

「ねえ、オッサン言ったよね。ここは地獄だ、って」

「……少なくとも、“アウター”はここよりマシだ」

「母様は、なんで、わたしをここに置いてったのかな」

 その疑問に。

 彼は、答えられるとは思わなかった。否。答えたところで、意味があるとは思えなかった。少女が望む答えも、望まない答えも、等しく価値がない。

「本人に訊けよ」

「……答えてくれるかな」

 ぶつぶつと、震えるような呟き。

 ジョシュアはもう一度嘆息した。さっきよりも、少しだけ深く。

「答えるまで質問を続けろ。もし、本当に知りたいんならな」



「――見つけた」

 ヤンはそう呟くと、こめかみの辺りを右手で押さえた。データ処理を行う時の、彼女の癖だ――脳内のインプラントと無人調査機ドローンが共有している観測情報、頸部のコネクターからケーブル直結したバギー搭載ユニットでの画像処理、全ての結果を分析したレポートをメンバーに転送したのだ。

 間もなく喜代志の視界に、無人調査機ドローンから送信されてきた位置座標と対応するマップが浮かび上がる。恐らくドミンゴ班長チーフも同じビジョンを見ていることだろう。

「赤十字病院付近。人間の男と子供の二人組。ライフルとピストルで武装。徒歩で移動中。恐らく南東方面のハイウェイ跡を目指してる」

「全チームに通達! 目標を補足。デルタ・チャーリー・シックスが先行して、不動橋クロッシングで確保するぜェ」

 牙を剥くようなドミンゴの宣言に、無線を通して各チームから返答が届く。

『――やりすぎるなよ、ドムドミンゴ。ここまで来て挽肉ハンバーグランチはゴメンだからな』

「引っ込んでろ、セルゲイ。ちゃんと二百ドル用意しとけよ!」

 喜代志はヤンと共に、調査機ドローンによる無数の空撮映像を確認していく。

 明らかに一定の意図を持って、人間並みの速度でビルの屋上を移動する二つの点。その周囲、ビルの脇に敷かれた道路には、うろうろと彷徨う人型の影。

「この辺、まだお掃除クリアリング終わってないねぇ。やっぱ病院ってゾンビ多いんかね?」

「……増援が必要だ、班長チーフ

「行儀良くしてたら逃げられちまう。向こうは素人じゃねェ。オメェが言ったんだろ」

 野太い音を立てて、バギーのエンジンが起動した。街路に散らばる破片を轢き潰しながら、走り出す。

「んじゃ、電撃作戦ブリッツ・クリークと行きますか、ボス? バーッと行ってガーッとやってズバッと捕まえる」

「派手にぶっ飛ばすぞ、野郎共!」

 ドミンゴの叫びに応えて、ヤンがアクセルを踏み込んだ。車両は見る見る加速していく。

 喜代志は密かに溜め息を吐きながら、機械義手サイバネティクスを起動させた。戦速反射経路が通電すると、微かに高音が耳に刺さる。アクチュエーター稼働率の向上がもたらす、微かな振動。

 勢い任せの作戦展開というのは、どうにも性に合わない。

 だが、それでもリーダーがドミンゴである以上、従わない訳にはいかない。それが軍であり、チームであり、彼のスタイルでもあった。

「保護対象、ビル内部に入った! 降りてくるつもりだ――出番だよ! 二人とも!」

「行くぞフクオカ!」

 ――彼は、はっと我に返り。

「……了解」

 一言だけ、そう答えて。

 高機動履帯スピードローラーを起動させながら、彼はバギーの架台を飛び降りた。ひび割れたアスファルトの上を滑るようにして、バギーを追い越して先行する。

 やけに濃い霧の向こうに見えてくる――『喰人鬼グール』の一団。丁字路の中央辺りに蠢く死体の数は――少なくとも二十は超えていた。

「数が多い。砲撃を頼む」

「どいてろ――パーティ開始だッ」

 ドミンゴに言われるまでもなく、喜代志は軌道を左へと逸らした――路面を蹴って、朽ちたビルの外壁へと。蛇行しながら窓枠を避けて、高みへと滑り上がり。

 バギーから放たれた対異種炸裂焼夷弾ASEIが、曳光とともに何体かの腐乱死体を粉砕し、丁度交差点の中心で炸裂する。見事な信管調整――瞬時に光量調整された視界で、爆発四散していく『喰人鬼グール』を見下ろしながら、喜代志は感心した。

 壁を蹴って、飛ぶ。空中で機械義手サイバネティクスを繰り出す。気分はほとんどマリオネットショーだった。一振りする度、一体、また一体と動く死体リビングデッド共が斬り刻まれていく。若い男の死体は胸から二つに裂け、老婆は縦に割れ、太った女は頭部だけが綺麗に吹き飛び、もう原形などとうに失われていた少女が三枚に下ろされた時。

 ふと胸を刺す――彼らはどうして、こんな怪物になってしまったのだろう。

 運命にせよ、偶然にせよ。

 腐り落ちていく肉体に閉じ込められたまま、彼らの脳髄は一体何を感じていたのだろう。

 落下の衝撃を滑走で逃がしつつ、焼け残りの死体を斬り裂く。高速旋回と共に繰り出した一撃が、一瞬にして七体の胴を切断した。

「オイ、テメェら――テメェらだよ、いるのは分かってんだ! 俺達ァ、特異能力保護管理局から委任を受けた、異種知性体研究所エウレカ危険種管理部ハザード・マネジメントだ! 悪いようにはしねェ! 大人しくそこから降りて来い!」

 どうあがいてもギャングそのものと言った調子で、ドミンゴが車載スピーカー越しにがなり立てる。

 それを横合いから止めに入ったのは、ヤンだった。

「ボス、ちょい、こらドミンゴ、完全逆効果だからそれ。あー、えーと。そこのビルにいるお二人さん。今のは気にしないで。あたしら、別にあんた達を取って食うつもりは無いんだよ。そこらのゾンビ共はどうだか分かんないけどさ。頭の腐った連中に腸引っぱり出されるよりは、あたしらと一緒に来た方がお得だと思うんだけど、どう?」

 いささか砕け過ぎではあるが、こちらの方がよっぽどまともに聞こえる。

 『喰人鬼グール』を引き裂きながら、喜代志はビルの窓が全て見上げられる位置を確保した。

 外から見える場所には立っていない。義眼アイカメラの動体センサーが、建物内で動く人型をいくつか捉えている。相変わらず熱源センサーはまともに働かなかったが、恐らくどれかが例の捕獲対象だろう。

「まぁ、ほいほい信用は出来ないだろうからさ。この辺の連中を片付けるまで、ちょっと待っててよね」

 ヤンがこちらに向けて、ハンドサインを飛ばしてくる――とっととやれ。

(言われるまでもない)

 喜代志は右腕を一閃して、視界に入った死骸を手早く斬り伏せた。防疫火炎放射器フレイムスロワーを振り回すドミンゴに先導されて、バギーが交差点内に進入してくる。

 と。

 注意喚起サインが意識内に弾けた。

 動体センサーが異常を検知。

 複数の人型生命ヒューマノイドによる連携した挙動を確認。

 ID不明――未登録の人型生命アンノウン・ヒューマノイド

「――ボス! キヨシちゃん!!」

 ヤンの警告は、一斉に砕け散ったガラスの悲鳴に掻き消された。

 交差点を囲むビル――その全てから溢れ出してきたのは、数え切れない程の『喰人鬼グール』だった。



この、地上に産み出された地獄の一角で『女王』を見つけ出す為に、異種知性体研究所エウレカはどれだけの人員を送り込んだのだろう。

 ジョシュアは完全武装の腐乱死体を数えるだけ数えて、げんなりとした。

 それでも、必要なことだった。状態の良い装備を拝借し、彼らを配置に着かせ。

 彼が指で合図する。

 アンジェラが「語り」かける。

 次の瞬間、階下から凄まじい破砕音が響いた――不動橋クロッシングを囲むビルに潜んでいた元機械化部隊マシンナーズユニットが、一斉に動き出したのだ。オフィスやファストフード店、その他数十年前に滅んだ人々の遺産を踏みにじりながら、津波のように。

 迂闊にも交差点に踏み込んだサイボーグ達が、それでも身に沁みついた訓練のおかげか、背中合わせに陣を組む。

(三人組のユニット。バギーと重武装サイボーグに……高機動型と支援型)

 当然、無人調査機ドローンも上空を周回中。もちろん市街一体に広がる『悪疫ペスティレンス』の中では、熱も動体もセンサーはろくに稼働しないだろうが、光学系ならば動かないこともない。

 何より、通信系が生きているだけで充分な脅威である――

 ジョシュアは外を伺うのに使っていた鏡の破片を捨て、射撃位置まで匍匐した。スコープを覗き込む。

 三名全員がガスマスク付きのヘッドギアをしているせいで、顔は良く分からない。体格から推測するに、大柄な重装型サイボーグ、中肉中背の高機動型、一番小柄な女性の支援型と言った所か。

 流石に、異種知性体研究所エウレカで改造手術を受けるようなは、この程度のトラップでは動揺しないらしい。襲ってくる死体の中には見知った顔もいただろうに、躊躇無く焼き払い、斬り裂き、撃ち抜いていく。

 おおよそ、『喰人鬼グール』達が半分ほど戦闘不能になり、彼らの動きにも余裕が見えてきた――ジョシュアはそこで、目を瞑った。

 そして、左手に掴んでいた即席無線機のスイッチを押し込む。

 古いモニターを久々に通電させた時のような、独特の音。

 そして、瞼を閉じていても分かる、閃光。

 目を開けると。

 三名のサイボーグ達は膝をついていた。首から上が、必死に抵抗しているのが分かる。だが、全身の七割に近い機能を担う機械義体サイバネティクスが言うことを聞いてくれないのだろう。

(相変わらずよく効くなぁ、EMP電磁パルスグレネード)

 他組織を警戒したのか、誰かを出し抜くつもりだったのか、何体かの腐乱死体が持っていたものだった。対サイボーグ兵器としては覿面の効果を持つそれは、簡単な操作で時限式や接触式、あるいは遠隔操作式と、起動方式を変えられる優れものでもある。

(流石、天下の竜泉寺重工)

 電磁パルスによって作動した保護回路が停止し、サイボーグ達が通常の状態に戻るまでに必要な時間は、通常三十秒ほど。

 充分な長さだった。

 ジョシュアは、膝射の姿勢でライフルモデル七〇〇の銃身を窓枠に乗せると、銃爪を絞った。

 きっちり四回――無人調査機ドローンの分も含めて。

 いくら霧が深くとも、この距離ならば充分だった。

 ヘッドギアとボディアーマーの隙間に覗くアンダースーツ。狩猟用のホローポイントでは貫通できないが、着弾の衝撃が頚椎の保護回路にダメージを与える。

 完全に動きが止まったサイボーグ達に、元同僚・・・達が襲いかかった。

「……終わった?」

 隣で耳を塞いでいたアンジェラが、おずおずと聞いてくる。

「もう少しだ。じっとしてろ」

 彼は少女の腰に腕を回すと、無造作に抱え上げた。

「な――ちょ、オッサン! どこ触ってんだよ! 不敬!」

「しばしのご無礼をお許しくだされ、陛下」

 適当な敬語を使いながら、自分の身体に絡ませたザイルを確認する。窓の残骸をブーツで蹴散らすと、ジョシュアは背中からビルの外に飛び出した。

「オッ――オッサ、オッサン高いオッサン怖いッ!!」

 喚く少女は完全に無視して、さっさと懸垂下降ラペリングを済ませる。

「ひぃぃぃぃぃいいぃぃぃぃいいいいいいぃぃぃッ」

 地面に降り立つと同時にアンジェラを手放し、彼はザイルを解いた。

「あー! もー!! 信じらんない!! びっくりした! ていうか先に言ってよ!!」

 顔を真っ赤にして叫ぶ彼女を、ちらりと見やり。

「漏らしたか?」

 全力で殴りかかってきた少女の拳を受け止める。

「馬鹿! ハゲろ! ハゲろオッサン! ツルッツルになれ!」

「やめろ笑えないから。禿げないぞ。俺は禿げないからな」

 そのまま少女を盾にしながら『喰人鬼グール』の群れをかき分け、バギーの元に辿り着く。

 電装系は当然ダウンしているが、軍用車両なら独自の直結方法で動かせる。EMP影響下での行動用の予備手段である。

 戦場で必要なのは、常に次善の策――というのは、七年の軍隊生活と幾つかの作戦で学んだことだった。

 息を吹き返したバギーにアンジェラを押し上げ、自分は運転席に滑り込む。

「よし。ついでだ、大事なことを教えてやる。すごく役に立つぞ」

「はあ? なに、いきなり」

 ジョシュアは、大袈裟に右脚を持ち上げてみせた。

「いいか。左のペダルがブレーキ。踏めば止まる」

「うん」

 実際に踏んでみせる。

「んで、右のペダルがアクセル」

 ギアを入れながら、こちらも力強く踏み込んでやると。

「うんにゃああああぁぁぁああああぁぁぁああぁぁぁああぁッ」

 大径タイヤが唸りを上げ、バギーは一気に加速していった。

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