急:少女達は明日を掴んで離さない

 チャンスは、思ったよりも早く訪れた。

 特別職業体験授業エクストラ・ワーク。あの腹立たしい不良生徒を合法的に排除して、尚且つ彼女の優秀さをアピールする絶好の機会。

 は、いつもそうであるように、突如として出現した。特別危険指定レッドラベル知性体、番号C六三四五、通称『這い寄るものクロウラーズ』。握り拳大の自律運動細胞スプリンターセルが集った群れは、異常発生した鼠の如く地下から這い出して、半径百メートル以内の人類を跡形もなく喰らい尽くした。地面はもちろんビルさえも覆い尽くす漆黒の影は、吹き出す地獄の瘴気そのものだった。

 監視カメラが覆い尽くされるまで約十秒間の映像を横目に、御来が状況を説明する。

「敵は千住特別管理区域に出現後、概ね国道四号線に沿って南下中。進行速度から考えて、十分後に上野復興記念公園レザレクティオ・パークに到達する見込み。特殊事案課エクソシスト緊急対応班レスポンスも出動してるけど、沿道の保護と進路誘導がせいぜい。肝心の第七班ナナホシは現在“蒼ざめた騎手ペイルライダー”の追跡に手一杯。そこで僕達、辰星有志保安隊ボランティアに声がかかった」

 反重力式垂直離着陸機GCVTOLの格納スペースは頭が痛くなるほどのエンジン音に満ちていたが、感応式通信テレコミュのおかげで、彼の言葉ははっきりと聞き取れた。

「戦場はレザレクティオ・パークになる。エクソシストの連中が誘い込んだ怪物共フリークスを、中規模封鎖結界で捕獲。檻の中で連中を一粒残さず塵に返す。敵は群生種レギオン。二つの手では取りこぼしても、四つの手なら上手く握り潰せるだろう」

 格納スペースの中心に広げられた地図と戦況のメモを眺めながら、彼は続ける。

「僕と真田先生は後衛バックス。上空から戦況を把握し、君達に共有する。何か質問は?」

 手を上げたのは、千鶴だった。

 隊の制式装備である適合者アクセプター専用戦闘服ドレスは、彼女の異能に合わせて改造されている――胴部と手足の生地が分割され、ワンピースの水着に長い手袋と靴下を組み合わせたような奇妙なデザイン。名前をつけるなら、変態拘束具フェティッシュ・ボンテージといったところか。

「提案があるんだけど、センセー」

「聞かせてくれ」

 佳奈は二人に注意を向けることなく、戦闘服ドレス――こちらは繋目はほとんどない、まともな形のスーツである――の上につけたハーネスを調整する。

 千鶴が何を考えているのかは、すぐに分かった。

撃破数スターが多い方が学級長リーダーっての、どう?」

 宣戦布告。

「思ったより穏便なアイデアで、安心したよ」

 御来は口角だけを吊り上げて、こちらに視線を回してきた。

 装備の最終確認を終えて、一息つきながら。

「……こちらが断る理由がありますか? 自分から私の下で働きたいと言ってるんですよ?」

「この天才ジーニアスに勝とうって発想自体がイケてないんだよね。クソダサい」

「トイレ掃除の練習でもしておいてくださいね」

「わーエグい、わー陰湿腹黒クソ優等生。そんなだから処女ヴァージンなんじゃね?」

「ああごめんなさい、掃除のついでにあなた自身もトイレに流しておいてもらえますか?」

「ケツの穴から先に貫通してやろうか、優等生グッディ

「まずはその息止めてください、下品が感染するので。出来ればそのまま死んでもらえると助かります」

「死ね。てかくたばれ」

「お先にどうぞ」

「……君ら、本当は仲がいいんだろ? お願いだからそうだと言ってくれ」

 嘆息する御来には申し訳ないが、この世には断つべき後顧の憂いというものがある。

 長い髪を樹脂製の結束バンドでポニーテイルにまとめて、出撃準備は完了。隣を見ると、千鶴は金髪をだらしなくサイドで結んだだけで、とてもこれから戦闘を行うようには見えなかったが。

「二人とも、気をつけてね。油断しちゃダメですよ」

 操縦席の背面、指揮端末の前に座る恭子は、神妙な顔でこちらを見ていた。言われるまでもなく、油断など万に一つもありえないが。

「はい。ありがとうございます」

 不思議と素直に、言葉は口をついて出た。

「大丈夫だって、キョーコちゃん。そっちこそ、うっかり落っこちないでね」

「もう、琴城さん! ちゃん付けはダメって言ったでしょ! 怒りますよ!?」

 ニヤニヤと笑う千鶴に、恭子が顔を真っ赤にして抗議する。

 まったく申し訳ないながら、佳奈もまた、零れる笑みを隠せなかった。

 ふと御来と目が合って、慌てて真顔を繕う。

「あと二分で作戦区域だ。二人とも、配置について。それから、帰投した後で奢って欲しいディナーのことを考えておいて」

「私、焼肉食べたいです!」

「真田先生。今、真面目な所なんで」

「えー」

 危うく真顔が崩れる所だった。

「……考えておきます」

 佳奈は保安隊式の肘を畳んだ敬礼を返し、機体後部の入出口へ歩き出す。

「あたし、スシね。あとゲイシャ」

 千鶴も敬礼だけはしっかりこなして、隣に並んできた。

 不意に、目が合う。

 やはり、人を小馬鹿にしたような笑い方。

 佳奈は無視しようとして――しかし、ちょっとした気まぐれで、笑い返してやる。

 これからこの女に煩わされずに済むのだと思えば、口元は自然にほころんだ。

「間もなく投下予定ポイント。ハッチ開放後、スリーカウントです」

 恭子のアナウンスと共に、眼前の搬出口が開いていく。隙間から吹き込んできた風が、彼女達の髪を激しく弄んだ。

「三」

 眼下に広がるのは、光と闇が渦を巻いたようなけばけばしい街並み。

 その淡いが、薄っすらと灰色に染まっている。灰まみれの街エンヴァースとはよく言ったものだ――かつて一度は滅びたはずの人類が、何の奇跡か、息を吹き返した証。

 死に損ないアンデッドの街。

 あるいは、不死鳥フェニックスの棲家。

「二」

 いずれにせよ、化け物どもにはもう渡せない。

「一」

 佳奈は、決意のような吐息と共に。

「出撃――ッ!」

 搬出口から身を投げ出した。

 途端、全身を打ち据える空気抵抗。

 まさに五体投地の姿勢で、降下目標となっている博物館前広場を見据える。

 パラシュートを開くタイミングは、高度計のアラームを頼りに。

「目標、封鎖エリアに侵入! 移動速度、予測より三十パーセント向上! 退避が遅れた市民を吸収して、肥大した模様!!」

 恭子が上げる警告。

 間髪入れずに御来が叫ぶ。

「パラシュート廃棄! 自由落下で着地後、“溝鼠ラット”を迎撃!!」

「了解ですッ」

 叫びながら、千佳は精神集中コンセントレイトを開始した。

 ゆっくりと息を吐いて、更に半分の速度で息を吸う。吸い込んだ空気と一緒に、肺の中へ――自らの体内へと入り込んでいく。気胞から酸素と共に血管へ。血液の流れに乗って、やがて脳へと。

 毛細血管の中を滑り抜けていく内に、辿り着く。

『――――』

 彼女の中に潜む怪物――決して飼いならすことの出来ない、危険な侵略者インヴェイダー

 『八意思兼オモイカネ』。文字通り異なる次元に潜む異種知性体イーターの、僅かな一部――恐らくは細胞と目される

 虹色の光を放つ金属片じみたに、そっと指を触れるような。

 そんな心地で、彼女は解き放つ。

 強く巨大で、決して目には見えない腕を。

 眼前に迫っていた広場の敷石が、まるで掌を叩きつけたようにひび割れ――一瞬にして根こそぎ粉砕される。吹き上がる土柱と石片の中心で、千佳は静かに膝をついた。

 艶やかな白銀へと変じた髪の一筋が、視界の隅で煌めきを残す。

 一息の後――彼女は見上げる前に、頭上にを振り上げた。

 岩石同士が激突して砕け散ったような、重く激しい音共に。

 千鶴がそこにいた。

 つまりは、佳奈が突き上げた見えざる拳の上に、傲然と立っている。

 その手足は既に人のものではなく――艶のない真鍮を張り合わせたかのような――まるで、そう、黄金の鱗を纏った蜥蜴のような、大きく禍々しい四肢。

「シツレイ。着地点ポイント間違えたっぽい?」

「戻ったら膝が砕けるまでHALO訓練ですね」

「こっわ。優等生グッディマジ怖いわー」

 ふと。全力で握りにかかったら、『抱擁する者ファフニール』の装甲はどこまで耐えられるのか、試してみたくなる。が。

『六時方向! 科学博物館方面から敵接近ですッ』

 佳奈は振り返った。不本意ながら千鶴と同時に。

 博物館前広場を囲う桜の木々が――ほんの一瞬だけ、静止した。

 そして。

『――来るぞ!』

 御来の叫びが合図となって。

 暗闇が押し寄せてきた。夜の帳を無残に引き裂いて、それよりもずっと深くて暗い影が、音も無く這い寄ってくる。

「お先ッ」

 先陣を切ったのは、千鶴。元よりそれぐらいしか能が無いのだろうが。

 人喰イーい《ター》のものを再現したと思われる四肢は、鱗の隙間から凄まじい轟音を吹き上げ――恐らくは圧縮空気の噴射――、彼女の身体に砲弾じみた速度を与えた。振りかぶった腕が更に肥大化し、パイルバンカーにも似た禍々しい牙を剥き出しにする。

 飛来する千鶴を獲物と判断した『這い寄るものクロウラーズ』の一部が、ずるりと形状を変じた。

 水面から顔を覗かせた、ワニのように。

「ぶっ飛ばぁす!」

 金色を纏った少女の影が、漆黒の海へ飲み込まれていく。

 数千にも及ぼうかという自律運動細胞スプリンターセルが蠢き、彼女の肉体は一瞬にして消化される――

「――うぉりゃあッ」

 訳は無く。

 空間がひしゃげたかのような、強烈な振動――耳朶では感じ取れない超音波が響き渡った。千鶴を喰らったはずの球状の闇が、音に合わせて歪み、泡立ち、弾け飛ぶ。

 返り血じみた黒い体液にまみれながら、千鶴が再び姿を現した。

 そして、こちらを振り返り。

「どーよ」

 鼻の穴を膨らまして、そんなことを宣った。

 まさにその顔面を向けて、見えざる手インビジブルを撃ち放つ。

『――琴城、八時方向ッ!』

 音よりもなお早い衝撃波は、首を傾げた千鶴の頬を斬り裂き、その背後で帳を形作っていた無数の“溝鼠ラット”を直撃した。正に鼠のような楕円の細胞が数え切れない程爆散し、漆黒の体液と消化の途中だった人体の一部を撒き散らす。

 既にヘドロを浴びたような様子の千鶴に、血やら肉やら臓物やらが降りかかっていく。

「寝てるんですか? ならせめて、土の下で眠ってください」

「あんた、ホンットムカつくよね……」

 金色の腕で顔面を拭う訳にもいかず、文字通り真っ赤な顔で千鶴がこちらを睨みつけてくる。

『じゃれ合ってる場合じゃないよ、二人とも』

「そのジョーク面白くないです、先生」

 佳奈は取り合わず、周囲へと視線を移した。見る間に広がった細胞群は、二人を包み込むかのように円の面積を広げていく。

『敵群体、拡散! 包囲攻撃、来ます!』

 恭子の分析。御来が答える。

『白鳥、上から圧し潰せ! 琴城、時間を稼げ!』

「了解です、先生!」

 どれだけ黒い細胞を引き裂こうとも、最後に一匹でも残っていれば、は誰かを喰らって数を増やす。その増殖スピードたるや凄まじく、現に今も細胞群の何割が自ら身を千切り、新たな自律運動細胞スプリンターセルを産み出している。

「ちょっとセンセー! あたしが全部潰すし!!」

「黙っていてください。広範囲への干渉は集中力を使うんです」

「うっせ、こっちでやるっての――」

 千鶴の声を無視して、佳奈は再び自らの内部へと

 光り輝く白銀の偏方二十四面体トラペゾヘドロンに呼びかける。あるいはそのに。言語とも意志ともつかない不気味な情報が、脳神経を伝って外部へと這い出そうとする。その刺激に反応した声帯が震え、縺れ絡まる舌が意味不明の音声を発し始めた。

「――――」

 それはまるで呪文モージョーのような。あるいは古代から続く呪詛の連鎖のような。

 はたまた、天から降る祝福の詞のような。

 いずれにしても、やがて言葉は終わり。

 佳奈は瞼を開き――引きずりだした力を、撃ち放った。

「――――ッ!!」

 全周囲、半径約五百メートルを圧し潰す、凶悪なまでの斥力。

 形を持たない殺意が、彼女の視界に映る全ての化生を蹂躙していく。ある細胞は冗談のように潰れ、ある細胞は半ばから裂けて内容物を撒き散らす。また異なる細胞は、暴れ狂う力が生んだ渦に巻き込まれ、捻れ千切れながら分解されていく。

 木々や敷石はもちろん、建造物、果ては大気すらも例外ではなく。

 音さえ消し飛ぶ、圧倒的な破壊が終わると。

 その中心で、彼女はただ一人佇んでいた。

「――ふぅ」

 真空に吹き込む衝撃波から己を守りつつ、溜め息を漏らす。

 と。

「ファック!」

 品のない叫びと共に、周囲の結界が揺れた――質量があるわけではないので、単なる感覚に過ぎないが。

「スカしてんな馬鹿アスホール! 殺す気!? マジで殺る気!?」

「残念。思ったより頑丈でしたね」

 黄金の拳を結界に叩きつけたまま叫ぶ千鶴を、ちらりと見やる。流石に無傷とはいかなかったらしく、真鍮の装甲が幾らか歪み、綻んでいた。

「ホントマジムカつく! センセー、見た今の!? 明らかに規定違反じゃない!?」

「今更先生に頼るなんて情けない。今のは防御力を加味した上での合理的判断です」

「死なす! てか殺す!」

 高周波を撒き散らす黄金の牙が、見えざる力インビジブルを喰い破ろうと暴れ狂う。

「それより、早くへりくだってくださいよ。私、今何体始末したと思います?」

「うっさい、まだこれからだし!」

『琴城さんの言う通りですッ。二人ともすぐに――』

 ――感応式通信テレコミュに、ノイズが走った。

 反射的に、佳奈が顔を上げるのと。

 白い反重力式垂直離着陸機GCVTOLの機影が影に飲まれるのは、正に同時だった。



「――うっわ、何あれ!?」

「……融合体ユニオン、でしょう。資料を見ていないんですか?」

 鉄面皮の優等生グッディですら面食らっているように、千鶴には思えた。

 上空百メートル近くまで伸び上がった、黒く巨大な影。それは『這い寄るものクロウラーズ』のように見えるが、『這い寄るものクロウラーズ』であるはずのない大きさだった。

 封鎖結界を容易く打ち破り、VTOLをあっさりと飲み込んで、喰らう――金属がひしゃげる嫌な音がして、暴走したエンジンが火をあげ、爆音が響いて――

 通信が途絶えた。

 彼女も佳奈も、全てをまるで阿呆のように見届ける――それしか出来ないぐらい、本当に僅かな時間の出来事だった。

 そして。

 鎌首をもたげた黒く巨大な影が、ゆっくりこちらを照準したのに気付き。

 千鶴は咄嗟に、拳を振り上げた。

 肘と前腕から圧縮空気を放つ、全力のオーバーハンドブロー――

 衝撃は凄まじかった。

 踵から展開した姿勢保持用の爪が無ければ、どれだけ吹き飛ばされていたか分からない。

 地上百メートルから飛来した巨大質量――砲弾と呼ぶには長く大きすぎる――を打ち弾いた“強欲なる黄金グリーディ・ゴールド”の拳が、赤熱していた。千鶴は、信じがたい気持ちでそれを認める。

 戦車砲の直撃にも耐え得る強度と硬度を備えた超金属に干渉するなど、まともな破壊力で出来ることではない。

 第二撃に備えようと構えた所で、横から念動力を喰らった。空中で錐揉みを打ちながら、それが彼女をかばう行為だったのだと理解する。

 『這い寄るものクロウラーズ』の追撃は、初撃の三倍に近い体積だった。

 文字通り、大地が割れる。

 本能だけで上下を認識し、圧縮空気で姿勢を制御する。飛散した破片――と言っても、優に人の頭ぐらいはある――を腕の装甲でいなしながら、千鶴は呆然と惨状を見つめた。

「……ヤバくね、これ」

「観測より実際の個体数が多かったみたいですね。先程の私の攻撃で、こちらを脅威と認めて、融合体ユニオンを形成した……と考えるのが自然です」

 無形の力で彼女の隣に浮かびながら、佳奈が呟く。

「センセーと恭子ちゃんは?」

「……分かりません。感応式通信テレコミュは再接続シークエンスを繰り返しているようですけど」

 それ以上は言いたくなかったのだろう。千鶴も敢えて聞こうとは思わなかった。

 ほとんど呆然と言っていい心地で、巨大な影を見上げる。

「どこから潰すかな」

融合体ユニオンは諸刃の剣のはずです。一体化することで大質量と俊敏さを手に入れますが、一方で大きな弱点を抱えることになる」

「……蛇を殺すなら頭を潰せ、だっけ?」

 佳奈は無言で頷いた。

 自律運動細胞スプリンターセルの群体は全ての個体が独自の意志と再生能力を持つ為に、駆逐が非常に難しい。僅かな取りこぼしが命取りとなるからだ。一方、融合体ユニオンと化した場合は、全ての細胞がコアに統御を委任する為、そこを攻撃すれば良い。

 ただし、この圧倒的な破壊をかいくぐらなければならないが。

 大振りな攻撃といえば、その通りだ――関節もなければ骨格もない軟体動物が、獲物を目掛けて単に触手を伸ばしているだけなのだから、パターンも至って単調と言えるだろう。だがその速度と質量は、常軌を逸している。

 見えざる障壁インビジブルと“強欲なる黄金グリーディ・ゴールド”による耐衝撃防御、そして圧縮空気による高速機動を持ってしても、完全に回避しきれるとは言えなかった。

(……こういうのも、ミッションコンプリートになんのかな)

 手を下したのが誰であれ、結果は同じ――本国の上官ジャネットならば、そう言うだろう。任務中の事故で、案件Mは処理完了。その後、折を見て本国へと帰還。最終試験のクリアによって千鶴は晴れて卒業を果たし、救世騎士団へと配属される。

 くだらない小競り合いを抜け出して、いくらかましな場所へ辿り着くため。この最果ての地は、その為の通過地点に過ぎない。

 そう思っていた。

 ――何度目かの攻撃が、千鶴の装甲を掠めた。

 ただそれだけで、視界が反転し、軌道が狂う。すかさず姿勢を戻そうとして、目に見えない何かが鼻面を痛打した。

「――痛ッ!」

「ああ、もう、なんでそんなところに――!!」

 怒りを込めて佳奈を振り返ろうとして、更に大きな衝撃に襲われる。

 全身の骨格が一瞬にしてバラバラになったような錯覚。

 あるいは、数百メートルを飛んだ挙句、銅像を打ち砕き、アスファルトを削ぎながら半ばまで地中に埋まり、へし折れた木々に潰されてなお、肉体が原型を保っているという事実の方が錯覚なのか。

 息が出来ない。全身が痛い。『抱擁する者ファフニール』の再生能力も防衛能力も、追いついていない。受けたダメージが大きすぎるのか。

 心臓の辺りに鋭い痛み。コアへのダメージがあったのかもしれない。

(ヤバい。フツーにヤバい)

 敵戦力の急激な向上。後方支援の不在。連携の不備。

 全てが敗北への布石としか思えない。

『――劣等生バッディ。聞こえますか』

「聞こえてるよ、クソ優等生グッディっ」

 毒づきながら、頬を貫いていた樹の枝を吐き出す。ようやく痺れが取れてきた腕で、力任せに木々を振り払いながら。

「作戦だ。触手はあたしが引き受ける。あんたはサイコキネシスの一点集中で、死角からコアをぶち抜く。行くよ」

『よく考えましたね、あなたにしては。でも学級委員リーダー権限で却下です』

 ――脳の血管が切れそうになる。

馬鹿ダミット! そんなにイニシアチブが大事なら、勲章抱いて死ね、ビッチ!」

『先程から試してますけど、私の見えない腕インビジブルでは融合体ユニオンの体組織を貫通出来ません。表皮細胞の自律機構を全て衝撃緩和に利用しているんでしょう』

 佳奈はあくまで冷静なようで――その実、どんな感情を抱いているのか。

『あくまで推測です。でも、高熱――例えば、御来先生の『焔耀鎚ホノカグツチ』による熱量操作オルタレイション、もしくは『抱擁する者ファフニール』による重粒子線照射ヘビーイオンビームなら、破壊出来ると思います』

 流石は優等生グッディというべきなのだろう。分析は妥当のように思えた。

 御来の名前を口に出した時の平静な態度も、誉めてやってもいい。

「……条件が二つ。一つは、粒子加速アクセラレーションに時間が掛かること。もう一つは、侵蝕率レートが三割を超える可能性があること」

過剰侵蝕オーバーインヴェイドの可能性を、私が考慮していないとでも?』

 佳奈の言葉に。

 千鶴は、思わず笑った。

 どこまでも嫌らしい奴だ――全ての敵を葬り、自らは昇給するチャンスという訳である。

「もし“喰われ”たら、真っ先にあんたを殺しに行くからね」

『こちらの台詞です』

 頭上に積もっていた木々の、最後の一本を放り捨てて、千鶴は勢い良く起き上がった。

 見上げる――天を衝くような漆黒の巨体。その周囲を飛び回る、まるで羽虫のような小さな影。四方八方から襲いかかる砲撃じみた触手を躱しながら、時折無意味な衝撃波を打ち出している。

 果たしてどこまで時間が稼げるか、高みの見物を決め込んでも良い。

 だが。

 千鶴は決断した。

 いや。決意自体はとうの昔に終えていた。

 他に選べる道がなかったのだから、それは決意というよりも、ほとんど諦めだったのかもしれない。この呪われた心臓を受け入れて、人間を辞める他に選択肢など無かった。

 親も金も、腕も足も無かった自分に、出来ることなど。

 けれど、それでも。彼女は求めたのだ。

 ――自分の力を、戦いを、そして生き方を。

 金色の鱗に覆われた右手を大きく広げ。

 長く伸びた爪を、自らの心臓に突き立てた。

 “強欲なる黄金グリーディ・ゴールド”は肋骨と筋肉を紙屑のように斬り裂き、心臓を破って――そこに植え付けられた、金色の捻双角錐トラペゾヘドロンをも貫く。

 その瞬間。全身を電流が貫いた。

 少なくとも、そう感じた。

 形作られた円。心臓で爆発した激しい衝動が、一瞬にして全身を、全細胞を駆け巡り、胸を貫いた爪を迸って再び心臓へと還り、更なる激しい力へと変わる。一瞬にして無限大に届かんとするは、無限にも思えるほどの刹那を重ねて、彼女自身をも飲み込んでいく。

 ――それは恐らく、飢えなのだろうと、千鶴は思っていた。

 恐らくはそれこそが、を受け入れることができた理由なのだろう、と。

 空っぽの箱を満たす何かを求めている。

 何でもいい。どうでもいい。

 腹さえ膨れれば、何だって。

 は――は――は、感じた。

 目の前に立ち塞がる巨大な

 酷い臭いがする。まるで腐りきった糞の山のような。

 はすぐに理解する。それは、食事にたかる蛆虫どもだった。

 気色悪い。

 さっさと殺さなければ。折角の美味が台無しになる。

 何しろ久方ぶりの目覚めなのだ。出来るだけゆっくりと楽しみたい。

(億劫だ。酷く億劫だぞ。糞共)

 は右手を――重くて鈍い、とても自分のものとは思えない腕を、何とか持ち上げると。胸の奥にあるを開いた。長く微睡んでいたせいか、随分と弱々しい鼓動だが、『溝鼠ラット』共には充分だろう。

 ようやくこちらの存在に気付いたのか、糞の山から触手が伸びてくる。

 だが、遅い。余りにも遅い。

 はうんざりとした気持ちで、門の向こう側に溜まっていたものを吐き出した。

 概ね光と同じ速さと言える炭素粒子の集合が、糞山と蛆虫を貫通し、一瞬で蒸発させる。その後、熱転移によって大気が膨張。

 余波が緩やかに広がっていく。

 人間が作った公園が熱と衝撃で焼け潰れていく様は、なかなかの絶景だった。

 周辺が一掃され、大分見通しが良くなる。

 しかし、思ったよりも重粒子に勢いが無い。加速アクセラレーションが不十分だったか。

(随分鈍っている。今回は、どれぐらい眠っていたんだ?)

 は一度大きな欠伸をして――上空から近づいてくるに気付いた。

 人間である。女。十六歳程度か。若い。

 脳髄の辺りに妙なものが混ざっているが、差し引いても良い毛艶をしている。

 目覚めの一服には丁度いいだろう。

 不意にいくつかの並行次元が交差し、抽出された斥力が押し寄せてくる。その波を受け流しながら、は考えていた。

 なるほど、多次元並行存在を脳髄に移植したのか。『溝鼠ラット』の類を撃退するには丁度いいだろう。だが、どうやら人間の脳では処理速度が足りないらしい。交差深度が浅すぎて、力の九割がそのまま別の次元にずれこんでしまっている。

 は右手を伸ばして、女を捉えた。

 掌で包むようにして、あまり衝撃を与えないように務める。

 肉に傷がついては味が落ちてしまう。

「――――ッ」

 声。女が喋っている。

 人間の言葉は概ね理解しているつもりだが、感情的になられるとまだ聞き取れない部分が多い。まあ悲鳴か罵声なのだから、あまり意味があるとも思えない。

「――るッ」

 それにしても、うるさい。

 これは女の声か? それとも、もう一つの――雄――違った、男か?

 待て。

 男もいたのか? どこに?

 いや、知っていた。気付いていた。隠れているなら後に回そうと――

「きん――るッ」

 一体何だ、この声は。

 知っている。気がする。

 喧しい。

「――ちづるッ」

 酷く。やかま。しくて。

「起きなさい――琴城千鶴ッ」

 ――は、はっとして。

 装甲化が進み過ぎた千鶴の右手の中で、死にかけている白鳥佳奈を見つめ。

 辺りを見回して――そこが、どこだったのか思い出すのに、少し時間がかかった。

「……正に地獄ワッザ・ヘル、って感じ?」

 焼け野原というのでは、生温い。

 炎の海とでも言えば良いのか。見渡す限りが擂り鉢状に抉れた大地の中で、木々という木々は捻れ燃え上がり、建造物の痕跡と思しきコンクリートと鉄骨が溶け崩れ、ガラス状に溶けた土砂に埋もれている。空の色さえ変えるほどの、巨大な炎の渦が吹き上がる。

「つまらない……冗談、です、ね」

 喉の奥から血溜まりの気配をさせる、佳奈の声。

「はは……確かに」

 両足があらぬ方向にねじれ、骨が飛び出した少女を、両腕で抱き上げ直す――ファフニールが意識を失ったせいで全身の装甲化が止まり、“強欲なる黄金グリーディ・ゴールド”は砂塵に変わり始めていた。

 金色の砂が熱風に流され分解消滅するのを眺めながら、千鶴はしばらく呆然としていた。

 酷く怠い。全身に鉛を流し込まれたような重さ。

 ほんの一瞬まで、彼女は支配者だった。全てが彼女の手の内にあった。

 だが今は、この世の全てが彼女を苦しめるために存在しているかのような。

 音がした。

 のろのろと――もしも敵なら、確実に二回は殺されているぐらいの速度で、そちらを振り向くと。

 クレーターの一部が崩れ、白いVTOLの残骸が覗いていた。

「――もしかして」

 言うまでもなかった。佳奈はほとんど意識を失いかけていたから、というのもある。

 何より、が誰なのか、彼女にははっきりと分かったからだった。

 小脇に女を抱えた、一人の男。

 耀が、こちらを見た。

「……センセー?」

 かなり努力して、言葉を紡ぐ――どこかの糸が切れたように、意識に靄がかかり始めていた。

「まぁ――あたしが……ぶっ殺さないと、ね――」

 なんとか、男の方へ踏み出そうとして、何かに躓く。

 取り落とした佳奈に、手を伸ばす。

 だが、彼女がどこに落ちたのか、自分がどこにいるのか、立っているのか座っているのか、起きているのか眠っているのか――

「――作……よく――おい……!!」

 それすらも分からなくなって、彼女は目を閉じた。



「はいストップストップそこまで中止中止ー」

 割り入ったその声に、彼女達はぴたりと動きを止めた。

 訓練場と名付けられたその空間は、要するにだだっ広いホールだった。円形のフィールドを取り囲むすり鉢状の展性チタン坊壁と座席の海は、さながら闘技場コロシアムのようでもある。もちろん無意味に広大な訳ではなく、適合者アクセプター同士の訓練に巻き込まれない為には、出来るだけ距離を取る必要があるという、単純明快なコンセプトに則って設えられた場所である。

 土煙が舞う、フィールドの中心で。

 佳奈は、周囲に展開した十二の見えざる手刀インビジブルと共に。

 千鶴は、さながら独鈷杵のような形状に変じた右腕を構えたまま。

 二人で睨み合っていた。

 そして御来は、まだ手放せないという松葉杖でよたよたと駆け寄りながら、溜息を吐く。

「なあ白鳥。先生、今朝なんて指示を出したっけ」

「回復の状況を確認する為、軽い白兵戦トレーニングを行うこと」

「だけじゃないよね?」

「ただし、侵蝕率レートを高めるような行為は禁じる、と」

 佳奈はそこまではっきりと答えて、首だけで彼の方を振り向いた。

「これは自衛行為です、先生。先に仕掛けてきたのはあちらですから」

「ノー、センセー。見えないのを良い事に人の足を引っ張ったのはあっちが先でーす」

「敬語が使えるようになったね、琴城。流石、天才ジーニアスだ」

ありがとサンクス、センセ」

 まったく心の篭もらない千鶴の返答に、御来が更に深く嘆息する。

「ああ、進歩だ。進歩してる。君らは前に進んでるぞ、うん」

 背中を丸めて呟いたその様が、どことなく不憫に思えて、佳奈は思わず千鶴と目を合わせた。どちらともなく、“力”を鎮めながら。

「もう状態は安定したんですか、先生」

「今日は君らに知らせがあってね。わざわざ来たの、怪我を押して。感謝してくれ?」

 呆れているのか、拗ねているのか。

 口を尖らせてぼやくその表情は、まるで小さな子供ようでもあり。

 佳奈は思わず、言葉に詰まってしまう。この胸の疼きをどうすれば良いのか。

 そんな彼女の感慨などお構い無く、千鶴はいつものように下品な笑い方で。

「えー、ナース見飽きたんでしょ、センセー? ピチピチJK恋しかったっしょ。あれ、JK? ジャックナイフ? ええと、スクールガール。あってる?」

「あってますよ。そもそも、それは正しい日本語ではないけど」

 まだ何か、しょうもないなことを口走ろうとする彼女を手で制して、佳奈は続けた。

「先日の……作戦の件ですか?」

「その通り。はい、まずは気をつけ。姿勢正して」

 学園流の『気をつけ』――両の手を後ろで組み、踵を合わせ、直立不動に。千鶴すらも、すぐに反応した。

 言った本人は松葉杖の一つにもたれ、随分と楽そうな姿勢のまま、手元の端末に触れる。

 小さなモニターに指を滑らせながら、しばらくの沈黙。

(……降格、かな)

 ふと、考える。

 覚悟はしているつもりだった。

 要するに、成果に対して損害が大きすぎたのだ。特別危険指定レッドラベル知性体、番号C六三四五、通称『這い寄るものクロウラーズ』の討伐。その代償が、反重力式垂直離着陸機GCVTOL一機と封鎖結界展開部隊の一個中隊壊滅、更に復興の象徴たるレザレクティオ・パークおよび周辺地域の焼失、それに伴う大規模な人的被害――どう計算しても収支が合わない。

 最善を尽くした。その自信はある。

 だが、結果が伴わなくては、意味が無い。

 少なくとも彼女達がいる学園スコラでは。

 ふと目を逸らすと、隣の千鶴と目が合った。

「そんな顔しても、しょうがないっしょ」

「そんな顔?」

「うんこ漏らした後みたいな」

「……そっちの方が、まだいいですよ」

 言い返す気にもなれないのは、指摘しても仕方がないからだった。千鶴にしても、佳奈とそう変わらない表情を浮かべているのだから。

 ――飽きたのか、それとも諦めたのか。

 シャツの胸ポケットに端末を戻しながら、御来は口を開いた。

「あー。つまりね。A1クラス昇格、おめでとうってことです」

「……え?」

 間の抜けた声は、彼女と千鶴、どちらからともなく漏らしたものだった。

「この前の作戦、結構頑張ったからね。なんだかんだ、よくやりましたってことで。昇格。A1。おめでとう」

 いつも通りの調子で言って、御来はおざなりに拍手する。

 何と言えばいいものか。佳奈は何か拍子抜けしたような心地で、彼の薄っすらとした笑顔を見つめていた。

 白く、鋭く、優しいその微笑みを。

「ヒュー!! ま、あたし、ぶっちゃけ天才ジーニアスだし? これぐらいチョロいっつの」

「ああ、天才だ。君は世紀の大天才だよ、琴城」

「言うよねー。てか、絶対ぶっ飛ばすからね、センセー。マジで」

 思いがけない褒め言葉に動揺したのか、千鶴が何とも奇妙な表情で彼に指を向ける。

「でも、先生、どうして」

「敵戦力が事前想定の一五〇パーセント、更に想定外の『融合体ユニオン』形成という状況で、よく討伐を果たした、ってこと。過去の事例に比べれば、損害レベルも大分低い。勲章ものだよ、これは」

 御来はもう少し笑顔を深めて、こちらへ松葉杖で踏み出してくる。

 はっとして、佳奈は駆け寄った。彼を支えようと、手を伸ばすが。

 その手を、強く掴まれて。

「良くやった。二人とも、良く生き残ってくれた――本当に」

 引き寄せられた瞬間、感じたのは匂いだった。

 血と、消毒液と、微かな汗と。

 それから何か、初めての。

 佳奈は呆然としていた。浸る間もなく御来が彼女を離し、千鶴を招き寄せて、同じように抱擁を交わしている間も、ずっと。

「さて。じゃあ、諸君のより一層の努力と活躍に期待するってことで。ちゃんとした昇格式はそのうち、ね。では以上、解散」

 言い残して、彼が背を向ける。

 佳奈は何か、言わなければいけないことがあると感じて、けれどそれが何なのか自分でも分からず、結局普通の質問を投げることにした。

「……あの。先生。明日から、私達はどうすれば?」

 言ってみて、もっとまともな訪ね方があったと思う。これではまるで右も左も分からない新入生ではないか。

 昇格に伴って得られるもの。

 新しい宿舎。新しい教室。新しい訓練プラン。より困難な特別職業体験授業エクストラ・ワーク

 そして――新しい担当教官。

 御来が、ゆったりと足を止めて。

「あー、そうか。悪いんだけどね、真田先生に見てもらうことにした」

 肩越しにこちらを振り返る。

「て言っても、本当に見てるだけなんだけどね。彼女の方が検査が少ないから、復帰も早くてさ。。二人共、あんまり真田先生を泣かさないように」

 そして、今度こそ全てを伝え終えたのか、松葉杖を突きながら去っていく。

 佳奈は彼の言葉を余すところ無く充分に理解しながら、それでも、実感するまでに今しばらく時間をかけなければならなかった。

 右肩に、乱暴な衝撃。

「やったじゃん」

「……あなたこそ」

 歯を見せて笑う千鶴に、彼女は思わず笑い返していた。

「ま、あたしはすぐ卒業だよ。あんたもブチのめしてね。

「……私に殺される前に、その服装規定違反、さっさと改めてくださいね。

 言いながら、おもむろに拳を作り。

 少しだけ手加減を加えつつ、二人は白兵戦トレーニングを再開した。

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