Case.3:少女達は楽園に暮らしている

序:ギャルと優等生は反りが合わない


 男女含めた十数人の生徒に連れられて、髪の長い少女が歩いていくのを見かけた時は、正直な所、どうすべきか迷った。

 少女が誰かは知っていた――というより、この学校で彼女のことを知らない人間など、いるはずがない。

 在校生ではトップとなるA2クラスに所属する、完全無欠の誉れ高き生徒会長。

 あらゆる科目、実習、特別職業体験授業エクストラ・ワークでほとんど満点の評価を得ながら、未だ卒業を果たさないのは、偏にこの学園を愛しているからだ――というのはただの建前で、実はある教師とデキているからだ、というのがもっぱらの噂だった。

 更には容姿端麗、品行方正とくれば、要らぬやっかみを抱く連中が湧いてもおかしくはない。十人単位でかからなければとても手に負えない、というのがいささか情けなくはあったが。

 そう。

 結局の所、暴力がものを言う場所なのだ――この私立辰星学園高校、通称“スコラ”は。

 琴城千鶴が少女達の後を追った理由は、義侠心というより好奇心からだった。かの生徒会長が、格下アンダークラスの連中に手こずるとは到底思えなかったし、むしろ噂の正体を確かめるには良い機会だと思ったのである。

 遊んでいたリズムアクションをスリープにして、携帯端末をブレザーの内ポケットに滑らせる。トレンド通りの丈に詰めたスカートの尻をはたくと、彼女は歩き出した。

 第三演習棟は巨大なドーム状の外観で、中にはエンヴァース市街を模した建造群がすっぽりと収まっている。分厚い隔壁を開けると街があるという、なんだか不思議な構造の建物だが、彼女も本国で同じような施設を見たことがあった。

 生徒会長達が中に入ってから、きっかり三分、通用口の前で待つ。

 再開したアプリのリザルト画面を片手に、千鶴がゆっくり扉を開けると。

「わお……クール。マジクールじゃん」

 ビルに見立てたコンクリート建造物の幾つかは形を変え、ものによってはすっかり崩れ落ちてしまっていた。瓦礫の海と化した演習場のそこかしこに飛び散る血と肉片、そしてBクラス以下アンダークラスの生徒達。うっかり殺してしまったということは無いだろうが、仮に殺した所で、演習場の監視カメラを証拠にすれば不問となるだろう――少なくとも千鶴なら、先手は相手に取らせる。でなければ、正当防衛セルフ・ディフェンスが成立しない。

 そして惨状の中心に佇む、少女。

 その黒く美しい長髪が、いつの間にか煌めく白銀へと変わっていた。

「――遅かったですね。あなたがリーダーですか?」

 こちらを見やる、穏やかな眼も銀灰の色。うっすらと笑みさえ浮かべて。

 千鶴はゲームの成績を確認してから端末を仕舞うと、口角を吊り上げた。

「ノー。ただのギャラリー。イイトコ見逃しちゃったけど」

 正直に答えるが、生徒会長は眉根を顰めてしまった。

「……いいご趣味ですね」

「てか、ぶっちゃけチェックしたかったんだよね。あんたの――白鳥佳奈の噂ってのを」

 言葉をどう受け取ったものか。

 鼻白む生徒会長こと、白鳥佳奈。

 その顔がなんだかおかしくて、千鶴は更に笑ってしまった。

「あたし、千鶴。琴城千鶴チヅル・キンジョウ。聞いてるっしょ? 一週間前にロンドン校からやって来た、期待の超新星ホープ。ああ、違うな、黒船来航ブラック・シップ?」

 言いながら、歩み寄ると。

 ポケットから出した右手を、差し出す。

「じゃあ、あなたが――『抱擁する者ファフニール』の適合者アクセプター

「イエス。ついでに言っとくと、あんたと同じA2クラスに配属予定」

 佳奈は、じっとこちらの手を見ている。取り立てて特徴があるわけではない。

 強いて言うなら、過剰侵蝕オーバーインヴェイドを防ぐ為の対抗咒刻カウンターカーヴが、捲った袖からびっしりと覗いているぐらいで。

「ま、あたし天才ジーニアスだし、すぐにA1に上がる予定だけど。それまでよろしくってことで」

 不意に。

 右手に違和感――あっという間に大きくなる。皮膚が押され、筋肉がねじれ、骨格が軋み始める。目に見えない、しかし強烈な圧力。

「……そのスカート丈とピンクのカーディガンは服装規定違反ですね。同級生の支援を怠ったのは救援規定に違反しています。その金髪は、まさかファッションのつもりですか?」

 言い募る佳奈の、銀色の瞳が俄に輝き始める。

 刃のように剣呑な、霊素エーテル光。

「へえ。マジメじゃん、優等生グッディ。その銀髪プラチナはファッションじゃない訳?」

「冗談はその落書きタトゥーだけにしてくださいね。劣等生バッディさん」

 安い挑発。

 千鶴は笑い、空いた左手を自らの胸元に突き立てる。伸びる爪がシャツを裂き、皮膚を破り、肉を抉り。

 心臓が――心臓に棲み着いた『抱擁する者ファフニール』が、俄に鼓動を始めると。

「ま、折角だしね。味わわせてよ――極東分校最強の、『八意思兼オモイカネ』の実力って奴を!」

 体の奥底から、得体の知れないものが湧き上がってくる。

 それはあるいは、力、殺意、食欲、そのどれか――もしくは全て。

 血管を伝う暴力的な衝動だけで、右手に纏わりつく不可視の力インビジブルを引き千切る。迸るような快感に雄叫びを上げながら、千鶴はそのまま貫手を突き出した。

 輝き始めた対抗咒刻カウンターカーヴが残光となって。

 衝撃波さえ伴う一撃は、しかし佳奈の眼前で火花を散らす。

「まさか、ですか? この程度の力で?」

(情報通り――念動力者サイコキネシスッ!)

 視界に映るもの全てを、文字通り把握し、制御し、粉砕する異能。不可視領域に座す叡智の結晶『八意思兼オモイカネ』が生み出す無形の斥力。

 ならば、の外に立てばいい。

「お楽しみは、これからだっつの――ッ」

 剥き出しの土を蹴って、上空へと舞い上がる。土煙で龍巻さえ描きながら、千鶴は佳奈へと襲いかかる。

 頭上、背後、右後方、正面下方、左後方――全ての死角から繰り出す、

 この地上でファフニールだけが組成できる“強欲なる黄金グリーディ・ゴールド”。

 全てを斬り裂く残虐な刃が、佳奈の白い頬を抉り込む――



「……あー。先生ね。一つだけ君達にお願いがある」

 佳奈は窓の向こう、校庭を囲うように植えられた木々を数えていた。桜、欅、ポプラ、それから……なんだか分からない、知らない品種。

 別に興味があった訳ではない。

 ただ、目に入れたくないものが、この面談室には多すぎたのだ。

「もうちょっと、話聞いてますよーって空気を出して欲しい。別に反省しろとかこっちを凝視しろとか言わないから。な?」

 そんなこと出来るものか。

 A2クラス担当教官である神宮司御来は、神秘学と近接戦闘を専門としている。

 年齢は二十八歳、身長一七六センチで痩せ型。教師にしては長い黒髪と、右眼を覆う黒革の眼帯が特徴的な青年である。

 もっと踏み込んで言えば、どんな時も――例え職員会議の最中でも――飄々とした態度を崩さない、大人の男性である。しかも奇跡的に独身で、だからきっと花嫁募集中なのだ、というのは半分ほど佳奈の願望であったが。

「……いや。てか、なんであたしが説教されなきゃなんないの? センセー」

 目に入れられないものその二が、不服そうな声を上げる。

「どーせ反省房セル行きっしょ? 早いとこ手続きしてくんない?」

 琴城千鶴――忌々しいことに、一週間に及ぶ適性試験の結果、A2クラスへの配属が決まってしまった。

 年齢は佳奈と同じ十七歳、身長も同じ一六二センチ。特別危険指定レッドラベル知性体、番号B一七二三『抱擁する者ファフニール』の体細胞移植を受けた、やはり彼女と同じ適合者アクセプター

 何のつもりなのか染めて二つに括った金髪と盛りに盛った睫毛、どこで焼いてきたのか小麦色の肌、首から足まで隈なく施された禍々しい意匠の刺青。あらゆる点で学園のルールを逸脱した態度の悪さは、劣等生という一言で片付けるのも憚れる。

 代謝促進パッチと包帯まみれの千鶴に、御来が笑いかけた。

「初めまして、ミス・キンジョウ。極東分校A2クラスへようこそ。ロンドン校の報告書レポートは読んだよ。向こうでも大分揉めたらしいね」

「ノー。あっちが勝手に絡んできただけだし。ちゃんと殺してないし」

 まったく悪びれない物言いに、佳奈は思わず彼女の横顔を凝視する。あり得ない長さの睫毛が、羽ばたくように揺れていた。

「んー。まあ、分かるよ。なんだかんだ殴り合いで物事を解決するのが学園スコラの流儀だしね」

 今度は咄嗟に御来を振り向いて。

「先生! ……教官として、その発言はいかがなものかと」

 私立辰星学園高校は確かに特殊な教育機関である。

 組織としての性格は、通常の学校はもちろん、一般的な軍事訓練施設とも異なる。

 理由は三つある――一つ目は、生徒達は全て、先天後天を問わず、超常的な能力を具えた“E抗体レジスター”と呼ばれる人種であること。二つ目は、彼らは皆、人類の天敵たる異種知性体、通称“人喰いイーター”と戦う事だけを目的とした教育を受けていること。

 そして最後の一つは――天敵である“人喰いイーター”でさえ、戦う為の武器にしようとしている、ということ。

「ああ、ごめん。今のは忘れてくれ」

 適当に手を振りながら、悪戯っぽい笑い方。

 それ以上何も言えず、佳奈は窓の外の校庭に視線を戻してしまう。

「ま、とにかく。先生が一つ言っておきたいのは、“力”の無駄遣いをするんじゃない、ってこと」

 どこか少年っぽさを残した、涼やかな声。

「君達の“力”は有限だ。使えば使うほど、“人喰いイーター”の侵蝕インヴェイドは進む。もちろん明日明後日の命って訳じゃないが、それでも確実に人間としての寿命は短くなる。完全に侵蝕インヴェイドされた奴は、当然ながらされる。まあ、嫌ってほど聞かされてるだろうけど」

 淡々と、教え諭すふうでもない言葉が、却って響く。

「出来るだけ長く、最高のパフォーマンスを保つ方法。それが、君達がここで学ぶべきことで、つまりは有用性の証明であって、まあ人生を充実させる……というか、何かを詰め込むスペースを、人生に作る為の方法って訳」

 ふう、と一つ溜め息。

「異論反論があれば言ってくれ。聞くだけは聞くよ」

 佳奈は迷わず挙手した。

「なんだい、白鳥」

「琴城千鶴の違反行為は彼女自身の評価を下げ、適切なパフォーマンスを妨げます。私は口頭で注意をしましたが、彼女は聞き入れませんでした。その為、やむを得ず実力行使に出ました」

 へっ、と鼻で笑う音。

「よく言うよビッチ。てか、あんたが先に仕掛けてきたんじゃん」

「証拠がありますか? 監視カメラの映像では、あなたが殴りかかってきていたと思いますが」

「タネ割れてるっしょ、エスパー。あんたのサイキックは証拠とか残んないし」

「裏付けのない主張は評価に値しません。そういえば、あなたは支給の携帯端末をクラッキングしてゲームを入れていますよね。それも校則違反です」

「今それ関係無いし。てか、その話がしたいなら、あんたの端末デバイスも、今ここで開く? あ、機密情報シークレットってのはナシだからね。あたしら、二人だけの同部隊所属者クラスメイトなんだし」

 彼女の発言はブラフだと、佳奈は見抜いていた。

 恐らくはこちらの態度から、画像フォルダの中身を推測したのだ。素行がどうあれ、A2クラスに配属されるだけあって、ただの無能ではないらしい。

 とはいえ、断じてこの場でを披露する訳にはいかない。

 佳奈の頭脳は全速力で回転する――

「あー。白熱してるところ悪いんだけど」

 御来のぼやきは一瞬で滑り込んできた。

「まあ、とりあえず、反省房行きは端末没収して初期化だから。バックアップも取るけど、今後重大な規律違反が無ければ閲覧されないし、まあ、どんな入れてあっても、大丈夫だよ」

 言葉に。

 佳奈は素早く振り向いた――何故か千鶴も、同じく。

「今のはセクハラです、先生!」

「おお。悪い、今のは忘れて、二人とも」

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