破:女は過去を捨てられず、死体は過去を持たない
ケチなチンピラ同士の争いでも、土地が絡めばそれなりの報酬が得られる。ヒキフネ・ストリートの土地整理を請け負った吾妻橋興業から、約束の額の七割が振り込まれたのは、予定より二日遅れての事だった。曰く、こちらが撒いた弾丸と血の後始末で工期が遅れるとか、ジャクソンズのメンバーが何人か意趣返しに来たとか。
暇が出来たら事務所に火炎瓶でも投げ込んでやろうかと考えながら、ナナミは引き落とした金を早速キンシチョウでドラッグに換えた。先日、無作法なディーラーを始末したお礼に、“
その他に適当な合成食品とアルコールを見繕って、ねぐらに戻る。おおよそ住居とは呼び難い、古ぼけた倉庫。かつては可燃性の物資を扱っていたらしく、妙に頑丈な造りをしている。だが、戦争をしているのでもなければ、重すぎる扉など単なる不便でしかない。
文句を言いながら扉をこじ開けると、妙な熱気が顔に吹き付けてきた。
「……うげ」
火を焚いているのでもなければ、暖房をつけているのでもない――そんな設備は元よりない――湿度の高い熱。
「まだやってたの、ソレ」
ナナミは、部屋の中心で激しく動き回る男を、半眼で見据えた。
見た目の印象は、ほとんど大道芸である。不規則に走り回る五体の高速ドローンの間を、ナインが一人踊っていた。球状のドローンから突き出た銃身が放つ赤外線に当たらぬよう、振り回されるスタン・マニピュレーターに捕まらぬように。
アンドロイドとはいえ、生体部品を使用した高級品になると汗もかくらしい。ようやく丸坊主を脱し始めた金髪が、雫を散らしていた。
「――ずっとやっていた訳では、ない」
言いながら、彼はまた一筋の赤外線を回避した――同時に、右手の拳銃をドローンへ向けながら。
「三十分ごとに、休憩を――挟んでいる」
「……そういうことじゃないよ。まあどうでもいいけど」
ナナミは呆れたまま、倉庫の隅にかろうじて形作った生活スペースへと向かった。スプリングの壊れたソファに身体を預け、薄汚れたテーブルの上に紙袋を放る。
どこからともなく聞こえるアラーム音。ナインが空中で蜻蛉を切り、移動するドローンの頭上にぴたりと片足で着地した。
「休憩の時間だ」
おもむろに瞼を閉ざし、僅かに乱れた息を整え始める。
「……座れば?」
「いや。スタビライザーを調整したい」
それは休憩ではないのではないかと思ったが、わざわざ指摘するのも馬鹿馬鹿しい。ナナミもいい加減、その辺りを理解しつつあった。
つまりは、それがこのナインという男――男性型人造人間なのである。機械のように正確で、機械のように融通が利かず、機械のように間が抜けている。
ナナミは溜め息を付くと、散らばった紙袋の中身から、白い粉の入ったパックをつまみ上げた。電子計量器で重さを確認し、一緒に買った蒸留水の中に溶かす。マドラーでかき混ぜると、水は見る見るうちに赤く色づいていく。
「……“
気付くと、ナインがこちらを見ていた。
「今日はパーティだよ。
「仕事の予定は無いはずだが」
ナナミは首を振る。
「楽しみたいから楽しむ。そういうモンだろ」
「それは構わない。私に君を止める権限はない。だが、発散の場がない時の君は、少し厄介だ」
ナインが珍しく、顔を曇らせるが。
彼女は構わず、ライダースジャケットを脱ぎ捨てた。注射器に溶液を吸わせ、左腕の静脈に差し込む。ゆっくりと、それこそ味わうように、ピストンを押し込んでゆく。
――その官能的な感触に、吐息が漏れた。
天使の亡骸から造られたと嘯くこのドラッグは、元は先の大戦での兵士のメンタルケアを目的に
苦痛や恐怖を遮断するのではなく、それらを拒否し動揺する精神の働きそのものを抑制することで、生命維持に必要な判断力や冷静さを確保する。そうして外部からの刺激に対する許容力を高めると同時に、内的なストレスにも対処する。戦闘に不可欠な暴力やその他の積極性に対する拒否感を弱めるのだ。
その結果、人はどうなるのか。
――気付くとナナミは、ほとんど全裸で床に転がっていた。
一つずつ、確かめていく。負傷はない。脱ぎ捨てたジーンズとパンツは天井のサーキュレーターに引っかかっている。シャツとブラジャーはたくし上げたまま。襲い掛かってきたドローンは全て電源ボックスを千切って捨てた。抵抗するナインを黙らせるには少し手こずったが、彼なりの仁義があったのか、幸い銃火器は使用されなかった。
意識も記憶もあったが、全ての出来事がまるで起こるべくして起こった自然現象のように思える。何もかもが仕方のない事で、彼女には変えようもない運命ばかりで、それこそ神の御心のまま、とでも言うような。
薬が切れてもなお、その感覚は薄れない。
「……ご機嫌だよ、まったく」
ゆっくりと、身体を起こす。汗やら何やらで、全身が酷くべとついていた。奥深い所に何かが淀んでいるのは、単に肉体的な疲労のせいだろう。とにかくシャワーを浴びようと、歩き出す。
「一つ質問をしてもいいだろうか。ミズ・マツシタ」
ナインは裸のまま床に座り込んで、彼女が壊したドローンの修理を始めていた。
「なに?」
「――アレックスというのは、一体誰のことだろうか?」
ナナミは肩越しに、彼を振り返った。
張り詰めたワイヤーのように引き締まった背中――その痛々しい爪痕は、確か彼女自身がつけたものだ――を丸めて、電源ボックスのプラグ交換に四苦八苦している。
「アタシが呼んだのか? その名前」
「行為中に、何度か」
ナインはやはり固い口振りで、ともすれば合成音声よりも――静かに、素朴に。
「聞き覚えがある名前だ。無関係かもしれないが、
彼女はしばらく、言葉を探した。疲労と副作用で思考が鈍っていたせいでもある。
「……昔の男さ」
結局、それだけ言って、ナナミはシャワールームへと向かった。
「なカナかサマになってキタンじゃないの? “ボニー・アンド・クライド”」
「
マイクの軽口を受け流しつつ、彼女は部屋の隅で埃を被っている木箱を覗きこんだ。一体いつからそこにあるのか分からない手榴弾の山。まさかとは思うが、一つ摘み上げて、信管の有無を確認する。
「お似合いジャン。カレは盾、アンタは矛」
マイクはホログラムを忙しなく追いかけながら、ナインの健康状態をチェックしていた。同時に記憶修復の手掛かりも探っていると言うが、どこまでやる気なのか怪しいものだ。
「上手いこと言ったつもり?」
「モー、つまんナイ。警視庁じゃユーモアの訓練は無かっタノ?」
「クソみたいなジョークを抜かす連中を黙らせるのが仕事だったからね」
言って、ナナミは部屋の中心へと目を移す。
作業台の上に横たわったナインは、相変わらずギリシャ彫刻のような佇まいだった。飛び交うセンサーの光を気にする風もなく、静かに目を閉じている。
「ンー……アトちょっと。なーんかキーが一個足リナい感ジ」
一際大きな立方体のホログラムを仰いで、マイクが溜め息を漏らした。
「役に立たないね」
「るっサイなー。龍泉寺が本気で作ったブラックボックスだヨ? クラックできたラ、ノウハウだけで億は稼げルヨ」
もちろん支払いまで命があればの話だろうが。
ナナミは、オレンジの光線で形造られた立方体がくるくると宙を回るのを、横目で眺める。それぞれの面は黒く塗り潰され、龍泉寺重工のロゴが一つと、社外秘を意味する言葉が十二ヶ国語で記されていた。
「……設計が分かってりゃ、機能の仮説ぐらい立ってるんでしょ?」
素朴な疑問を口にする。
「それがネ、よく分かんないノヨ。維持系統、戦力系統、通信系統、まァドレとも繋がってるんダケドね。全然トラフィックが無いシ、ソモそもコレまで利用されたよウナ形跡自体がまったく無くッテ」
「何それ。
マイクは細すぎる整形顎に手を当てて、人工睫毛をバサバサとやりながら、
「かもネ。もしくは、何かヲ入れル箱、とか」
開いた片手で、ブラックボックスの
「……終わったのだろうか?」
薄っすらと目を開けながら、ナインが呟く。こちらの碧眼は、天然物だろう――一体どうやって
「アア、悪かったネ、ナインちゃン。もうイイヨ」
マイクの態度はすっかり人間に接するようなそれだった。下手をするとこちらに向けるよりも甘い声かもしれない――なんでも、最近見たアニメのヒーローがナインにそっくりだったらしい。
「結果は?」
「全然問題ナシ。戦車の五台や六台ナラ鼻歌交じりに叩き潰せるヨ」
作業台から腰を上げながら、ナインが首を振った。
「鼻歌はまずい。こちらの位置を悟られる」
マイクが派手に吹き出す。彼の、そういう所が、また彼女のツボらしい。
「アンタら、ホントお似合いだヨ! チーム
「もうホント黙れよ、どいつもこいつも」
ナナミは唾を吐き、手の中の手榴弾を投げつける振りをする。
「……でもサ。さっきの話、冗談じゃナイよ」
「どれも笑えなさ過ぎて、何の話だか全然分からないけど」
マイクの大き過ぎる人工眼窩が、一気に半分まで狭められる。どうやら睨まれたらしい。
「“ボニー・アンド・クライド”までは言わナイけどサ。すッカり有名みタイよ。あの“
「何そのクソみたいな渾名」
こちらの文句は無視して、マイクが続ける。
「アンタ、“都落ち”したジャクソン一家と揉メタだロ? 奴らガ触れ回っタラしくて。この辺ノ悪党ドも、みィんナ“
ナナミはこめかみの辺りに重いものを感じて、指を当てた。
「あのタマ無し、次に会ったら寸刻みにしてやる」
マイクに言われるまでもなく、仕事のハードルが上がっていることには気付いている。一人ではとても処理できない依頼が持ち込まれることも増え、同時に手の込んだ妨害も増えた――アンドロイド対策をした連中の相手は、少々骨が折れる。ようやく
「ところで、ミズ・マイク」
放出品の軍用シャツを着込みながら、ナインが口を開く。
「ドシたの、ナインちゃン」
「今日、来客の予定は?」
珍しい質問に、マイクが眼玉をさらに大きくした。
「無イよ? エ、もシカシてデートのオ誘い? マジで? 友達からデモいイ? アタシ処女歴長イよ? 歴戦のソロプレイヤーだヨ?」
「なるほど」
べらべらと続けるマイクを無視して、彼は一人頷く。
「どうしたの、ナイン」
この地下深い“アトリエ”から地上へと這い登る為の階段。ナインは、その先にある扉を見上げていた。
「警戒状況だ、ミズ・マツシタ。推定五名が戦闘速度で接近中。音響分析に拠れば、一名が武装した兵士、残り四名が私と同系の
と、彼が言い切るよりも早く。
凄まじい轟音とともに、展性チタンの防護ドアが部屋に飛び込んできた。
「――――ッ」
ナインがそれを受け止め床に突き立てると、遅れてきた炎が扉に当たって弾ける。部屋の酸素は一瞬にして奪われ、轟音で聴覚と平衡感覚も潰される。
(ノックにしちゃ、随分荒っぽい――ッ)
ナナミは咄嗟に耳を塞ぎながら、胸中で叫んだ。
眼を回しながら、部屋の隅にあるダストシュートへと駆け寄るマイク。自慢の緑毛が火炎にあぶられ、ちりちりになっていた。
警告を発しようにも、声が届かない。距離にして僅か四メートルを、ナナミはほとんど跳ぶようにして駆けた。半ばまで穴に身体を突っ込んだマイクを何とか捕まえる。
何かしらの抗議を訴える彼女に首を振って、人工毛髪の火をもみ消し、それから近くにあった空のコンテナボックスを被せる。
(プロの遣り口だ。傭兵か軍隊)
恐らく、ダストシュートの下にも人員が配置されているだろう。換気口、搬入用エレベーター、排水口、全て同じ。一台の小型ドローンも見逃してはくれまい。
ナナミは腰の防護マスクを被りながら、ナインと目を合わせた。彼も同意見だったのだろう、無言で頷く。
(殺るか殺られるか)
階段から降り注ぐ劣化ウラン弾を、ナインが展性チタンのドアで受け止めた。ナナミは彼の元へと戻り――その役目を引き継ぐ。秒間何十発と叩き込まれる殺意の雨が、凶悪な重量となって肩を襲った。人間の骨格なら、十秒で押し潰されるだろう。
だが、それは杞憂に過ぎない――ナインが真っ直ぐに右腕を翳すと、シャツの前腕が弾け飛んだ。迫り出してきた擲弾筒を、左手で支える。
ほぼ同時に発射された三つの榴弾が、硝煙の残滓を振り払いながら、階段の上部で炸裂した――先程と同等か、それ以上の爆音と火炎が部屋に押し寄せる。
咄嗟に覆い被さってきたナインの下で、ナナミは歯を食いしばった。気合だけで扉に圧し潰されないように耐えるしか無い。
――やがて、全身を苛む衝撃と熱が退く。彼女は何とか顔を上げると、重すぎる扉の下から身体を逃がした。
「……何人仕留めた?」
「観測――損害ゼロ。こちらの出方を伺っている」
アルファチームにこのまま焼き殺されるか、ダストシュート下のブラボーに撃ち殺されるか、排気口のチャーリーに神経ガスを流されるか、排水路に控えたデルタに刺し殺されるか、どれかを選べということだろう。
ナナミは苦笑する。
「龍泉寺重工か。ようやくアンタを回収に来たんだね」
「可能性としてはそれが最も大きい。敵部隊は極めて練度が高い」
いずれこういったことも起こるだろうと思っていたが、想像よりも遥かに早く苛烈だった。ノックもなしに
「どうする? 古巣だよ、アンタには」
「現在の
何か甘い返答を期待していなかったと言えば、嘘になる。だが、あまりにも彼らしい杓子定規な返答に、ナナミはむしろ感動すら覚えてしまった。
思わず口元に笑みを浮かべてしまうほど。
「……いい子だね、ダーリン。それなら、
「イエス、マム」
ナインは頷いて、前腕のグレネードランチャーを格納した。両の掌を前に見せる形で上げると、機械的な速度で階段を上がっていく。その背中を見送りながら、ナナミは一度首を回した。軟骨が擦れる慣れた感触。
めちゃくちゃになった工作室の残骸を押し退け――ついでにマイクの安否を確認して――転がっているコンテナボックスの一つを確認すると、ナナミは迅速に行動を開始した。
そこから一歩を踏み出した途端、合計五つの銃口がこちらに向けられる。その結果で、音響分析の結果に間違いはなかったと、彼――個体識別名称ナインは確認した。センサー類の精度に問題はない。
「
はっきりと宣言する。
「……なるほど、なるほど。思ったよりも元気そうだね、
呟いたのは、男だった。二十代中盤。都市迷彩の
銃を持たない男が、一歩進み出てくる――包囲者の内、ただ一人の
この男が指揮官と見て間違いない。
「残念だけど交渉の余地は無いんだ。誤動作を起こした人造生命に対する特別措置法に基づく、自主回収だからね。
男が左手でサインを送ると、包囲網の中から一人が進み出てきた。女性型アンドロイド。恐らくはナインの同型機だろう。防弾マスクの向こうの目は暗褐色。睫毛の色から体毛は赤。アイルランド系か。
正面に立つと、女型は彼の両腕を掴んだ。そのまま、こちらに顔を近づけて、両眼を覗き込んでくる。視線介入による情報転送――“
――暗号名
その瞬間。脊髄神経系が訴えたのは、痛みのような感覚だった。人間であれば、ショック死をするようなレベルの感覚刺激。
衝撃は、経絡回路を繋いでいた
「な――にっ」
ナインは即座に戦闘行動を再開した。
火を吹いた三門の小銃が、
同時に宙を舞う、
ナインは拳銃を撃つような動作で、人差し指を向けた。爪形レンズが発した二〇〇ペタワットレーザーが、手榴弾の信管を撃ち抜く。続け様に中指から発射した光線で、
悲鳴もなく膝を付いた男へと、彼は跳びかかった――雨のように吹き付ける無数の銃弾をかわしながら。
指揮官が咄嗟に放ったのは、単分子振動ナイフ――鍔の無い投擲用だとしても、銃弾と速度が変わらないとは。ナインは三本の刃を躱しながら、更に一歩を踏み込んだ。繰り出した左腕は、既に六砲身のバルカン砲に切り替わっている。
人間ならば、かすっただけで爆散する銃火を指揮官は見切っていた。光学カメラでは追い切れない速度で射線をかわし、こちらの懐に滑り込んでくる。その手にも単分子振動ナイフが握られているのを、ナインは残像と音響分析から判断した。
同じく右手刀から前腕部にかけて展開した単分子振動ブレードで、指揮官の刃を受ける。それと同時に、二つの銃撃を躱し、最後の一つは甘んじて左肩に受ける。
「やれやれ。流石は我らが
打ち合わされたブレード同士が干渉し、超音波と共に火花を撒き散らした。
戦術予測補助システムからの警報。
微かな地鳴り。地中での爆発――
だが、スタビライザーが衝撃を相殺した一瞬に、指揮官は彼の視界から消えていた。残像のようにカーボンワイヤーだけを残して。頸部神経系統に損傷を負う前に、滑り込ませた左腕で絞殺具を防御する。
更に襲い掛かってくるアンドロイド達。
着弾。損害軽微。
(指揮官は
ナインはそれを理解した。相手は通常の人類ではない。
何らかの手段で肉体の限界を超越した、
システムの予測結果だけを根拠に、彼は右後ろの死角に腕を差し出す。そこに指揮官の男がいた――またしても触れ合った単分子振動ブレードが、甲高い音とともに火を噴く。
相手は反動を活かして、更にナインの背後へと回りこんで来る。締め上げられるカーボンワイヤー。突き込まれるブレード。主要神経系統を保護する内骨格にダメージ。彼は肩甲骨下のスラスターを展開した。瞬時の点火で、敵を牽制しながら距離を取り直す。
束の間の浮遊。ナインは空中で転身しつつ、右ブレードでワイヤーを切断。同時にガトリングガンを振り回した。
スラスターの
ナインは着地と同時に、再度敵へ向けて跳びかかった。
飛来するナイフは、しかし速度が落ちている。切っ先を脇に弾きつつ、背後へと回りこむ。彼は指揮官の首と腕を極めながら、残り三人の銃口の前に差し出した。
今度は本物の『
「――撃つなッ」
指揮官が叫ぶと、三名のアンドロイドが動きを止めた。銃口は降ろさないまでも、攻撃の予備動作は見えない。
首を抑えた腕を引き剥がそうともがきながら、指揮官が叫ぶ。
「いいかい。よく聞くんだ、
ナインは決して腕を緩めず、男の情報を咀嚼した。
『
「……レディ・レイはこう考えてる。これは君達
ナインは周囲のアンドロイド達――“
「あなた方の目的は理解した。それでは交渉だ」
「おいおい、論理回路もやられたのかい? その余地はないと」
質問を無視して、続ける。
「私の現在の
彼は宣言した。そして、相手の反応を待つ。
「……やれやれ。分かった、分かったよ。今の発言を保存して、法務部に申請する」
指揮官は、手首の端末に触れた。
「こちら調査部特殊対応課、久住重蔵チーフ。これから音声による契約の取り交わしを秘匿回線にて転送する。受理の上、裁判所に提出されたし。内容は――」
「内容には、試作機の運用試験の委託も付け加えといてくれ。ミスタ・ニンジャ」
声の出処は、彼らの背後――路地の出口の辺りだった。
ヘドロと血と煤にまみれながら、ナナミがマンホールから這い出してくる。
その顔には笑みが浮かんでいた。
「予定作戦時間よりも一分四十二秒の遅れだ、ミズ・マツシタ」
「悪いね。下水道の連中が、予想より二人多かった」
彼女は頭を振って、被っていた血の一部を払う。
その様が見えたわけではないだろうが、腕の中の指揮官――久住重蔵が呻く。
「……変わらないね、マツシタ元警部補。一応、精鋭のつもりだったんだけど」
「運が良かっただけさ。自分を責めない方がいい、“
ナナミはそう言って、肩をすくめた。
「しかし、驚いたよ。まさかレディの“
「こっちの台詞さ。あなたが
「……質問の手間が省けたよ。クソ――他人の空似じゃないってことか」
そしておもむろに、彼女は腰に差した二刀を掴む。
「それで? いい加減はっきりしてくれよ、久住チーフ殿」
「その方針には賛成出来ない、ミズ・マツシタ」
重蔵が何か言うより早く、ナインは口を開いた。
「却下。お前の
「イエス、マム。これは戦略的進言だ。龍泉寺重工と敵対するのは、控えめに言って無謀だ。あなたが確実に生き残るためには、私を彼らに引き渡すべきだ」
ナナミは首を振ると、おもむろに抜刀する。
二振りの刃にはそれぞれ銘があると、彼女は言っていた。
『岩切』と『首切』――師から譲り受けた古刀だと。
「別にダビデを気取るつもりはないよ。言ったろ。運用試験委託で手を打とうじゃないかってね」
笑う彼女の頬に、頭部から流れてきた一筋の血が滴る。
ナインに向けられていた銃口の一つが、ナナミを照準した。
彼女は更に口角を吊り上げる。
「勝手な真似をするなよ、アンドロイド共。ボスはお悩み中みたいだからね」
言い切って、ナナミは視線を上へと向けた。
「本気言ってるんだよね、マツシタ元警部補――いや、ナナミさん」
「つまんない質問だね。時間が無いんだろ? さっさとレディの足を舐めに行きな」
路地から除く、細長い空を見上げて。
「そろそろ来るんじゃない? 腹を空かせた“
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