第3話 アーミン・プレストン卿と暴走からくり執事
不肖ながら腰を痛めてしまいました。お屋敷に奉公して四十九年が過ぎようとしております。下男から始まり、従僕、執事としてプレストン家に仕えて参りましたが、寄る年波には勝てないようでございます。
執事室のベッドから起きあがれないわたくしは、部下である従僕のベンへ指示を告げます。そう、わたくしの代理として働いているのです。しかし気まぐれな旦那さまの動向を、ベンは読み取ることができません。
昼すぎ、半泣きでベンが大きなボウルをふたつ抱えてやってきました。なかには大量のカレーピラフが入っています。もうひとつにはキュウリのサンドウィッチ。ほとんど手をつけていません。
「ビクスビーさん、聞いてくださいよ! 旦那さまがたくさんのお客さまを連れてこられるっていうから、急いで料理人に作らせたのはいいんですが、来たのは猫軍団じゃないですかっ! 無駄骨だったと料理人にさんざん絞られましたよ」
わたくしはつとめて冷静に答えました。部下の怒りに同情しつつ。
「どのお客さまと、お聞きしなかったのかね」
「てっきりオズボーン氏とそのお友だちかと。いらっしゃったのはパトリシア嬢と侍女でした」
「旦那さまは無類の照れ屋なのだ。決して婚約者、とはお呼びしない。だがパトリシア嬢のときは、右の鼻の穴が若干、大きく膨らむ。観察不足だな、ベン」
「そんなのわかるほうがおかしいで――あいてっ!」
わたくしは生意気な部下へ、軽いげんこつを食らわせてやりました。わが身の未熟さを反省しない愚か者でございます。
准男爵を兄に持つ内科医クック氏の娘、パトリシア嬢。三年前、黒猫を拾ったことをきっかけに、旦那さまの婚約者となられたとてもお若いご婦人です。十一歳でいらっしゃいます。それはもう、猫が大好きな令嬢でございまして、黒猫エリザベスだけでなくお屋敷には十五匹もの弟妹たち――あくまでも令嬢がそうおっしゃるのですが、ただの猫でございます、もちろん――が、住んでいるのです。
お屋敷を訪問されるたびに、弟妹たちを連れてこられるものですから、掃除の手間がかかります。ハウスメイドにやる猫手当がばかにならないのは言うまでもありません。しかし、あるじの婚約者の愛猫を無碍にするわけにはいかず。
「ビクスビーさん、早くよくなってくださいよ。俺、旦那さまの行動が読み取れなくて、さっきも叱られました。おまえは要領が悪いぞ、って。けど、どう考えても変人な旦那さまのほうがおか――うぎゃっ!」
わたくしはスリッパを思いっきり、ベンの頭に叩きつけてやりました。「この減らず口め」と言いながら。
そのときです。玄関の呼び鈴が鳴りました。すぐさまベンが執事室を出て、玄関へと上がっていきます。
やがてもどってきた彼が言いました。
「ビクスビーさん、旦那さまとオズボーン氏がお呼びです」
腰を痛めたわたくしは、杖をつき、ベンの肩も借りながら、ゆっくりと裏階段を上ります。やっとの思いで旦那さまのいらっしゃる図書室へ足を踏み入れると、鈍く銀色に光る物体がありました。人間の三倍ほどの大きなそれは、四角い箱が管で繋がれています。まるでブリキのおもちゃのように、顔と胴体、腕と続き、下は小さな車輪が三つついています。まるで不恰好な馬車のようではありませんか。
「おお、ビクスビー! 腰は良くなったかい?」
ぱっと両腕を挙げながら、オズボーン氏がおっしゃりました。まるで友人のようにお優しく。しかし、わたくしは警戒せずにおられません。旦那さまの腐れ縁な悪友である氏が、何かたくらむときは決まって嘘くさい笑顔なのですから。
単純な旦那さまは得意満面でいらっしゃいます。
「オズボーンのやつ、画期的な商品を貸してくれると言ってな。まだ試作段階だが、夢の道具、『からくり執事』だそうだ」
「か、からくり執事……で、ございます……か?」
「そうだ。人間の代わりとして、石炭を入れるだけで働く優れものだ。蒸気の力で歯車を回し――ええーと、仕掛けは僕もよくわからないんだが、とにかくオズボーンの従弟が発明したそうだぞ」
白い歯を輝かせながら、オズボーン氏は言いました。
「そうさ、僕の叔父はオーブンレンジを作る工場を経営していてね。学者肌の従弟が開発と研究をしている。そのひとつが、未来の使用人『からくり執事』なのだ!」
一瞬、冗談かとわたくしは思ったのですが、氏の目は輝いています。本気です。
「しかしなぜ、試作品を――」
とわたくしは口にしかけて、はっといたしました。
――老執事の代わりなのか!
目のまえがくらくらします。四十九年もの長い、長いあいだ、プレストン家にお仕えしたというのに、がらくた執事――いえ、失礼。からくり執事に職を奪われようとは。微塵たりとも想像できたでしょうか。
「おい、ビクスビー。そう案ずるな。あくまでも試作品だ。僕が使ってみて、その感想をオズボーンに伝えるだけでいいんだぞ。俗にいう、無料プレゼントということだ。やったね!」
「……旦那さまはいったい、何を案じられたのでしょうか」
「決まってるじゃないか。猫手当で赤字状態だ。まさしく画期的な発明品に感謝だな」
「まさか掃除をさせるのですか? しかし腕があっても指がございません。あるのはフックのような輪だけでございましょうに。ホウキとチリトリを持てるのでしょうか」
オズボーン氏が不敵な笑みを浮かべられました。
「フックではない。洗濯バサミのように物をつかむんだ。実演してみせよう。おい、きみ、石炭を持ってこい。バケツ一杯ほど」
「かしこまりした」
ベンが階下の石炭貯蔵庫へ向かっていきました。今は夏ですから、暖炉に火はついておりません。やがてバケツを持ったベンがふたたび現れ、オズボーン氏に命じられるまま暖炉に石炭を投入し、火をつけました。
オズボーン氏は赤々と燃える石炭をスコップですくい、からくり執事の背中にあたる部分の蓋を外します。石炭はガラガラと音を立て、食物のようになかへ入っていきました。つぎは四角い頭の天辺を開き、やかんで水を注ぎます。
オズボーン氏は胸の部分にある取手のようなものを、押し下げました。
「掃除をさせたければ、青いレバー。給仕は、赤いレバーだ」
やがて地の底からうなるような音を出しながら、からくり執事は小刻みに震えます。
きりきり、がらがら、ぷしゅん、ぶっしゅん!
奇妙な騒音とともに、からくり執事が動きました。そのさま、瞬速!
ホウキとチリトリをぶんぶんと振り回しながら、図書室を突っ走ります。埃が舞い散り、ごうっと風が吹くような勢いで直進しました。
あまりの突然の動きに、わたくしだけでなく旦那さま、なぜかオズボーン氏まで驚きの声をあげました。ベンは硬直して使い物になりません。
と、今度は甲高いご婦人の悲鳴のような音を発します。
な、なんということでしょう!
からくり執事は図書室の壁に激突する寸前で、ぴたっと動きを止めたのです。
「す、す、す、すごいぞ、オズボーン!」
興奮する旦那さま。
「ぼ、ぼ、僕も驚いた」
「動かしたことがあるから、実演したんだろう?」
「いや、じつは初めてで……。なにせ、一度動かすと、三日間ほど機械を休ませないといけない。歯車を整備する必要があるんだ」
「え? ということは、あと三日しないと動かせないとか?」
「もっちろん!」
得意げに腰に手をやる氏に、わたくしと旦那さまはがっくりとうなだれました。
あまりにも使い勝手が悪すぎる、未来の使用人でございます……。
物置小屋行きになりかけたからくり執事でございましたが、間抜けな部下、ベンまで腰を痛めてしまいました。休憩時間、丘でサッカーをしておりましたが、ボールを高く蹴りすぎ、銀杏の大木へひっかかってしまったのです。ボールを取りにいったベンは、木を上ったまではよろしかったのですが、枝が折れてしまい、そのまま草むらへ落下したのです。
あいにくその夜――本日はクック氏が晩餐にいらっしゃる日。そう、婚約者パトリシア嬢のお父上でいらっしゃいます。
給仕係のわたくしとベンが使えないため、晩餐会は中止にしようか、という話になったとき、旦那さまはひらめいたようにおっしゃったのです。
「そうだ、からくり執事がいるじゃないか!」
「ええ? 瞬速給仕でございますよ?」
「いや、あれは掃除を選んだときだ。給仕ならさすがに瞬速はありえないだろう」
「まずお試し――は無理でございますね。三日間、使えなくなるのですから」
「ようし、決まれば話は早い。さっそく、メイドに言って準備させろ、ビクスビー」
「かしこまりました。ほんとうにだいじょうぶでございましょうか……」
一抹の不安を抱えながら、わたくしは杖をついて使用人ホールへ行きました。
その夜、クック氏がお屋敷を訪問されました。パトリシア嬢とごいっしょに。
メイドが席まで案内し、わたくしは食堂の隅で晩餐会のようすを見守っておりました。給仕は無理でございますが、メイドへ指示を出すことはできますゆえ。
しかしからくり執事はどういたしましょう?
クック氏は目を丸くして、巨大なブリキのおもちゃのような機械をしばし見つめられました。旦那さまが堂々とおっしゃいます。
「オズボーン商会からお借りした、未来の使用人、からくり執事です」
「は、はあ。これはなんともまあ、面白い試みですな。給仕をさせるのですか」
「ええ。話の種にもなりますしね」
パトリシア嬢は指を合わせ、目を輝かせました。
「まあ、かっこいい! お友だちにも自慢できますわ!」
無邪気なお嬢さまらしいお言葉でございます。
さっそくメイドが燃える石炭を背中に入れ、頭に水を注ぎます。赤いほうのレバーを押し下げしばらくたつと、ぐぉん、ぐぉん、とまるで地鳴りのような奇妙な音がしました。クック氏は顔がひきつり、パトリシア嬢は好奇心いっぱいの視線で見つめてられています。
蒸気機関車のように突如、真っ黒な煙をもわっと吐き出し、からくり執事は動き出しました。メイドやわたくしが差し出した皿を、輪っかで挟んで受け取っては、テーブルへ直進します。すごいのは直前でぴたりと止まり、すばやく皿を置くことです。
しかし配膳まではできないようで、同じ位置に料理の入った皿を積み上げていきます。慌ててメイドが止めようにも、あまりの瞬速さで手がつけられません。どんどんうずたかく皿が重なっていきます。
「げほ、げほ、すごい煙ですな!」
クック氏は煙に参られたようです。ハンカチを口もとにあてられ、窓を開けられました。旦那さまも咳きこみながら、詫びられます。
「話の種どころではなかったですね、申しわけない、ごほっ!」
煤煙がもうもうと食堂の視界をさえぎるほどに吐き出されます。旦那さまもわたくしもパトリシア嬢もメイドも咳きこまずにおられませんでした。
すべての皿を運び終わったからくり執事は、気の抜けるような音を出しながら動きを止めました。がちゃん、とレバーが自動的に上がります。
窓から煙が出ていき、燭台の光に照らされた晩餐は見事に煤けておりました。もちろん、旦那さまとお客さまのお顔も真っ黒です。メイドがすぐに濡れたタオルで、お顔を拭きました。
さあ、食事をと思ったのでございますが、高く皿が積み上げられておりますから、メイドが背伸びをしても手が届きません。仕方なくもっとも背が高い、旦那さまが頂上の皿から一枚ずつ取り、テーブルへ並べ直しました。どの皿も炭色の粉がどっさり降りかかっております。
「食えませんな……」
残念そうにクック氏がおっしゃると、旦那さまはうなだれました。
「少々、演出しすぎたようです。せめてデザートだけでも――ああ、レモンパイまで給仕されてる!」
もちろんレモンパイも、真っ黒焦げのような炭色です。旦那さまは涙声でクック氏に訴えられました。
「来週、また晩餐会を開きますから、どうかいらしてください」
「ええ、楽しみにしておきます。それにしても、噂どおりの貴公子ですな。娘と気が合うからと思っておったのですが」
「ですが?」
「年齢差もかなりありますし」
「……」
「では、ごきげんよう、プレストン卿」
「ねえ、お父さま、もう帰るの?」
「早く帰って、うちのメイドに夜食を作らせないとな」
「からくり執事さん、面白かったわ。うちに連れて行ってもいい?」
「だめだ、だめっ! まったくもう、おまえは奇妙なものばかり欲しがる。いたずら猫といい、からくり執事といい、プレストン卿といい、扱いがむずかしいものばかりだ」
クック氏はこめかみに青筋を立てながら、パトリシア嬢を引っ張るようにしてお屋敷をあとにされました。
旦那さまは煤けた食堂でしばらく放心してらっしゃいました。
わたくしの腰痛はすっかり良くなったのでございますが、旦那さまはお元気がありません。煤けた晩餐会がクック氏との仲を悪くしてしまい、晩餐会は欠席のお返事。あれからパトリシア嬢との交流も途絶えてしまいました。
そして旦那さまは気がつかれたようです。ご自身もパトリシア嬢が好きだという現実を。歳の差があろうが、奇妙なものに惹かれ合うその性質、まさにお似合いです。
欠陥品だということで、オズボーン氏を呼んで苦情をならべるのですが、氏は涼しい顔をして言われました。
「それは災難だったな。しかしぶっつけ本番するほうもどうかしてるぞ。掃除編で暴走したのを目撃したというのに、大胆なことを」
「とっとと持ち帰って、クック氏にわびてこい! オズボーン商会の欠陥品でしたと言え」
「無茶言うなよ。試作品だぞ。それを安易に使ったきみがさらに非難されるだけだろうに」
「それはそうだが、あまりにもできそこないすぎる。煙を吐きすぎだ」
「蒸気が動力だから、仕方ないか……」
すっかりつむじを曲げた旦那さまは、それきり氏と口をきかれませんでした。
そんな寂しい日々が三ヶ月すぎたでしょうか。冬が間近に迫ったころ、クック家のメイドがお屋敷の階下へやってきました。わたくしを訪問するためにです。
交流を断ったはずですが、いったいなんの用件かと問いますと、メイドは言いました。
「あの、パトリシアお嬢さまの言伝です。からくり執事を貸していただけませんか」
「はあ? あの超絶欠陥品を?」
わたくしはいつぞやの悲惨な晩餐会を思い出し、断りました。しかしメイドはあきらめません。
「あたしも欠陥品の噂は聞きましたけど、お嬢さまがおっしゃるんですから、連れて行かないと怒られます」
「しかしなんでまた」
「従僕が怪我をして、湯を運ぶ者がいないのです。あたしたちがやったら、力が足りないものですから、冷めてしまって」
どうやらメイドの話によると、クック氏は大のお風呂好きでいらっしゃいまして、お仕事から帰宅されたあと、熱々の湯船につかるのを楽しみにされているそうです。そのお楽しみが従僕が骨折したことでぬるま湯になってしまい、不機嫌でいらっしゃるとか。ぷんすかとメイドだけでなく、妻や娘にもあたられるものですからたまりません。代わりの従僕を雇おうにも、なかなか力のある者が見つからないとも。
パトリシアお嬢さまが、からくり執事を拝借したいとおっしゃった理由がそれでございます。
ならば、とわたくしはさっそく旦那さまにお話し、物置小屋に放置していたからくり執事を出動させました。また瞬速暴走してはならないと、わたくしだけでなく旦那さまもごいっしょです。
あくまでも同行は口実で、ひさびさにパトリシア嬢にお会いしたいというお気持ちなのでしょう。わたくしだけでなく周囲の者みな、知っているのは言うまでもございません。
町外れの丘にクック氏のお屋敷はありました。ベンがからくり執事を縄で引き、わたくしが背中を押します。旦那さまがステッキを手に、さらに後ろを歩きます。足が三輪なので荷車に乗せる不便がないのが、彼のゆいいつの取り柄でしょうか。
お屋敷に到着すると、さっそくからくり執事を裏口から地階の洗い場へ移動させます。そこには大量の湯が常時沸いており、飲用だけでなく浴用にも使います。わたくしが石炭をからくり執事に充填しているあいだ、ベンが階段に長い板を置きました。からくり執事が階段を上がれない代わりに、板の上を車輪で走るのです。
旦那さまはむずかしいお顔をしながら、じっとからくり執事の動きを見守っていらっしゃいました。
「今度こそ、大活躍してくれよ。パトリシア嬢に顔向けできるようにな」
そう話しかけられた直後、勢いよくからくり執事が蒸気を吹き出しました。同時に真っ黒な煙も。
さあ、始まりました。旦那さまが赤いレバーを倒すと、からくり執事は熱湯の入ったバケツを持って、疾走します。車輪がぎゅんぎゅんと音を出しながら、猛烈に。
クック家の使用人たちは目を丸くして、からくり執事を見ていました。その驚いた顔といったら! わたくしは笑いをせいいっぱいこらえます。
二階にある浴槽にはメイドたちが待機しており、からくり執事が持ってきたバケツを受け取って、湯を入れます。あまりにも矢継ぎ早に持ってくるものですから、屋敷のメイドたちは汗まみれ。もちろん、洗い場にいる料理人や部下のメイドたちも、休む間もなくバケツに熱湯を注がなくてはなりません。
絶好調のからくり執事。得意になった旦那さまは、さっそくわたくしとともにパトリシア嬢と再会いたしました。からくり執事が行き来する廊下で、猫を抱いたパトリシア嬢がおっしゃいます。
「ありがとう、プレストン卿。お父さま、今夜こそごきげんを直していただけるわ」
「僕のほうこそ、お役に立てて何よりです。それにしても三ヶ月お会いしないうちに、また少し大人っぽくなられましたね」
「そうよ。わたし、十二歳ですもの。やっと結婚できる歳になりましたわ」
旦那さまはお顔を真っ赤にされます。
「……そ、その。えっと。お父上とのお約束まで、あと三年あります。急ぐことはありませんから、ゆっくりとまたお茶でもごいっしょに……」
「ええ、今度おうかがいします」
「よかった!」
喜びのあまり旦那さまはパトリシア嬢を抱きしめられる――かと思ったのですが、ぐっとこらえつつ、笑顔だけを返されました。紳士たるもの、すぐに手を出すような無粋な真似をしてはならないのです。
そのときです。からくり執事の轟音に恐れをなしていた猫が、ぴょん、とパトリシア嬢の腕のなかから逃げ出しました。
「危ない、クリストファー!」
茶色のトラ猫と、空のバケツを持ったからくり執事があわや衝突!
パトリシア嬢が悲鳴をあげます。
老体のわたくしは、助けようにも身体が動きません。
ほんとうは猫が嫌いだから動かないだけだろう、という無粋な突っ込みはなさらないでくださいませ。わたくしは心のなかをすべて語ってはおりません。物語とは秘密があってこそ、美しい世界なのです。
などと、わたくしが思考しているほんの一瞬。
旦那さまがトラ猫を突き飛ばし、代わりに、からくり執事と派手な音を立てて衝突してしまったのでございます。
「旦那さま、おかげんはよろしいでしょうか」
わたくしはいつものように、朝、新聞と紅茶を寝室へお持ちしました。
「まだあちこち痛いが、気分は最高だ! あと三年でパトリシア嬢と結婚できるものな。クック氏から頭を下げてきたんだ。怖いものはない!」
上機嫌で旦那さまは、ギブスされた右腕と右脚をこつんと叩かれました。
そうです。トラ猫を救った旦那さまの勇気にクック氏は感銘を受けられ、プレストン卿なら娘を生涯、大事に守ってくれると確信されたのです。
いっぽうのからくり執事でございますが、物置小屋にあったのをオズボーン氏が引き取りに来られ、つぎはべつのお屋敷へ試作品を貸し出すとのことです。
あの暴走瞬速執事を、と旦那さまは首をかしげられたのですが、わたくしは理由を存じておりました。
パトリシア嬢との絆を強められたことで、クック家の使用人たちがある噂を広めたのです。
『からくり執事は恋する紳士のキューピッドだった』のだと。
あの無骨な巨体が物置小屋を占領していたのを、苛立たしく思っていたわたくし。偶然とはいえ、とびきりの朗報だったのは言うまでもございません。
おわり
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