第9話
「ここ
老執事が案内した〈小座敷〉。
なるほど、前回、見逃したはずだ。
邸内には階段が2か所ある。玄関ホール後ろと奥の大食堂前。
その奥の方の階段の横に細い廊下が伸びていてフランス窓が庭の緑を映していた。だからてっきり庭園へ抜ける通路と錯覚した。だが、その窓の前に行き着くと階段の裏に更に下へ続く階段が見えた。
異口同音に叫ぶ探偵と助手。
「山浦邸には地階があったんですね!」
「地下室! そうこなくっちゃ! なんか、ドキドキしてきた!」
階段を降りると足を止めて、珍しく
「そのぅ、なんと申しますか……ここは色々な意味で〝特別〟でして……いわば旦那様が遊び心でお造りになったお部屋です」
「ほう?」
観音開きの扉を入ってすぐその理由がわかった。
山浦邸は欧州の何処へ出しても見劣りのしない完璧なアールデコ様式だったのだが。
この部屋はなんと畳敷きなのだ。
純日本様式なら、庭の茶室が絶賛されている。しかし、邸内にこう言った和洋折衷の部屋があるとは……!
だが、これもまた前当主・
ざっと見て、広さは三十畳ほど。
〈小座敷〉という名称はともかく、その構造が面白い。
「これは……聖堂、しかも、
床は畳敷きながら、壁から天井は
さもありなん、飾ってある絵がまた凄い。息を飲む探偵の傍らで小諸は恐縮した。
「……お気づきの通り、ここにあるのは全て〈
それはそうだろう。これが全部〈真作〉だったら我が国の財政が破綻する。とはいえ――
「選択が実に素晴らしい! 流石、邦臣氏だな!」
正面がかのレオナルド・ダ・ヴィンチの〈最後の晩餐〉。
取り巻く左右両側の壁は十二使徒で埋められている。
「しかも、どれも名作ぞろいだ! レンブランド、カラヴァッジオ、ラ・トゥール、ギルガンダイオ、エル・グレコ……」
「へえ? そうなの? 僕には描かれた使徒も、描いた画家も、誰が誰だかさっぱりわからないや」
地下室と聞いて想像していたものとは違ったのだろう。落胆の声を滲ませる助手。片や探偵は心から褒め讃えた。うっとりと360°眺め渡して、
「レプリカとはいえ素晴らしい
「そうおっしゃっていただけて旦那様もあの世でさぞ満足されておられるでしょう」
この座敷は、と執事も室内を見回しながら説明した。
「旦那様が気の置けないご友人と宴を設ける際ご使用になられた、言わば〈宴会場〉です」
古くからの馴染みの商店主や職人、同級生、同郷人……
「なるほど、肩の凝らない仲間の宴にはぴったりだな! ここでの饗宴はさぞ、楽しかったことでしよう」
「はい、おっしゃる通りで」
この邸が完成した際の祝いの宴が格別だった、未だに忘れられない、と執事は目を細めた。
「私も、同席させていただきました。そうだ――その時の写真があります。ご覧になられますか?」
「それは興味深い! ぜひ!」
一旦退出した小諸、冊子を抱えて足取りも軽く戻って来た。
「どうぞ。カメラがご趣味の旦那様がお撮りになったものです。ご列席の皆さまにも焼き増しして差し上げました」
楽しい一夜に集う仲間たちが写っている。邦臣の写真の腕前は玄人はだしだ。
《最後の晩餐》の前に会した全員の集合写真の他に、一人一人スナップ写真がきちんとアルバムに整理して貼られていた。総勢20名。
「?」
すぐ、あることに気づいて興梠は顔を上げた。
にこやかに微笑んで一緒に覗き込んでいた執事に確認する。
「これは、
「はい、さようで」
「では」
素早く頁を繰る。
「これが、庭の茶室や
「その通りです。むむ? どうしておわかりになったんですか?」
老執事は目を見張った。
「貴方は、
「ほんとだ? どうして? ねえ、教えてよ! 興梠さん!」
可笑しそうに探偵は笑った。
「いや、大したことではないんですよ。種明かしをしましょう。実はね、貴方の写真を見て気づいたのです」
興梠は座敷の片側の壁を振り返った。
「貴方の背景の絵は――あの
「ええ。旦那様がそこに立つよう指示なさったんです。それが何か?」
「そうだろうと思った! 邦臣氏の
ペテロは使徒の中でもっとも古くから仕え、常に側近くにいて行動を共にした、一番信頼厚き使徒です――貴方にぴったりですね?」
「――」
「じゃ、これは? こっちの絵は?」
待ち切れない様子で
「聖トマス。大工だよ。ラ・トゥールのこの絵では大工を象徴する尺(定規)を持たせてある」
「凄いや! だからか! この人が大工=棟梁だと読み取ったんだね!」
助手は頬を染めて拍手喝采した。
「流石、絵画に詳しい興梠さんだ!」
執事も感動を隠さない。
「いや、まったく、お見事です!」
「ハハハ」
照れながらも興梠の舌は滑らかだ。
「きっとこの絵の前に立つのは税理士もしくは金融業をなさってる方で、こちら3人は商売をやっておられるのでは? それも反物やアクセサリー、この人は絨毯、敷物、織物関係かな?」
「あ、そう言えば……邸内の階段全てに、ため息が出るくらい高雅な絨毯が敷き詰めてあったなぁ!」
すかさず志儀が指摘した。こういう所、流石、海外に人気のレース会社〈海府レース〉の御曹司ならではの視線である。
「そう、バーガンジーの色合いも素晴らしかったね!」
同意して、更に続ける探偵。
「この人は、本屋もしくはジャーナリストとか出版関係? こっちの御仁は漁師や生魚卸し業、または魚屋で、この人は教師か文筆家でしょうか?」
使徒マタイは税吏、小ヤコブは反物商人、ヒリポは帽子屋、インク壺を持つヨハネは記者、聖ヤコブ、アンデレは漁夫出身なのだ。最後に言及した使徒タダイ、シモンに至っては――大きな声では言えないが、熱弁家や
「その通りです! 当たっていますよ! いやはや…… 名推理、感服いたしました」
「『芸術訊け!』……肝心の邦臣氏の最後の言葉の意味もこんな風にスラスラ解ければ言うことないね!」
「グ」
助手の言葉に我に返る。そうだ、こんなことで有頂天になっている場合ではなかった。興梠は静かにアルバムを返した。
いよいよ締め括りの質問をする時が来たのだ。
「小諸さん」
姿勢を正して、興梠は呼びかけた。
「これを持って、僕の、山浦邸での調査は終わりました。小諸さん、貴方がいてくださって本当に良かった! 改めて御礼を言います。ありがとうございました」
「とんでもない」
「それで――もう一度、最後に改めて確認させてください」
「どうぞ、なんなりと」
「邦臣氏の臨終の言葉〈芸術に訊け〉の真意について、
暫く間を置いて、小諸は応えた。
「いいえ。まったく見当もつきません」
「では、邦臣氏が飼っておられた白猫のことですが、
これには即座に首を振る。
「いいえ。何処にいるか存じません。昨日も申しました通り、広い邸の敷地内にいるか……でなければ、とっくに他所へ逃げたのでしょう」
「亡くなる前に、邦臣氏は誰かとお会いになったりはしませんでしたか?」
これが一番肝心な質問だった。
執事はピンと身を起こした。
「は?」
「つまり、臨終間際の数日間に、病室に
「いいえ。
きっぱりと執事は否定した。
「旦那様がお亡くなりになるまでの間、ご家族以外に病室でお会いになられた人は一人もおられません」
「そうですか」
探偵と助手は山浦邸を辞去した。
☆レオナルド・ダヴィンチ 《最後の晩餐》と十二使徒
www.vivonet.co.jp/rekisi/b04_christ/apostles.html
☆ラ・トゥールの《聖トマス》
collection.nmwa.go.jp/P.2003-0002.html
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