第7話

「それで――何か見つかったの? 邦臣くにおみ氏の残した最後の言葉の意味……そこに繋がる美術品(アート)……」


 丘の上の洋館――元大医院で現在の探偵社――に戻った二人。

 夕食も終え、風呂に浸かり、パジャマに着替えてすっかりリラックスした探偵助手はホットミルクをすすりながら訊いた。

「う~ん、わからないな」

 首を振る探偵。こちらの手の中にはブランデー。ブッカーズをちびちびやっている。

「フフ、美術品を鑑賞するだけで胸がいっぱいで、とても謎なんか解いてる余裕はないってのが本音じゃないの?」

「まあね! どれも素晴らしい超一級の芸術作品だ! 目と心の保養になったよ」

 探偵は素直に認めた。

「大きな声では言えないがね、依頼金どころか、こちらが料金を払ってもいいくらいだ」

「すぐそれだ! ったく、興梠こおろぎさんは欲がないんだから」

「いいさ!」

 チェイサーに手を伸ばして興梠はクスクス笑った。濃密な琥珀の液体にほんの少し水を注ぎ足す。

「人には2種類の人間がいる。金を欲する人間。愛を欲する人間」

 真面目な顔に戻って助手を見つめる。

「君も後者だろう、フシギ君?」

「あの子もね! 末國すえくにりえさん。りえさんは財産よりも白猫との平穏な暮らしを夢みてる……」

「おっと――」

 探偵の膝に飛び乗って来た、その白猫・・・・

  (『芸術アートに訊け』か……)

 ぎこちない手つきで背を撫でながら興梠は少年に訊いた。

「君はどう思う?」

「ふぇ?」

「《芸術に訊け》の意味だよ。君ならどう解く? 」

 腕を組み、鹿爪らしい 顔で志儀しぎは応えた。

「うーん、誰に向けて言ったか、に因るな!」

「ほう?」

「『ありがとう』は、これは簡単だ。邦臣氏は最後まで傍にいてくれた一人娘、りえさんに言ったんだ。死ぬまで楽しい日々をありがとう。そして、あとの『芸術に訊け』が長男への言葉なら――」

 少年助手は意外なことを言った。

「心を入れ替えろ、って意味かもね」

「?」

「いや、僕もね、ホントは隠し財産を示唆する暗号なら面白いって思ってるけどさ」

 唇についたミルクの泡を勢いよく吹き飛ばして、志儀は言うのだ。

「さっき、興梠さん、今日一日山浦やまうら邸の美術品を見て、目と心の保養になったって言っただろ?

 それ聞いて僕、思ったんだ。あの長男、英和ひでかずさんはさ、財産とかお金のことしか頭の中にない。あれほど美を愛し美術品を収集した父親の邦臣氏としては、情けなく思うはずだよ。だから、芸術を芸術として理解できるように、もっと精進して、豊かな心になれ、芸術に学べってこととも取れるなって」


『芸術に訊け!』

 芸術は語る……芸術に学べ……


「なるほどな! 珍しくいいことを言うじゃないか、フシギ君! 君が口にするのは毒舌だけじゃないんだな! 見直したよ!」

「いや、貴方あなたのが今日一番の毒舌だよ」

 さっきから、壁を引っ掻く凄まじい音が鳴り止まない。耳障りなそれは黒猫を隔離している部屋から聞こえて来ていた。

 口を閉ざし、暫くその音を聞いていた興梠響こおろぎひびき。やがて顔を上げると、言った。

「フシギ君、さっきのは毒舌じゃない」

「や、やだな、冗談だよ、気にしてたの?」

「実はね、僕はもっとひどいことを言わねばならない」

「え?」

「まだ確信には至っていないが。今日、山浦邸を見て回って感じていることがある。君は僕の助手――相棒だから、この際、包み隠さす言っておこう」

 もう一口、バーボンを喉に流し込んで探偵はグラスを置いた。

「りえさんの直感は当たっているかも知れない」

「どういうことさ?」

「うむ、君がやったように僕も分析してみた。

 邦臣氏の最後の言葉が誰に向けられていたか。それで意味は変わる。全く、その通りさ。

 で、『ありがとう』も、次に続く『芸術に訊け』も、二つともりえさんに向けた言葉だとしたら?」

 少年の答えを待たず、畳みかけるように一気に探偵は言った。

「邦臣氏の置かれた立場を考えてみたまえ。

 邦臣氏にとって、りえさんはかけがえのない愛しい娘だ。

 死ぬまで一緒に過ごせた。それは幸福なことだが、それと引き換えに全財産を息子に譲るという遺言書を書かされた。

 いよいよ死にひんし、別れの時が来て、愛娘を一人残していくのはどんなにつらく心残りだったろう? もっともっと良くしてやりたい、できる限りたくさんの物を残してやりたい。そう思うのは親の心情ではないだろうか。まして、一人息子はあの通り業腹な性格だ」


『ありがとう。 芸術に訊け』 

 そして握らせた僕の名刺……


「りえさんは、父の言葉が兄に曲解されるのを恐れて僕の元へアートという名の白猫を託したが……

 実際、このアートがカギを握っているのかも知れない」

「でも、りえさん言ってたじゃないか。首輪とか、目に見えるところに変な点はなかったって――ハッ」

 少年の顔が引き攣った。

「まさか。じゃ、やっぱり、この子・・・の体内に何かが隠されている?」

 志儀は激しく首を振った。

「だめだよ、興梠さん! もしそうだとしたら、貴方はこの子を守れなくなる! それどころか、兄さんの英和さんと一緒に〝酷い仕打ちをする側〟になってしまうじゃないか!」

「だが、それが〈真実〉=〈謎の答え〉なら仕方がない。邦臣氏の言葉の真意を解明することが僕の今回の仕事だから……」

「そんな! もしそうだとして、じゃ、貴方はそんな真似できるの? 興梠さん!」

 ソファから飛び降りると大きく手を振って助手は差し示した。

「見てよ、この猫……アートは、こんなに貴方に懐いているんだよ!」

 興梠は目を閉じた。

「賢い猫なんだよ」

「?」

「アートは、ご主人の――この場合、邦臣氏のことだ―—遺志を継ごうとしているのかも知れない。自分に与えられた使命が何かを知っていて……それを全うしようとしているのかも」

 探偵の言葉を助手は茫然と繰り返した。

「使命を果たす? ……命に代えても?」

 探偵の膝の上で微動だにしない白猫。


『芸術に訊け!』

 

 使命を果たせ……

 与えられたソレゾレノ仕事を為せ……


 謎を正しく解き明かすこと。それこそが俺の仕事だ。


  (これは初めてのケースだな?)

 

 ボソリと興梠は心の中で呟いた。

 実のところ、今回の〝真実の〟依頼者は、りえ(娘)でも、英和(息子)でもなく、既に亡くなった邦臣(父親)なのかも知れない。

 死者からの依頼――


  『芸術に訊け!』



 いづれにせよ、明日もう一日、山浦邸の全ての美術品を見た後で答えは出る。

 いや、出さなければならない。


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