第3話


「芸術に訊け?」


 探偵は思わず口の中で繰り返した。

「そうです。正確には『ありがとう』と言った後で『芸術に訊け』でした」

 英和ひでかずはふうっと大きく息を吐いた。

「これが父の最後の言葉となりました」


「その場におられたのは、貴方あなたおひとりですか?」

「はい。使用人――執事と、当家の雇った看護婦、そして身の回りの世話をさせていた父付きのメイド。掛かり付けの医師とその医院の看護婦2名。これら計6名を除いて、身内の者は僕一人でした」

 英和は付け加えた。

「父、山浦邦臣やまうらくにおみの正妻である僕の母は20年も前に他界していますから」

 改めて英和は困惑気味に両手を広げる。

「『芸術に訊け』……これは一体どういう意味なのでしょう? 葬儀を終え、遺言状を確認し、新たな目録作りもかねて、譲り受けた全美術品の鑑定も完了させました。が」

 全てをとどこおりなくやり終えた後で、急に疑問が頭をもたげて来た、と若き当主は言うのだ。

「僕の不安をお察しください」

 ここで咳払いをした。

「ひよっとして、と僕は思い当たったのです。これは、世の富裕人、財産家によくあること。世事に長けた探偵さんなら容易にご理解いただけるはずです」

「というと?」

「つまり、父は公にしていない財産があったのではないだろうか?」

「隠し財産ってこと?」

「フシギ君、君は黙っていなさい」

「ありていに言えば、そうです。隠し財産。父は、あの臨終の場でその在処ありかを告げようとしたのではないだろうか?」

 自問するように英和は続ける。

「つまり、『芸術に訊け』は何らかの〈暗号〉では?

 実業家として成功した父の頭脳明晰さは今更言うまでもないと思います。そう、息子の僕が言うのもなんだが、父は合理的で論理的な思考の持ち主でした。そんな父が〝意味のない言葉〟を口にするはずはない。たとえ、死にかけていたとしてもね。

 一旦そう気づくと、僕は心穏やかではいられなくなりました。

 勿論、先刻お話した通り、邸内の美術品の価値は確認済みです。ですが――」

 グッと身を乗り出す。

「今一度、貴方に調べてもらいたい。

 鑑定士とは違う〝別の視点〟――探偵の謎を解く鋭い〈解読眼〉で、ウチの芸術品の中に、父の残した言葉と繋がる何か・・があるかどうかを探っていただきたいのです」


「芸術に訊け!」


 山浦家の新当主は繰り返した。

「この謎の言葉から導き出される〈真実〉を徹底的に調べてくださいませんか?」

 興梠の瞳を覗き込むようにして、

「父のコレクションについてはお聞き及びでしよう? 数点の工芸品を除いて主に絵画です。それら〈芸術品〉の中に、子孫に伝えたい重大なメッセージが隠されているに違いないと僕は思うんです」

 ここで二回目の咳払い。

「失礼ながら、僕も調べさせていただきましたよ、興梠響こおろぎひびきさん」

 意味深に山浦英和やまうらひでかずは微笑んだ。

「貴方は探偵としては異色の経歴をお持ちですね? 帝大では美学を専攻し、美術に大層お詳しいとか? まさにこの仕事に打ってつけではありませんか!」

 恐縮して興梠は頭を下げる。

「恐れ入ります」

「では、そういうことで――」

 英和は内ポケットから取り出した時計を眺めた。懐中時計とは高雅である。しかも、金無垢のシャウハウゼン! これもまた前当主から譲り受けた品だろうか?

「僕はこれから約束があるので失礼します。K銀行の頭取と会食の予定が入っていて。あ、貴方はどうぞ、すぐに取り掛かってください。邸の中にある美術品は全てご自由にご観覧なさってください。そして、お気づきのことがあれば、どんな些細なことでも構いません。ぜひ、この僕にお教えください」

 そそくさと英和は腰を上げた。

「何か必要なもの――飲食も含めて、その他、お知りになりたいこと等、先ほどの執事をはじめ当家の者に遠慮なくお申し付けください。貴方の要望はなんでも叶えるよう、最大限、協力するよう、命じてありますから」

「お心遣い感謝します」

 立ち上がって、ドアの向こうへ消えて行く新当主を見送った後で、再び興梠はソファに腰を下ろした。

 ゆっくりとお茶を飲む。

 この様子に助手は首を傾げた。

「どうしたんだよ、興梠さん? 悠長に座って何をしてるのさ! 仕事を始めないの?」

「だから――仕事を始めてる。待っているのさ」

「?」

 ちょうどその時、ドアが開いてメイドがお茶を下げに入って来た。

 興梠は顔を上げて言った。

「やあ、お待ちしていましたよ、末國すえくにさん。こんどこそ・・・・・、全てを話していただけますね?」




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