第7話 小さなすれ違い 中編

男  佐藤裕也

幹事 加瀬

ヒロイン 中津川博美 

友人   社(やしろ)希美



「えー、それでは。お集まりのみなさん! 本日はお忙しい中お越しいただきましてまっことにありがとうございます! 今回、他の語学クラスとは一線を画した、スパルタで知れ渡る噂に名高いレオン先生のひじょーーーーーに大変な課題を見事に乗り切ることが出来ました! 我々は、そんな優秀な人材であることを誇らしく思いつつも、これまで交流があまり無かったのが不思議で仕方ありません。どうして我々は───・・・」


 延々と続く幹事の挨拶はどこで覚えてきたのか、それとも即興なのか。舌が乾く暇もなく回り続けているが、その内容はあまり頭に入ってこない。もし幹事をやれと言われたら、俺は間違いなく断るだろう。彼はドリンクが運ばれ続けている最中もずっと語り続けていた。周りも加瀬の台本を聞くより雑談を選んでいた。そして、最後のドリンクが運ばれてから少し時間が過ぎたあたりでようやくこの宴席が動いた。


「くどい! ながい! うるさい! さっさとまとめろ!」


 長々と語り続けている加瀬だったが、その台本をぴしゃりと打ち切らせたのは社(やしろ)だ。茶髪のセミロングにぱっちりした目、派手ではないが明るい印象の服装で「いかにも」な女子大生のファッションをしている。ただ一つ、気になるのは銀縁眼鏡であったこと。普通こういう子は黒ぶちの大きな眼鏡をしてるんじゃないのかと思ったが、今はアレが流行なのかもしれない。対する加瀬といえば、痩せこけてひょろひょろな体型をしていながらも、彼の声は満席で賑わっているこの居酒屋によく通っていた。室内にも拘らず中折れ帽子を被り、それに片手を乗せながら少し鼻を上に向けて流し目をニヤける姿はとても絵になっている。

 

「・・えー、コホン。ままま、確かに長いお話で料理や飲み物が冷めてしまっては残念なことになりますので、そろそろ乾杯のほうへ移らせて頂きたいと思いますが・・・。そうですね、それでは今回この飲み会を企画していただきました中津川さんに音頭を取っていただきましょう! 中津川さん! よろしくお願いします!」


 紹介に預かった中津川に全員の視線が一斉に向けられる。対する中津川は、臆することなくそれに応えた。


「みなさん、今日は本当にお疲れ様でしたー。語学の課題は大変でしたが、今日は打ち上げということなので堅い話は横に置いて。普段同じクラスで顔を見合わせてる私たちですが、語学のクラスの間だけという関係であったのであまり話したことがない人も多いと思います。それじゃもったいないと思って今回打ち上げ会を開こうという運びとなりました!ですので、今日はじゃんじゃん飲んでじゃんじゃん仲良くなっちゃいましょう! それじゃ、乾杯!」


「かんぱーい!!!」

「乾杯!」

「かんぱいー!」


 乾杯の音頭と共に、十数人集まった宴席は一気ににぎやかさになっていった。普通にグラスを重ね合わせて乾杯するのかと思いきや、肩を組み合いお互いのグラスを飲ませ合う人も居れば、グラスを掲げたかと思うと一気に飲み干す人まで居た。そんな感じで割と自由にしていたのがちょっと新鮮で、それでいてなんだか居心地が良かった。

 飲み会参加者は課題に対してフラストレーションが溜まっていたのか、講師のレオンの愚痴がところどころから聞こえていた。そして愚痴は私生活やアルバイトの話題に移り変わり、いつものように彼氏彼女や将来の話や芸人の物真似、食べ物で遊んだりちゃんぽんしたりと新歓コンパでよく見かけた光景が繰り広げられる。酒が入り遊びや話題がエスカレートしていく中、俺は未だに1杯目を手にちびちびと飲み続けていた。


「あるぇー、佐藤さんなんでそんなにお酒進んでないんですかぁー?」


 完全に酔っぱらった中津川が絡んで来た。しっかりした乾杯のスピーチを行った姿は跡形もない。


「ちょっと飲み過ぎじゃないですか」


「これぐらいまらまらですよ。それよりなぁんで飲まないしゅかぁ佐藤さぁん」


「飲めないって言ったじゃないですか」


「あるぇー?しょうでしたっけぇ? 飲めないなら私飲んじゃいますねこれぇ」


 そういうと手元から酒をヒョイっと取り上げ、両手でグラスを抱えながら飲み始めた。結露した水滴がスカートの辺りに滴っていたが気づいていないらしく、その対応に困っていると社がそれに気が付いてくれた。


「ちょっとヒロミ、あんた飲み過ぎじゃないの?! あーもうこんなに濡らして、ほらちゃんと自分で拭いてよ」


「えへへー、ノゾミちゃんも一杯飲もうよ美味しいよぉー」


「わかったからほらお酒置いて。なんかあんたらしくないよ今日」


 中津川を介抱している社の表情はしっかりとしたものだったが、彼女のジョッキは空になっている。酒に強いことを少し妬みながらも、中津川を介抱してくれた事には感謝していた。


「すみません、助かりました」


「別にいいけど、あんた博美の相方でしょ? もうちょっとしっかりしてよね」


「相方といってもドイツ語のクラスだけなんで、よくは知らないんです」


「あれ、そうなの? てっきり博美があんたの事よく話してたから仲良しなんだとばっかり。そっか、なんかごめんね」


「いえ、俺もなんていうか、頼りないってのは事実なんで」


「そういう謙遜よくないよー? 男ならバシっとしちゃえバシっとね!」


「うぅー、何楽し気に話してるんですかノゾミちゃん佐藤さーん」


「はいはい、どうしたのアンタそんなにべろべろになって。ほら、サラダでもちょっと食べなさい」


「はーい! 私サラダたべまーす! ノゾミちゃん食べさせてー!」


「何いっちゃってんだか。いつもはこんなことないのに」


 ニシシ。といった具合にくしゃっと笑う中津川と呆れた表情で介抱する社は、名前で呼び合うほどには仲の良い存在らしい。中津川のほうも社に甘えて懐いている感じだ。中津川の上着が少しはだける度に、社はそれを直している。少し目のやり場に困り、俺は料理に目を移した。


「佐藤くんって同い年?あたしと博美は1回ダブってるんだけど。あ、ていうかちゃんと挨拶してなかったよね。私、社ノゾミ。社は神社とかのアレで、希美は希望の希に美しいって書くの。よろしくね」


「あ、どうも。俺は佐藤裕也っていいます。しめすへんに谷って字と也で裕也。歳は多分1つ下で20歳です。よろしく」


「うん、よろしく。良い名前だね。わたしら21歳だからやっぱり1個下だ」


 相手の名前を褒める事を忘れててハッとされた。落ち着いてるし、何よりしっかりしているといった印象だった。自分の受け答えのレベルの低さにちょっと落ち込む。子供かよ。


「じゃあお酒も初めて? あんまり飲んでなかったみたいだけど」


「少しは試してみてたんですけど、家系的にダメみたいで」


「あーじゃあ仕方ないかー。そっかー残念だなー、飲み友増えると思ったのに。この子も見ての通り全然強くないからさ」


 正座しながら行儀良さそうにもしゃもしゃとシーザーサラダを食べている中津川は、完全に出来上がっていた。チラっとこっちを見てはサラダに手を戻して、少量をまた口に運んでいる。まるで小動物みたいだった。


「あれ、でも中津川さん飲み会には手慣れてる感じだったけど。ほら挨拶とか」


「あれね、私が仕込んだのよ。飲み会ってコミュニケーションツールとしては大切でしょ?経験値積ませておかないとって思って。この子見ての通り全然飲めないから、せめて飲み会の流れぐらいは教えてやりたくてね」


「優しいんですね」


「べ、べっつにそういう訳じゃないよ! 女が飲み会に参加すると色々大変なことがあるのよ。そういうのこと」


 意外と恥ずかしそうに話す姿にドキっとしてしまった。しっかりしている人でも褒められる事には慣れてないのかもしれない。


「あの、俺も質問。2人は、その、何時頃から知り合いになったんですか?」


「私らは高校から同じだよ。幼稚園も同じらしいんだけど、私は覚えてなくて。博美がアルバム高校に持ってきてまでアピールするからなんか笑っちゃってね。そっから仲良くなったかなー。この子、人が壁作っててもズカズカ入り込んでくるでしょ」


「わかります、俺飲み会なんて参加するの苦手だったんですけど、中津川さんの勢いでなんかOKしちゃいましたし」


「だよね、やっぱそうだとおもった。乾杯の時もちょっとぎこちなかったし」


「凹みますよ、さすがに」


「ごめんごめんって。でもこれで慣れちゃえばいいだけじゃん」


「そうですね、今日参加してよかったと思います」


「のぞちゃーん構ってよぉー、もっと私を見てよぉ」


 中津川が社の膝の上辺りから上目遣いでこちらを眺めてくる。


「俺は社さんじゃないです、社さんに言うなら真上を向いてください」


「ぶー、佐藤くんが苛めるぅー、のぞみちゃん怒ってよぉ」


 周りを見てみると、食器で遊ぶ者や上着を脱いで筋肉自慢をしている人まで現れており、いい具合に出来上がっていた。幹事はというと、ひょうひょうとした表情でまだ酒を飲んでいた。これがデキる男の姿なんだろうきっと。俺はというと、上着を脱いでいる男に注意したい感情をぐっと抑えて、残っている料理に箸をのばしている。注意したところで場が盛り下がっても困るし、やりたいようにやらせておくしかない。


「すいませぇん、ラストオーダーの時間です!」


 店員の台詞に対してブーイングが起こる。それほどこの飲み会が良かったのか、それともブーイングが当たり前なのか。場数の少ない俺にはどちらかは分からなかったが、そんな俺でさえこの飲み会はかなり盛り上がっていたと感じた。


「はーい!それじゃあ名残惜しいところではありますが、そろそろお開きとなりますのでみなさんお片付けしてくださいねー! 2次会に参加される方はこの後予定しておりますので早めに名乗りでてくださーい!」


 全く酔っぱらった感じのない加瀬が手際よく筋肉男に服を着せたり潰れかけの女を介抱したりしている。


「加瀬、あたしら2次会パスだから。あっと、佐藤くん、博美ちょっとお願い」


 そういって中津川を任されたはいいもの、どうしたらいいものやら。空になったグラスを両手で抱えながらぼーっとしている彼女は、目が座っている。倒れないように体を支えるにも手のやり場に困ってしまう。どうせ俺はその程度の男だ。


「ッチ」


 一瞬舌打ちのような音が聞こえ、音のなった方を向いてみると、さっきまでと少し表情の違う加瀬の表情がそこにはあった。社と何かを話していたみたいだったが、何があったかは分からない。舌打ちのあとも社と加瀬は話し合い、少しして社がこちらに戻ってきた。


「お金は今度でいいから、帰ろっか」


「でも・・・」


「いいのいいの。博美もこんなんだし、私がまとめて払っておいたから。佐藤君は博美にでも渡しといてくれれば博美から回収するし」


「2次会はいいんですか?」


 少し間をおいて、社が口を開いた。


「佐藤くん博美の家知らないでしょ?こんな状態じゃ放っておけないから仕方ないっしょ。それに佐藤君と2人きりにしちゃったら万が一ってこともあるかもしれないじゃない?」


 ニヤっとしながら揶揄われるように言われ、質問に対してははぐらかされた。なんとなく直観的に2次会参加の拒否がよくない気がしたが、自分に出来ることは思いつかない。残念なことに、それ以上無駄に追及しない程度の社会性は持ち合わせていたので、問いただす事もなくその場は社のリードを飲むことにした。


「それじゃ、タクシー拾います?」


「勿体ないから歩いて連れて帰ろう、佐藤君は荷物持ってくれる?」


「わかりました」


 俺は3人分の荷物を持ち、社は中津川を抱えて歩き出そうとしたが、中津川の足取りはおぼつかないひな鳥のようでまともに歩いていられなかった。


「・・・やっぱりタクシーにしましょうか」


「うん」


 タクシーを拾いに行くのも大変そうだっため、タクシー会社に連絡してきてもらうことにした。待ち時間の間、社は冴えない表情で中津川を介抱していた。


「あれぇ、うう・・・気持ち悪い。のぞちゃん家帰るの?」


「そうよ、あたしの家に連れていくから我慢しなさい」


「やだぁ・・・、まだ帰りたくなぃ。あれ、なんで佐藤君もいるのぉ?」


「付き添ってもらってるんだから感謝しなさい」


「うう・・・吐き気が、気持ぢ悪いよぉ」


「ちょっと、あんたまさかここで?! ま、まってまってよ!」


 吐き気というものは止めようと思っても中々止まらないもので、お酒が飲めない自分にとっても、それはよくわかることだった。気分が悪い時は優しい言葉をかけて貰いたいし、優しくされていたいものだ。だからといって、いかなる時も優しくできるというわけではない。優しくしたいと思っていても、心というものは正直である。俺は彼女の吐しゃ物を浴びた瞬間、心の声が漏れだしてしまっていた。


「まじかよ」

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