第7話 絶望と希望



 ――どれだけの時間が経ったのだろうか。

 

 時間の感覚はないが数時間くらいだと思う。太陽の位置はそれほど動いていないように、見える。あんまり詳しくないから自身はないが、そもそもダンジョンは異界にあるらしいから、役に立つかどうかもわからない。



 その間に、ペチルの襲撃を3度受けた。

 毎回2匹で来た。……2匹で行動する習性でもあんのだろうか?

 

 正直、小鬼よりは弱かった。動きは素早いが一撃一撃は軽い、軽いっても心臓を的確に狙ってくるし、一撃でも貰えば終わりなのだが。

 まぁこの広場で戦うなら――まず負けない相手だ。それだけ不死の力は強い。いや強いのではなく負けない、と言った方が正しい。――――しかし、今の俺は動けないのだ。指先一つ、自分の意志では身体が動かないのだ。

 この状況でどうしろって言うのか……。


 脆弱な精神が、肉体にまで影響を及ぼしている。それも致命的なまでに。


 ウサギ共に散々嬲られた。

 いいや、あいつらは俺を殺そうとしていたのだろうが………俺は死なない。不死というスキルが遺憾なく発揮された。

 その為、身体中を滅多刺しにされ、何度も体当たりを受けた。腕や足が圧し折れた。内臓にもダメージが入っていたのか、血を吐いた。……今日は吐くことが多い日だなぁ。

 


 しかし、不死の力をもつ俺は――――どんな傷であろうとも即座に治ってしまう。ほぼ一瞬だ。発動のタイミングが未だ分からないが、致命傷を負えば発動する、それだけ分かってれば問題なく使える。



 結果として、何度も攻撃を受け嬲られた。

 殺そうとしても死なない相手を、延々と攻撃する。その事に疲れるまで、それこそ数時間以上も嬲られ続けた。と思う。

 1回の襲撃で30分以上はやられていた計算になる。凄いなぁ、ホント。よくもまぁ生きてるよなぁ、俺。不死ってやばいな。

 スキルの効果に感嘆しため息を吐く。


 


 俺の身体に付着した血はすべて消え去ったが、地面が草木に夥しい量の血液が飛び散っている。所々に血溜まりが出来ているほどだ。

 どれほどの血を流したのか。少なくとも、普通の人間なら10回は死ねそうな量だ。どうやら、俺の身体から離れた血は、泡がはじけてなくならないらしい。



 動かない俺の身体は、血溜まりの中に半分沈んでいる。仰向けだから、辛うじて呼吸が出来ているが……逆だった悲惨な事になるところだった。吐瀉物を避ける為、後ろ向きで倒れたのだが――まさか、こんなところで救われるとは思ってもなかった。

 ……や、ウサギに何度も転がされたから、あまり関係ないんだけどね。ただ運がよかった。


 それにしても、そこらに散らばる血液は人間が出せる血の量ではない。

 やはり、これも不死の猛獣がもたらした物なのだろうか。

 死なないのは素直にありがたいし、痛みがないのだって嬉しい。違和感があるのはちょっと、あれだが。自分の血を見ても嫌だなぁくらいにしか思わない。化物に近づいているというのは嫌だが。自分で選んでしまったのだ。ならば仕方ないだろう。それが俺の選択なのだから。



 だが、血溜まりの中で思う――

 



 ――――気持ちわりぃ。




 それが感想だった。

 もっとこう、スカッとするもんだと思っていた。力を手に入れた主人公ってのは、どんな世界だって華々しい活躍をする。

 そして周囲にチヤホヤされる。

 べつにそれをうらやましいと思った事はないし、それに憧れた事もない。俺は――


 ――俺は凡人だ。理解している。しているのだ。どうしようもないほどに痛感している。


 だからこそ――生きたいと思った。


 わけの分からない理不尽で、呆気なく死んじまった俺の願い。

 たった一つ望んだ事。

 痛みなんて感じたくないし、苦しみたくもない。

 そうして生きられたら、幸せだと思っていた思っていたのだ。スキルを選んだ時までは。……こっちの世界に送られた途端、その考えは変わった。初っ端でバラバラ殺人にあったし。


 確かに――俺は死なない。死なないが、逆に言ってしまえば―――死なないだけでしかない。


 その上、それは肉体的な物でだけあって、精神的にはなんの変哲もない一般人、その他大勢、エキストラ、端役。

 そんなモノだ。精神的には一切変わっていない。


 これでは、先に心が死んでしまう。

 化物になってしまったという恐怖に押し潰され、モンスターとの戦いで磨耗していく。――いつかは慣れる? その前に、心がダメになっちまう。

 悲観的に現実を見つめる。

 逃れる事は出来ない。いいや、その術を知らないと言った方がいいか。




「………また、来たかぁ」

 

 揺れる草陰から出てきた2匹のモンスター。

 どうやら休ませてくれないらしい。その事に苦り切った表情を浮かべる。


 しかもモンスターは小鬼だ。

 予想していた可能性の中でも最悪に近い。というか最悪だ。

 普通、良い事と悪い事のいくつかを想定して物事を考える物だが………その中でも最悪な展開になる事は稀だぞ。稀だからこそ――最悪なのだから。


 生きたまま化物の生餌として食われるなんて、人生の中でそうあるものじゃない。いや、まっとうに生きてれば絶対にない事だ。

 多少やばい人生送ってたって、ある事じゃない。精々、海外でなら少しくらいあるし動物園でも偶にあるがぁ……日本ではほぼないな。動物園から逃げ出した動物なんて即行で射殺されるし。



「……どうせ食われなら、ヤンデレ娘の方がいいなぁ――――」


 いや、出来れば食われたくないけど。どうせなら化物じゃなくて可愛い女の子にしてくれ、と続けようとして小鬼の口が大きく開くのが視界に入ってきた。思わず言葉が止まる。

 

 ――――食われたら、流石に気が狂うかな。


 いっそ狂ってしまえば楽になれそうだ。

 ネガティブ思考が頭を占める。と言うか、この状況でポジティブになれる奴なら、別の意味で頭の心配する。頭がイッちゃってる可能性のが高い。

 


 そして、近づいてきた小鬼の口――――がぶりっ。と腹の肉を食い千切られた、破れた肌から内臓が零れ落ちる。


 1匹が動かない俺の身体を押さえつけ、内臓を貪り食う。――ぐちゃぐちゃと汚い音を発て夢中で臓物を貪る。


「……気持ちわるっ」

 ――――ガッ


 俺の呟きに反応し、見張りについていたもう1匹の小鬼が棍棒で俺の顔面を強打する。

 痛みはないが、反射的にうめき声をあげる。僅かばかり動いた身体を次々と零れていく内臓を食っていた小鬼が、煩わしそうに無理やり押さえつけどんどん身体の中に入ってくる。


(――想像以上に、これはっうくっ)


 身体を侵して来る小鬼――異常な異物感に気が狂いそうだ。

 この際、気を失ってしまった方が楽だろう。しかし、泡がはじけ傷が治る。血肉臓物が元通りになる。

 それを不思議そうにしながら、嬉しそうに鳴き声をあげ再度貪りつく。




 ――――あぁ、これが絶望なのか……?


 ネガティブの思考に混じり込んだ負の感情。あぁまずい。これはやばい。

 狂ってしまいそうなのに、狂えない。狂う手前で、無理やり脳髄を掻き回され元に戻される感覚。ダメだ、精神を元に戻される、と言うよりは何か別の感覚だ。

 強制的に自分の中の何かが書き換えられる。そんな気分だ。



 ニタニタと厭らしく嗤う小鬼達、俺の血肉で口を汚した小鬼を見た瞬間――俺の中で、何かが壊れた。


 ――――殺してしまいたい。抵抗したい。殺戮したい。惨殺したい。撲殺したい。醜く歪んだその顔を木っ端微塵に叩き潰してしまいたい………!



 憎悪と怒り。

 狂おしいほどの感情。

 …………しかし狂えない。狂う事が出来ない。


 あぁ、あぁ。殺したい。殺したい。殺したいっ!!!!

 目の前にいるこいつらを――――うぐっ、あぁああぁぁぁああああっっっっっ。かはっはぁっはあ。


 何かが壊れたはずなのに、他人が勝手に修復した時のような不快感。狂える一歩手前なのに、決して狂う事が許されない。


 だが、壊れてしまいそうなまでに湧いてくるこの感情――憎悪と怒りだ。

 自分の中にこれだけの熱量があった事に驚く。


 良くも悪くも傍観者――それが俺のスタンス。

 目の前で誰かが死のうともそこまで悲しまないし、自分が犠牲になったところで大した感情は湧いてこない。

 事実、目の前で車に轢かれた奴を見ても、少し気分が悪くなるくらいで、運が悪かったなぁ。程度の感想しかもたなかった。

 それは自分が死んだ時も同じ。精々、死ぬ間際――痛いのは嫌だなぁ。程度の事しか思わなかった。



 これもスキルの影響なのか? 

 ――いや、違う気がする。

 むしろ、スキルによって感情を抑制されている、そんな気がする。いや、抑制ってよりは上書きだな。

 壊れては上書き、壊れては上書き。と同じ事を繰り返している。

 




 自分では何も出来ない無力感と激しい怒り。それらが複雑に混ざり合い、言葉で表現できない感情が、内心で大きく渦巻いている。





 

 ――――突如、小鬼達の姿がブレた。


 直後、ぼとり。と首が地面に落ちる。


 ――――――違うっ、ブレたんじゃないっこれはっ――

 ――斬られたのだ。認識できない何かに――一瞬で首を斬られたんだ!


 そんな芸当ができる奴、俺は1人しか知らない。

 あいつだ。ミラだ、ようやく戻ってきたか……!


 見捨てられなかった嬉しさと、これで地獄から抜け出せるという興奮が、涙をボロボロと流させる。

 駄目だ、あぁやばい。これは泣くしかないって。


 ホント、惚れるよ。これは惚れる。

 カッコよすぎるだろ。

 王子様? あなた王子様なんですか? ……あなた、女の子じゃなかったですっけ? いや最高にカッコいいですけどねっ!



「何してんだ? ――うおっきったねぇ、血だらけじゃねぇかっ」

 うげぇ、涙と血が混じって顔面がぐちゃぐちゃになってるじゃねぇか。とミラが呟く。――――抱きついていいですか? つか、抱きつかせてください。……身体、動かねぇけど。



「や、身体が動かねぇんだ」

「あん? 面倒だなぁ……ラァッ」

「――いぎっ!?」


 ――――スパァンッ。と炸裂音がして、首にナイフが突き刺さった。あまりの衝撃にビクンッと身体が跳ね上がる。


「なにっ!? なんなのっ? 俺が死なないからってこの仕打ちは酷くないっ? そんなに足手纏いだったのっ?」

  

 ミラの奇行に慌てて立ち上がり、手を前に突き出し「落ち着こう! 落ち着いて行こう!! ホントに落ち着こうよ!?」と、めちゃくちゃ動揺しながらびびる。


「ん、さっさと帰るぞ」

 瞬時に懐へと入ってきて、首に刺さったナイフを引き抜く。

「いやあの、俺動けないって…………あれ?」

 

 立てたな。普通に。しかも結構動ける。……なんで?

 不思議そうに身体をぺたぺたと触りまくるが、やはり普通に動く。首に空いた穴も、泡がはじけ治った。


 疑問を浮かべる俺に、ミラは無愛想な表情のまま告げた。


「人ってのは結構単純でな、別方向からのショックがあれば、精神的な物ってのはあっさり治っちまうもんだ。ほれ」

「そうなん――――うおっ?」


 袋を投げつけられる。慌てて受け取ると、どっさりとした重さが伝わってくる。なんだこの袋?


「今日の獲物だ。小鬼の角が50個に、ペチルの角が10個入ってる」

「す、すげぇ」


 小鬼さん狩りすぎでしょ。よくそんなに見つけられましたね。……あれ? でもこの袋ってペチルを1匹分入ってる袋と同じ大きさだよな。じゃあ、ぺチルの肉は全部捨てたんだ。

 ……いや、自分で食うようなら1匹で十分なのか。



「お前は何匹狩れたんだ?」

「――うぐっ」

 図星を衝かれ、胸が痛む。

 なにせ、倒した小鬼は3匹だけ。それも角はすべて大破。というか粉微塵。欠片も残っていない。


「なんだ、1匹も狩れなかったのか」

「い、いや3匹は狩れたんだっ。ただ、その……全部潰れた」

 1個は草葉の中だけど、探しだすのは無理だろう。

「あ? おめぇ、馬鹿じゃねぇの? どうやって飯を食うつもりなんだ?」

「わ、悪い……」


 実際、このままでは生きていく為の金を稼げない。なんとかしなければいけないのだが……ぶっちゃけ、何も出来ることがない。


「ちっ。あぁいい、しばらくは泊めてやる。だが、数日中には出て行けよ」

 舌打ちを一つ。ぶっきらぼうに告げる。

 ………………こいつ、いい奴すぎね? や、何度も言うけどバラバラにされた事を除けばかなりいい奴だよね? バラバラにされたのは凄いマイナスだけど、てか取り返しのつかないマイナス点だけども。



「お、お願いします……」

 俺にはそれしか言えない。実際、ミラの世話にでもならなければ生きていけなさそうだ。今更バラバラにされた事を恨んでます、なんて言えない。これから、どれほどミラの世話になるのか、分かった物ではない。

 助けてくれる、その相手を怒らせるような事を言える訳がない。

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