第3話 獣の目覚め


「やぁ、初めまして。君に聞きたい事があるんだけど、いいかな?」

 固まっている子供に話しかける。

 なるべくフレンドリーに、それでいて優しく、相手に警戒心を抱かせないように細心の注意を払って。


「………」

 しかし、相手は無反応だった。

 これでは、こちらから話しかけた意味がない。


 文字通りで何もしないのだ。

 ピクリとさえ動かない。いっそ死んでるんじゃないかって思うくらい。

 言葉が通じてないのか? だとしたら、最悪だ。その辺、なに一つ説明がなかったから。あの空間で役に立ったのって、パソコンを渡してもらった事とスキルの位置を教えてもらったくらいなものだ。


 いや、でも言葉が通じないなら、それはそれで何かしらの対応くらいするだろう。

 じゃあ、まだ驚いて動けないでいるとか? ……自分で言っといてなんだか、その可能性が一番高そうだな。いまだ眼を見開いてるし、放っておいたらどれだけの間動かないのか、試したくはある。しかし、あまり放置して機嫌を損ねたくない。


「おい、おいって。俺の声は届いてるか? 届いてるよな? 届いてるなら返事をしろって」

 ぺちぺちと頬を強めに叩き、無理やり意識を覚醒させてやる。


「―――……えっ、あ! あ、あんたは誰だ!? ストックの連中かっ? こ、今月の護衛費は払ったはずだっ」 

 シュッ、と腰に付けていたナイフを抜き放ち俺へと向けてくる。や、やばい……今、流れるような動作で抜いたぞ。……護衛費って、どこのやくざだよ。もしくはマフィアか? どっちでもいいけど。子供に要求する類のもんじゃあないな。


 彼は一連の動作を滑らかに実行した。

 それはつまり、普段の生活からナイフを抜き慣れている、と言う事だ。かなり殺伐とした日常なのだろう。殺し殺されが当たり前の世界。


 彼がもっているナイフはぶっちゃけ、料理に使うような薄いナイフじゃなくて、全体的にごついフォルムで、よほど使い込んでいるのかやたらギザギザと刃毀れしたナイフだ。まさに戦う為のナイフ。



 ……不穏な言葉がいくつか出てきたが、ぶっちゃけそれどころじゃない。

 ここで対応を間違えればお陀仏だ。……スキルで死なないって思っていても、痛いだろういし。むしろ死ぬほどの痛みってのを経験する事になっちまうよな? 死なない分痛みが続きそうだ。


 それは嫌だ。絶対に嫌だ。なんとしても阻止してやる。……俺の実力で出来るか怪しいところだが。



「―――お、落ち着けって。いやホントに落ち着いて! と、とりあえずナイフを床に下ろしてくれないか? 俺は別にストック? って奴らとは無関係だ。ホントに。そもそもここには、今日初めて来たんだっ」

「ダメだ、そもそもなんでオレの家に入ってるっ! ここはストックの連中にも教えていない隠れ家だぞ! どうやって中に入ったっ? 教えろ!」

 怒気を込めた声で彼が吠える。――怖い、俺はただの一般人だったんだぞ? こうまであからさまにお前を殺す! と言う空気は初めて味わった。人生で一度もしたくない経験だった。

 


 彼?彼女? まぁ彼でいいか。

 彼は数歩の距離を、じりじりと詰めてくる。慎重に事を運ぶつもりなのか、焦っている気配はない。殺しなれているのか、彼が緊張している様子はない。


 確実に俺を仕留める気なのだろうか。……あー、これってまずくね? あれ、絶対絶命の危機?


 軽く現実逃避をした瞬間―――――彼の姿が消えた!

 一瞬だけ思考が逸れた。その所為で見逃したのか? そんな馬鹿な、人の性能でそんな速度をだせるはずがない。

 もし仮に、仮に出せたとしても、肉体がその速度に耐えられない。…………しかし、スキルがある世界だ。絶対、とは言えない。





 彼はどこだ? どこにい―――――――――ズブッ





 突如、背中から体の中にズブズブと侵入してくる異物を感じた。

 熱を感じる、異物が入ってきた場所に熱を感じるんだ。


 鉛のように硬くなり、異様に重い首を後ろに回し、そこにいる人物を確認する。


 そこには、いつの間にか俺の背後に回っていた彼が、俺の背中から心臓目掛けてナイフを突き刺していた。ナイフは見えないが、きっと体の中に深く刺し込まれたようだ。服を伝って、血が床に落ちていく。

 落ちてきた血が溜まっていく。

 どうやって消えたのか、いつ背後に回ったのか…………気になる事は多い。

 しかし、体に入ってきた異物感が俺の意識を薄れさせていく。もろに突き刺さっているのだ、死ぬのか? 俺は死んでしまうのか?

 それは、残念だな……。


 スキルの影響か、痛みがないのだけが救いか? あるいは悪魔の誘惑か。……あぁダメだ、意識が保てない。目の前が掠れていく、俺の意思が、急速に体から離れていく。あ、これは、ダメかも……。


 

 


 ――――――そして、俺の意識は暗転した……―――





「……チッ。死体を捨てに行くのだって、大変なんだぞ」

 イラつきを解消する為にダンッと腹を強く蹴り飛ばし、その反動を利用してナイフを一気に引き抜く。


 周囲に凄い勢いで血が飛び散った。それも大量に。壁や床を血だらけにしてしまった。これは捨てるしかないか? 残念だが、こればかりは仕方ない。血の臭いは洗っても落ちないのだから。



 オレの体格で相手を一撃で仕留めるには、やはり首か心臓のどちらかを狙うしかない。しかし、そのどちらを攻撃しても大量の血が飛び散る。

 弱点だからこそ血が出るとも言うが。

 部屋の惨状を確認したあと、大きなため息を吐き出した。


 死体を放っとけば臭いが酷い事になってしまう。だから、そのままにしておく事もできない。

 下手に放っておけば悲惨な事になってしまう。臭いだけでなく、モンスターも引き寄せてしまうし、面倒な人間達を招き寄せてしまう事もある。そう盗賊の類だ。


 仕方ないと諦め、死体を外に捨てに行こうとして振り返る―――――そして気づいた。気づいてしまった。


 死体が起き上がっている事に。


 ありえない事が起きている、これは異常事態だ。

 アンデット系のモンスターでもないのに、死体が起き上がるなんておかしい。しかしアンデットではなさそうだ。

 アンデット系モンスターに変化するには、周囲に満ちる魔素が圧倒的なまでに足らない。

 だからこそ異常だ。これはオレの認識そのものを上回ってる。対応の仕様がない。このままでは常識そのものが壊れてしまう。








 ―――ドックンッッッ―――ドクンッッ―――ドックンッ―――




 ――――――――あ? 生きてる………?


 心臓が爆発したかのように脈動している。脈打つ度に、恐ろしいまでの衝撃が身体を巡る。


 何故か床に転がってはいたが、確かに生きている、俺の意識がある。

 これがスキルの効果だってのか?


 ……すげぇな。多少は死に難くなるとは思っていたが、マジで死なないとは。

 感動モノだ。これで、俺の不安はほとんどなくなったわけだ。痛みもないわけだしね。 


 背後から刺されたナイフ。あれは心臓に達していた。

 普通なら死んでいる。いや死んでなければおかしい。刺されても死なないのだ、それでもこいつは生き続けるだろう。たとえモルモットになる事しか考えられていないとしても。


 可能性としては、頭でも潰されない問題なく行動を取る事が出来る。壊れない限り動き続けるだろう。もしくは頭を潰されても、死なないかもしれない。心臓が平気だったのだ、治る可能性のが高いと予測している……試したくはないけど。



 体を起こし、立ち上がる。……背中にあった異物感はすでに消えている。

 いつの間にかナイフが抜かれたのかもしれない。

 しかし、痛みがないと言うのは存外、気持ち悪いな。痛みがあるよりはマシなのかもしれないが、今まであった感覚が一つなくなったからか、違和感が凄い。虚脱感もんある。



「なんで、生きてる?」

 彼が茫然自失といった様子で聞いてくる。

 楽に始末できたと思っていた獲物が、突然理解不能な化物に変容したのだ。理解できないのだろう。大丈夫、俺も状況をまったく理解できてないから。



「お前が消えた理由を教えてくれたら、こっちも教えてやるよ」

「――――――ありえない。オレのナイフはあの時、お前の心臓を確実に貫いていた。生きていられるわけがない………」

「血の付いたナイフをこっちに向けんなっ。話を聞けって、お願いだから聞いてっ」

「嫌だっ。なんだって言うんだお前? お前みたいな死なない人間なんて、見た事ないぞ。どう見たって普通の人種なのに……アンデットの類か?」

 何かを確認するかのように俺の全身をジロジロと見つめる。

 当然俺の血で赤く染まったナイフをこちらに向けたまま………と、言うか、痛くないっても、あの奇妙な感覚は味わいたくないぞ。どうしたら話を聞いてもらえるかな。


 質問でもして、気を逸らしつつ多少の情報を交換するか? うん、そうしよう、安全策が一番だ。



「なあ、君はいくつだい、年?」

「9。そっちの質問に答えたんだ、こっちのも答えてくれ。あんたは誰だ? なんでここにいる? どうして死なない? なぜ―――」

 彼は一気にまくし立てる。ダメだ、途中から聞き取れない。早口すぎる。


「まて、落ち着けって。そんな一度に言われても分からないって」

 子供とは思えないほど渋い顔を浮かべ、ぽつりと呟く。


「なんで、ここにいる」

「逃げてる途中に迷い込んだ」

 サラッと嘘を吐く。いやだって、本当の事言った方が信じてもらえないだろ。なら嘘の方がいい。よく分からない存在に生かされ、送られて来ましたって? ついでに言えば、死なない力もその時に手に入れましたって、ハッキリ言って信じる方がどうにかしている。


「…………面倒事か?」 

 頬を引き攣らせ、嫌そうな顔を浮かべる。………どうでもいいが、こいつ表情豊かだな。


「違う。追っては撒いた、その後に意識がなくなって、そこから先はあまり覚えてないけど、たぶん偶然ここを見つけて入り込んだ」

「――――そうか、面倒事じゃないならいい。それで、あんたは誰だ? 本名じゃなくてもいい、いや本名じゃない方がいいかもしれない。ここじゃ本名なんて面倒になるだけで、なるべく隠して……偽名を名乗った方がいい」

 名前? 俺のか? え、本名ダメなの? 困った。そんなすぐに思いつくものでもないぞ、偽名なんて……。……不死の獣でいいか? 



「アジ、でいいや。今後はそれを名乗らせてもらう」

 毒をもってなければ魔法も使えないし、首だって三つもない。

 血肉から分体が増えるわけでもない。けど、あれは死なない怪物として有名だ。いや、他にもいたけど、こいつが一番好きだったし。

 ベヒさんとどっちにするかだいぶ迷ったけど。アジさんの方が個人的に好きだった。それが選んだ理由。



「わかった」

「次ので最後にしてくれないか、俺だって君に聞きたい事が山ほどある」

「あぁ。じゃあ聞くが、なんで死なない?」

「スキル。それしかないだろ。じゃあ俺の質問に答えてくれ」

「いやまって、いくらスキルでも無理があるしっ。生き物として歪すぎでしょ!」

 納得できないものがあったのか喚いているが、それ以外になんと言えばいいんだ? 俺だってスキルの全容を把握してないし。

 むしろこれ以上の説明は俺が聞きたいところだ。


 まぁ今はそれどころじゃないから、後回しにするけど。



「気にするな」

「いや無理だから」

「……い、意外と強情だな。いいだろう、そこまで言うなら教えてやる――――ぶっちゃけ、俺にもわからん!」

 アジがキリッとした顔で言い切る。実際本人にもわからないので、説明を求められても困る。非常に困るのだ。



「――――――期待させるんじゃないっ」

 しかし、その答えに納得できなかったのか、彼は怒って暴れだした。

 もっていたナイフを振り回す。

 チンピラのように適当に振るうのではなく、決められた道筋をなぞる剣筋、明らかに素人の腕ではない。


 目測だが、子供の頃に通っていた剣道場の爺と同じくらいの鋭さだ。

 ちなみにあの爺、剣道三段でした。……ギザギザのナイフで綺麗な弧線を描き、石材をスパッと斬り裂いている…………そっちも大概じゃないかなぁ。たぶんスキルの効果なんだろうけど。やっぱりスキルは半端ないな。


 人類が生存圏を確保しつつも、戦争を出来る理由が分かった気がする。

 こんな子供でさえ、すでに達人クラスなのだ。そりゃ化物くらい気にも留めないはずだ。


 現実逃避をしながら眺めていたのだが、狭い部屋だ、すぐにでもあのナイフが俺の体に届くだろう。

 嫌だなぁ、痛くはないだろうけど違和感が凄いんだよね。

 麻酔をした後に来る感覚と似ている。痛くはないのに、体の中へ異物が入ってくるあの感触、かなり気持ち悪い。

 なのに、あれよりも異物感が大きいのだ。いやナイフは注射よりでかいし、当たり前と言えば当たり前なんだけど。


 結局何が言いたいかって言うと、俺の体、バラバラになっても元に戻るのかな?

  


 斬り飛ばされていく腕を見つめながら、内心で呟く。

(治るといいなぁ)


 あ、足もどっかいった。残ってた腕も斬られたし、あと残っているのは片足と頭、胴体もか? まぁそれくらいしかない、んだけど……彼は止まる気配がない。むしろ、さっきよりも剣速が上がってる。


 床を転げ回る俺に、彼は容赦なくナイフを振るう。

 今の俺は芋虫だ……いや芋虫に失礼かもしれない。何故なら俺は、芋虫のように腹筋だけでは動けない。初めて知った。人って芋虫状態にされると動けなくなるんだ。知りたくなかったけども。

 

 あっやめっ。首はやめてっ。あっあっ、こ、来ないでぇぇぇぇええええええ



 振るわれたナイフ。―――プツン。とテレビの電源が落ちるように、俺の意識は落ちた。

 







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