第14話 月下


 すっかり元通り均された中庭に、心地よい風が吹いている。社の屋根すれすれの所に月が懸かっていた。千年藤の根本に、胡座をかいて腰掛けていた鵺雷が急に微笑む。


「何だい急に笑ったりして」


「いやな、あの兎のやつ。今頃お月さんに優しい言葉かけてもらって、どんな顔してやがるのかなと思ってな」


 にやけた彼を怪しむ重蘰に、鵺雷は美しい望月を見上げながら何処か楽しげに言った。彼女も想像したのか軽やかな笑い声をたてる。


唐朱瓜カラスウリみたいに赤くなってるだろうねぇ」


 同じ月を見上げ重蘰が呟くようにいらえを寄越す。

 ふと、なにか思い出したのか眉間にしわを寄せた。溜め息がついてでる。


「でもねぇ、あのお月さん。親しくなるとボロが出るからねぇ……。あの子が驚きのあまり鬱ぐんじゃ無いかと心配だよ」


 今度は鵺雷が可笑しくて堪らないといった様子で笑いだした。それを見咎めて重蘰が顔をしかめる。


「初恋なんだよ。笑い事じゃないよ」


「まぁそう、怒るな。大勢いる前で話してるんだ。大丈夫だろう」


「分かるもんかい」


 座り込んで立てた膝に頬杖をついて物憂げな様子だ。

 今宵の重蘰は、金糸で薄の刺繍の入った黒の絽を着ていた。赤い襟がうなじを引き立てる。口に出しては言わないが、いつ見ても絵になる女だと思った。


「なぁ、ここで気を揉んでいたって仕方ねぇ。お嬢ちゃんがどんな顔しているか確めに行かねぇか?」


「えぇ? 今からかい?」


 揉みくちゃにされて簪を無くすのは嫌だとか、人混みが落ち着いてから行きたいとか。はたまた、人の恋路を冷やかすなんざ、馬に蹴られちまいなだとか。駄々を捏ねられるかと思いきや、満更でもないようす。


 強引に手を引いて立たせれば、照れ臭そうについてきた。


「あんたがそこ迄気になるって言うなら仕方がないねぇ。一緒に行ってやるよ」


 本当は自分が一番気にしているくせに。


「本当に素直じゃねぇなぁ」


 そこを可愛いと感じる己を含め、溜め息混じりに苦笑を浮かべた。


 今頃は月の神に声を掛けて貰って、恥じらいを浮かべているだろうと微笑ましく想像していた。

 御神木の根元で気を揉んでいる重蘰に、二人のその様を冷やかしに行こうと誘いをかけ、こっそり見に来たと言うのにこの騒ぎはいったいどうした事だろう?


 人混みを掻き分け、ようやく広場を覗いた鵺雷が惨状をみて目をむいた。先ほどまで綻ぶ花のように笑っていた少女らが、焼き焦げた姿で泣いているではないか。


 もうそれ以外何も見えない様子で、今すぐ駆け寄ろうと飛び出す重蘰の手を捕らえて引き留めた。


「放しな!馬鹿共が助けもせずによってたかって晒し者にしやがって!」


「待て、御神木のお前が暴れたらお社様の面目に関わる。俺が連れ戻してくるから、てめぇは大人しく此処にいやがれ。」


 更に言い募ろうとする重蘰を、時が惜しいとばかりに、鵺雷が低く不穏な唸り声をたて黙らせる。こんな態度は極めてまれだ。彼とてこの状況は気に入らないのだ。珍しく、心底腹を立てているらしい。


 鵺雷が乱暴に人垣を押しのけ、輪の中へ足を踏み入れたとき、上座からどよめきが上がった。


 この宴の主賓が立ち上がり、哀れな兎の前へと歩を進めて来たのである。

 付いてこようとする天人を、優しい手つきでその場に止まるように制した。篝火の消えた広場に、降り注ぐ月光が、より青さを増したように見える。


 白嶺の涙に霞むマナコで見上げた月読命は、月下美人の花のように白く燐光を纏ってみえた。

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