第13話 炎上


 お待たせしてはならない。

 兎の姉妹は手を取り合って、ともすればギクシャクとした動きになりそうな足を叱咤して御前へ急ぐ。


 それを急かすでもなく、守りの天人達は微笑ましく眺めていた。


 早足に焚き火の横を通り過ぎようとしたその刹那。

 月読命しか見ていなかった白嶺に、酔いに任せて天女たちの舞いに加わった、大柄な妖化しがぶつかった。


「痛っ!」

「姉さま危ないっ!!」


 よろけた姉を引き戻そうと、手を繋いでいた黒嶺が足を踏ん張ったのだが支えきれず、白嶺諸とも焚き火の中へ突き飛ばされてしまった。


 盛大に焚かれた炎は見る間に二人を包み込む。

 芒で編んだ花冠も、この日のためにと重蘰が用意してくれた臼衣も、火に炙られて瞬く間に灰になっていく。


 誰かの悲鳴が頭の中へ響いた。

 小さな兎に過ぎなかった遠い日。燃え盛る山中、火炎地獄の真ん中で、大切な家族が薪のように燃えるのを無力に見ているしかなかったあの日。二人手を取り合って、逃げ場もなく、その身を焼かれながら妖化しと成ったあの日の惨状が現実の痛みを伴って蘇る。


 炎に舐められて表面の毛が、焼け縮れていくのを粟立つ肌の感覚が報せた。熱せられた耳や鼻先が毟ムシられるように痛い。


 怖い。怖い。怖いよう。

 声にならない悲鳴を上げる。


 事故に気が付いた踊り子らから悲鳴が上がる。

 守りの天人が水を持てと叫んで走る。狼狽えた者らがお膳を倒して更に騒ぐ。焚き火を中心に波紋を描くように騒ぎの輪が広がっていった。


 辺りに悲鳴や怒号が飛び交うなか、上座の大妖の群れから騒ぎに気付いた蛟が飛び出してきた。


 焚き火の前へ立つと、その身をざわりと震わせて一瞬燐光を放つ。すると足元より水が湧き、まるで生き物のように高くせり上がった。白波のたつ透明の壁はゆらゆらと、広がって火を押し包むように襲いかかる。大量の水が浴びせかけられた炎は、しゅうしゅうと蛇の唸りに似た悲鳴をあげながら押し流された。やがて灰煙ハイケムリと共に鎮火する。


 水の引いた焚き火あとは、燻り続けていた。

 その真ん中、いまだ悪夢の覚めやらぬ態で、煤けた白と黒の兎が震えながら立ち尽くす。


 過去の恐怖に囚われて、本性に戻ってしまったらしい。

 無惨に焼き焦げた毛が、ずぶ濡れになってごわごわと毛羽立っている。手にしていた花輪は焼け落ち跡形も無くなっていた。あれほど苦労して作ったお団子も、灰にまみれ足元の泥濘ヌカルミへ落ちている。


 宴の和やかな雰囲気が台無しになってしまい、此処其処ココソコで伺うような囁きが交わされた。

 同情する者や、労わりの視線を送る者。御前で失態を犯したと非難する者。冷笑や侮蔑の含まれたものもあった。

 それらない交ぜになった囁きが、ようやく恐怖から立ち直りかけた白嶺たちの耳へ届いてしまう。


 周りを見渡せば、きな臭いにおいと埃っぽい灰が舞い上がり、騒ぎの最中ひっくり返されたのであろう、膳やお供え物が無残に蹴散らされ踏みにじられている。

 引き倒された篝火が、辛うじて辺りを窺える程度の僅かな明かりを届けていた。


 心浮き立つような賑やかさは消え、白けたような静寂の中、周りから突き刺さるような視線が負った火傷よりも痛い。


 こんなはずではなかった。

 憧れの人と言葉を交わしたいと願っただけなのに、これはどうしたことだろう?


 少しでも綺麗と思ってもらいたい、ちょっとだけでも喜んでもらいたいと、一生懸命用意した物はすべて水泡に帰してしまった。それどころか、愛しの君を楽しませる宴まで台無しにしてしまって。もうどうしたらいいか分からない。


 どうあっても取り返す事の出来ない失態に、置きどころのない身を小さく縮ませる。


 白玉の涙がこぼれ、無惨に焼かれた被毛に吸い込まれては消える。その涙さえ赤剥けた肌をひりひりと苛んだ。


「ごめんなさい……ごめんなさい。」


 どうにもならない悲しみと謝罪が口から零れおちる。

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