第11話 長蛇の列
宴の催される広場に続く道は、既に人ごみに埋められて、小さな二人は大層難儀して目的の列に並ぶ。
月の神と直に口を利けるとあって、捧げものをする者達の列は長く続いていた。
既に渡し終えた者たちもいるらしく、広場の端へ思い思いに座り込み月見の宴を愉しんでいる。
不意に声を掛けられて見上げると、見知らぬ妖化しが声を掛けて来た。周りの者が遠慮がちに距離を取っていることから力のある妖化しらしい。蛟ミズチだと囁きが上がる。
傍に来た蛟は見上げるほど丈高く、小さな姉妹は顔を真上に向けなければ為らなかった。
地に達するほど長い髪は、歌舞伎の獅子のようにさばけていて鉄紺色をしている。全身に沿うように伸びた髪に埋もれるようにして青白い顔を覗かせていた。
足元を見る事は出来ず、何処からが体で、何処までが髪なのか分からない。真冬湖面を覆う薄氷のように色の無い瞳が、視線を合わせれば動けなくなるのではないかと危惧するほどの冷たさを放っている。
「おや、このわっぱ。面白いものを抱えておるな。人間の匂いがする」
水底から湧きあがるような低い声に男性だと気付いた。
目を合わせるのは怖かったが、黒嶺はいつもの癖で目を合わせて話す。
「お団子です。里で作り方教えて貰ったの」
「ほう、木っ端にしては度胸がある。掟破りを我に話すか?」
鋭い目を細めて楽しげに笑う、その口の端より尖った歯並びが覗いた。黒嶺は恐怖に目を見開き口元を覆う。白嶺がみるみる青ざめた。鵺雷に誰にも言うなと念を押されていたのに、お祭り騒ぎの浮かれた雰囲気に思わず口が軽くなってしまった。
分かりやすい態度を示す二人の少女に蛟は思わず笑い声をたてる。遠い潮騒のような笑い声だ。
「咎めまいよ。私はこの山の者では無いゆえな」
からかわれただけだと分かってホッと胸をなでおろす。
蛟は『可愛い兎よの』と呟いて黒嶺の柔らかい耳の毛並みを撫でた。
「内緒にしてくれるの?」
「我は何も聞かなかった」
怖々問う黒嶺に蛟は頷いて見せる。
彼が思いのほか優しげな微笑を浮かべるのを嬉しい驚きを以て少女は見つめる。黒嶺は持っていた花輪を自分の首へ下げると、空いた手で篭からお団子を二つ取り出し蛟に差し出した。
「これ、あげます」
「いいのか? 捧げ物が減ってしまうぞ?」
黒嶺が白嶺を振り返る。
白嶺は何だか嬉しそうに頷いている。
「いいの。ありがとうの気持ち」
蛟は受け取ると、その一つをその場で食べた。
「美味いな。この味は好きだ。本当に美味い」
嬉しそうに菓子の味を褒める蛟の様子に、周りの妖化しが興味深そうに白嶺の持つ篭を覗きこむ。そう言った物に無関心そうな蛟がこれ程旨そうに食べている。余ほど美味いに違いない。
柔らかそうな団子をみて妖化し達が唾をのみ込んだ。
あっという間の出来事だった。
我慢できなくなった周りにた妖化しが、手を出したのを皮切りに、我も我もと手を伸ばし篭の中の団子を掴んで持ち去ってしまう。
「うぬらにくれた訳ではないわ。勝手に手を出した者は篭へ戻せ」
大声を上げた訳ではない。
それでも十分すぎるほどに圧力を含んだ蛟の叱る声に、場の空気が凍りついた。蛟の喝にようやく騒ぎが静まって、姉妹は慌て手籠の中を確認するも、団子の数は半数にも満たない。見るからにがっかりと肩を落とす。
「月のお方への捧げ物ぞ。何てことを」
捧げものに手を出した妖化し達が、ばつが悪そうに頭をうなだれる。返そうにも団子はすでに腹の中だ。困り果てた様子でお互いに上目使いに顔を見合わせている。
その時一人の妖化しが、自分の髪にさしていた見事な菊花を一輪引きぬいて、黒嶺が手にしていた花輪に挿した。それで許してほしいと頭を下げる。
他の妖化し達もそれにならうように、花簪、あるいは身に付けた腕輪や首飾りから、とっておきの花を引きぬいて花輪に足して行く。花をもたない妖化しは、術を以てその花輪に朝露のごとき僅かな光を散らしてくれた。
芒で編まれた花輪はたくさんの花を挿しこまれ、光り輝き、たいそう豪勢なものへ生まれ変わった。
「それで許して貰えるか」
首を傾けて蛟が問えば二羽の兎は笑顔で頷いた。
頭上に抱え嬉しそうにくるりと回ってみせる。事が丸く収まりを見せたおり、突然前の方で声が上がる。
「数が多すぎる故、皆まで番が回らぬ。そこもと達には申し訳ないが列の末尾は此処までとする」
雅な天人が凛と響く声を張り、列にあぶれた者達へ謝罪を述べる。並ぶのが遅すぎたらしい。使いの者が最後尾と引いた線は白嶺たちの遙か先にあった。
余りの落胆にしゅんと耳がたれる。
「お前ら初見か?」
前にいた大柄な牛鬼うしおにが、白嶺らを見下ろして尋ねる。その巌のような姿から発せられる、銅鑼(ドラ)を叩くような声に気押されて、言葉を発することも出来ず、こくこくと大きく首を縦に振り頷いてみせた。
すると牛鬼の大きな手が伸びてきて、鉤爪の先で一度に二人を摘まみあげると自分の前に下ろして並ばせる。見上げれば口の端だけ少し笑って、己は三度目だからお前に順番を譲ってやると言う。
驚きつつも頭を下げていると、またもや別の手に首根っこを捕まれて宙に浮く。どうしたものかとおろおろしているうち、体は更にその前へ運ばれた。
白嶺の団子の効果なのか。
はたまた年長者の後輩に対する優しさなのか。列に並んでいた妖化し達が次々に前を譲ってくれる。あれよあれよと言う間に列の前へと運ばれて行き、月の神に会う事が出来る列の最後尾に滑り込むことが出来た。
後ろを振り返り再び頭を下げれば、心優しき妖化し達は小兎たちに手を振っている。頑張れなどと声を掛けると、おのおの愉しむべく宴の中へ散って行った。
それを見守っていた蛟も、少女らが列の最後尾にはいれたのを見届けると離れていった。やはり大妖だったのかもしれない。行列の先、上座の方へ向かい、人混みのなか小さくなる後ろ姿へ礼を述べた。
たくさんの者から掛けられた、柔らかい情で胸がいっぱいになった兎の姉妹は、いつまでも手を振ってお礼を言っていた。
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