第10話 夕焼け小焼け


 一面に広がる芒ススキ野原に夕陽が射す。

 遠い山並みは影に沈み、夜の帳も下りかけた山際には、すでに一番星が姿を現している。


 柔らかに膨らんだ穂に残光を受け、花芒ハナススキが燃えたつように輝いていた。風に流されてきらきらと、穂より離れた綿毛が舞い散るさまは幻想的である。それは音も無くふわりと漂いながら、小さな生き物のように光を宿して羽ばたくような瞬きを見せた。


 そんな風景のなか、少女がせっせと芒の穂を摘んでいた。

 少女達の輪郭をも、夕映えの光は赤銅色に塗り替えて際立たせる。


 赤い紅葉の刺繍を散らした白い絽の内掛けを羽織り、赤い小袖とそろいの袴姿。二人の少女は、長い耳の生えた頭の上に芒の穂で作った鳥の羽毛のような花冠を頂いている。

 胸元には秋の花を器用に編み込んだ首飾りを掛けていた。


 黒嶺は倒木の上に置かれたお団子のかごを見つめて、しばし親切な媼を思い出す。また会いたいとは思うが、本性がバレてしまった今、里へはもう降りられない。


 あれからどうしているだろう?


 優しい媼の幸せを願わずにはいられなかった。

 薄の穂を摘み集めながら、それでもいつかほとぼりが冷めた頃、こっそり見に行こうと誓いをたてた。


 短く手折られた穂は、中へ桔梗や撫子、竜胆等のはなびらを閉じ込めて、虫食い鬼灯のような形へ編まれていく。それを幾つも連ねて大きな輪をこさえていた。


 少し変わった形の、どこか愛らしい姿をした花輪が完成し、その出来栄えをくるくるとまわして確認しながら姉妹は満足そうに顔を見合わせる。


「姉さま、良いんじゃないかしら」

「これなら喜んでくれるかしら」


 川面が夕映えを乗せてさざめいている。

 その光が強まるほどに辺りの影を色濃く変えていった。


 隣どうし腰かける姉を黒嶺が見つめる。

 白嶺の横顔はほんのりと橙に染まり、手元を見つめる目に、伏せられた睫毛が艶やかに影を落としている。芒の穂と同じく銀色の髪は夕日に輝き、今は金色に見えた。


(綺麗だなぁ)


 このところ落ち着きの無い姉の様子に、病じゃないかとハラハラさせられたものだ。しかし、それよりも黒嶺を少し不安にさせたことがある。このところ、姉が変わった。


 元々淡雪のように玲瓏な少女である。

 されどこのところ、その美しさに磨きがかかったような気がした。毎日傍らにいて見ているのだから間違いない。


 姉が美しくなるのは喜ばしいことなのに、なぜだか、おいてけぼりをくったようで寂しくなるのはどうしてだろう。


 上手く言い表せない。上手く言い表せないが、傍にいるのに何処か離れたところにいるような感じがするのだ。

 つと視線があげられて黒嶺と交わる。陽の光に透け、陽の色が入り交じった瞳は緑色に輝いた。


「お黒ちゃん?」


 長いこと見つめられて視線に気がついたのだろう。

 どうしたのかと尋ねるように子首をかしげる。


「姉さま。綺麗になった」

「えっ!急にどうしたの?」


 唐突に告げられて白嶺が目を丸くする。


「恋をするとそうなるのかな」

「うちのこと、綺麗にみえるの?」

「うん」


 ぱぁっと花が咲いたように白嶺が微笑む。

 頬を染めて喜ぶ姉の顔は、それを見慣れた黒嶺にとっても眩しいくらいに可憐だった。


「わぁ、月読命さまにもそう見えたらいいなぁ」

「大丈夫、きっとそう見えるよ」


 蝶が舞うようなわずかな沈黙が訪れたあと、躊躇いがちに黒嶺が口を開いた。


「姉さま」

「なぁに?」

「もしよ?もしの話よ?お月さんの神様に、月においでって言われたら行ってしまうの?」


 顔を朱に染めながら、いくらなんでも気が早すぎると笑われた。まだ合ったばかりではないか。


「いいの! 嘘っこでもちゃんと考えて!」


『嘘っこ』とは彼女たち独特の言い回しで、現実には起こっていない空想したことを意味している。

 何故かむきになった妹に子首をかしげながらも、白嶺は両手で頬を押さえながら暫し思案した。黒嶺はそれを不安そうに見守っている。


 もし、姉が行くと答えたらどうしよう。

 自分は独りになるのだろうか。祝福して送り出すべきなのだ。頭では分かっているつもりなのに、それを思うと心が沈んだ。


「行くよ。うち、お月さんの神様に付いていく」


 黒嶺の耳がじわりと垂れ下がっていく。

 されど次の瞬間、白嶺は妹の手を捕まえてじっと目を覗き込む。


「遠いけど、頑張って歩こうね。お黒ちゃん」


 その言葉に黒嶺はきょとんと目を見開いた。

 姉の頭のなかに、独りで月にいく考えは端から無かったのだ。取り越し苦労に気が抜けて思わず笑ってしまう。いぶかしむ姉に何でもないと告げて空を指す。


「姉さま、急がないともうお月さま出てしまう」


 空を見上げれば、黄道に浮かび上がる嶺へ皓々と光を強くした月が懸かろうとしている。月の神のお着きであろうか?


「大変!もう行かないと」


 白嶺が捧げものの篭をその胸に大切そうに抱え、黒嶺が芒の葉に当たらないよう頭の上に花輪を抱え上げる。

 丈高い草の間を縫うようにぴょんぴょんと走りぬけ、鬱蒼とした森の中へ消えた。


 遠くよりわずかに聞こえる祭り囃子の音が、風に乱されるように途切れ途切れに流れてくる。


『仲秋の宴』が始まろうとしていた。

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