第8話 帰山


 東の空が白み、朝焼けへと徐々に色合いを変えようとする頃。兎の姉妹は媼が引きとめるのをやんわりと辞退して山に返る事にした。あまり長く出掛けていると重蘰が心配すると思ったのだ。


 媼は寂しそうだったが、待つ者がいると聞くとそれ以上引きとめたりはしなかった。その代わり、竹籠に山と積まれたお団子を全て姉妹へ持たせてくれるという。風呂敷へ包んだそれを背負わされながら小首をかしげた。


「え、でもこれはお婆ちゃんの息子さんのお団子でしょう?」

「いいんだよ。どうせ今年も無駄になる」

「でも、帰ってきたらがっかりするよ?」

「心配ないよ。もしかしたら、あの子はもう二度と……」


 帰って来ないかもしれない。

 そう言葉を続けられなくて、媼が喉を詰まらせる。


 そんな彼女の手を白嶺が取って励ました。黒嶺ももう片方の手を取って媼を見上げる。その手の暖かさが、しっかりと見上げる清んだ瞳の確かさが、老婆の心を優しく慰めた。


「大丈夫だよ。きっと帰って来るんだから。遠い場所に居るんだよ」

「だから諦めないで、泣かないで」

「ありがとう。優しい子だね。また遊びに来てくれるかねぇ?」


 嬉しくて、満面の笑顔を浮かべたその時、悪戯な風が黒嶺の頬っ被りしていた手拭を吹き飛ばす。

 東雲の薄明かりのもと、媼の目にその異形の姿がさらされた。


「おまえ、その耳……」


 媼の目が驚愕に見開いたのをみて、怖くなった白嶺は思わず手を振りほどく。そのまま妹の手を掴むと、まさに脱兎のごとく走りだした。


 背後で媼が何か叫ぶのが聞こえた。

 気になったけど、妖化しとばれてしまっては里へ居る事は出来ない。山を出る前に夜鵺に言われたことが脳裏へ蘇る。


『いいか兎ども。人里に行ってお前さんたちが妖化しだとバレそうになったり、バレたりしたら。直ぐ何がなんでも山へ帰ってこい。直ぐにだぞ!』


 一刻も早く山へ帰らなくては。

 だけど背中の風呂敷が重くて思うように走る事が出来ない。そのとき背後に風圧を感じた。人に捕まってしまうのかと一気に血が引いていく。


 素早くそちらへ視線を向け、並走する者を見る。とてつもなく大きな雉虎の狼だった。足元へ風を纏い、炯々ケイケイとした金色の眼が姉妹を見据える。柘榴のように紅く裂けた口のはしが笑うように少し上がった。


 体中の毛が逆立って、喉の奥からひーっと絹を裂くような甲高い悲鳴が上がる。


「待て待て、俺だ。迎えに来たぜ。重蘰にばれてどやされちまった」


 鵺雷の声がそう告げるのを聞いて心底ほっとする。

 しかし驚いた、鵺雷の本性を見るのはこれが初めてだったから。


 荷車ほども大きな狼は、彼女らの襟首をくわえると空へ舞い上がる。お腹の中を蝶が飛びまわるような浮遊感を味わってきつく目を瞑った。


「姉さま、姉さま!凄い凄い!」


 お空を飛んでいる! 風になったよ!

 と、黒嶺は大喜びで両手を広げ巻き起こる風と戯れている。もっともっととせがまれて、鵺雷も満更でもないらしい。少し本気になって速度を上げにかかる。


「もっと早く!もっと早く!あははははは」

「駄目だめっ!まってぇ~~~っ!」


 流石は風の妖化し、ヒョウの一族である。

 山を一巡りしながら風に変わった。早すぎる速度に恐れおののく白嶺の声と、黒嶺の弾けんばかりの歓声は、暴風の音に掻き消されるように途切れた。


 鵺雷は実力を遺憾なく発揮して、姉妹をあっという間に社の前へと連れ戻して来た。


 どうしてか酷く荒らされたようになっている中庭に、落ち着かない様子の重蘰が少女らの帰りを待っていた。だが、二人の姿を見留めると眉を顰め、ちょっと怖い顔をする。


「あんた達、いったい何処ほっつき歩いてたんだい?」

「えっと……」


 白嶺と黒嶺がちらちらとお互いに視線を交わして、良い言い訳を探している。


「婆さんと団子作ってたんだよな~。重蘰にもやったらどうだ?」


 鵺雷が助け船のつもりなのか口を挿む。

 重蘰に睨まれるも、惚けた様子でどこ吹く風ある。黒嶺が団子を一つ彼女へ差し出した。


「はい、お土産。姉さまとお婆ちゃんと作ったの」

「心配させてごめんなさい」


 揃ってぺこりと頭を下げる。

 無事に帰って来た事ではあるし、この前に鵺雷へ怒りを爆発させて気の済んだ分もあって、重蘰の感情は毒気を抜かれたように大人しいものへ変わっていた。


「初めて作った団子だ。『優しい姉さん』に味見して貰いたいよなぁ?」


 鵺雷はさっきの小競り合いをまだ多少気にしているらしく、『優しい』を強調するちょっと嫌味ともとれる言い方で白嶺と黒嶺を後押しする。


 おずおずと団子を差し出して、二羽の兎が重蘰のご機嫌をうかがってきた。味見をしてほしいのは本当らしく、少し期待を込めた眼をしていた。


 重蘰は鵺雷をひと睨みしてから団子を受け取り半分齧る。上品な甘さを気に入ったようだ。しかし、何故かそっぽ向いて、団子の篭を抱えていない白嶺の方へ、風呂敷包みを押しつけるように渡してきた。団子を口にほうばって、もぐもぐと話す。


「あたしのお古だけどあんた等にやるよ。月見の時にでもせいぜい着飾りな」


 包みを開けてみると、赤い紅葉の模様を散らした白い絽の内掛けが二枚入っていた。二人の身の丈に合うよう仕立て直してある。各所に刺繍が施され大変雅な衣だった。


「わぁ、ありがとう」


 姉妹が嬉しそうにお礼を言っているのに、重蘰はこっちを向いてくれない。


 未だ怒っているのかな?


 二羽の耳が元気をなくし、眉尻と共にじわじわと下がって行く。


「全く人騒がせな子だよ。今夜に向けてやらなくちゃいけない事もあるだろ? あたしも忙しいんだ。さっさとお行き」


 残りの団子を食べながらひらひらと手を振って白嶺たちを急かす。心残りではあったけれど、鵺雷が大丈夫だからと言うのでその場を任せて社を後にした。


 暫しの沈黙が流れる。

 後ろを振り向き振り向き、歩みを進める兎の姉妹へ鵺雷が溜息をつきながら軽く手を振った。


「なぁ、心配したとか。無事に帰って来て安心したとか。お前ぇは何で素直に言えねぇんだ?」


 二匹の兎が消えたのを見計らって、鵺雷が重蘰に呆れた様子で声を掛けた。


 そっぽを向いたままの彼女の頬を涙が伝い落ちる。

 その切れ長の涼しい目元にいっぱい涙を貯めていた。零れおちる涙を指先で払いながら、団子をかみ締めるように食べている。


「うるさいね。大きなお世話だよ。」


 多分、貰った時よりも塩気が強くなっているであろう団子を飲み下して、重蘰は顔を顰めた。


「あの子らへ美味かったって伝えといておくれ。それから」


 少し間が空く。


「迎えに行ってくれて……ありがと」


 揺れる声でぶっきら棒にそう告げると、本体の藤の中へと吸い込まれるように消えて行く。鵺雷が苦笑を洩らしつつ、はいはいと返事をしてその場を後にした。

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