第7話 母ふたり


「わしにも娘が三人おってね。器量よしのいい子だったよ。だけど、皆嫁いで行きよった。息子も一人おったけど、三年前戦に取られてしもうてね。まだ帰って来んよ。待ってるんだがねぇ。」


 いつの間にやら媼の身の上話に流れて行った。すっかり媼へ気を許した妖化しの姉妹は、思わず自分の身の上のこともぽつりと漏らす。


「うちらも二人きり。父さんも母さんも、あと五人いた兄弟も、山火事がみんな持って行ってしまったの。でも今は寂しくないよ。母さんみたいな姉さんが出来たし、ちょっと怖いけど兄さんみたいな人も出来た。だから心配ないよ」


 媼は思う所あったのだろう。

 白嶺と黒嶺を両手にかるく抱き締めてその小さな背を撫でた。


「そうだ、祭りで振る舞われる料理の他に、息子の好きなものがあるんだよ。お前さん達に作ってあげようねぇ」


「なあに?」

「団子だよ。お団子。知らないのかい?」


 すっかり夜にもかかわらず、媼はその特別な料理を作ってくれる。

 女の子ならいつか役立つ事もあろうと二羽の兎にも手伝わせた。臼で挽いたもち粉をこね、小豆を煮詰めた餡を包んで丸める。先ほどより囲炉裏にかけられていた鍋には小豆が煮られていたようである。


「明日はお月見だからね。もし、息子が帰ってきてこれが無かったら、がっかりさせてしまうからね。」


 窯に火をくべ、水を張った鍋に蒸篭をのせながら、媼は少し寂しそうにいい訳紛いな呟きを洩らした。

 手にべた付くもち粉に悪戦苦闘し、上手く丸められない少女らへコツを教えながら、その姿を幼い日の我が子へ重ねる。

 自然と懐かしい童歌が口をついて流れだした。


 知らないながらも真似をして、兎の姉妹も歌い出す。

 そのたどたどしくも楽しげな旋律に、外で歌う虫さえも聞きいるように声を潜めた。



 どこかで女の泣き叫ぶ声がする。


 小さな二つの骸を庇うように抱え、その瞳を恨みに燃え立たせ、太刀を構える者どもを睨みあげている。


 涙に濡れ、鬼女のごとく顔を歪めたその女は、声を張り上げて呪いの言葉を吐いていた。その姿はもう、人のそれとは思えなかった。


 自身も傷を負い。もう助からないのだろう。

 白雪の上に赤い大きな跡が影のように広がっていた。



 不意にまどろんでいた混沌の海から意識が浮上する。

 嫌な夢を見たものだと両手で顔を覆って撫でおろした。もうずいぶんと昔の事であるはずなのに。


 忘れたい。でも忘れたくない。


 心に受けた傷は完治すること無く。

 いつから立ち直ったと線引きできるものではない。

 些細な切っ掛けで思い出し、あるいは夢にうなされて、繰り返し、繰り返しもがき苦しみながら、やがて時の流れに痛みが風化する日まで耐える。


 そういうものなのかもしれない。


 それとどう向き合うのか、最終的には己の心ひとつであろう。完全に取り除いてやる事など誰にも出来ないのだから。


 それでも苦しくて、苦しくて、誰かの手に縋りたくなる時がある。


「重蘰?」


 枝の下で鵺雷が呼びかけている。

 顔を見せると心配そうに枝の上に昇って来た。


「青い顔してるぜ。大丈夫か?」


 精いっぱいの強がりで、鼻で笑って見せる。

 そんな彼女に神妙な面持ちで鵺雷は頭を下げた。


「悪かった。さっきは済まない。俺が悪かった。」

「よしとくれよ。あんたにあっさりと謝られるなんて気味が悪い」


 それ以上は何も言わない。

 彼女をこうも長く苦しめているものの正体を彼は知っているからだ。ただ、その寂しそうな背を撫でさする。


 全部を分かってはやれない。

 でも、分かった振りもしたくない。だから、何も言わない。


 それが伝わっているのか、重蘰も黙したまま彼の肩へ寄り掛かった。今はただ、傍にいてくれるだけで良い。

 その温もりだけが慰めになるから。

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