第6話 矛先
その頃社の中庭では、他の御使いがおろおろと右往左往していた。お社様へ仲裁を頼もうかと言う囁き声まで交わされている。
渦中の人は重蘰と夜鵺だ。
彼が里のことを兎の姉妹へ吹聴したせいで、彼女たちが山を下り、人里へ向かったことが重蘰にばれたのである。
山奥で過ごしてきた姉妹は人間を知らない。
どんなに心配で後を追いたくても、この地へ縛られている重蘰には山を下りることは出来なのだ。夜鵺はそれを知っているくせに。そう思うと怒りが増した。
黒い妖気を漂わせ、ミシミシがさがさと枝を震わせる千年藤を背後に、般若の相で鵺雷を見据える。日頃涼しい顔の美人が、妖化しの本性もむき出しに怒る様は迫力があり、誰もが近づく事を躊躇した。
「お前……あの子らが無事に帰って来なかったら、どう落とし前付けるつもりだいっ!」
突如地中から突き出す無数の根が、鵺雷を打ち据えようと四方八方から飛んでくる。しかし、彼は見事な身のこなしで其れを避け、根は空しく大地を打ち据えるだけに止まっていた。
俊敏な夜鵺にとっては造作もない事である。
例え打たれたとしても、それなりに力のある妖化しである為、致命傷になるような怪我する心配はない。ただ、繰り出される根や枝は通常の木の幹ほどもある為、中庭は大層荒れて穴だらけである。打ち据える度に地響きが起こり、その微震で社が僅かに揺れる。
「落ち付けっ! お社様に気付かれて困るのは兎共だろうがっ!」
「お前が余計な事を教えなきゃこんな事になりゃぁしなかったのさっ! このっ! 馬鹿犬っ!」
重蘰が渾身の一撃を振り下ろし、鵺雷はそれを素早く身を翻して避ける。先ほどまで鵺雷のいた地面が、大きくえぐれ深い溝が刻まれていた。
流石の鵺雷も話の通じない彼女へ苛立ってきて舌打ちをする。
この山の妖化しが里へ行く事は禁止されている。
不用意に人間を驚かせれば、恐怖に駆られた人の群れが何をするか分からないからである。中には不敬にも山へ踏み込み、妖怪退治などを考える輩ヤカラまで現れるかも知れない。
対立するよりは住み分けをして、お互いに穏やかに過ごそうと言うのがお社様の考えであるようだ。
それであるから、今回のように里へ下りればそれなりの罰は下されることになっている。しかし、それはあくまで建前であり、お社様の耳に入ればの話である。
黙って里へ下り、人間にばれることなく酒や農作物を物々交換と言う形で手に入れて帰る妖化しは多い。平和的な交流であれば、お社様も目を瞑ってやるくらいの大らかさは持ち合わせていた。
そういう暗黙のうちに交わされたお約束ごとがある為、危険は無いだろうと、鵺雷は兎の姉妹に里へ下りる道を教えてあげたのである。
されど、人間嫌いの重蘰にそれは通用しない。
力の無い妖化しが人に捕まって見世物になったり、どこかの仏閣へミイラにされて安置されるなんて話はざらだ。馬鹿犬が要らない悪知恵を吹きこんで、可愛い妹分を危険に曝しているとしか思えないのである。
騒ぎが大きくなればお社様の耳にはいるのも時間の問題だ。そうなればお社様とて、捨て置くわけにも行かなくなるだろう。年を経て丸くなったとはいえ、厳しい面をもっているのは確かなのだから。これ以事を荒立ていつまでも騒いでいるのは不味い。
「あいつらは自分の事くらい自分で面倒見れるんだぞ!」
「うるさいっ!」
「お前の子の時とは違うんだっ!」
つい、痛いところを突いてしまった。
凍り付いたようにご神木が動きを止める。場がしんと水を打ったように静まり返った。不気味なくらいゆっくりとした間が訪れる。夜鵺は己の失言に歯噛みした。
重蘰とて頭では分かっているのだろう。
我が子とは違う。
過保護に扱ってしまうのは自分の我が儘に過ぎないのだろう。いずれあの妖化しは立派に独り立ちして、自分の生きたいように彼女のもとから旅立って行く日が来る。その時御神木として山に止まらなければならない己はついていくことが出来ない事も。
彼女は瞳を猫のように細め、不穏な赤い光を宿したままだ。その異形の瞳に悲しみが浮かぶ。
踵を返し、溶け入るようにふわりと消えた。
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