第2話

地球が回っているのか、太陽が回っているのか。それとも俺たちは動かないままで、宇宙が回転しているのか。それとも俺の頭が回っているのか?

さっきから同じ女の子と何度もすれ違っている気がしていた。酒のせいだろう。だとしても、目に見たものは事実だ。急にシラフになりたくなった。自販機でもいい。水が飲みたい。

そう思って駅まで歩いているうちに、住宅地にポツンと置かれた公園を見つけた。そこにおきまりの水飲み場があって、今の俺には都合良く思えた。千鳥足で駆け寄ると、俺はつい勢いよく蛇口をひねってしまった。と、そのとたん蛇口から炎が吹き出された。ベトナム戦争の記録映像を思い出す。油に乗った炎の帯が2メートルは吹き上げられたのだ。見えなかった周囲が真っ赤に照らされ、顔は日に当たったかのように熱くなった。焦るあまり後ずさりしたが、すぐに蛇口を戻して栓をした。炎は縮まり、火の粉を少し吐き捨てて消えた。

龍の喉か? 一体今のはなんだ!?

俺は目が覚めた。酒のせいじゃない。夜中の大学帰りで、駅に向かって歩く道中で間違いない。しかし妙だ。普通じゃないことが起きている。そうパニックになる程緊張してはいない。このカオスはむしろ、刺激的で楽しくも感じる。

突然、遠くから消防車のサイレンが大きくなって聞こえて来た。そして気付いた時には、民家の間を赤いランプが回転していた。公園の入り口には、ズバリ消防車が到着していた。

目を向けていると、小柄な消防隊員が4人降りて来た。慌てた様子で駆け寄ってくる。公園に唯一佇む街灯で顔をよく見ると、若い女性に見えた。

「お待たせしました。◯◯市消防局です。通報を受けて参ったのですが…」

それはとても可愛らしい女性隊員だった。いやよく見ると、皆女性のようだ。

俺はこの状況にどうすべきかとツバを飲み込んだ。しかし彼女らの表情にはすでに俺をあやしげな目で見ているように見えて。

「すみません。通報はしていないけど」

「え? あなたじゃないんですか?」

「俺は今来たばかりで、喉が渇いたからここの蛇口をひねったら、確かに炎が上がりました」

隊員の一人が表情一つ変えず、その蛇口をひねってみせた。すると水が勢いよく吹き出て来た。そうくると思ったよ。おかげで俺は完全に酔っているか、薬でも決めた幻覚者か。

「ここから火が出たんですか?」

「ええさっきは」

「お兄さん、酔ってますね?」

「ええ少し」

「家は近いんですか?

「いや、そこのR駅まで行かなきゃ」

「なら駅まで送りましょう」

「え?」

そう言われても、もう炎を吐いた蛇口は、『酔っ払いの通報』で解決したようだった。

「助かります。どうも」

そういうと、そのチーフらしき隊員が他の隊員に指示を出し、俺と彼女を残して車に乗り込み走っていった。

「さ。駅まで歩きましょ」

「はぁ…」

俺は防火服を着たままの女消防隊員と歩き始めた。公園を後にし、道に戻って駅へ向かう。

一体どこまでが現実なんだろうか。俺はさりげなく自分の頬をつねった。

「お名前は?」

と俺が尋ねると、彼女は鼻で笑って返した。

一体今夜はどうなっているんだ。

「ご職業は何をされているんですか?」

「いや。美大に通ってて」

「学生さんか。絵を描かれているんですか?」

「うん。まぁ、時々」

「へ〜。ぜひ私をモデルに呼んでくださいよ」

一見まっすぐ走れば安全だと思わせる緩やかな急カーブを走っている気分だった。突然、モデルにしてほしいなんて。まるで人懐っこい同級生の喋り口調だった。

「ええ。ぜひ」

俺はとりあえず流すように答えた。なんてカオスな夜だろう。俺は入ってはいけない空間に入ってしまったのだろうか?あのスティーブン・キングの幻や、江戸川乱歩の奇想天外なトリックにかけられているようだ。でもなぜか、不安ではない。何かに誘われているような気もしない。ただ、ワクワクするだけなのだ。

アメリカのインディーロックが頭の中で流れ始めた。洋風の民家に灯るランプや、静かに揺れる闇に中の木々が、どこか和風でもない、他国でもない異国間を感じさせる。うまく言葉にできなさそうだが、例えるなら博物館だ。博物館の中にいるような気がした。

俺は横を歩く彼女を見た。彼女も俺を見ると微笑んだ。

駅へ行く道はあっているようだ。俺はただことの流れに身を任す思いだった。

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梅雨のある夜 良大郎 @jackal777

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