梅雨のある夜
良大郎
第1話
「こんばんはお兄さん」
白いワンピースを着た可愛い女が微笑んだ。俺は微笑み、会釈して返した。今日の俺には救いの笑顔に思えたのだ。
行き場のない酒が心に染み込んだ。小川のせせらぎをそっちのけに夜道を千鳥足で歩く。
帰ろうとしているのか、どこかに用でもあったのか分からない。行き先なんてどうでもいいのだ。コンビニで買った安缶ウイスキーをまた一口飲むと、静かに笑みがこぼれ、想像の世界に身を任す。
ふと、先ほどまで行われていた自分と知人との会話が脳裏に浮かんだ。美大生の話はこんなものかと内心落ち込んでいたっけ。
さてさて、どうして独りでこんなところにいるのだろう。虫の鳴く声、風の声。梅雨の夜は独り自分を罵る若者を笑っている様だ。とても哀れで、情けなく思えた。それがまた、一口二口、俺に酒を飲ませた。青白い街灯が右へ左へ、斜め左右して落ち着かない。聴きたくもない音楽が頭の中で繰り返し流れ始める。
「おう! お前こんな遅くにどこ行くんだよ?」
「分からんけど、きっとこんな時間だから、家だろう」
「あぁ、そう……」
自尊心は温暖化に苦しむ北極南極の雪の様に、砕けて減っていく。もうどうしようも手に負えない。俺の心臓は勝手に動いて、心はずっと泣きっぱなしだ。何でこんなに沈んじまっているんだ。片手の酒をどこで手に入れたかも思い出せない。そもそも、これは現実だろうか?
一口二口飲めば気づくと思っていた。思っていたより梅雨の夜が体の中の奥まで入り込んできている様だ。
「お前は一生独り身だよ」
そう言われて、気にさわって、落ち込んでいた矢先、目の前で、子猫か狸が車にひかれたのを見た。そうだ。それで酒を飲んでいるんだ。目の周りがしょっぱいのも、泣いていたからに違いない。
誰も愛しちゃくれない。別に悲観的な訳じゃない。酒は嘘をつかない。俺は、ちと弱っているだけだなんだ。どんなに絵を描いても、どんなに笑顔でいても、太陽に向かう小惑星だ。
「おい! 邪魔だよ兄ちゃん。歩道を歩け!」
「車は車の道があるだろうが!」
俺の足はしっかり歩道を歩いていた。酒はまだ二口位あるのかな? なくなっちゃ困る。俺はまだ嘆いていたい。少し愚かな具合が良いのだよ。
ゆらゆらと、夜道が続く。
「こんばんは」
突然、若い女が声をかけてきた。暗くてよくわからないが、白っぽい服装だ。
「こんばんはお姉さん」
俺はまた酒を口にするとそそくさと歩いた。この酔いなら口説けそうだが、どうもその気にはなれなかった。一人になりたいわけではないけれど、一人がちょうど良い。矛盾した自分に腹が立った。
振り返ると、女はニタニタしながらその場をうろついていた。
待てよ……。
少しだけ酔いが覚めてしまった。これがまた気分が悪いものだった。俺は正面だけを見て、再び夜道に集中した。ちょっとした住宅街。暗い街灯に信号のない交差点。その先に、コンビニの明るい看板が見えた。そこまで、そこまで酔いが続いて欲しかった。
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