負けちゃだめ

「栞ちゃんに負けちゃだめよ」

 いつも、ママはそう言う。

 栞ちゃんは、わたしと同じ事務所で、今とても人気がある子役アイドルだ。可愛くて、頭もよくて、CMやテレビドラマにいっぱい出ている。

「全く、あんな子が、映画だなんて!」

 今日は、栞ちゃんの映画初出演の記者発表をテレビで見たばかりなので、ママはものすごく機嫌が悪い。これから、わたしの歌のレッスンの時間。痛いくらいグイグイ手を引っ張られながら、教室へと歩いていく。

「ああ、もっとレッスンを増やさなきゃ! 歌も、ダンスも、演技も!」

 ママはとてもきれいだけれど、こんな風に怒っているときのママは、とても怖い。

 怒っていないときも、いつ怒るかと思うと、とても怖い。

 ごめんね、ママ。わたしが、ダメな子だからいけないんだよね。

 でも、いつもママは言う。

「次は、絶対に栞ちゃんに負けちゃだめよ。勝てるわ。だって、あなたはママの子なんだから」

 だから、わたし、ママに聞いてみたの。

「ママは、誰に勝ったの?」


 ママの動きが、ピタッと止まった。

 そして。


「ひぃやぁアアアアアァァァあああァあぁアア!?」


 スピーカーが壊れたような、身体が裏返ったみたいな奇声でママが叫んだ。

 長い爪で、バリバリと自分の顔をかきむしっている。顔も、指も、真っ赤。

「……マ、ママ……?」

 びっくりして、固まるわたし。

 通りすがりの大人が何人かで、暴れるママを押さえつけた。それから救急車が来て、ママが乗せられていって。

 それっきり、ママは、家に帰ってこなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る