「罪の記録」
X国は国のありとあらゆる場所に監視カメラと盗聴器を設置していた。
公共の場所は勿論、一般市民の寝室にすらそれらの機器は設置されていた。
少々やり過ぎではないかという意見もあったが、テロリスト対策としては上手く行っていたので結局はカメラと盗聴器が撤去される事は無かった。
ジョンは警察のある部署の職員だった。
普段のジョンの仕事は、データを閲覧しに来た捜査官達がテロリストやスパイ、犯罪者の捜査以外の目的で動画や音声を使わないように目を光らせる事だった。
そして彼は職務に忠実で相手が誰であろうとほとんど怯まないことで有名だった。
しかしその日は流石のジョンも緊張した。
何故なら急に大臣がジョンを訪ねて来たからだ。
大臣を前にしたジョンは緊張のあまり滝の如く汗をかいた。
ジョンの緊張を察して、大臣は彼に優しく声を掛けた。
「汗を拭いたまえ」
「はっ。大臣、お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません」
ジョンはポケットを弄った。
今日に限ってハンカチを持って来ていなかった。
仕方なく、ジョンはシャツの袖で汗を拭った。
「私が今日ここに来たのは、君にクビを言い渡すためではない。だからもっとリラックスしてくれて構わん」
「では大臣、今日はどの様なご用件でいらしたんです?」
大臣はジョンに小声で耳打ちした。
「極秘に調べたい事がある。実は私は重大な事件に巻き込まれているかも知れんのだ」
「分かりました。大臣が仰るならきっと間違いないと思います。出来るだけの事はさせていただきます」
「ではまず盗聴器と監視カメラを切ってくれ」
「分かりました」
ジョンは机の上のコンピュータを操作し、室内の監視カメラと盗聴器を停止させた。
「これで余程の大声で話さない限り秘密が漏れる事は無いと思われます」
「ありがとう。では話すとしよう。実は、私の勘違いかも知れないのだが私の身辺にスパイがいる可能性があるのだ」
大臣の言葉を聞いてジョンはまたも大きな緊張に襲われた。
「信じられません。まさかスパイの脅威が大臣の身辺にまで及んでいるなんて」
「信じられないのも無理はない。私自身、信じたくない。だが万が一という事もある」
「それに私はずっとここで仕事をしていますが、監視カメラと盗聴器をX国中に設置して以来その様な話は一度も聞いた事がありません」
「そうだろうとも。実は私がスパイだと疑っている人物は、監視カメラと盗聴器をX国中に設置する前から私の近くにいた人間なのだ」
「それは一体誰なのでしょうか?」
「それは、私の妻だ」
ジョンは大臣の声が先ほどからわずかに震えている事に気が付いた。
「頼む。妻の記録を、閲覧させてくれ」
声の震えはより大きくなり、縋るような調子を帯びて来た。
「もう一度だけ元気に動いている妻を見たいんだ。君も本当はもう私が何をしに来たのか薄々分かっているのではないかね?」
大臣の声はもう殆ど涙声になっていた。
「分かりました。ですがこれは本来なら絶対に許されない規則違反ですので10分だけで構いませんか?」
「ありがとう。恩に着る」
大臣は頬に涙を溜めながらジョンの手を握った。
「画像と音声を再生するにあたって何かリクエストはありますか?」
大臣は迷った挙句、長女の誕生日をリクエストした。
ディスプレイにまだ若々しかった頃の大臣と大臣夫人、それから長女が映し出された。
特筆すべきところは何も無い、普通の家族の団欒風景だった。
音声も再生されていたが、途中から全然聞こえなくなっていた。
感極まった大臣がずっと嗚咽し続けたためである。
大臣は家族の団欒を12分間体感する事が出来た。
2分間はジョンのサービスだった。
映像が終わると、大臣は我に返り、徐々に威厳を取り戻して行った。
「ありがとう。そしてすまなかった。君に規則違反をさせてしまった」
「いいえ。大臣の事は国民の誰もがよく知っています。だから気にしないで下さい」
大臣は仕事人間だった。
そのせいで家族、特に夫人との関係は冷え切っていた。
そして夫婦関係が修復されないまま、夫人は事故で帰らぬ人となった。
大臣は夫人の葬儀でその事を大いに悔いたという。
「そう言って貰えると助かる。では、もうそろそろ出て行くとしよう。多分、もう2度とここに来ることはないだろう」
「では大臣、これを」
ジョンは大臣に先ほどの映像からプリントアウトした静止画を5枚、封筒に入れて渡した。
大臣はそれを受け取った途端にまた涙腺が緩みかけたが、我慢して部屋を出て行った。
大臣が出て行った後、ジョンはコンピュータを操作しながら独り言を呟いた。
「やれやれ。夫人と長い間良い仲だったことがバレていたら今頃どうなっていたことか……」
ディスプレイには先ほどの団欒から少し経った後、夫人と密会するジョンの姿が映し出されていた。
ジョンはその画面をしばらく眺めた後、再び監視カメラと盗聴器のスイッチをオンにした。
「罪の記録」終わり
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