第2話

私を担当してくれたスタッフは澤木さんといった。

三十代後半か四十代前半くらいの人で、スーツがよく似合う。

キリッとした目は、笑うと柔らかく三日月の形になる。

第一印象、寝癖みたいなヘアスタイル。

少しハスキーっぽい声や、さむーいおやじギャグを楽しそうに言うところが私のツボ。

物件を見に行く車の中で他愛ない話をして、焼肉好きなんですって言ったら、プライベートで連れて行ってあげると澤木さんは言った。


案の定家族を困らせた。怒らせた。

渋々、渋々、

そんなにやりたいならやってみな

って、ひとり暮らしを許された。


ほんと、親不孝な娘。


引越しが終わって三日後に、澤木さんからメールが届いた。

[すわちゃん。今週の火曜日の夜空いてる?焼肉行こう。]

今まで敬語だったのに、崩した話し方。なんか新鮮。

[空いてます!行きたいです。 翠和]

速攻で返事をした。

嬉しい。

久しぶりの焼肉。

正直、澤木さんと会うということより焼肉を食べられるってことが重要ポイント。

でも、まさか本当に連れて行ってくれるとは思ってなかったよ。



その後も何度かメールをし、澤木さんと澤木さんの友達と私の三人で行くことになった。

[すわのアパート着いたらノックするから]

澤木さんからのメール。

いきなりの呼び捨てにどっきーんと心臓が鳴る。

我ながらなんてベタな。

ていうかどうして急に呼び捨てなの?

澤木さんかっこいい方だから、きっとモテるんだろうな。

女慣れしてんなきっとこれ。

でもね、そんなテクには簡単には引っかからないよ。

いつだって、期待した分、傷は倍で降りかかるの。

[3回ノックね 翠和]

[わかった]

別に澤木さんを好きなわけではない。

だけどドキドキする。

ベッドに座ってもこたつに入ってもどうも落ち着かない。

狭い部屋の中をうろうろしてしまう。

人を待つって、ドキドキする。


コンコンコン


うわっ、はやっ。

五分も経ってないでしょ。


急いで、掛けてあるコートを引っつかんだらハンガーも一緒に落ちた。

いいや、そのままで。

鍵持った、財布持った、携帯持った。

ハンカチは持たない主義である。

「はーい」

ブーツに勢いよく足を突っ込みながら玄関のドアを開けると、澤木さんが立っていた。

スーツにロングコートにマフラー。相変わらずの寝癖風ヘアスタイル。

「行こ。友達の運転だけど」

待って、澤木さん、まだブーツに足入りきってない。

「今日はありがとうございます」

「入居祝い。あ、鍵かけるの忘れないでね」

「うん」

ぽろっと、自然にため口が漏れた。

スーツなのに敬語じゃない。

違和感。だけど、心地の良い違和感。

この人はどんな人なんだろう。

仕事の顔じゃない澤木さんを見れる。

なんだかわくわく、胸が高鳴る。


私があなたのお客さんだったのは、偶然なのか必然なのか。

わかんないけど、どっちでもいいや。

あなたが私を掬い上げてくれた。



緊張してうまく食べられなかった。

だって、澤木さんが隣に座れって言うから。

私に「翠和、こっち来て」って、隣の席をぽんぽんと軽く叩くんだもん。

仕事のときとは全然違う、甘えるような目と声で。

女慣れしてるな。わかるぞ、引っかからないぞ。

そこまで私は馬鹿じゃないぞ。

だけどそんな扱いされたことないから戸惑った。

澤木さんの隣では、大好きなはずのお肉をあまり食べられなかった。


澤木さんは面白い話をたくさんしてくれた。おやじギャグも健在だった。

「美味しい?」

と聞かれたので

「美味しい!」

と答えたら、柔らかく微笑んだ。

目尻に小さな皺が寄るの。

決してお兄さんと呼べる歳ではないのだろうけど、おじさんと呼ぶにも澤木さんは相応しくない。


焼肉のお店を出たのは夜の11時。

駐車場に停めた、澤木さんの友達の車の中は冷えきっていた。

冷えている車内と、そこに流れるクラブミュージック。

それが、寂しさと興奮をそれぞれ呼び寄せ、私の中でふたつが混じり合う。

蜜みたいな甘い気持ちが、とぷんっ、と、私の中で増していく。

「澤木さんも同じ車乗って帰るの?」


澤木さんの友達にアパートの前で降ろしてもらった。

段々遠ざかる車を、澤木さんと私はひらひらと手を振って見送った。


部屋は寒かった。

電源をつけたばっかのこたつに入って、寒い、と言うと、隣に座らせてくれた。

澤木さんのスーツからさっきの焼肉のにおいがする。

「翠和も、同じにおいする」

「おんなじだね」



澤木さんの膝に頭を乗せると、私の髪が一筋、ぺたりと彼に張り付いた。

名前を呼ぶと、

「なに?」

って言う。

用も無いのに呼び続けると、

「なんだよ」

って笑いながら私の髪を触って、その後頭を撫でる。


時間が止まっているような夜。

非現実的な、甘ったるい時間。

とろり、一秒がゆっくり過ぎる。


「澤木さんって何歳なの?」

「三十五」

「ふーん」

「おじさんだろ?」

「そうだね」

意地悪するように笑ってみせると、澤木さんは「そうだよなぁ」と言いながら大きく呼吸をした。

今一緒にいるのが自分史上最高の年齢の男の人なのに、年齢のことは気にならなかった。

そんな自分が不思議。

そう感じさせる澤木さんも不思議。


「澤木さん、また来てね」

「ありがとう」

「うん。楽しかった」

「次は泊まっていい?」

「いいよ」



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