第4話油煙の向こうにある布

 犬の餌を作ることを含めた家事ぐらいしか仕事は無かった。

 六匹いるシーズーたちの餌は、鶏の胸肉一枚とキャベツを茹でたものだ。

 いろいろ値段を比較してみたが、近所のスーパーで売っている胸肉三枚が入ったパックが一番安かった。

 冷蔵庫は小さく、冷凍室は狭かったので、一度にたくさん買っておくことはできなかった。三日に一回は買い物に行く。もちろん自分たちの食料も買う。

 食事にはできるだけ野菜を使い、インスタント食品はまず食べない。

 ただ、腹一杯にするだけなら、野菜よりも輸入肉のほうが安くつく。それが、ちょっとした悩みだ。

 魚はいくつかの大衆魚を除けば、みな論外に高い。

 今日も安い野菜を求めて、俺は買い物カゴの載ったカートを押していた。


 ふと、何かの気配を感じて顔を上げる。

 何かはわからず束の間視線をさまよわせると、五メートルほど離れたところに、巨大な女子高生が立っていた。身長は俺よりずっと高い。百八十センチ以上ある。太っていて、かなりの重量級だ。どこの学校かしらないが、制服を着ていなければ女子高生だとわからないだろう。

 彼女は俺を見てニタニタと笑っていた。

 白痴めいて見えたが、高校へ通っているのだから、知能は人並みのはずだ。とういうことは、俺みたいな小さいおっさんが好みなのかもしれない。

 若かろうと年寄りだろうと、世の中いろんな人間がいる。

 どんな顔をした若もんが、俺みたいなのに興味を持ってくれるんだろう。

 そう思って彼女の顔を観察しようとしたとき、異変に気づいた。


 彼女の顔がよくわからない。

 

 不細工なのは確かだと思われるが、目鼻立ちがはっきりしなかった。

 くっきりとしたイメージが頭の中に入ってこない。

 混沌としていて記憶できない顔だった。だまし絵よりもなお曖昧に見える。

 俺は信じられないものを見た表情をしていただろうと思うが、女子高生は霞がかったはっきりしない顔で笑い続けていた。

 顔がよくわからないので俺は興味を失い、巨大な女子高生に背中を向けて、買い物を続けた。


 掃除、洗濯、買い物、風呂の準備、夕飯の調理。目下、俺の仕事はこれだけだ。

 夜更かしのしようもない。早いと九時にはもう寝ていた。

 寝るまでの間、ウェブラジオを楽しむのが新習慣になっていた。

 ラジオを聞きながらネット閲覧を楽しんでいると、唐突にメッセージを捉えた。

 パーソナリティーたちが普通に会話している中で、一語が強調されるのを感じた。 

 その一語だけでは意味がわからない。

 これはクイーンドラゴンのよく使う方法だった。

 俺はこんなときに取るべき正しい方法を知っている。

 俺はラジオのチャンネルを次々と変えていった。様々なチャンネルの歌が、会話が、ニュースが、それぞれ一つの言葉を強調して、俺にメッセージを伝えてくる。

 音の渦の中から浮かび上がってきたのは、次の言葉だった。

「あのジノバイトは私が始末しました。これからも安心してください」


 例によって『ジノバイト』というものが何なのか、詳しい説明はない。

 しかし、俺はすぐにわかった。言葉は無いがイメージが流れこんでくる。こっちには思考導入があるのだ。

 ジノバイトとは、今日の昼間に見た巨躯の女子高生に間違いない。

 俺はほっとした。

 またクイーンドラゴンが守ってくれた。

 俺には加護がある。

 今夜もよく眠れるだろう。

 

 それから日々は平穏に過ぎた。

 最低限しか表に出ないのだから、そうそう事件にも遭遇しない。

 強い日差しの照りつける、乾いた住宅街を眺めながら、俺はクーラーの効いた部屋で快適に過ごした。

 

 こんなのんびりしたひと夏を送るのが、ここ十年来の夢だった。

 十年働いていた機内食の食器洗浄工場は、夏場にはサウナになる。

 毎年、スタミナと塩分の不足に悩まされた。

 血圧が高いと言われたことはなかったので、俺は無理をしながら塩分をたっぷり摂ったが、ちょっとやそっとじゃ足りなかった。

 油断するとすぐ塩分不足になって気力が落ち、憂鬱になった。

 だから、スタミナと塩分を補給するために、夏場はよく近所の焼肉食べ放題の店へ行った。

 ここから車で一分のところだ。

 平日なら千円ちょっとで、好きなだけ肉や寿司を詰め込むことができる。

 今は肉体労働をしているわけでもない。そんな無茶な食事をする必要は無かった。だが、仕事を辞めてから一度も焼き肉を食べてない。

 俺はあの焦げついた、固い安物肉を久しぶりに食べたくなった。

 値段も安いし、迷う理由もなく俺は焼き肉屋へ行くことにした。


 暑い中歩くのも嫌だったので、徒歩で十分もかからないところへ、やはり車で向かう。夏休み中だが、今日は空いていた。半年ぶりの店は何も変わってない。俺はだいたいいつも通りのボックス席に案内されて、食事を始めた。


 焼き肉と寿司をかっこみ疲れ、一息ついて顔を上げる。

 斜め前、二つ離れたボックス席で、少女が食事していた。

 サイドポニーにミニスカート。今風の女の子だが、中学生か小学生かはわからない。微妙な年頃だ。中学生にしては背が低かったし、小学生にしては胸がでかかった。背の低い中学生もいるし、胸の大きい小学生もいる。

 どっちにしろ、俺にはわからない。

 その年頃の知り合いなどいなかった。

 親戚にはいたかもしれないが、ずいぶん長いこと会ってない。

 少女の隣には、明らかに小学校低学年とわかる女の子、向かいにはバアさんがいる。


 俺がそのサイドポニーの少女に目を引かれたのは、彼女が股を開いていたからだった。

 

 グレーのパンツが丸見えになっている。

 近頃はよく見えると聞くが、俺には少女の生パンツなんて初めてだ。

 じっくり観察させてもらうことにした。

 少女は俺が眺めているのにも気づかず、足を閉じたり開いたりする。

 一度などは座り直すためだろうが、座り直すにしては大げさな動きで腰を突き上げたりした。まるで俺に股間を見せつけているようだった。

 しかし、彼女の視線が俺に向けられることはない。無頓着だ。普通に足を開いて生活している女の子なのだろう。


 そう思っていたとき、視線を感じて目をそちらに向ける。

 パンツの少女の隣から、低学年の女の子が俺のことを見ていた。

 嫌悪や警戒心のある表情ではない。くりくりとした好奇の目だったので、俺は一安心する。

 そこで俺は疑問に思った。

 こんな低学年の子供でも、俺が見ていることに気づいた。

 もっと年上のパンツ少女が、俺の視線に気づかないことなどあろうか。

 もしかしたら、中学生か小学生かわからないあの年頃でありながら、男に見せつけて楽しんでいたのかもしれない。

 そう考えると、背徳的な興奮が湧き上がる。俺は再び、サイドポニーの少女へ目を向けた。

 しかし、彼女は足を閉じて、食事に集中し始めたところだった。

 もうパンツは見えない。期待外れだ。

 俺はもう少し食事を続け、限界まで食べ物を腹に入れてから店を出た。


 その夜、今日の少女のような年頃のパンツが見られるスポットが、どこか他にもないかと考えを巡らせてみた。

 思いつかなかった。

 あんな年頃の少女と接点が無かったし、俺はあまり表に出ない。

 ふらふらと怪しくぶらつく気も無かった。

 どのみちパンツなどパンツだ。過度に執着することもできない。

 諦めがつくと、すぐ眠りに落ちた。

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