第2話生活改善の無駄な儀式
四十を過ぎて親に頼って生活するのも無様な有り様だが、住んでいる家はさらに酷い有り様だった。
六畳二間、八畳一間、キッチンという間取りで家賃四万五千円。
ここに住んで二十年以上になる。
引っ越してきた当初は、水洗トイレがあることに家族一同喜んだ。
前の家は糞便が丸見えのくみ取り式トイレだった。学校の友だちが遊びに来ると、よく怖がられたのを思い出す。
越して来て数年後には、床の張替え工事も行われた。
だが、それ以降十年以上、何の補修もされていない。
ここ数年で一気に傷みが激しくなった。
震災から続く地震のせいでもあるのではないかと思っている。
見た目からではわからないが、壁が歪んでしまっているらしく、開けられない窓がいくつかあった。
湿り気を取る脱衣所がないため、浴室から出てすぐの床が腐って落ちている。
今は間に合わせの合板で穴を塞いであった。
さらに浴室のドアは下の蝶番が壊れてしまっていて、傾きながら上だけで繋がっている。蝶番を交換するくらい自力でもできるだろうと調べたが、蝶番を取り付ける柱が、シロアリに食われてボロボロだった。
浴室周りはダメージも大きい。
窓はもちろん開かなくなり、こもった湿気が壁を崩した。
気づいたときにはトイレとの間の壁に大きな穴が開いていた。
ユニットバスでもないのに、トイレに入れば風呂が覗け、風呂に入ればトイレが観察できた。
トイレも酷い。
床が抜けている。
和式便器なのだが、足の踏ん張りどころがなくなってしまった。配管に支えられた便器が宙に浮いているような状態だった。
ちょうど俺が糞をしているときに床が抜けたので、俺は脛を切り、九針も縫うことになった。
人が立つ足場はあったので、和式便器に洋式便器のように腰かけられる便利グッズを買ってきて凌いでいる。
要は家中穴だらけだった。
大家に言っても、一向に対応してもらえなかった。引っ越すべきなのはわかっている。だが、そんな金も無かったし、金以上に厄介な問題もあった。
犬だ。
この狭い家の中に、シーズーが六匹もいる。
買ったのは白黒のメス一匹だけだった。
そこへ父親が何も考えずオスを一匹貰ってきた。
そのオスが来た日にはぞっとしたものだった。親の杜撰な管理の元では、あっという間に増えることが容易に想像できたからだ。
果たしてその通りになった。
多くの子犬をよそへやったが、「こいつは目が可愛い」などと言って残したり、たまたま貰い手がなくて大きく育ってしまったり。
シーズーどもは近親姦を繰り返し、ついには六匹になった。
今や、このシーズーどもの糞便の匂いが、いつでも家の中に充満している。
金の工面ができたとしても、安普請に引っ越すのがやっとという程度だ。
どこの借家がこの犬どもを許すだろうか。そんな場所、見つかりっこない。やはり引っ越しようがなかった。
穴が開いていると、そこから入ってくるものもある。
例えばネズミだ。
とりもちシートで何匹捕らえようと、穴が塞ぎようなければ、いくらでも入ってくる。
犬どもが引っかかってしまうので、とりもちシートの置ける場所は限られていた。冷蔵庫に入れてない食い物は、なんでも齧られた。
食い物以外にも、家電品のコードの類を齧られる。
電話線が中の銅線まで噛み切られ、電話が不通になったりもした。
NTTに修理を頼んだところで、じきにまた食いちぎられることだろう。俺は少し考えたあとに、銅線をよじり合わせることにした。
それでも十分電話とネットはつながった。
ネズミが齧り、電話が不通になるたび、俺は銅線をよじり合わせる。
古い家なのでコンセントの数が少なく、キッチンにはタコ足配線があっちこっちへ伸びている。そのコードも齧られた。
ある日、流しで洗い物などをしていて水を床にこぼし、感電することによってそれに気づくのだった。
電子レンジのコードも金属がむき出しになり、危ないので使えなくなった。
家の中で、ネズミが入ってこられないのは俺の居室だけだった。
犬どもも入れず、糞便の匂いからも遮断されていた。
自室にいる限り、俺は快適だった。
これもクイーンドラゴンの加護によるものだった。
家に穴が開き、ネズミが跋扈し、犬どもが糞便を垂れ流し、母親は身体が不自由になっていく。
俺が無職になったのは、そんな頃だった。
貯金は少なかったが、しばらくのタバコ銭はあった。
失業給付金を貰う資格もあった。
失業給付金をもらうには、ハローワークへ離職票を提出して手続きする必要がある。
前に辞めた人から聞いたところによると、離職票が届くまでには一ヶ月近くかかるという。
それから手続きし、自分理由退職なので、なんにも貰えない待機期間が三ヶ月。そのくらいの間ならタバコを買い続けることもできるだろう。暢気なものだ。
無職になると、俺はまず、昼夜逆転を治したかった。
仕事は午後二時から九時までだった。
昼の一時に起きて仕事へ向かい、十時近くに帰ってきてから食事と入浴を済ませ、そのあと午前四時までネットサーフィンして過ごすのが日課だった。
睡眠導入剤を飲んで布団に入ってもすぐに寝られるわけではなかったので、いつもギリギリまで寝て睡眠時間を確保していた。
低賃金肉体労働に勤しんでいた十年間、それを続けていたので、規則正しくはあったが、朝に起きることはできなくなっていた。
朝に起きられないと不便だった。
統合失調症は幻覚が取れたとしても、病状の悪化を防ぐために薬を飲み続けなければならない。当然、医者に処方してもらう。
俺のかかっている医者は、午前しか診療をしないので、この医者に行くのが大変だった。シフト勤務でこちらの休みは不規則、医者は休みが多かったので、月に一回の通院とはいえ、マッチする日は少なかった。
俺は薬の無くなることが恐ろしかったので、寝過ごす危険は冒せない。
仕事の終わったあとからずっと起きていて医者へ行くことがほとんどだった。これがきつかった。
普通に起きられるのが昼だと、他にもいろいろ不便を感じていた。
朝に起きられるようになりたかった。
早寝早起きの基本は、早起き早寝だという。
早く起きてしまえば睡眠時間が不足して、その夜は早く寝られるという話だった。これを試してみると、まさしくその通りだった。一週間で十年の悪習は改善され、俺は朝に起床できるようになった。
同時に食習慣も直す。
今までは一日一回が基本だった。寝起きでは食欲もなく、時間も無かったので、帰ってきてからドカッと一回食べて終わりだった。
仕事の休憩時間はあったが、身体を激しく動かす途中で食事をするとどうも調子が悪かったので、けっきょく食べなかった。
医者を始め、関わりのあるほとんど人間に、「それは身体に悪い」と言われ続けていたし、人並みに三度の食事を取る経験を取り戻したくなっていた。
それにどのみち、母親の食事の面倒を見なければならない。
作るなら一人分も二人分も一緒だ。
早寝早起きより、こっちのほうが難しかった。
一日一回の食事を続けてきた結果、胃袋が大きくなり、消化の速度は遅くなっていた。一度に食べる量が多いために、次の食事が入らないのだった。
ネット上で食事の画像を見るたびに、その量の少なさを指して「こんなのオヤツだ」「一口で終わる」などと茶化してきたが、それは間違いだったと気づく。
三度食べる普通の人には、あれでちょうどよかったのだ。
俺は慎重に食事の量を調節していったが、三度のメシをおいしく食べられるようになるには、ずっと時間がかかった。
生活習慣の改善に取り組んでいる間にも気温は上がっていき、一ヶ月が過ぎた。
まだ離職票が届かない。
辞める前に何度も所長に「離職票をお願いします」と言っておいたのに、あの糞の無能は離職票一枚出すこともできていなかった。
ネットで調べてみると、とりあえずハロワへ行って相談するといいらしい。近くの中台球場の駐車場に車を停められるようなので、車で向かう。
案の定、ハロワの前では駐車場の空きを待つ車が列を作っていた。
俺は中台球場の駐車場へ車を停める。
この市営球場を誰も使っていないのに、駐車場には多くの車が停まっていた。
向かいの警察署へ行くのにも、五十メートルほど離れたハロワへ行くのにも、要領のいい人間はこの駐車場を使うのだ。市のほうも黙認している。球場の駐車場が開放されているのは、その証拠だった。
安心してハロワへ歩を運ぶ。
その白い建物の中へ入るのは初めてだった。
外から眺める機会があるたび、いつかは利用してみたいと思っていた。
どうも念願がかなったらしい。
建物の中は、けっこうな賑わいだ。勝手がわからないながらも、受付に並ぶ。
受付の人は物腰柔らかく、親切だった。
「一ヶ月経っても離職票が来ない」と言うと、状況をまとめるために、まず職員と相談しなければならないという。
そして一枚の用紙への記入を求められた。
住所、氏名の他、職歴や希望職種を書き込まなければならない。
大して書くことも無かった。
ただ、しばらく働く気は無かったので、希望職種の欄には「デスクワーク・事務」と書いておいた。
みんながやりたがる求人の少ない仕事だと知っていた。
俺のほうは簿記さえできず、何の資格も持っていない。実際にこなせるのは単純な肉体労働だけだ。これなら仕事の斡旋が生じることも無いだろう。
ハロワの求職者として登録されると、職員との相談になった。
オンライン作業で、あっという間に失業保険の受給者番号と、状況が確かめられる。
「離職票はまだ発行されてないですね」と、職員は言った。
そんなことだろうと思っていた。
面倒か、無能の手違いで、仕事に手が付けられていないのだった。
「本社のほうと連絡をとって、しばらく待ってみてください」
そう言われ、仮の受給者証が発行された。
まずは、受給者のための説明会に参加しなくてはならないという。
来週だ。
その日の相談はそれで終わりだった。
家に帰ってくるとイライラが募る。
工場の所長は態度がでかいばかりの無能だ。東京の本社へ話をしたほうが早い。
どういう態度で出たものか。それが問題だった。罵倒するべきか、謙るべきか。腹は立つが、俺もいい年した大人だし。
だが、ちょうどその日、本社からの封筒がポストへ入っていたのだった。
俺はてっきり離職票だと思った。
ハロワでは発行されていないとのことだったが、何かの手違いかもしれない。
期待して封筒を開けると、中に入っていたのは離職票じゃなかった。
だが、予想外のいいものだった。
退職金の振込通知だ。金額は四万円。
そんなに多くないとはいえ、金は金だ。ありがたい。
あのしみったれた会社が、アルバイトに退職金を払うとは思わなかった。
退職金がもらえるなんて話は一度も聞いたことがなかったし、こちらとしても考えてなかった。
成田の現場と東京の本社では、かなりの温度差があるらしい。
ちょうどいいので、俺は退職金の礼を述べ、離職票を催促する旨の手紙を書いて送ることにした。
これで一応、本社のほうと連絡がついたことになるだろう。
それから一週間、俺の仕事といえば夕食の調理くらいのものだった。
昼飯については、まだ母親は自分で軽いものを作って食べることができていた。
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