クイーンドラゴン

進常椀富

第1話回復過程からの離脱

 俺は回復した。統合失調症から。

 規則正しい生活を心がけ、まっとうに服薬を続けた結果、狂気の海を十年かけて泳ぎ渡り、正気の岸へと戻ってきた。もはや幻聴も妄想もない。

 自分ではよくわからなかったが、人からは「頭のいい人だ」と言われることも多くなった。恐らく俺の外見はよっぽど愚図に見えるのだろう。そこまでじゃないから、意外性を突かれて、そう口走ってしまうのに違いない。

 思考はクリアだ。

 抗精神病薬はよく効いていた。

 ダメージを受けて穴ぼこだらけになった脳の中で、新しい結線を形作るのに一役買ってくれたことだろう。俺にとってはスマートドラッグと同様だ。もう縁を切ることはできない。人並みの知性を維持するのに必要だった。


 統失患者の服薬拒否というのはよく聞く話だ。なんだかんだと理由をつけて薬を嫌がるらしい。もったいない話だ。こんなに素晴らしいものの恩恵を、自ら遠ざけるとは。

 それとも彼らは、先を見越して薬を拒否しているのだろうか。

 薬によって回復し、現実を認識できるようになったその先を。

 もしかしたら、そうなのかもしれない。

 病んだ思考の中で研ぎ澄まされた直感が、未来の匂いを嗅ぎつけるのかもしれない。自分のオリジナルな狂気を脱し、他者と共有できる現実に戻ってきたとしても、そこに何があるのか。


 多くを持っていた者は多くを失い、何もなかった者は何もないままだと気づく。

 経験のない年齢を重ね、可能性を浪費し、友は離れ、就ける仕事はほとんどない。幻覚も妄想も消え去ると、何もない現実が扉を開く。それを正しく認識できるようになる。

 統合失調症が治るということは、そういうことだった。恐れる者がいるのもわかる。だが俺は幸運だった。

 

 クイーンドラゴンが俺を見守っている。


 仕事もあるにはあった。

 発症からの回復過程にあった十年間を、低賃金の肉体労働に費やした。来る者を拒まない会社だったので、幻聴に翻弄されて挙動の多少おかしい人間でもまんまと入り込めた。アルバイトだったが。


 成田に到着した飛行機の、機内食を処理する工場だった。

 エコノミークラスとファースト、ビジネスクラスの食器を分け、コンベアー式の高温洗浄機を通す。

 その洗浄機から出てきた熱々の食器を受け、収納するのが俺の持ち場だった。

 洗浄機の最後部にはストッパーがあり、出てきた食器を取りきれないと、ストッパーにひっかかって洗浄機が止まる。洗浄機が止まることは損失だった。所長や作業リーダーにどやしつけられる。それにも関わらず、洗浄器を止めずに作業できる者はほとんどいなかった。

 とはいえ、人には無理な作業というわけでもなかった。

 何年か前、年末と年始に高い時給で派遣を入れたことがある。

 そんな高い時給を狙う派遣は、初めての作業だったのに、ほとんど洗浄器を止めなかった。いくぶん雑ではあったけども、正規作業員よりずっとマシな仕事をした。

 けっきょく、この工場に流れ着くような人間には無理なだけだった。程度のいい派遣なら初見でこなせる仕事もできず、多くの正規作業員は怒鳴られ続けた。


 俺も怒鳴られるのは好きじゃない。頭にくる。

 怒りを力に変え、腕を振るい、指先を動かした。

 俺は洗浄器を止めずに作業できる、数少ない作業員の一人になっていた。

 小物がどっと流れてくるときなど、指先を器用に動かす必要があった。この作業の連続が、ダメージ受けた脳の回復に効果があったことだろう。

 この十年を振り返ると、徐々に雲が晴れていくような感覚を、何度も味わっていた。薬と手作業のおかげだ。


 だが、そんな仕事も辞めてしまった。夏が来る前に。

 去年の夏いっぱい、コストカットを理由に作業場のクーラーが止められたのだ。

 建物内の他の部署にはクーラーがつけられ、ガンガンに冷やされていた。

 クーラーが止められていたのは、下働きばかりの食器洗浄室だけだった。

 ただでさえ暑い中、洗浄機の蒸気が溢れ、何度も倒れそうになった。作業着は汗で色濃く変色し、パンツはぐっしょり濡れ、長靴の底にまで汗が溜まった。


 そんな夏を再び過ごすのが馬鹿らしくなったのだ。

 こんな仕事をしている人間はいくらでもいるだろう。だからといって、俺がやり続ける理由にはならない。


 エアコンの止められていた去年の夏、ある夜、いっときだけクーラーが全開にされたことがあった。

 直後、血色の良い白人の男が見回りに来た。クーラーはこいつのために作動させられたらしい。偉い奴だ。お供はカメラを持った東南アジア系一人だけ。


 こいつが苦役の元凶に近いところにいる奴だと思うと怒りが湧いた。

 俺は周囲に目を走らせた。この白人を一撃で殺せる物はないかと。

 金属製の物は、どれも丸みを帯びたデザインにされていた。もともと飛行機の中に搭載するものなので、凶器にはなりにくくなっているのだった。

 あれこれと考えてみたが、どうも瘤を作ることぐらいしかできなさそうだったので、諦めた。

 翌日、その白人が航空会社のCEOだったことを知り、俺は身悶えした。


 惜しいことをした。


 若くして航空会社のCEOになった男と、四十を過ぎても何もない俺の人生を等価交換できうる、奇跡の瞬間だったのだ。

 油断した帝王の首を狩る、もしかしたら人生で唯一のチャンスだったかもしれない。

 誇り高いクイーンドラゴンさえ、「CEOが来るのをお知らせできなくてごめんなさい」と詫びたくらいだ。


 しかし、熱中症で死にそうになりながら次のチャンスを待つほど恨みがあるわけでもなかった。

 人を殺す前に辞めようというのもある。ちょうど十年という節目でもあった。失業給付金をもらいながら、ハロワ通いする生活もしてみたかった。


 そういうわけで、快適な一冬を過ごしたあと、四月いっぱいで退職した。

 五月にはもう汗だくになってしまうからだ。


 晴れて無職になったものの、暇ではなかった。

 一緒に暮らしていた母親のリューマチが、かなりの勢いで悪化していったためだ。 

 俺が仕事をしていたときには夕飯を作ってもらっていたが、それもじきにできなくなった。

 正確にはまだなんとか調理できていたのだが、その様子があまりにも危なっかしかったのでやめさせたのだった。

 薬を飲んでいるのに、母親の病状は進行していった。

 洗濯機の中へ腕をつっこむこともできなくなり、俺が家事いっさいを受け持つことになった。


 生活費は年金も貰えずに働き続ける父親の稼ぎに頼っている。

 会社に所属しているはずだが、社会保険には入れてもらえない配管工だった。

 注意欠陥多動性障害の気があり、身体中刺青だらけで、いつもトラブルに塗れていた。たぶん俺の存在自体も、父親のトラブルの一つだろう。

  今はボケてしまった祖母の家に寝泊まりしており、こっちには数日おきに帰ってくるだけだった。

 誰も年金を貰う資格のない我が家にとっては、祖母の年金も確かな収入だった。

 長生きしてもらわないと困る。

 ほとんどは父親がトラブルの後始末のために使ってしまっているらしいが、これが無くなると、父親からこっちに流れてくる分が減るのだった。

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