きみをすくう日 02

 捨てられた地。カルマに最も必要ないもの。

 かつてそこは楽園だったという。美しさの残響は、千年以上経った今では、最早欠片も残っていない。

 廃墟庭園。

 心を潤す前に身体を潤せ。それがカルマの考え方だ。だからこそこの旧文明の遺構は見向きもされず放置されていた。

 過去に鮮やかな花が咲き誇っていたのだろう。城と同じ白い魔鉱石で造られた花壇やアーチは風化が進み、所々は崩れてしまっている。

「クアァ――――ッ!!」

 その庭園に一羽の砂鳥竜コッカトリスが全力疾走で飛び込んできた。

「おいおいおい!スト―――ップ!」

 その背には、レオを支えながら危な気に手綱を取るアリスが乗っている。焦って叫ぶアリスの声など耳に入っていないかのように、砂鳥竜コッカトリスは突進を続ける。

「げっ!?」

 進行方向の先にあるのは石の壁。

「待て待て待て―――!頼むから!上手い仙人掌サボテン食わせてやるから!」

 動転して無茶苦茶に手綱を引っ張るアリス。その時、背後から別の腕が手綱を取り上げた。

「一人で砂鳥竜コッカトリスも乗れねえのかよアリス」

 片方の手綱だけを大きく引くと、頭の向きを変えられた砂鳥竜コッカトリスは強引に体の向きを変え、石の壁を回避して減速しやがて止まった。

「レオ!」

「いてて、押すなよおい」

 振り向くと頭を押さえたレオが、しかめっ面でアリスを見下ろしていた。服の至る所が破けて真っ赤に染まっており、凄惨な姿だがその表情は飄々としている。

「動かないから死んだのかと思ってた」

「ちょっと寝てただけだっつーの」

 もう元気だと言わんばかりの跳躍で砂鳥竜コッカトリスから飛び降りる。アリスはのたくさとその後に続いた。

「おっと」

 アリスが降りることに気を取られている隙に、レオは着地のはずみに散った真新しい血の跡を足で強引に擦って消す。やっとの事で地に足を着けたアリスは、ほっと胸を撫で下ろした。

「ここか?」

 レオは見慣れない設備に首を傾げながら周りを見渡す。

「ああ。廃墟庭園。存在自体取り沙汰されることも無かった場所だ」

「廃墟テイエン…?」

 聞きなれない単語に疑問符を浮かべるレオ。

「心を癒す場所だ。俺の部屋の千倍綺麗なもんだよ」

 どうやら花が沢山咲いていた場所らしい。確かに、自分達には必要ない。

「ここは花を育てるために潅水装置も完備されている。だから、今は配水こそされてはいないけど、大きな青命線デッドブルーが引き込まれているんだ。人も居ないから、ここが二つ目の解錠を行う場所としては最適だ」

「解錠って、城で言ってたやつだよな」

「そうだよ。カルマの国にはいくつも水の循環が封じられた場所がある。だから雨が降らない。俺の力は天に捧げられたカルマの祈り――祖字を原動力にして、その鍵を解くことができる」

 アリスはきょろきょろと辺りを見回しながら歩く。目的の場所を探して。

「開錠された場所は水が正常に巡るようになる。雨も降る。もう神子の存在に、依存しなくてよくなるんだ」

 元はウォールガーデンだったのだろう迷路を抜けると、廃墟の中心となる広い正方形の敷地にたどり着いた。もとは人々が安らぐ憩いの広場だったのだろう。その場所には、敷地ギリギリに直径五十メートルはあろうかという巨大なクレータが穿たれていた。

「すっげ……!」

 その光景に目を丸くするレオを余所に、アリスは慎重にそのクレーターの底へと斜面を滑り降りていく。

「神の怒りだ。荘厳で壮大だろう?」

 確かに人間業ではない。だがそれを神の御業だと神の仔のアリスが評するのは、ひどく皮肉めいている。

「カルマを代表して頭を下げに来たんだ。そろそろ姿を現してくれてもいいんじゃあねえのか?なあ?」

 クレータの中心を睨むアリスの水銀の瞳が、きらきらと輝きだす。青空に響き渡る澄んだ破壊音。クレーターの淵に添った円柱状に、空も、地も、大きく空間に罅が入った。りんりん、きんきん、と硝子を砕くような、美しいのに心を不安にする音が鳴り、その範囲の中にいた二人の鼓膜を大きく揺らす。

「何だ!?閉じ込められたのか?」

「違う。隠されていたものを引き摺りだす。覆っていた空間ごと破壊して」

 アリスの声と共に、クレーター内の空間が一気に崩れる。

 不思議な光景だった。崩れていく空間の内側にいるが、自分の身体は崩れずにそこに存在している。レオは、この崩壊を強引な視覚の塗り替えというかたちで認識していた。目の前が崩れていくのではなく、網膜がモザイク状に貼り換えられていくような不快感に、耐えられず膝を突く。

「気持ち悪っっ…………!」

 地に視線を置くことができず、空を仰ぐと、そこに信じられないものをレオは見た。

「なんだこれ!?」

 巨大な、先が見えないほど巨大な楔が、一瞬前まで何も無かった場所に現れていた。

 クレータの中心に突き刺さり聳え立つ、天から世界へと穿たれた漆黒の楔。アリスはそっとその楔に近づくと、掌で軽く触れた。ひんやりとした冷たさを伝える、黒曜石に似たガラス質の鉱物の感触。こうして近くで見ると荒々しく削りだされたように、表面はごつごつとしている。

 だが少し離れた位置にいるレオからは、その楔は日の光を帯びて表面に精密な彫刻が浮き上がらせた、美しいオブジェに見えていた。

「なっ……こんなでかいもんさっきまで……」

 言葉が続かない。酷い不快感におもわず口を押さえる。この感覚をレオは知っている。神学者の告白を聞き、神子制度への疑念を持った時のそれと全く同じ。

 触れてはいけない。

 見てはいけない。

 聞いてはいけない。

 口にしてはいけない。

「ううっ……」

 パンパンッ。

 無意識で感覚を閉じていくレオを、乾いた拍手が引き戻した。

 はっと顔を上げると楔の根元からアリスがこちらを見ていた。両手を広げ、見ていてくれとばかりに優雅にお辞儀して楔に向き合う。

「アリス……」 

 アリスは祈るように手を組み跪いた。唇を薄く開き、呪文とも歌とも取れる言葉を紡ぎだす。伏せられた瞼の隙間からキラキラと瞳が煌いて、彼の周りから星屑のような光が溢れ出す。光は楔を沿って立ち昇り、真昼の空に神秘的な星空を作り出した。

 レオは見ていることしかできなかった。ただ、アリスのしたいことをアリスのしたいようにさせる。城からアリスを攫った時から、それだけがレオの願いだった。

 だから、邪魔をさせるわけにはいけなかった。


「神子殿……」

 声の主はクレーターの淵に立ち、息を呑んでその光景に見入っている。

「あんたも意味わかんねえなあ」

 爆発で体のあちこちが裂け、その傷口からはまだ血が溢れ続けている。血に染まった身体をマントで隠して、レオは立ち上がった。体中が悲鳴を上げたが、もうしばらくは戦えそうだ。拳を握り握力を確かめるとレオは獣の表情で嗤い、見下ろしてくる二人を睨みつけた。

「神子を大事にしてるかと思えば、爆発で吹っ飛ばそうとするし、お前等ちぐはぐだよ。気持ちわりぃたらねぇ」

「神子殿を、返していただく」

「返さねえよ。見りゃわかるだろ?今イイ所なんだから、邪魔するな」

 キリが剣の柄に手を伸ばした。腰にさげているだけで、城では抜くことの無かった二本目の剣にも、左手をかけている。

「……そもそも、そっちのメイドはどう思っているのかもわかんねえしよ」

 爆発のタイミングや強さをコントロールするのはマリベルの役目のはずだ。なら、先の爆発の強さは彼女の意志ということになる。

「いえ。私はキリ様と同じ思いですわ」

 すました顔でマリベルは嘯く。もはや老獪さすら滲ませるその仕草に、レオはこのババアと毒づく。

「そんな罪深い身で神子殿と共に在ろうとは恥知らずだな!水売りの子よ!」

 双剣を抜き、翼を広げた隼のような姿勢で駆け下りてくるキリを、レオはだらりと腕を垂らしたまま迎え撃つ。こちらは丸腰だ、術を使うしかない。アリスは背を向けて文言を謳い続けている。こういう類の術は詠唱が長く手順が無駄に多い。そして中断されると最初からやり直しになるのが常だ。相当集中しているのだろう、アリスはこの事態にも微動だにしていない。

 マリベルはクレーターの外からこちらの様子を伺っている。だが目下突進してくる親衛騎士をまず止めなければ、そこで終わりだ。

「その命貰った!」

 勢いの乗った二つの刃が、躊躇いなく心臓を貫こうと迫る。猪のような直線的な攻撃は避けようと思えば簡単に避けれたが、そのままアリスの元へ抜けられては困る。

「しゃあねえなあ」

 レオは苦笑いして両手を正面へと突き出す。才能が無いと罵倒され続けながら、唯一使えるレベルまで完成させた公式。馬鹿の一つ覚えの白い盾。

 レオの周囲をくるりと祖字式が巡り、レオの手へと最後に収束する。さして複雑性もない防御式を何重にも何重にも重ね盾にする。魚の群が一匹の大きな魚を演じるように。嘘で重ねた真実のように。レオは、この盾が貫かれることはないと盲信する。

「俺は、勝てる」

 あの日の恐怖と羞恥が蘇るが、それを払拭するための戦いなのだ。キリと最初に言葉を交わした時から、あの日の騎士だと気付いていた。だがのらりくらりとかわして思い出さない振りをしていたのだ。

 子供の自分を諌め、軽蔑したキリ。やり方さえ乱暴だが、レオを更正させた恩人でもある。今やもう、相手はこちらにに殺意しか向けていないとしても。

「あんたに勝ってアリスをもらう!」

 刃と盾が激突した。

 凄まじい衝撃が全身を揺らし、レオは気管からせり上ってきた血を思わず吐き出した。勢いで数歩後退するも、凌ぎ切った。まだ盾は消えずに残っている。

「痩せすぎだよ。もうちょっと美味しいもん食いな、騎士様」

 自分の必殺の突きを止められた、キリの一瞬の硬直をレオは見逃さなかった。

 両手で構えを取ると、一つの盾だった祖字式が分離して両の手をそれぞれ守る籠手となった。そのまま、流れるような動きでキリの胴体に一撃を入れる。

「ぐはっ!」

 たたらを踏むキリにレオは猛ラッシュをかける。通常、剣を相手に拳を振るうのは、そのリーチ差から不利であり、懐に入るまでが一番大変だと言われるが、今回は向こうから飛び込んできた形なので好都合だった。

「神子殿を……返せ……!」

「お前らのその返せっていうのが気に食わねえんだ!」

 散々殴った後に、右拳を振り貫く。祖字式で増幅された衝撃が、キリの体を吹き飛ばした。反動に耐えきれず、レオの片膝を突く。爆発の裂傷から流れ散る血が、地面に花を咲かせた。

 場はレオに優勢だったが、地を汚す血の殆どもまた、レオものだった。

「アリスは、自分の意志で出て行ったんだ。自分の自由なんてものは望まずに、ただ贖罪だけを目的として!」

 まだ、座り込むわけにはいけない。身体を叱咤してなんとか再び立ち上がる。キリもようやく身体を起こしたところだが、さっきの一発で肋骨を何本か折ってやったので先ほどまでのように俊敏には動けないはずだ。

「お前らが!みんなしてアリスの背中に圧し掛かって!追い縋って!アリスを潰すんだ!」

「戯言を……」

「お前近くにいたんだろ?じゃあアリスの笑ってるとこ一度ぐらい見た事あんだろ?」

 血を滴らせながら、力無くレオは笑う。キリは目を見張った。

「わかってんだろ?あいつの笑顔…………誰と同じ顔だ……?」

 奪われたもの、失ったもの、もう二度と取り戻せないもの。思い出から複製することしかできないもの。自分の作る表情など覚えていない。だから自分が一番良く見たもので再現しよう。さあこれですべて解決だ!――――そんなはず無いのに。 

「ふざけんな……アリスの命は、アリスの心は、全部アリスのものだぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 絶叫するレオ。白い祖字が爆発的に増殖し、ガタガタと振動する。同時に、祖字の色が紅白に明滅しだす。最初は白い間隔のほうが長かったが、次第に赤く染まる時間のほうが長くなっていく。それに伴い、レオの髪も鮮やかな色へと変化しようとする。

「倒す、殺す、アリスの為なら――――」

「あら、それは看過できませんわ」

 音も立てずに、レオの背後にマリベルが立っていた。暴走気味の力の解放に、彼女の動く気配に全く彼は気付けていなかった。最小の動きでレオの腕を取ると後ろ手に回し、関節を押さえ込む。痛みに呻く間も与えずに足を払われ、レオは無様に頭から地面へと倒れた。

「若い子達はすぐに熱くなって周りが見えなくなるのよね」

 背中に完全に乗り上げる形になり、マリベルは無表情で腕を締め上げる。思わずギブアップを宣言したくなるが、口を開ける前に肩の関節を待った無しで外され、レオは代わりに悲鳴を上げた。

「ごめんなさい。だって脅しても大人しくしないでしょう?この状況で」

 外された腕をさらに捩じられ、断続的にレオは悲鳴を漏らす。その間に立ち上がったキリが剣を手に持ち近づいてくる。

「キリ様。はやく首を落としてくださいまし。この子の祖字、危険ですわ」 

 見下ろすキリの瞳に僅かな逡巡が見て取れた。マリベルは説得するように言葉を重ねる。

「キリ様。神子にもこの者にも、情を持つ必要など無いのです。私達の目的は国でも神子でもない、ただ家の再興のために」

「わかっている……」 

 キリの胸に光る小さな勲章達。こんなものではまだ足りないのだ。国の柱を、神子を奪還するくらいの手柄が無ければ。

 地面に顔をこすり付けられながら、レオは刺すほどに強くキリを睨み付け、嘲笑を浮かべた。

「なんだよ、欲しいんなら欲しいってちゃんと言えよ……」

 歯を剥き出して唸るレオを、猛獣を躾けるように締め上げるマリベル。

「首だけ持ち帰りましょう身体は砂魚(サンドフィッシュ)に啄ばまれて惨めに朽ち果てればいいのですわ」

 剣を握るキリの手に力が篭るのが分かった。

「せめて、楽に殺してやる」

 キリは右手に持っていた剣を高く掲げ、勢いをつけて振り下ろした。レオの首を正確に狙ったそれは、しかし間に遮られた何かによって阻まれる。

 肉の断たれる音がした。

 アリスの左肩を深々と切り裂く音が。

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