血で贖え、水で贖え、その罪が擦り切れるまで 06
その風景は、二人に鋭い痛みをもたらした。
なんて事はない、
「まるで、いつもの悪夢の舞台のようだ」
アリスは熱に浮かされたように呟きながら、危なげな足取りで狭い村の広場まで入り込む。村を囲む壁も無く、吹き抜けていく砂交じりの風。扉も窓もない土の壁で造られた平たい家の中から、数人の子供が元気よく飛び出し走り回る。白い肌に健康的な汗を滲ませてじゃれあう姿は、あまりにも眩しくて、懐かしくて、羨ましくて。
「あっ、駄目だ」
ぽろり。アリスの頬を涙が滑った。止める間も無く温かな雨がシャワーのように降り注ぐ。空は明るく、糸のように細かな雨が太陽の光を反射して、きらきらそこかしこを輝かせている。
「わぁぁあ!きれー」
「きれー!これ、なに?」
無邪気に喜ぶ子供達は、雨を一身に受けて笑っている。異変を感じた村人達も家から出てくるとその雨に身を震わせ膝をついて祈りはじめた。村人の額から祖字が溢れ出し、雨の中を虹を作りながら昇っていく。彼等カルマの雨への感謝が、献呈となり空へと捧げられて数千年。もう今のカルマは、この祈りの意味を忘れてしまった。だが、この祈りだけが、贖罪への道だったのだ。
「おい、やばいぞ」
レオは次第に集まる村人達に焦りだすが、アリスは逃げることもせず子供達の前に座り込んだ。目線を子供達に合わせると静かな声で問う。
「お前等、雨は初めてだろ」
「これ、あめ!?」
鏡のように自分達の姿を映す、アリスの水銀の瞳を珍しそうに覗き込む子供達。
「おにいちゃんが雨をふらせたの?」
「えー違うよ。雨をふらせるのはみこさまで、みこさまは都にいるんだぞ」
「じゃあなんで雨がふってるのさ!」
雛のように身を寄せ合って話す子供達。
「雨は好きか?」
「「「すき!」」」
満面の笑みで、答えた子供達に、アリスも穏やかな笑顔を向けた・
「そうか、ここは直に雨恵む地になる。お前等が、お前らの母さんと父さんが、祖父さんが祖母さんが、ずっとずっとみんなが頑張ってきたおかげだ」
子供達の頭を撫でて、アリスは立ち上がりバツが悪そうに頭を掻いた。ちらりと肩越しにレオを見てくる姿は叱られた犬のようだ。
「また、泣いちまった」
レオは何も言えずに立ち尽くしていた。
「俺は」
怒ってなどいない。あの時も今も。
「俺はただ」
ただ、ただ、ただ、ただ!
「お前に」
続く言葉を掻き消す轟音。そして爆発。
「なっ!?」
何が起きたのかとレオが周囲を見渡すが、濃い煙が辺りを包み視界が塞がれ全く分からない。
「った、あぶねっつ!」
突如その煙の向こうから無数の紫苑の祖字列が突き出してきたのを、背中を逸らせてなんとかレオは避けた。蛇がのたうつように縦横無尽に祖字列が辺りを乱舞し、肝心の術者――敵の位置が補足できないせいでどちらに逃げたらいいのかも判断がつかない。
「っていうかこれ囲まれてるんじゃねえの!?」
アリスの悲鳴にも似た叫びを回答としたかのように、薄れる煙と共に、
「もう追いつかれるとは思ってなかったな」
「……俺が泣いたせいじゃねえぞ」
「ああそうだな。ちなみに俺がこっそり進路を変えて、寄り道しようとしたせいでもないから」
「は!?そうだったの!!じゃああやまって損した!」
何時の間にか普通に喋れるようになっている。窮地が齎した思わぬプレゼントに、二人は無意識に感謝していた。
煙がさらに薄れていく。仲直りのきっかけをくれた人物が煙の中から現れたのを確認し、アリスがなんとも言えない複雑な表情になる。
「……キリ」
そこには
「よくも神子様を拐してくれたな!」
「助けたの間違いだろこの糞野郎っ!」
レオは両足で地面を踏み締め、狂ったように殺到する紫苑の祖字列を睨みつけた。
集中、構築、展開。レオをすっぽりと覆うように、周囲に球状に白い祖字が広がり、それが彼の視線の先へと集まった。研究室での爆発は全方位的に防御しようとしたのに対して、今は一極集中で厚い盾をつくった形だ。こうすれば背後にいるアリスも守ることができる。
祖字列が盾にぶつかり砕け、盾に添って破片が流れ周囲に拡散していく
単純な奴だ、せっかく操れる祖字列の行数が多いのにそれを一方向から突き付けてくるとは。白い盾によって量産される紫苑の欠片を見つめながら、レオは口の端を上げる。
「すげーな」
レオ背に隠れるように祖字の濁流を避けていたアリスが、小さく歓声を上げた。
「祖字と頭は使いようだよ。特に六十点クオリティと評され続けた、俺ぐらいの凡才だとな!」
キリの祖字列がすべて砕け散ると同時に、レオを守っていた白い祖字も霧散した。実際のところは、防御するだけでギリギリだった。レオの祖字には圧倒的に力が足りない。白という主張の無い祖字の色では、できることは限りがある。今のように何とか受け流すのがやっとだった。
次は何を仕掛けてくるのかと、大量に空中に散らばる紫の欠片の間からキリを見遣るが、特に動きは無い。眉を顰めるレオ。キリの表情が読めない。浮遊する破片が霧となって邪魔だ。
「…………?」
何とか彼の表情を見たときに、レオ自分がとんでもない勘違いをしていたと気付いた。
なぜ、まだ祖字の破片が消えないのだ?
キリの後ろに控えていたマリベルの腕が、指揮するように舞うのが見えた。あれは控えているのではない、隠されていたのだ。
極小の文字が、自分達の周りを取り囲んでいる。そう、まだ
全方位性の防護壁を!レオの脳内を猛烈なスピードで複雑な公式が駆け巡る。これだけの祖字に囲まれている状態では、背後にいるアリスの分も別に防護壁が必要だ。この際多少強度には目を瞑るしかない。
キリは火薬をばら撒いただけでしかない。導火線に火を燃す役目は、マリベルが担っていたのだ。
「レオ?」
アリスの周囲を毬のように祖字で巻かれた白い球が包んだ。まず一人分。そして自分の分に取り掛かろうとしたその時。
「――お前、昔水を売っていたあの子供だな?」
そのキリの一言で、簡単に、頭に浮かんでいた編みかけの公式が霧散した。
レオが信じられない顔で、キリを見上げた。
なんで、知ってる。
動揺して頭が真っ白になっていた。背後で防御壁を叩きながら叫ぶアリスの声も聞こえない。キリの横で一条の大体の祖字列をしならせ投げつけくる、マリベルの動きにも反応できない。
「よくその穢れた魂で神子の横に立てるな。死ね」
まるでぱっくりと開いた傷のようだ。キリの弧を描く口にそんな感想を持ったとほぼ同時に、周囲の空気が揺らぎ、微細な紫苑の祖字達が震えぶつかり合い軋み、そして激しく爆発した。
砂塵が舞い上がり上空に噴き上げられ、辺り一体が煙幕に包まれる。熱と衝撃がある程度収まってくると、それ以上堪え切れなかったのかアリスを泡のように包んでいた球体が弾け消えた。
「レオ……?……レオ!?」
アリスが震える声でその名を呼ぶ。
「レオォッ……!!」
まだ燻る炎が、闇雲に空を掻くアリスの枯れ木のような腕を舐める。それでもアリスは煙の中で必死に彼を探す。
その手が、ぬるりとした何かを触った。
びくりとして煙の中から引いた掌には、べったりと赤い血がついていた。
「レ……オ……?」
地面に這い蹲ってその塊の傍に寄る。そこには、体の至る所から血を流し、ぐったりと横たわるレオがいた。思わず絶叫しそうになる口を強引に手で塞ぐ。レオの血が、アリスの白い顔をペンキのように汚した。体中が震えている。それでもアリスは細心の注意を払って心を押し留めた。
泣いてはいけない。
がたがたの心は今にも崩れ落ちそうだったが、意志の力だけでの不自然な不均衡さを制する。泣けば砂塵は地に落ち、煙に守られた自分達の姿は曝け出される。そうすれば終わりだ。レオは殺され、俺はまた連れて行かれる。あの時とは違い、レオはもう助けてもらえない。
どうすればいい?
水の透明さを持った瞳が周囲を必死で見回す。キリとマリベルの放った魔法は、思った以上に効果範囲が広く、巻き込まれた住民や兵の叫びから、そお混乱が砂塵越しにも伝わってくる。
「くっ……重っ……」
レオを殆ど引きずるように背負って歩く。アリスは偶々行き当たった家屋の裏へと身を隠そうとすると、だがそこにはすでに先客がいた。
「クゥ~~」
低い声と鋭い嘴で威嚇するのは、兵隊の乗ってきていた軍用の
「おい」
アリスの鏡の瞳に
この地の王は、赤の王だけではないのだと。白銀の瞳がそう告げる。
「乗せろ」
アリスは手を伸ばす。手綱を握る。
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