血で贖え、水で贖え、その罪が擦り切れるまで 02

 そろり、っとマンホールの蓋を浮かせて隙間から周りを見渡す。人の足が見えなかったので、思い切ってレオは地上へと這い出した。華奢なアリスを腕の力だけで引き上げると、すぐにマンホールを元に戻す。

「あーこの熱波。砂交じりの風。コレが無いと落ちつかねーな」

 時間の感覚も薄れていたが、太陽の位置から午後三時といったところか。丁度袋小路の奥になっていたために人目にも付かないで済んだようだ。

 神衣の大きな襟をフード代わりに深く被り直して、アリスは目抜き通りへ出るときょろきょろと周りを物珍しげに観察する。

「これが……町か」

 アリスの記憶にあるのは貧しく小さな村と白亜の城だけだから、どれにも当てはまらない“小規模な町”というものは初めて目にするものだった。

「とりあえず飯食うぞー!!」

「あ、あぁ……」

 屋台と露店が立ち並ぶ中、レオは自分の嗅覚を信じて一軒の店の前で立ち止まる。愛想のよさそうな男がレオの前に串焼き肉を突き出した。パリパリにやけた皮に香ばしい臭い。これはタレに工夫があるな、とレオは抜け目なく焼き網の傍の壺に視線を滑らせる。

「おー!良い岩豚の肉だな」 

「だろ。今朝罠に掛かったやつを仕入れてきたからな。うちは鮮度命よ!」

 しげしげと眺めるレオ。ちらりと軒先につながる値段表を伺い見る。

「いやーでも高いんじゃね?これメルカトールとほぼ同じ値段じゃん。地のものなら輸送費かかんねえ分ホントは値下がるよな、な?」

 笑顔で大まかな輸送費分を引いた硬貨を差し出すレオ。店主は金額とレオとを交互に見た後、溜め息を付いて硬貨を受け取ると肉を渡した。

「おめーあの商業都市のもんか。訛りがないから騙されたぜ」

「はははー。なんやったらその言葉でも話せんねんでー」

 快活に店主と掛け合いをするレオをアリスは複雑な気持ちで眺めていた。自分と言えばたじたじになってレオの背中に隠れることしかできない。城では不遜に大仰に振る舞っていたが、外に出た今、自分がその仮面を被り続けるのも滑稽な気がしていた。だからといって、どう振る舞えばいいのか、アリスにはぱっと出てこない。もどかしい。

 どうして、こんなに自分と違うのか。

 聞きなれない言葉で話し、歳に似合わぬ大人びた交渉を行い、自分にこんなに優しい。子供の頃必死で写し取った彼の姿などもう目の前には無いことを外の世界に出た瞬間に痛切にアリスは感じた。代わりにいるのは、確りと成長した十八歳のレオという、自分には真似しようも無い人間だった。

「ほら、食えよ」

 考え事をしている鼻先にいきなり串焼きが突き出された。「え、これを……齧るの?」硬直していると持ち主であるレオがほら、と再度串を動かした。鼻腔をくすぐる甘辛いタレの匂い。自分が空腹なのだとその匂いが教えてくれる。

「ありがと」

 アリスは受け取ると思い切って一口肉を齧る。溢れる肉汁、直接手で持って食べるなんて城の食卓には出たことがなかった。肉を咀嚼し飲み込むと、アリスは目を丸くして感激の声を上げる。

「おいしい!」

 レオは無我夢中で二本目の肉に取りかかっている。水路の中で何度も腹の虫の音を聞かされていたが、相当に空腹だったらしい。

「あの親父が、お前が美人だからってサービスしてくれたぞ」

「はっ?」

 振り返ると屋台から身を乗り出した親父が不器用なウインクを投げ掛けてきた。

「はぁぁぁぁ――!?あのクソ親父。一発ブン殴ってくる!!」

 レオはぐっとアリスの肩を抑えて肉を頬張りながらけらけらと笑う。なんとも行儀が悪い。

「いやー。黙ってればお前完全女だわ。さっき気付いた。うんうん美人さんだ」

 だぶだぶのフード付きの神衣のせいで、見えるのは輪郭と細い首のみ。勘違いされるのもしょうがない。まあ顔を出したところでどう判断されるかはあえてレオは言及しないが。

「茶化すな!」 

 アリスが本気で怒っている。匙より重い物を持つことのない生活をしていたので、周りを行く男たちより自分の体の線が細いことを自覚しているが故にむきになってしまう。

 でも、だからって。

「くそ……こんなことなら筋トレぐらいはしとけばよかった……」

 ぶつくさと文句をいうアリスは思わず泣きそうになり、目の端をしきりに擦った。まったく難儀な身体だ。自分でも嫌になる。

「まあまあ。お前のそのナリが良い方に働いてるんだからよ」 

 レオが二件目の店の前で足を止める。アリスは目を瞬かせて店内を覗き見、そして顔を青ざめさせた。

「それは最大限に活かさないと。な?」



「突貫にしては、立派な強度の格子ですね」

 神子学研究室は、たった数日で監獄へと生まれ変わっていた。扉が取り払われたアーチ形の入り口には、鉄格子が嵌められ、その中で一人アンバーが薄ら笑いを浮かべて椅子に腰かけている。だが、部屋の内装自体は幾つかの器具や什器は無くなっている程度で大きな変化は無い。

「こういう無意味なパフォーマンス。嫌いじゃ無いですよ」

 アンバーが両手を広げて大仰に笑う。その手首の間を長く細い鎖が繋いでいる。縄跳びができるほどの長さのそれは動きを制限するためのものでは無い。彼の最大の武器である祖字を書き出す動きを検知した時に爆発を起こすための拘束具だった。

「……謀反人に必要な措置だ。まさか姫に行うわけにはいかないからな」

 鉄格子を挟んで立っていたキリはおどけるように手を振るアンバーを睨みつける。

「事態の収拾に躍起になっていますねえ。旗色はあなた方の方が良いでしょうに」

「そんな口を叩けるようになるのなら、俺も牢の中に入りたいものだよ」

 目の下にうっすら隈をつくったキリの顔は疲労困憊していた。王女の演説から神子の出奔。そして民に混じり隠されていた王の血の暴露。たった一夜にして起こった国を揺るがす事件に城の中は混乱を極めている。大臣や貴族、そして下々の者達にまで取敢えずという形できつく戒厳令を敷いているがそれもいつまでもつかはわからない。なにせ肝心の王からの方針が何も出ていないのだから。

 そんな中で、急激にキリの所属する神子親衛隊の存在が城内で台頭してきていた。

 神子を聖像イコンとすると言い放った途端に神子が城から消えた。この事実がカルマにとっては何よりも重い。あの緋の間での演説時に正面を切って反対していたキリの姿勢は、結果として神子擁護派の求心力の起爆剤となった。

 キリはこの勝機を逃さず力のある大臣に声をかけた。この一大事に対しては一丸となって国の中で主導権を握り、特務的に事態を切り抜けるべきだと話を持ちかけると、面白いように彼等はキリの味方をした。皆心の中で罪悪感と恐怖に苛まれていたのだ。緋の間で神子を少しでも疑い、雨を齎す黒い箱に縋ろうとしたことに対して。

「――お前を刑務所では無くこの研究室に拘留しているのは他でもない、神子の、そしてあの大罪人の情報を少しでも得たいがためだ。わかっているだろう、死ぬ気で二人の足取りを追え。目的を、思想を、野望を。何でもいい、あの赤髪の首に手が届くように――」

「ずいぶんご執心ですね。赤髪の方が気になりますか?」

 くすくすと笑うアンバーを射抜かんばかりに睨みつけ「神子殿を奪還するためにはな」とキリが踵を返して立ち去っていく。取り残された神子学者はからからと笑いながら足元に積もる、神子に関する膨大な情報を孕んだ紙片を蹴りあげた。何度も何度も。嬉しそうに、楽しそうに――そして苛立っているように。

「キリは馬鹿ですねえ。もっとはっきり、言っちゃえばいいのに」

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