第六章

血で贖え、水で贖え、その罪が擦り切れるまで 01

 カルマは主に二枚の地図を持つ。

 一枚は世界共通である、地形や都市や道路を記した図。そしてもう一枚はカルマの国境線とその内側に引かれた等高線、そしてその上を蜘蛛の巣状に青い線が走った地図だ。

 その二枚の地図を重ね透かして見ると、世界地図に記載されたカルマの国内の都市や村が、二枚目の地図に記された青い線にピタリと一致する。広がる網目の中心に王都が重なり、比較的太い線の上を、辿るように大都市、中堅都市が並んでいる。そして毛細血管の如くか細い末端にいくほどに、小さな村が点在する。

 青命線デッドブルー。カルマがそう呼ぶ地下水路は、文字通りカルマの生命線だった。建国以前から敷設されていた、古代の住人達が作り上げたインフラをそっくりそのままカルマが拝借しているものだ。超過技術オーバーテクノロジーであるがゆえに、カルマはその青命線デッドブルー上にしか街や村を造る事ができず、彼等の生活圏は未だその水路に依存したものとなっている。

 そう、カルマは住む場所さえも生まれながらに縛られているのだ。



「だぁ――――!光!光が恋しい!灼熱の日光!吹き荒ぶ砂塵!俺達の明日はどっちだ!?」

「道なりに一直線だ。とっとと歩け馬鹿」

 仄暗い水路の中、整然と積み上げられた黒く冷たいブロック壁。丁度目の高さには十数メートル毎にぼんやりと緑色に光る発光鉱石が埋め込まれ、無数の灯となって二人を闇の中に浮かび上がらせる。頭を抱え、見えない太陽に向かって叫ぶ錆色の髪の少年までも。

 正円に土中を貫く地下水路の半分以上は水に沈んでいる。水面に浮かぶ足場の上を一列になって、覚束ない足取りで二人は進んでいた。前を行くのはアリス、後ろにつくのはレオだ。

「不安だ……自分が何処に居るのかまったく分からない」

 頭を振るレオを、アリスは半眼で睨む。

「だーかーら。此処に書いてあるだろ」 

 ぴんと伸ばされた指が差す先にはひっそりと手の平程のプレートが貼り付けられている。そこには記号と数字が組み合わさった、謎のナンバリングが刻まれていた。

「おまっ、5b3K9―tkj76だぞ!もはやロジックどころか規則性も掴めんわ!」

 盛大にレオの声が反響するのでアリスは思わず耳を押さえる。

「五月蠅いなあ……ってかなんでわかんねーの?」

 鴉の濡羽色の髪をぐしゃぐしゃとかき回した手が、そのまま十数メーター先の分岐を指す。

「ちなみに、あそこはKG88up3―@Hwだぞ」

「だーかーら!せめてハイフンの位置だけは置いとこう!?ちょっと離れただけで桁数すら変わんのかよ!」

「当たり前だろ。深度も距離も違うじゃねえか。ちょっと覚えりゃ地図の座標位置までこれで算出できるのによ」

「できるか馬鹿野郎」

 そうなのだ。恐ろしい事にアリスはこの水路を歩きながら、そらで現在地を把握していた。タグプレートを見てから位置を割り出すまで、レオには認識できないほどのタイムラグしかない。

「でも地下に逃げて正解だったな。レオだけじゃなくみんな青命線デッドブルーに詳しくねえみたいだし」

 爆煙の派手さに反して殺傷力の全く無い魔法をぶちかました後、二人は止まない雨とたなびく煙の合間を縫って城下町の水路から地中の青命線デッドブルーに滑り込んだのだった。すぐに追っ手がかかってひと悶着するだろうと思っていたが、一晩が経ち、二晩がたち、結局未だ人一人どころか鼠一匹すら姿を見ていない。さすが旧文明の建造物と言ったところか。

 縦横無尽に張り巡らされたこの水路にメンテナンスの必要はない、というかメンテナンスの仕様が無かった。漏水率が0.009%を切り、水路に使われている魔化学鉱石の浄化作用によって溜められた水が傷むこともない。

 この青命線デッドブルーは二千年以上稼働して尚、その仕組みや建設方法が解明されておらず、カルマはただその恩恵に与かることしかできないのだ。

「誰も追いかけてこないんじゃなくて、追いかけて来れないってことなんだろーな」

 前を行くアリスの背中に迷いなど無い。流石は雨を呼ぶ神子、雨も水も、すべてがアリスに味方をしている。

「まあ、今攻めてこられても、困るけどよ……」

 地下水路を進むうちに、レオの真赤な髪はすっかり錆色の髪へと逆戻りしていた。こっそりと出して確かめた魔法文字も、修行時代に個性が無さ過ぎて個性的な凡才、と評された白い文字とに同じく戻っている。

「それにしても、本当に虫一匹いないんだな」

 こんな陰気くさく湿っぽい場所だ、冷暗所を好む百足など格好の棲家にしそうなものだが見掛けない。

「昔から、虫も水泥棒も、青ざめ溺れて沈むだけ。親によくこっぴどく脅かされただろ?」

 その言葉にドキッとしてレオは肩を跳ねさせた。だが前を進むアリスはレオのその動揺には気づいておらず、壁に添えているのと反対側の腕をすっと水面へと差し出した。

「……そういう悪いことをする奴は、蛇に食われて死んじまうぞ、ってな」

 彼の指が指揮するように持ち上げられると、驚くことに触れてもいない水面がすいっと持ち上がった。そのままするすると水の柱がアリスの細い指へと昇っていく。

 それは、透明な水でできた大蛇だった。硝子の彫刻にも似た、だがそれより圧倒的に滑らかな質感を持ちうねる胴が、アリスの腕に絡みつく。鱗の一枚まで精密に作られた水の蛇は、透明な眼でレオをぎろりと睨んだ。

「いれぎゅらー。えらー。えらー?」

「ぎょわっ!?しゃっ……しゃべりやがった!」

 チロチロと舌を伸ばして拙い言葉を発する水蛇に怯え、アリスの肩にレオはしがみついた。足場の筏が大きく揺れる。

「えらーじゃねえよ。あかだ」

「のーえら?あか――――まっち……?いれぎゅらー?」

「だーいじょうぶだって」

 蛇の頭をばしゃばしゃと水音を立てて撫でるアリス。見ようによっては頭部が破裂しているようにも見えるが、蛇の方は気持ち良さそうに目を細めている。

「うぎゅぎゅぎゅぎゅ。みこ、はぴー。おーけぃー」

 何だかよくわからない声を上げて、蛇はその身を揺らしている。アリスはその様子を見て微笑んだ。レオは恐る恐る人差し指でその波打つ胴体をつついた。

「こいつ、何なんだ?」

「この青命線デッドブルーを守護する水蛇だ。侵入してきた小動物や人間を撃退して、更には水底に沈んだ砂や塵も体内に吸着して水路の外に排出する。本物の動物じゃなくて、青命線デッドブルーが敷設された頃に一緒に構築された魔法生物らしいけどな。ここでしか稼働できないから、俺も会うのは初めてだよ」

「じゃあ、青命線デッドブルーまで城の奴らが追ってこないのは……」

「そっか。こいつのせいもあるのかもな。特殊な術式を身に纏った上で、水を絶対に汚さない格好で入らないと、容赦なく水蛇に噛み砕かれる。此処に自由に出入りしたければ、神子の俺と一緒に入るしかない」

「だから、俺には警戒してくる訳ね……」

 さっきまでの神子への確認するような仕草は、どうやらレオのことを排除対象とするか否か迷ってのことらしい。危なかった、文字も白く戻ったこの状態で、あんな掴み所のない敵と戦える訳も無い。あっさりと絞め殺されていただろう。

「いっつも俺たちの水を守ってくれてありがとな。これからも頑張れよ」

 腕をするりと抜いて神子が手を振る。水蛇は名残惜しそうにゆらゆらと垂直に立てた身体を揺らしていたが「ばーい」とやがて静かに水へ溶けていった。

「あんなやつが水を守ってたんだな」

 レオはようやくアリスの肩から手を放すと、嘆息して蛇の消えた水面を見つめていた。アリスはまるでペットのように接していたが、レオには少しだけ水蛇が怖かった。

 いつその透明な咢を開いて、昔あんなことをしたレオを噛み砕くのではないかと思ったから。

 無意識に腹を抑えると、何を勘違いしたのか自らの腹の虫が大きく鳴った。だがそれが逆に気持ちの切り替えとなり、レオはアリスに向かって空腹を訴える。

「そろそろ地上に上がらないと。いい加減腹減りすぎて限界だ……」

 水には困らないという大変ありがたい状況ではあるが、いくら頑丈なカルマでもそれだけでは生きていけない。

「そう言うと思って」

 にやりとアリスは笑って数メートル先の梯子を示す。

「小さい町みたいだが、休むには丁度良いだろ」

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