鮮血の赤、鉄銹の赤 03
日を跨ぐ直前の遅い時間にも関わらず緋の間は人で溢れ騒然としていた。
皆叩き起こされ支度も整わない中だったが、君主からの緊急の要件だと伝えられれば馳せ参じるしかない。役人、貴族、武家、果ては普段この部屋に結界で入ることもできないはずの小間使いまでが集められている。君主の権限で、今城の中の結界は大きく緩められ自由な行き来ができるようにされていた。それだけの事態と言うことだろう、集まった人々は固唾を飲んで事の成り行きを見守っている。
「マリベルはどこにいるんだ……?」
キリも訳が分からないままその場に集められていた。だが探す相手が見つからない内に、話が始まってしまう。
「こんな夜更けにご無理を言ってお集まりいただきありがとうございます。神子に関して、重要なご報告があり皆さまをお呼び立てしてしまいました――姫様、どうぞ」
些か慇懃無礼な仕草で深々と頭を下げてから、アンバーは自分に集中する視線を手の平に集め、王座におわす君主へと差し出した。
「朕は、探していた。雨を、カルマの元に取り戻す方法を」
王座には白い花嫁衣装をまとい、赤毛を結い上げた殺戮王女が腰掛けている。まるで蛮族の王の様に、椅子の背に禍々しいほど大きな曲刀を、いつでも抜けるように設えているのが煌びやかな部屋の中で異質だ。相変わらずの無表情だが、今だけは僅かな高揚がその声音に混じっていた。
「なぜカルマの地にのみ雨が降らないのか。何故神子だけが雨を降らせられるのか。ずっと神子学者であるアンバーと研究を進めていた」
そして王座の横には、深い黒色をした、大きな宝箱が置かれている。直方体でいつも平置きされているのが、今は柱のように縦に立たされていた。王家に伝わる有名な
「結論から言おう。今まで王族が庇護し、カルマの民が崇めていた神子とは、国を枯らす元凶であったのだ!」
緋の間に居た者が皆一斉に沈黙し、数秒後にざわめきだす。戸惑いと、疑い、信じられないという声が大半だった。だが殺戮王女は一切の動揺を見せることなく話を続ける。
「当代の神子は、皆が知っている通り異端である。赤子の頃ではなく九歳で再誕し、しかもその直前には
いつしか皆、殺戮王女の言葉に聞き入っていた。キリだけがそれに眉を顰め、含み笑いが殺しきれていないアンバーを窺っていた。王女の言葉は全てアンバーの原稿によるものだろう。王族が神子の管理を厳格に行っていたがために
「朕は過去を紐解いた。この岩と砂しかない地でカルマが生き残った原始の記録。神子が誕生し、王がそれを守護した建国の歴史。代々の神子と雨を結ぶ研究の成果。水を生むことができないカルマの祖字の体系。二千年にも及ぶその知の集積に手を伸ばし――そして巧妙に細工され、隠されていたそれ気付いたのだ、恐ろしい真実。朕等を騙す黒幕の存在に」
それが誰かなど言うまでもない。
「朕等は思い違いをしていたのだ。カルマが荒野に生き残ったのではない。カルマは過酷な環境でも生き延びられるように作り変えられたのだ。この目も、肌も、進化でなく、改変の結果でしかない」
しっとりとした艶を放つ白い手袋を嵌めた手で優美に王女は指し示す。
「神子が誕生し、王がそれを守護したのではない。神子はその力を利用し、カルマを支配した。だが神子は代替わりの度に、魂の系譜でその力を他者に繋いでいく。家や血筋と違い盤石では無いその存在を守るために選ばれたのが、朕達王族だった。神子と雨の研究は近年まで全く進んでいなかった。それは当然だ、支配者たる神子の力を解するなど、あってはならぬ。そして、その力の奇跡性を保つために、カルマの操る祖字も改編された――身体を作り変えられたように、精神も変質させられたのだ」
姫は僅かに目を伏せた。数秒間の沈黙。引き絞られた弓矢が放たれる寸前のごとき緊張感が満ちた所で、殺戮王女は言い放った。
「神子が特別ではなかった。カルマの民全てが、特別であったのだ。雨を奪うために、作り変えられた民族、それが朕達だったのだ」
緋の間が大きく揺れた。悲鳴にも似たざわめきを打ち消し、竜の咆哮にも似た気迫を漂わせて叫ぶのは神子を何よりも尊ぶ親衛隊長だった。
「いい加減にしろ!!なんたる戯言!!これは明確な神子への――いや、連綿と続いてきた神子制度自体に対する冒涜だ!!こんなこと、王家が許すはずないだろう!!」
君主に掴みかからんばかりのキリの激昂に、慌てて何人もの近衛兵が押さえ付けにかかるが。だが、それでも倒れることなくキリは床を踏み抜かんばかりの力で前へと進んでいく。
「お止め下さい!!」と眼前の王座へ近づこうとしたところを、キリを囲むように鉄槍を構えた兵達が取り囲んだ。だがキリは一歩も引くことは無い、槍の穂先が彼の軍服に触れ、その鋭い切っ先が僅かに肌へと達して赤い染みを作る。
「御考え直しください!!国民がこの事態を知れば、王家への信を損なう恐れすらあるのです!」
尚も進もうとするキリを見かねて兵が槍を引く。隊は違えど同じ城の同僚、躊躇いはある。思わずたたらを踏んだ兵の間を通り、アンバーがキリの行く手を阻むように立ち塞がった。鼻先が触れ合うほどの距離で二人は睨み合う。
「――御前で、王家とは、隊長殿も度が過ぎる」
「アンバー……貴様、ついに気が触れたか?」
キリの身体から、怒りに同調してどっと祖字が湧き出した。紫苑の流麗な文字が床を這い周囲に広がっていこうとしていくのを、燐光を放つアンバーの青い文字が障壁となって阻む。
「キリの祖字と正面からぶつかる気はありませんよ。まあ、マリベルさんがいない中では、その必要もありませんか」
アンバーもわかっている。キリのこれは考えあってのものではない。すべては神子を想う感情の強さのせいだ。
「……ふっ、貴方は本当に一途ですね。昔からずっとその忠誠は変わらない。だからこそ、キリには今まで何も教えていなかったのです」
「何を――何をするつもりだ?」
最悪の考えがキリの頭を過ぎる。
「まさか――」
「そんな顔しないでください、キリ。貴方の務めが無くなるようなことはいたしませんよ」
アンバーは視線を柘榴色の瞳から逸らすことなく、右手の人さし指を持ち上げる。反射的にキリの視線がその指先を追う。指は、王座の横に置かれた漆黒の宝箱の正面でぴたりと止まった。良くも悪くも色々な逸話があり、噂も絶えない王の為の宝箱。キリはその箱を――ちょうど人一人が収まる程のそれを――見た瞬間、すぐにその中身を悟った。
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