その理(ことわり)の裏側は 03

 だが、順調に進むかと思っていた矯正は、思わぬように進まない。

 少女と見紛うほど可憐な少年のその精神は、何よりも理知的で強靭だった。苛烈かつ短慮な性格の殺戮王女とは水と油のように相性が悪い。さらに言えば、二人が話していると、まるで神子の側に常に正義があるような雰囲気になるのも納まりが悪く問題だった。

 殺戮王女はまったくアリスに近づかなくなった。そのとき既に片鱗を見せていた戦いへの執着、狂戦士としての魂の呼び声に従って、戦闘訓練に明け暮れ、僅かに残る内紛の鎮圧に傾倒していた。

 だから、その間の神子の教育は、すべてアンバーに任された。アンバーは粛々とアリスに神子に課された通年の儀式での振る舞い、神子制度の歴史と意義を説いた。アリスは身が入らない様子ながらも、生来の聡明さからすぐそれらに秘められた謂れのようなものに気づき、簡潔かつ最適な質疑応答だけで全てを理解した。

 本来であれば喜ぶべきことだろう、だが城の者――特に王族に連なる者達はそのアリスの智慧の煌めきを嫌悪した。

 わからなくもない。当代の王である殺戮王女には危うい所がある。政治的な駆け引きも苦手だ。そんな彼女の傍らに美しく知性有る神子が佇んでいるとしたら――昔から一部存在する神子至上主義派を増長させてしまうのでは、という危惧があったのだ。

 神子派は天恵をカルマに齎す神子こそがこの国の頂に立つべきだと主張する派閥だ。血で連なる王族が、魂で連なる神子を保護という名目で支配することは誤っているという、どちらかと言えば宗教的な傾向の強い論法は、現状大多数を占める王族派の権力者たちに黙殺されているが、いざ国に影が差すような状況になれば、途端に火がついたように勢いが上がるだろうということも目に見えていた。ただでさえ枯れた二年ラストダンスは行き過ぎた王族の加護を戒めるための神の啓示だと彼等は噂しているのだ。これ以上、彼等の主張を強固にする要素を増やす訳にはいかなかった。



 子供の世話は難しい。それが、年相応の可愛げの無い子供なら尚更だ。

 キリは目の前ではらはらと涙を零すアリスを眺めながら低く、誰にも気づかれない程度に嘆息した。それから、いけないなと自分の不遜な態度を窘めるように瞠目し、キリは神に、そして神子に感謝する。

 カルマの本能なのだろうか、その念だけで反射的に祖字列がキリの額からするすると紡ぎだされ、空へと昇っていく。紫紺の色をしたキリの祖字は文字形が独特だ。戦闘向きだが一人では活用しにくい。それがキリが戦いの型として剣士を選択する決定打になったのは否めない。

 雨音が屋根を叩く。再びカルマの元に神子が現れて一年。定期的に雨が降るようになってから、目に見えてこの国に復興の兆しが見られるようになった。

 民は落ち着きを取り戻し、元の生活を取り戻すために協力し合い、日々精力的に活動している。城を始点に国中に広がる青命線デッドブルーの水量も安定し、飲用以外の用途で水を使えるようになったことで、居住区の衛生状態も劇的に改善した。それも全て、目の前で奇跡を起こす神子のおかげだった。

 円形の小さな社の中央に、足首が浸かる位の浅い泉があり、アリスはその中心に立って涙を流していた。

 聞けば此処は始祖の神子が雨を齎した際に立ったという由緒ある地であるという。ここで必ずしも泣く必要は無かったが、アンバーは習慣づけるためにもと、アリスをこの場所に連れてくることが良くあった。

 ぱしゃ、ぱしゃと音を立てて、アリスが泉から上がってきた。控えていた侍女達が濡れた頬を、足を丁寧に拭いていく。だがアリスはその甲斐甲斐しい世話も程々に、待ちきれないとばかりにキリに近づいた。泉の水面を反射して、大きな瞳が青いベールを被ったように揺らめいた。

「ねえキリ。次はこれが欲しいんだけど……」

 アリスは法衣のポケットから小さな紙を取り出して広げて見せる。そこには子供らしい字体で、およそ子供が知っていないだろう長い学名がずらずらと並べ立てられている。キリにもそこに書かれているものは何一つとしてわからない。

「……少々、お時間をいただいてもよろしいですか?」

 これが何かと教えを乞うのも矜持が許さず、キリはそう言って紙を受け取った。さあこれから仕事終わりに図書室で植物図鑑とにらめっこだ。一度出入りの業者に投げたが学名では何かわからないと直ぐに突き返されたのも記憶に新しい。

 また残業が増える。知らず胃を押さえるキリを、アリスが目をぱちくりさせてじっと見ていた。


 二週間後、キリが苦労して注文した品を、商人が木箱に詰めて納品してきた。

「いやあ苦労しましてんでー。隣国から取り寄せたんで、間に合うかどうかホンマ気が気じゃありまへんでしたわ。ここまでできるんは、ウチの商会だけでっせ騎士様!」

 メルカトール訛りの食えない商人は恩着せがましく何度もそう言うと立ち去っていった。次回は多少色を付けておかないと不味そうだなと頭の片隅で思いながら、木箱を抱えてキリは神子の部屋へと向かう。

「おや、どうしましたか?」

 神子の部屋への道すがらには必ず神子学研究室を横切らなければならない。間の悪い所でアンバーに声をかけられて、キリはしまったと心の中で舌打ちする。

「ちょっと、届け物だ」

 この経路で行く先など一つしかない。濁した言葉に意味は無く、アンバーは興味津々でキリの抱える木箱を覗き込んだ。

「――なるほど、道理で最近部屋が華やかな訳ですね」

 その言葉にキリはほっとする。これが何かは気付かれていない。

「ああ、これだけが楽しみのようだからな」と返すと「その辺りの児戯の相手は親衛隊の貴方に任せますよ」と直ぐに神子学者は引き下がった。十歳も過ぎて大人しくなり、最近のアリスは周囲の言い分にも反論することも無くなった。粛々と日々天恵をカルマに注ぐその姿に殺戮王女もアンバーも満足したのか、殊更に介入することは無くなっていた。

「では、後で神子の様子はまた報告する」

 キリはそのまま早足で目的地に向かう。

「あ」

 アンバーが小さく声を上げた。キリの抱える木箱の底に貼り付いていた紙が剥がれ落ちたのだ。キリは全く気付いていない。アンバーは拾い上げてそこに書かれたものを見て、眉根を寄せた。

「これは……」

 去りゆく紺の軍服の後姿に向かって、アンバーは口元を歪めた。


「お待たせ致しました。希望のお品物です」

 アンバーがノックするより早く、扉が中から開かれた。興奮した表情でアリスが両手を差しのばしている。どうしてこんなものを子供が喉から手が出る程欲しがっているのだろう。キリには理解できない。

「ありがとう!!早く!!早く!!」

 木箱を下ろすと待ちきれないというようにアリスは中身を取り出した。

「うわぁ…………!」

 それは、小さな苗だった。アリスは壊れ物を扱うようにそっと苗を部屋の花壇に植える。木箱の中は、種類の違う苗や苗木、種で一杯だった。アリスは部屋の大半を占める鉢植えや花壇の空きスペースを、まるで予定調和のようにそれらで埋めていく。土に汚れながら作業するアリスは本当に楽しそうで、その時だけは年相応の子供に見えた。

「ふふ、楽しみだなあ」

 潅水装置の水量を調整しながらアリスは微笑む。硝子の天蓋の採光の加減も、水の量も、植物同士に配置も全てアリスが考えて施しているものだ。美しく咲く花々に囲まれて幸せそうにしている幼い神子を見ていると、キリの心も幸せで満たされた。

「あ、そうだ!」

 立ち尽くすキリを見て何か思い出したのか、アリスが部屋の机の引き出しから小さな紙包みを取り出した。

「これ、お礼」

 差し出された掌に隠れるほどの紙包みは小さく折りたたまれており、中に何か入っているようだ。

「胃薬だよ。キリ、この前お腹痛そうにしてたでしょ」

「あ、ありがとうございます!!そんな……神子殿が私のために……」

 感極まったのか目頭を熱くするキリに、アリスは目を細める。まるで、それこそが自分の生き甲斐であるかと言うように。

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