心を削ろう、亡くしたりしないように 03

 バンッ!!

 突如研究室の扉に衝撃が走った。頑丈そうな分厚い扉がスローモーションで倒れ、煙のように埃を巻き上げる。

「あぁ良かった、神子様に丁度お話があったのです」

 その一切に動揺することなくアンバーが微笑む。まだ埃で隠れてその犯人は見えないが、結界のレベルが他のフロアより抜きん出て高いこの場所に、土足で踏み込めるような人間はこの研究室に名を冠するあの人間以外にはいない。

「こっちは話なんてねえんだよ。何勝手にコック拉致ってんだボケ」

 レオは頭が痛くなった。俺はここまで口汚くない。どうやら成長するにつれて模倣していた人間の性格の追跡トレースができなくなり、多少とは言いがたい隔たりが対象との間にできたのだろう。それにしたって、あれがアリスの想像する未来のレオだったのだとしたらあまりに心外だ。

「申し訳ありません。目撃者のいない状況で貴方が倒れているものですから、私共もつい彼に尋問もしたくなるというものでしょう?」

「俺はどうもなっていない。涙さえ流せる状態ならば文句などないだろう」

「ええその通りです」

 アリスはずかずかとレオの近くまで寄ると、その手にはまった手錠を見て目を細めた。神子の登場に背筋を伸ばして直立しているキリに向かって命令する。

「とっとと外せ。こいつは連れて行く。久々に舌の合うコックなんだ」

「はっ……」

 キリが躊躇うように視線を神子とアンバーの間を彷徨わせ、結局命じられるままにレオの手錠を外した。アリスは威嚇するようにレオの前に立ってアンバーを睨む。レオは自分がアリスに守られているという状況に違和感と、何故か少しの苛立ちを感じる。

「どうぞご自由に。こちらとしてもレオくんには城にいていただきたかったので。大事な幼馴染なんでしょう?」

 そんなに睨まなくてもとアンバーは苦笑しながら、アリスがレオの腕を掴んで早々に退室する様を眺めている。

「ただ、殺戮王女には知られないようにしてくださいね。わかっているとは思いますが、守りきれませんよ」

「……わかってる」

 アリスの吐き出していた言葉が、最後だけ僅かに弱まった。


「青春ですねえ」

 二人の少年の背中を見送って、アンバーが目を細めた。

「ああしていると、神子が只の凡庸な人間の一人であるとよくわかります。たまらない」

「……どうしてそこまで目の敵にする?」

「ご冗談を。これは紛う事なき愛ですよ。カルマへの、この国への――そして祝福されざる神の子へのね」

 理解できないものを見る目でキリがアンバーを見つめる。

「余り勝手なことはするな。ただでさえ神子擁護に睨まれているのに、これ以上目立てば本当に暗殺されるぞ。付き合いの長い奴の首が晒されているのを見るのは流石に目覚めが悪い」

「いや可笑しい。私は姫の命に従っているだけですが?」

 白々しくそう言って、アンバーは机に向き直る。今日の収穫をすべて記録に収めるつもりなのだろう。そうやって幾代もの神子たちも全てを――思考も、思想も、嗜好も、思慕さえも文字として書き記され次代へとつなぐ礎とされてきた。

 それに例外はない、自分の仕える今の神子もその歴史の一部となる。

 だが何故だろう、キリはその事に胸の蟠りを感じながら、その部屋を後にした。



 広い城内を迷うことなく、アリスはレオを連れて自室への道を戻っていた。機密レベルの高い神子学研究領域エリアから秘匿されている自らの居住領域への移動など、本来一般の者ならば手続きと審査だけで丸二日は掛かってしまうところだが、神子本人にとってはなんて事もない。

 区画の境を通るたびに、

 ぱしんっ、という薄い硝子の割れるような音が微かに鳴る。この結界を通り抜ける際の音も、アリスにとっては聞きなれたものだが、レオはその度に驚いたように辺りを見回している。

「元気だったか?」

 歩いたままレオは、前を行く黒い後頭部が、思ったより低い位置にあることに驚いていた。必然的に足の長さも違うことになり、落ち着いて足を運べば話す余裕も出てくる。

「見ての通り。ぴんぴんしてるぜ。いいもん食わされてるし、いい部屋住まわされてるし……レオが来る必要なんてなかった」

「いいもん食わされてるのとおいしいもん食わされてるのは違うだろ。神子がころころ専属調理人を変えてるって、料理界じゃあ有名なんだぞ」

「だって……あいつらの料理、不味かったんだ」

 そろそろ研究区画自体から抜けたのか、無味乾燥な白い魔法鉱物の壁から、豪華絢爛なカーテンや絨毯などに内装が変化していく。

「じゃあ俺の料理は?」

「……」 

「俺来た意味あったみたいだな」

「ねえよ」

 ぶっきら棒なアリスの声。

「こんな所。本当に、来ない方がよかったんだよ」

 何回通路を曲がったか分からなくなった頃、アリスは黒い扉の前で立ち止まった。扉は硬い鉱石で彫り抜かれて造られており、白い壁に隙間無くぴたりと埋まっている。その扉の向こうにあるのは人が住むための空間というより、牢獄や宝物庫ではないかとレオは思った。神子が国の宝とするならば、あながち間違ってはいないのかもしれない。

「ここから先は、俺だけしか入れない」

 アリスは鈍く光るドアノブを握った。ノブには細かな文様が刻まれており、アリスの掌から文様の溝を、水が伝うように光が巡る。またガラスの割れる音がした後に、アリスは何事も無かったようにドアを押し開いた。

個体認証マッチングか!メルカートの大銀行ぐらいでしか見たことねえよ。やっぱり城の中は進んでるな」

「逆だ。これは超過技術オーバーテクノロジー。わかりもしないで利用だけして、馬鹿な奴らだよ」

 ドアの中に入っていくアリスに続けばいいのかどうかレオが迷っていると「さっさと入れ!」と怒鳴られた。

「お邪魔します……っと。おぉ!」

 そこには、楽園が広がっていた。

 心弾む色彩が部屋を埋め尽くしていた。苔を模した光沢のある絨毯が敷かれた室内に色とりどりの花が咲き乱れている。天井は熱遮断水晶カットガラスに覆われて採光できるように工夫されて、部屋というよりは庭のような様相だった。

 この国で観賞用の植物はほとんど存在しない。そんなものは飯の種にもならないからだ。レオは逞しく咲く野花と、食材となる栄養価の高い花位しか見たことが無かったので、この場に咲いている花の名前は一つも判らない。

 観られるためだけに咲く花は、水を得るためにその存在意義である美しさを遠慮なく周囲に誇示している。レオは、生きる為に路地裏で花弁のような薄い服を着て男を待つ娼婦の友人たちをそこに重ねる。まさに、命を賭けた美しさだ。

「綺麗だな」

 その一言しか出てこない。

「神子の特権ってやつだな。カルマで正式に花を育てられるのは俺だけだ」 

 花弁を撫でながらアリスは目を細める。その心を慰めるような柔らかい仕草は少しだけ過去の彼を思い出させて、レオをほっとさせた。

「神子の趣味がガーデニングだなんてな」

「逆にガーデニングぐらいしかすることが無いだけなんだけどな」

 ぶちり、と不意にアリスが撫でていた花弁を引き千切った。瑞々しい薄紫の花弁は無残にカーペットの上に散って、裸の茎と葉だけになった寒々しい姿が其処に残る。レオは驚くが、アリスは至って平常で、掌についた花弁を指で一つ一つ剥がして捨てている。

「こんなことで、昔の神子共は優越感でも感じてたのか?自分こそが温室で囲われるペットって気づきもせずによ」

 その顔に浮かぶ薄い笑顔も、よく見れば彼のものでは無い。だけどその姿はアリスでしかない。レオはそうやってアリスの痕跡ばかりを探してはその度に絶望する自分を蹴り殺したくなったが、そこは笑顔で誤魔化した。

「座れば」

 指差されたソファは沈み込むほどに柔らかい。ソファの向かいの床にアリスはぐったりと寝そべっている。人目も無くなりやっとゆっくりと話せると言った所か。

「神子って暇なのか?」 

 今までの空白時間を埋めるかのように二人はぽつりぽつりと話し出した。アリスは昔の事を余り覚えていないようだったが、幸いなことに長い年月を共に過ごしたという感覚のようなものはあるようで、結局会話は気の置けないものとなる。

「暇っていうか、暇であれというか、暇にさせられてるというか。昔からのしきたりだ。神子は無知であれってな」

「どういうことだ?」

「言葉の通りだよ。馬鹿な子ほど従順で可愛いだろう?」

 俺、可愛い?と大きな白金色の目で見つめてくるアリスにどきりとしながら、レオはそれには答えずに話を進める。

「じゃあお前はここでなにをしてるんだ?」

「泣いてる。仕事だからな。後は食事にケチつけてコック変えるくらいだね」

 仕事。という言葉は違和感があったがアリスがそう言うのならそうなのだろう。

「レオはさ、何してたの」

 レオ、という響きは彼の口から出るときに僅かに震えたが、レオはそれを無視した。

「俺は村を出て、商業都市のレストランに弟子入りしたんだ。そこで修行して、お墨付きもらって、王都に流れてきたんだよ」 

「なんで」

「そりゃあ城に上がれるチャンスが無いかと思ってだよ。そこから丸二年で目的達成できたなら早いもんだろ?」

「てっとりばやく兵士にでもなればよかったじゃねえか。たしかあれは十二歳から入団できるはずだろ」

 レオは苦笑いして無意識に左腕を擦った。日常生活に全く支障はないが、袖の下の腕が伝える微かな違和感は八年経った今でも消えることはない。剣を握るような動作は腕の傷が引き攣って、どうしても最後まで馴染まなかった。

「俺、弱いからさ」

「ふうん」 

 あの頃より自分は少しだけ隠し事が上手くなった。それをレオは寂しく思う。

「八年もかかったのか」

「ごめんな」

「八年も掛けて来てくれたのか。俺に会うためだけに」

「ああ」

 アリスは黙って目を泳がせた。どういう顔をすればいいのか分からないのだ。しかし数秒の後、

「……ありがとう」

 照れて小さくなった声を聞きレオは心が温かくなる。本当のところレオも心配でしょうがなかったのだ。

 城に神子として召し上げられて、彼は今やすっかり信仰の対象となってしまった。王都にわたって王城を見上げた時に、レオはアリスとの間にその城より高い壁を感じたのだ。

 今更自分が必死でアリスに会いに行ったとして何があるというのだろう。貧しい村でのことなどアリスはもう忘れたい思い出でしかないのではないだろうか。

 だが現実は、忘れるという自由さえもアリスには与えられていなかった。泣き喚いて震え、髪を振り乱して蹲るその姿を、雨に祈るカルマの誰が想像しただろう。

 アリスは変わってしまった。変わり果ててしまった。

 雨を降らせる装置だと、神子を讃えるはずの学者は言った。神子を守るはずの騎士がその者に剣を突き立てないのなら、この城はアリスにとって柔らかな檻でしかない。アリスがあんな風になってもおかしくは無い。

 泣き濡れ花を愛でるだけの馬鹿であれ。聡明で優しかったアリスがそう強要される姿を想像して、レオは身の毛がよだつ思いがした。

 駄目だ、アリスを一人にしてはいけない。

 自分が城に来た理由、アリスに謝りたかった事など隅に追いやってレオは決意する。

 おずおずとアリスがレオに問いかける。

「これからずっと城にいてくれるのか」 

「お前がクビにしない限りはな」

「お前が不味い飯を作らない限りな」

 非生産的な応酬の後、二人は揃って笑い出した。お互いの事情も、お互いのこれまでの八年間も、まだ何も理解はできていなかったけれど。

 それでも二人はこうして再び出会うことができたのだ。

 アリスはまだ願いを伝えられていなかった。

 レオはまだ自分が何者なのかを知らなかった。

 だが今の二人はそんなこと関係なく、ただ笑いあっていた。


 再び台座から神子が消える、ほんの数ヶ月前のことだった

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