第26話(表の中):またしても何も知らない暗黒神(笑)



 完全に油断しきっていたせいか、しばし乳デカ姫は気怠そうではあったが、回復はけっこうすぐに終わった。



 異なる世界とはいえ、やはり『鬼姫』なのだろう。


 小さい箪笥より取り出したタオルにて身体を脱ぎ終えた乳デカ姫は……パチンと指を鳴らし、瞬く間に元の巫女服姿へと戻った。



「……で? ワシが『光明の姫』とやらを演じるのは分かったのじゃが、どのように登場すれば良いのじゃ? 言っておくが、ワシに演技の腕なんぞ期待するだけ無駄じゃぞ」

「まあ、待つがよい。まずは此度の茶番に使用する小道具の説明を済ませておこうぞ」



 仕切り直し……そう言わんばかりの話の切り出しに、乳デカ姫は手招きで答えた。


 促されるがままに部屋を出て、再び階段を上って悪趣味な祭壇へ……かと思ったが、そうではない。


 唐突に、階段途中にて足を止めたかと思えば、こんこんと壁を叩いた……直後、かちゃり、と。



「……忍者屋敷か、此処は?」

「わはは、下手に術で隠すよりも、こっちの方が意外と見つからないものなのだ」



 トリックアートよろしく、目の錯覚を利用して巧妙に隠されていた扉より中へと進み……ぱちり、と乳デカ姫がスイッチを入れれば、強い光が乳デカ姫の手元より生まれる。


 それは……いわゆる、アウトドア用のランプである。


 一般家庭に常備されるようなライトとは違い、一回りも二回りも大きくて重厚だ。本体を中心に四方を明るくするような設計になっているようで、それ一個だけでも相当な明るさであった。


 そうして……改めて照らされた室内は、正しく物置部屋と称するにふさわしい有様であった。


 スチール製の安価な棚に、ダンボールの箱が無造作に積まれているかと思えば、プラスチックのケースが山積みされている。


 そうかと思えば、特注かと思えるような長いハンガーラックには様々な用途の為と思われる多種多様な衣服が雑に掛けられている。


 真新しい物もあれば、埃被った物もある。中には、クリーニング店から受け取って、そのままラックに掛けられたと思わしき衣服も。


 購入してそのまま放置されているように見える、ビニール袋に包まれた雑貨。使い方は不明だが、中にはヤニと思わしき汚れがこびり付いている物すら置かれていた。



(……こういう部分は似ているのじゃ)



 胸中にて、鬼姫は苦笑する。別世界とはいえ、己は己ということか。


 そうして、右に左にと視線を右往左往させていた鬼姫は……ふと、乳デカ姫が持っている明かりへと視線を向けた。



 ……いちいち明かりを出さなくても、良いのでは?



 そう思って鬼姫は素直に尋ねる。


 嫌みでも何でもなく、いちいち後片付けをするのもそうだし、何より燃料(この場合、バッテリーだが……)が無駄になるのではという親切心からだった。



「いや、我も分かってはおるのだが……普段から意識して生者の真似事をしていないと、知らぬうちにボロを出してしまうのだ」

「……どういう意味じゃ?」

「我は普段、光と闇の両方の動きを確認する為に、生者のフリをして生活している。昨今は光だろうが闇だろうが、年若い術者はみな普通に学校等に通ったりしているからな……ちなみに、一時期は学生のフリもしていた」

「はあ、なるほど……ようよう気付かれないものじゃな」

「伊達に暗黒神などと不名誉な渾名を付けられてはおらん。たかだか二十歳にも成っていない未熟者に見破られるヘマはせんよ」



 すると、思いの外ちゃんとした理由を返された。


 もちろん、四六時中そうするのは面倒臭いので、気を抜く時は気を抜いているらしいが……っと。



「有ったぞ、これだ」



 ごそごそ、と。


 鬼姫の目からすればガラクタにしか見えない山脈から、乳デカ姫が引っ張り出したのは……封がされている、掌に収まる程度の小瓶であった。


 中身は、赤黒い液体で満たされている。


 封のおかげで臭いは分からないが……嗅ぐまでもなく、鬼姫はその正体が『血液』であることを看破した。


 しかし、ただの血液ではない。鬼姫のように『力』を持つ者にこそ分かる……邪悪なる気配。


 それは、鬼姫が時折口にする『面倒なやつら』に近しい。


 けれども、同一かと問われれば、違うと判断する程度には、鬼姫の知るそれらとは異なっていた。



「――何じゃ、これは?」



 故に、鬼姫は率直に尋ねた。



「我を暗黒神と崇めて様々な命を無下に奪い、挙句の果てに自死した愚か者たちの成れの果てだ」



 対して、乳デカ姫の返答もまた、率直であった。


 これを使っていったいどうするのか……その問いに対して、乳デカ姫の語る計画を簡潔にまとめると……だ。



 ――まず、始めに、だ。



 光と闇の両方の一派……いや、陣営に、『暗黒神』が実在している存在として、改めて認知してもらう必要がある。



 え、そこから……と、思う者も居るだろうが、それは仕方ない事である。



 というのも、だ。


 暗黒神とされている乳デカ姫だが、実はこれまでまともに両陣営と接した事は一度としてないのだ。


 闇の一派……闇の陣営に対しては、うんと昔にお仕置きと称して壊滅させたのが最後である。


 伝承として絵巻等に残ってはいるらしいが、正確な記録ではないので詳細は知られていない。


 光の陣営に至っては、光に属する者の一部と交友関係があるだけ。向こうからすれば、何も知らない一般人としてでしか見られていない。



 言うなれば、部外者だ。



 そのうえ綿密に擬態を掛けているので、そもそも乳デカ姫が『力』を持っている云々以前に、死者である事にすら気付いていない。


 あくまでも、両陣営に対しては、言い伝えや絵巻などで間接的に『暗黒神』の存在を仄めかしているだけである。



 ――故に、だ。



 そもそも暗黒神とはどのような存在で、どれほどの力を有しているのか……何よりも、本当に実在しているのか……それらを確認する手段が、両陣営には無いわけである。


 なので……という言い方も何だけれども。


 実の所、光の陣営もそうだったりするのだが、暗黒神を蘇らせようと企んでいる闇の陣営ですら、その思惑は一枚岩ではなかったりする。


 純粋に暗黒神に心酔し……ひいては、自らが培ってきた邪法に魅せられた者たちが、暗黒神と共に世界を思うがままに支配しようと企む者。


 あるいは、暗黒神という名の力を手にして、自らが暗黒神という存在に成り替わり、この世の全てを手に入れようと企む者。または、自らを神に成ろうとする者。


 そして、それらとは異なり様々な事情からこの世の全てを憎み、世界の全てを滅茶苦茶にしてやりたいという破滅願望を抱く者など、実に様々である。



 それに比べたら、光の陣営はまだ単純である。



 手段や過程に対する違いや、派閥によって生じる諍いが騒動の元になっても、目的は同じ。暗黒神の復活を阻止する、それに尽きる。


 だから……という言い方も何だが、両陣営は長き時に渡って戦い続けてきてはいるが、その実情は小競り合いのようなモノであった。


 自らの『力』を増大させる為に様々な命を奪う闇と、それを阻止する光。


 あるいは、来る暗黒神への捧げ物として暗躍する闇と、それを阻止する光。


 両陣営の戦いは、だいたいがこの流れで始まり、多少なり規模が大きくなっても、始まりにそこまでの違いは無かった。


 ……そう、これまでは。



「これをな……こうするのだ」



 ふわり……と。


 乳デカ姫の『力』を受けた小瓶に、ヒビが入る。直後、パキンと静かに割れたかと思った瞬間、闇の中へと溶けるように跡形も無く消えてしまった。


 いったい、何が……その答えは、乳デカ姫がさっさと教えてくれた。


 傍に有ったテーブル……乱雑に物が置かれ過ぎて気付かなかったその上の物を適当に退かせば、奥より……これまた年期を感じさせるブラウン管テレビが姿を見せた。


 ガラクタではなく、ちゃんと電源が通されているようで……ポチリとボタンを押せば、ゆるやかに画面に光が灯った。


 そうして、映し出されたのは……何処かの室内と思われる映像で、中心には憤怒に顔を歪ませた女の像が有った。


 少しばかり奇妙なのは、画面の色が淡い緑色というか、妙に薄暗いというか……まあ、鬼姫が分かっていないだけだが、それは暗視カメラによる映像である。



 ……で、だ。



 その女の像へと向かって、カメラの範囲内だけでも十数名近い者たちが正座し、何やら熱心な様子で頭を下げている。


 何とも、異様な光景である。


 少なくとも、像が女ではなく菩薩であったならば、まだ……いや、そうであっても雰囲気が明らかにソレではない辺り、異様なのは変わらないだろう。



「何じゃコレは?」

「闇のやつらが崇めている御神体……つまりは、想像上の我を崇めている最中の映像だ。顔を合わせるのが嫌でな、こっそりカメラを設置しておいたのだ」

「……よく見つからないものじゃな」

「こういうやつらにはこの手が一番効く。何せ、こいつらは己らの『力』に絶対の自信を持っているからな。故に、このようなデジタルにはめっぽう弱いのだ」

「そういうものか?」

「そういうものだ。良い大学を出たり、法や経理に詳しくなったり、図面が描けるようになったり、自力で回線を繋げられるよりも、術を1つでも多く習得した方が評価される世界だからな」

「……ワシからすれば、術なんぞ覚えても今更だと思うのじゃが」

「奇遇だな、我も同感だ――っと、そろそろだぞ」



 促されて画面を見やった鬼姫は……映し出されている映像に変化が現れた事に気付く。


 具体的には、画面の向こうに居る彼ら彼女らが崇めている像が、割れた。それも、ピシリとヒビが入った程度ではない。


 まるで、脳天からまっすぐハンマーで叩かれたかのように、あるいはイナズマが走ったかのように、二つに断たれたのだ。


 これには、長き時に渡って邪法を練り上げてきた者たちすらも、驚き慄いたようだ。


 誰も彼もが、思わずと言った様子で浮足立っている……だが、変化はそこで終わらなかった。その中の一人が、割れた像を指差した事で、鬼姫もソレに気付いた。



 ――モヤだ。黒い霧のようなソレが、割れた像より姿を見せた。



 それは、ただのモヤではない。映像越しでもはっきり分かるほどに、邪悪だ。


 明らかに『負の力』を放つそれは、呆然とする者たちを尻目に……緩やかに形を変え、人の顔に成ると。




 『我は、暗黒神に仕えている者なり』




 そう、臓腑を底冷えさせるような、重苦しい声を発した。



 ……。


 ……。


 …………という台詞を、だ。同じタイミングで発している乳デカ姫を、鬼姫は小首を傾げて見やった。



 乳デカ姫がやっているのは、いわゆる吹き替えだ。


 話を聞く限り、どうやら暗黒神は既にこの世に人間として生を得て、器が成熟する時を待っていた……という感じらしい。


 そして、今日この日。


 器が成熟し、暗黒神としての復活の秒読みに入った事を、代々に渡って己を崇め奉って来た忠実なる僕(しもべ)たちに告げに来た……という流れであった。


 ……まあ、他にも色々と話しているが、おおよその流れはそんな感じだ……が、鬼姫にとってはそんな事よりも、だ。



(……凄いのう、どのような術で声を飛ばしておるのじゃ?)



 声に合わせて向こうが動いているのか、向こうの動きに合わせているのかは不明だが、パッと見た限りでは違和感を覚えない。


 凄いのは、鬼姫の目を持ってしても、どのような術が成されているかが分からない……という点だ。


 鬼姫ですら感知出来ないというのは、中々に凄い事である。


 少なくとも、こんな真横で何かしらの術を発動しているのが分かっていてもなお、感知出来ないは滅茶苦茶凄い事だ。


 だから、鬼姫は素直に感心していた。


 自信の有無の話ではなく、純粋に己の実力に裏打ちされた感知能力を上回った事への、称賛であった。



 ……が、しかし、だ。よくよく見ると、だ。



 画面を前に厳か……というよりは、それっぽく意味深な台詞を発して暗黒神の使い(笑)を演じる乳デカ姫の手元に……小さな何かを持っている事に鬼姫は気付く。


 いったい、何なのだろうか?


 よくよく見れば、乳デカ姫はそれに向かって話しかけているような……少しばかり気になりはするが、吹き替え中なので声は掛けられない。



 ……と、思っていると、画面の向こうにて変化が現れた。



 有り体に言えば、暗黒神の使い(笑)が爆散した。


 けれども、被害は出ていない。あくまでも気配だけを色濃く残しながら、霧散しただけである。


 画面の向こうに居るやつらも気付いているようで、驚きこそすれパニックには至っていなかった。


 ……いや、違う。彼ら彼女らは、ある意味ではパニックになっていた。



 ――暗黒神様だ! 我らが暗黒の姫がお目覚めになった!



 いったい、どのような……答えは一つ。彼ら彼女らは、狂喜乱舞に我を忘れていた。


 それが如何ほどのモノなのかを、言葉にするのは難しい。


 あえて想像の余地を持たせるのであれば、画面を見ていた鬼姫が「うわぁ……」思わず一歩退いたぐらい……とだけ答えておこう。


 まあ、それも致し方ない事ではある。


 闇の陣営に属している理由は様々だが、心酔しきっていた者たちからすれば、信仰する神の存在が明らかになったにも等しい状況である。


 仏教で例えるならば、成仏した釈迦の力の一端を感じ取ったようなものだ。狂喜乱舞するな……というのが無理な話であった。



「よし、こいつを使うとしよう」



 しかし、その中で……異なる反応を見せた三つのグループが居た。



 一つは、唖然とした様子で残骸と化した暗黒神を眺め続けている者たち。



 これについて、乳デカ姫は欠片も気に留めていなかった。


 というのも、『暗黒神を信じておらず、自らの力を私利私欲の為に使っている者たち』であることを、乳デカ姫は見抜いているからだ。



 二つは、異様な雰囲気の中で顔色が青ざめ、震えている者。



 これについても、乳デカ姫は欠片も気に留めていなかった。


 何故なら、この者たちは心が折れてしまっている。


 暗黒神という邪悪が真実であった事を知り、彼ら彼女らは……今更になって、自分たちが何を成してきたのかに思い至ってしまったのだ


 そして、三つ目……これに、乳デカ姫は目を向けた。



「……何じゃ、藪から棒に。何を使うつもりなのじゃ?」

「数百年にも渡る茶番を終わらせる役者だ。身の丈を越えた野心を持ち、相当な実力を持ち、思考を巡らせる事が出来る者でなくてはならん」



 呆気に取られていた鬼姫が尋ねれば、乳デカ姫は「ほれ、この男だ」画面の映る1人の男を指差した。


 その男は……言うなれば、何処となく陰を感じさせる男であった。


 背は高く目付きは鋭い。『力』を高める効果が有るという衣服を身に纏う他の者たちとは違い、この男だけはスーツという場違いな恰好をしていた。



「こやつの名は影一かげいち。昔から中々に欲深なやつでな。何故かは知らんが、暗黒神の力を手に入れようと企んでいるのだ」

「……昔から、というからには、知り合いか?」

「いちおう、幼馴染という間柄だ」

「……は?」

「ちなみに、その時の我は、幼い頃より病弱な薄幸の美少女というアレだったぞ」

「お前が? 薄幸の? 美少女?」



 思わず、鬼姫はギョロリと乳デカ姫を見やった。まあ、そうなるのも当然である。



「とはいえ、昔の話だ。今は疎遠で、何年も顔を合わせていない。小さい頃の影一は幼い故に備わった才能を上手く操れなくてな……何度か我が手助けしてやっていたのだ」

「……お前、何時から動いておったのじゃ?」

「これに関しては偶然だ。色々と不運が重なって危険な所を助けた結果、そういう間柄になっていただけだ。まあ、血の繋がらぬ姉弟みたいなものだ」



 意外にも長い付き合いというか親密な間柄に思わず目を瞬かせる鬼姫を前に、乳デカ姫は苦笑を零した。



「中々に、こやつも不憫な男なのだ。何がこやつを駆りたてているのかは知らんが、何時の頃からか力を追い求めるようになってな……」

「ついには、暗黒神とやらの力までも……じゃな」

「うむ、当時はアレコレと言葉を変えて説得してきたが、どうにも効果が薄く……気付けば悪化し続けている。このままでは、取り返しのつかぬ事態を引き起こしかねないのだ」

「なるほど、そういう意味でも解決してやりたいわけか」

「話が早くて助かる。口は悪いが、こやつも性根は素直なのだ……このような家に生まれず、平々凡々な家に生まれていれば大成出来る素質を秘めておるのだがなあ……」

「ままならぬものよ、ワシも、お前も……」

「傷付ける結果になるやもしれないが、それでも我としては最後の一線だけは越えて欲しくないのだ……」



 その言葉と共に、乳デカ姫テレビのスイッチをポチリと押した――途端、画面の映像が切り替わり、映し出されたのは……先ほどとは異なる像が安置された、何処かの室内であった。


 パッと見た所、雰囲気は異なっている。同じ厳かではあるが、明らかに清浄な気配を感じる。


 とはいえ、先ほどと同じく、どうやら一般人の目に触れないような場所のようだ。その像の周囲には法衣を身に纏った男たちが佇んでおり、固唾を呑んで――ん?



「何じゃ、これは?」

「無線機だ。言っておくが、軍用の超高性能なやつだぞ、粗末に扱うなよ」

「粗末も何も、これをどうしろと言うのじゃ?」



 差し出された黒い箱……否、『黒い箱』のようなものを受け取った鬼姫は、その正体が無線機だと明かされても……小首を傾げるしかなかった。


 只でさえ機械音痴である鬼姫にとって、外で見掛ける事が多い携帯電話やスマホですらそっと目を逸らすというのに……そう思って視線を向ければ、乳デカ姫はポチリとボタンを押した。


 ……テレビのソレとは違う、始めて見るボタンである。


 瞬間、嫌な予感を覚えた鬼姫は無線機を変えそうとしたが、遅かった。というのも、画面の向こう……法衣を身に纏った男たちに囲まれた像が、ピカピカと光り始めたからだ。



 ……え、なにアレ?



「あの像は、『光明の姫』の像だ。そして、今はライトアップ中だ」

「ライト……あっぷ?」



 首を傾げる鬼姫を他所に、「うむ、事前に仕込んでおいたのだ」乳デカ姫は誇らしげに胸を張った。



「先ほどのやつらは我が直接『力』を送る事でそれらしい様にはなる。しかし、こっちは我から『力』を送るわけにもいかないのでな……数撃てば当たる仕込み戦法の賜物だ」


 ――おかげで、定期的にバッテリーを入れ替える必要があるけれども。



 そう続けた乳デカ姫の言葉に、鬼姫は「はあ、大変だったのじゃな」気の抜けた返事をする他なかった……と。



「さて、それでは我が合図をしたら、その無線機に向かってそれっぽく神託を告げるがいい」



 その言葉と共に、一枚の紙切れ……そこに記された文章を見て、鬼姫は……ちらりと乳デカ姫を見やった。



「ワシ、こういうのは苦手なのじゃが……」

「拙い言い回しなんぞ誰も気にせんよ。あれが光り輝き、言葉が響けば誰もが神託と思い、疑いの念なんぞ抱くものか」

「いや、面倒じゃから、全部そちらがやってくれれば……」

「お前が演じるのだから、お前がやった方が良いだろう。なによりも、只でさえ我は色々とやっておるからな、これ以上は頭が混乱しそうなのだ、頼む」

「むう……まあ、仕方あるまいな」



 別世界とはいえ、困っているのは己自身。それを無下にする事が、鬼姫には出来なかった。



 『――いにしえより続く宿命、来たれり』



 内容が既に決まっているから、楽と言えば楽だ。


 促されるがままに渡されたメモを確認しつつ、それっぽい感じで……戦う光の陣営である画面の向こうの彼らに、戦いの時が迫っている事を告げた。




 ……。


 ……。


 …………で、だ。



 画面の向こうで騒ぎ始めた彼らの姿が、乳デカ姫の指先一つで消えた後。



「決戦は、3日後だ!」



 意気揚々と宣言した乳デカ姫は、次いで……押入れより取り出したのは、古ぼけた木箱であった。


 何だろうと思って尋ねてみれば。



「古より伝わるとされている……という事になっている短剣だ」



 と、簡潔に答えられた。


 もちろん、それだけで意図が分からない鬼姫が、詳しく聞けば、それもそうだなと乳デカ姫はすぐに教えてくれた。


 実は、乳デカ姫。


 お互いの『言い伝え』とは別に、暗黒神を封じ込める際に使用したとされる神剣しんけんが有る……という伝承をこっそり残していたらしい。


 何でそんなものを……と気になるところだが、理由はそう複雑なモノではない。


 いざという時にそれを使えば、何かこの状況を変えられるかなあ……という、淡い期待を抱いてのアレである。


 ちなみに、使い道が無かったら無かったで、伝承も無かったことにするだけ……らしい。


 お前、そういう爪の甘いところが今に続く面倒事に……止めよう、これ以上は。



「そのまま我がやられても、まだ諦め悪く足掻こうとするやつが現れると思わんか?」

「まあ、そうじゃな」

「古来より語り継がれている神剣でやられれば、さすがに……と、やつらも諦められるというものだ」



 そう言い終えると、乳デカ姫はフッと息を吹き付けて埃を飛ばすと、錆びついた鍵を力づくでこじ開け……蓋を開いた直後、絶叫した。



「ぬあぁぁぁあああ!!?? 錆びだらけではないか!!!」

「じゃろうな、こんな雑な保管では錆びるのは必然なのじゃ。というより、ちゃんと手入れはしておったのか?」

「……て、手入れ? ちゃんと箱にしまっておいたぞ。包丁とて、ちゃんと布で拭けば錆びないではないか」

「錆びにくいというだけで、ちゃんと手入れせねば刃物は錆びるのじゃ。刀とて、放って置けば錆びてゆくのじゃ」

「そ、そんな……これ、大正の時に買った、オランダ由来の珍品なのに……」



 とほほほ、と。


 しょんぼりと肩を落とす乳デカ姫の姿に、鬼姫は苦笑した。


 とはいえ、コレはコレで困った事態ではある。


 乳デカ姫の考え方は最もで、そもそも此度のコレは、明確な決着を付ける為の茶番である。


 つまり、求められるのは、暗黒神が倒されたのだという事実である。


 別に、短剣でなくても良い。それっぽく由緒ある古臭い道具であれば、何でも良いのだ。


 なので、この際は短剣というか、武器でなくても良い。鏡でも勾玉(まがたま)でも、それっぽいやつなら何でも良いのでは……と、尋ねてみた。



 ……が、しかし。



 ここで、少しばかり困った事態になった。


 いったい何が……単純明快、使えそうなモノが無かったのだ。


 何故かと言えば、これまた単純に……この場に有る物が、尽く最近の物ばかりだったから。


 何せ、物置部屋に有る物は乳デカ姫の衣服を始めとした私物なのだが……当然ながら、この場に置かれているのは乳デカ姫の趣味に合う物ばかり。


 つまりは、乳デカ姫がハマっていた歌手のCDだとか、今はもう骨董品に成りかけている古い世代のゲームだとか、埃被った家電とか、そんなものばかりである。


 後は、ここにインフラを引き込む時に使った工具などの道具その他諸々だが……さて、だ。



「……いちおう、勾玉はあったぞ」

「ワシはそれでも構わぬが、沖縄土産700円と書かれたソレは、いくら何でも安っぽいと思うのじゃが……」

「奇遇だな、我も同意見だ。しかし、これ以外は……このメッセージカードとサイン入りのCDはどうだろうか? 今ではプレミアも付いて、10万円ぐらいで売れるぞ」

「聞かれたので答えるが、それで大丈夫だとお前は本当に思うておるわけじゃな?」

「……うむ、済まぬ、聞いた我がマヌケであった」



 とはいえ、だ。


 いきなり用意しろと言われても、賽は既に投げてしまった。期限は3日後、泣いても笑っても、その日に終わらせなければならない。


 いっそのこと、無しで……いや、それはマズイ。乳デカ姫の言い分はもっともで、どんな物であれ、それっぽい物ならば、この際は……うん?



(……いっそのこと、作るか?)



 ふと、そういえばこの世界に来る前に鍛冶の真似事をしていたなあ……という事を思い出した鬼姫は。



「……ならば、この際だし作ってみるか?」



 何気なく、そう呟いたのであった。



 ……。


 ……。


 …………この時の鬼姫は、自分が何を口走ったのかを理解していなかった。



 仮に、一方にしか進まぬ時の流れを逆行出来たのであれば……確実に、鬼姫はこの時の発言を止めていただろう。


 何故なら、鬼姫は……己の鍛冶の腕の未熟さをうっかりしていたから。


 けれども、この時の鬼姫は当然ながら何も気付けず。



「今から3日では○マゾンに頼んでも間に合わぬ! 用意出来るのであれば、それで何とかしよう!」



 という、藁にも縋る思いで乳デカ姫が承諾したことで……決定された。





 ……。


 ……。


 …………そして、だ。



 舞台は、『暗黒神(笑)』が封じられているという……つまりは、乳デカ姫の隠れ家の上、くそ気持ち悪いオブジェだらけの祭壇にて行われることにした。


 どうしてそんな場所を選んだかと言えば、この騒動のついでに上のやつをぶっ壊したいという乳デカ姫の一存で決められた。


 まあ、気持ちは分かる……というのが鬼姫の意見なので、特に反対することも無く、決戦のバトルフィールド……という事になった。



 たった三日間、時間にして72時間。



 短すぎる準備期間を経て、光の陣営と闇の陣営との間に広がっていた緊張感が最高潮へと達しようとしていた……まあ、それも当然だろう。


 何せ、数百年にも渡る因縁の全てが、この日に終わるのだ。


 平時の冷静さを誰もが保っていたならば、こんな穴だらけの計画などバレて当たり前だが……幸か不幸か、誰もが前触れもなく告げられた神託を前に、冷静ではいられなくなっていた。







 ……さて、作戦当日。時刻は、夕暮れ……逢魔が時。



 万が一にも隠れ家まで壊されてはいやなので厳重に封鎖をした後、鬼姫と乳デカ姫は……地上の、普通の生者として暮らしている家の、自室に居た。


 乳デカ姫の家は、都心部より遠く離れた郊外の、普段は人の行き交いすら稀な……築50年以上は経っていそうな、田舎の古い家である。



 ……西日が、世界を照らしている。



 家の周囲には、何も無い。季節に合わせた小さな畑が幾つかあるだけで、お隣さんすら見当たらない。道路すら、アスファルトで舗装されていない。


 人通りはおろか、車すら滅多に通ることのない場所。昼間ですら、天気や場所によっては薄暗い。ただただ、自然と隣り合わせの世界。


 それ故に、まるでこの空間だけが時の流れから取り残されているかのような、不思議な雰囲気を放っていた。


 乳デカ姫が本当にただの一般人であったならば、暮らすには非常に不便な場所だろう。


 何せ、近くにバスは通っていない。電車も無く、当然ながらコンビニなんてモノはない。タクシーだって、呼ぶだけでも大変である。


 若い時から此処に住んでいるといった理由ならば、誰も不思議には思わないだろう。年老いてから住み慣れた故郷を離れることを思えば、不便でもここで余生を過ごしたいと考えもするだろう。



 だが、この家に住まうのは……歳若い女性である。死者ではあるけれども、見た目は只の女性である。



 まあ、背丈は低いけれども……それを差し引いても、こんな辺鄙な場所には場違いな美貌だ。いや、もはや場違いを通り越して、異様にすら見えてしまうだろう。


 少女……と呼ぶには些か育ち過ぎているその女は、ぼんやりとした様子で……徐々に彼方へと姿を隠そうとしている太陽を、ぼんやりと眺めていた。



「……のう、一つ聞いてよいかのう?」



 その中で、ふと。


 女以外誰も居ないはずの家の中、暗がりより声がした。まあ、隠す必要もないのでさっさと言うが、鬼姫である。


 隠れ家が封鎖されている以上、他に行くところがない。準備が一通り終わってしまえば、後は作戦決行まで暇を持て余すしかないわけだ。


 なので、必然的に鬼姫は乳デカ姫の傍で待機しているわけなのだが……そんな鬼姫の視線が、庭の外……畑の向こうへと向けられる。



 そこには……影一が居た。



 そう、乳デカ姫が話していた、闇の陣営に属する男で、疎遠になっていたはずの幼馴染であるらしい男だ。



「なんで、あやつがおるのじゃ?」

「知らぬ、我に聞くな。我も知りたいぐらいなのだが?」

「幼馴染なのじゃろう?」

「そうは言っても、疎遠になって何年も経つのだぞ」

「……どうするのじゃ?」

「知らぬ、我に聞くな。今だって、目線を合わさぬようにとあえて夕陽を眺めて――ぬう、来るか」



 予想外の状況にひそひそと声を潜ませたまま雑談を続けていると、影一……何処となく陰を身に纏うその男は、無言のままに……乳デカ姫の前に立った。



 ……。


 ……。


 …………え、なにこれ?



『――え、我はどうしたら良いのだ?』



 意図が分からないままに気配と『力』を完全に消している鬼姫の脳裏に響く、乳デカ姫の声。いわゆる、念話(ねんわ)というやつだ。


 言い換えれば、テレパシーだろうか。どちらにせよ、電話が普及した現代では、無用の長物の代表格みたいな術である。


 何せ、双方にそれを行える能力というか、術を扱えるだけの『力』を有するだけでなく、波長が近しい者にしか使えないという致命的な弱点を幾つも抱えている。


 しかも、距離が離れれば離れるほどに精度が弱くなる。ぶっちゃけ、電話に比べたら使い所どころか使い手すら限定される、廃れるのが必然の術である。


 ぶっちゃけ、鬼姫も念話をされなければ、今の今までそういえばそんな術もあったような……という程度の事であった。



『……お前、いきなり念話を使うではないわ。さすがに、ワシも驚いて声を上げそうになったのじゃ』



 なので、とりあえずは鬼姫も念話で返す。正直、上手く発動してくれているかなあ……と不安を覚えてはいたが。



『ああ、済まぬ。我も思わず使ってしまって驚き千万……ていうか、我って念話が使えたのだな』



 どうやら、ちゃんと鬼姫からの念話は通じているようだ。


 やはり、異世界とはいえ同じ存在、本質は同じだからだろう。弱点をクリアしてしまえば、思いの外あっさり使えるようだ。



 ……で、だ。



 そんな二人のテレパシー的な雑談を他所に、影一は無言であった。


 無言のままに、乳デカ姫を見つめている。


 傍から見れば、異様という二文字が具現化したかのような光景である。


 何だろう、不気味だ。纏っている空気が空気だから、余計にそう思えてしまう。


 実力的には返り討ち楽勝なのだが、こういうのは苦手な乳デカ姫(あと、鬼姫も)。


 相手が見ず知らずの相手ならばパンチでお終いだが、疎遠になったとはいえ幼馴染相手となると……うむ。



「……影一、また余計なモノを背負っているようだな」



 とりあえず、成り行きを見守っている鬼姫を他所に、乳デカ姫はコミュニケーションを取る事を選んだようだ。


 まあ、全くの見ず知らずというわけではない。乳デカ姫としては、昔のように影一に対して接しようとした……ただ、それだけなのだが。



「――覚えていて、くれたのか」



 何故か、影一は薄らと涙を零して俯いてしまった。




 『……メーデー! メーデー! 我、救援を求む! 可及的速やかに救援を求む!』




 これには乳デカ姫、すかさずの救援要請である。とはいえ、ここで乳デカ姫を責めるのは酷というものだ。


 誰だって、疎遠になった人と再会したかと思えば、その人がいきなり泣き出せば混乱して当たり前である。



 『知るか、昔のようにそのまま話せば良いではないか』



 そして、そんな状況でいきなり救援を求められても、上手い返しなど出来るわけもなく、鬼姫の返答は冷たいものであった。


 ……何であれ、助言は助言だ。



「おやおや、大きくなってもまだ泣いているのだな。ほれ、お姉ちゃんのここに来い、また背中を摩ってやろうぞ」



 混乱した頭で、とりあえずは鬼姫の言う通りにする事を選ぶ。


 それは、陰一がまだ、備わった『力』を上手くコントロール出来なかった幼き頃……幾度となくやっていた事。


 不必要に浮遊霊などを呼び寄せ、周囲の邪気を敏感に感じ取ってしまって怯えていた頃によくやった、慰めである。


 あるいは、周囲に悪影響を与えてしまって、落ち込んでしまっていた時と同じく、乳デカ姫は……己の膝を叩いて手招きした。



「いや、もう、そんな歳では……」

「久しぶりに顔を合わせたのだ。お前は何時も、周りを傷付けたくないあまりに溜め込むからな……なに、罰など当たらんよ」

「……っ! 貴女は……!」

「安心しろ、世界が敵に回っても、我だけはお前の味方だ。辛く悲しい事があったら、何時でも此処に来るがよい」

「…………いや、その言葉だけで、俺は十分だ」

「……影一?」

「ありがとう、姉さん。貴女だけは……いや、貴女のおかげで、俺はこの世界を嫌いになりきれなかった」



 くるり、と。


 来た時がそうなら、帰る時も似たようなモノだった。何やら満足した様子の影一は、そのまま乳デカ姫から離れようと――して。



「――待て、影一」



 ふと、足を止めた。


 止めた理由は、影一の前を立ち塞がる、1人の男と1人の女。好青年といった感じの男に、元気はつらつとした雰囲気の女であった。


 顔を合わせた1人と2人の間には……何やら、因縁でもあるのか。一触即発とまではいかないが、互いを睨みつけるような体勢で立ち止まっていた。


 ……。


 ……。


 …………さて、だ。



 『おい、今度は何じゃ?』



 またもや姿を見せた新キャラを前に、鬼姫が問い質すのは当然の流れであった。



 『あ~……幼馴染2号に3号だ。この二人は光の方で、影一とも幼い頃からの付き合い……今は、敵対している間柄というわけだ』



 男の名は、悠馬ゆうま

 女の名は、香里かおり


 共に光の陣営に属する、優秀な使い手……との事。


 正確な流派というか、どの系統に属するかまでは興味は無かったので知らないが、並みの能力者よりも『力』は上らしい。



 『なぬ? それは色々と不味いのではないか? こんな場所で争いになれば、お前の計画も台無しになりかねんのじゃ』

 『それについては安心してくれ。こやつらは敵対陣営とはいえ、何だかんだ言いつつも憎み合っているわけではない。どうせ、少々言い争うだけで――』



 そこまで告げた時点では、乳デカ姫は何一つ心配などしていなかった。


 たった今鬼姫に話した通り、敵対する陣営に属しているとはいえ、影一は鬼畜外道に落ちたわけではない。


 闇の陣営に属している以上、悪事に手を染めてはいる。乳デカ姫も何度か目撃した事があるので、真っ当な堅気とは言い難い。


 しかし、弱者を食い物にするかと言えば、そうではない。


 影一なりの基準があるようで、その手を掛ける相手はおおよそ法で裁けない、裁けても微罪にしかならない凶悪犯を相手にしているらしい。


 それを知っているからこそ……いや、幼馴染という間柄だからこそ、最後の一線までは越えない事を信じているからこそ、だ。


 本来であれば戦う定めにある二人は、影一を前にしても無いもしない(それは、影一も同じなのである)……わけなのだが。



「……影一、いや、かっちゃん! 何を考えている――何を企んでいるんだ!」

「かっちゃん……お願い、教えて。何をするつもりなの?」



 只ならぬ様子で立ち塞がる二人を前に、影一は……一瞬ばかり、眩しいモノを見たかのように目を細め……次いで、静かに首を横に振った。



「悠馬、香里。もう、俺に構うな」

「――っ!? そんなの、出来るわけが……っ!」

「安心しろ、俺は暗黒神などに興味は無い。俺が求めるのは、暗黒神の『力』、ただそれだけだ」

「……かっちゃん、何を企んでいるんだ?」

「言うつもりはない。とにかく、俺の邪魔だけはするな」



 その物言いに、悠馬は怒りに顔を……いや、違う。悲しそうに顔を歪ませているだけで、怒っているわけではない。


 傍で見守っている香里もまた、同様で。そして、発言の張本人である影一にも思う所があるのか、先ほどよりも目付きが鋭くなっていた。



 ……。


 ……。


 …………待って、ちょっと待って。



 『え、何これ? 何でこんな古臭い青春ドラマが始まっているのだ?』

 『ワシに聞かれても困るのじゃ。お前、本当に何をやってきたのじゃ?』

 『いや、それこそ我に聞かれても……というやつなのだが?』

 『お前が忘れておるだけで、影一とやらが手を染めるような何かが有ったのではないか?』

 『いや、そんなはずは……我の下を離れて疎遠になるまで、我はそれはそれは可愛がっていたのだぞ』



 蚊帳の外になっている鬼姫と乳デカ姫を他所に、互いの空気はどんどん張り詰めてゆく。些細なキッカケで、今にも戦いが始まりそうなぐらいに。


 これには、当の乳デカ姫も鬼姫も困った。


 そもそも、乳デカ姫はこれ以上無益な争いによって互いが傷つくのを見たくないわけである。だからこそ、こんな茶番を仕組んで、両陣営の因縁を終わらせようと考えたわけだ。


 何が悲しくて、こんなよく分からんナニカで言い争うのを見守る状況に……全くの想定外であった。


 ていうか、お前ら何だかんだ言いつつも仲良かったじゃん……という気持ちしかなかった。


 そして、鬼姫は成り行きからそうなっただけだが、乳デカ姫の気持ちはよく分かっていた。


 それに加えて、元の世界に戻る為に乳デカ姫の協力を是非とも得たいという私欲もある。なので、この問題はスパッと解決させたいだけで、下手に長引かせたくないのが本音であった。


 ……。


 ……。


 …………だが、しかし。




 ――ふはははは、見つけたぞ、闇の巫女よ!




 事は、そう簡単には運ばなかった。


 困惑する鬼姫たちと、言い争う3人の頭上。唐突に響いたその声に、誰もが困惑した様子で……あ、いや、違う。


 鬼姫と乳デカ姫だけは、気付いていた。おそらくは隠れていると思われるバレバレな隠密で接近する、声の主に。


 今まで何の反応も示さなかったのは、取るに足らない雑魚の中では強そうな雑魚が、何かコソコソ近寄ってきているなあ~という程度の感覚でしかなかったから。


 ぶっちゃけてしまえば、指先一つでダウンさせるのが楽勝な相手だと判断していたわけだ。



 伊達に、暗黒神(笑)ではない。



 その気になれば3人に気付かれる事なく倒せるし、何で隠れているのか分からなかったから、泳がせる意味合いも理由の一つだったから。


 断じて、相手をするのが面倒くさかったわけでは……あ、いや、今はそんな事を説明している暇はなかった。


 強張った顔で周囲を見回す3人を他所に、乳デカ姫(あと、暗がりの隅で鬼姫が)の視線は空へと向いた後……唐突に、前方へと向けられた。



「誰だ? 闇の巫女とは、我の事か?」


 ――ふふふ、そう隠さなくてもよい。



 ポツリと零した問い掛けに、姿は見せなくとも声だけは応える。気付いた3人の視線が、乳デカ姫へと向けられた――瞬間。


 何処からともなく現れた黒い霧が、叩きつけられるように乳デカ姫の眼前にて着地して……すぐにそれは、人の形を取った。


 そうして、最終的に露わになったのは……年老いた老人であった。だが、ただの老人ではない。


 純粋に『力』が他の3人に比べて高いのもそうだが、何よりも乳デカ姫(あと、鬼姫も)の注意を引いたのは……纏う気配が、生者のソレではなかった点だ。


 そう、生者ではない。とはいえ、死者でもない。かといって、乳デカ姫のような気配とも違う。


 人であって人ではなく、生者であって生者ではなく、死者であって死者でもない。


 己に似ているようで、全く違う。初めて応対する不可思議な気配に、乳デカ姫は警戒心を刺激された。



 『ふむ、あやつ、魔道に堕ちてしまっているようじゃな』



 そして、念話を通じて乳デカ姫に正体を教えてくれたのは……とりあえずは気配を消したままの鬼姫であった。



 『魔道、とは?』

 『ほう、知らぬか……そうじゃな、言うなれば『力』を求めるがあまり人を捨て、死を拒み、輪廻からも見捨てられ、異形へと成り果てた、おぞましき怪物じゃな』



 眼前の老人から視線を外さないまま、乳デカ姫は鬼姫へと尋ねれば……鬼姫は、少しばかりの間を置いてから答えた。



 ――魔道とは、その名の通りに『魔』の『道』を差す。人が、いや、万物が踏み越えてはならぬ領域である。



 時の帝が恐れ、高天原の神々すら畏怖する鬼姫すら、死の間際に至っても足を踏み入れる事をしなかった領域……それが、『魔道』である。



 ……その領域に足を踏み入れたが最後、どのような状態になるのか……それは、鬼姫とてよくは知らない。



 しかし、鬼姫は……少なくとも、覚えの無いこの世界の己とは異なり、魔道に踏み入ってしまった者と何度か対面した事があった。


 おそらく、完全なる死者であるからこそ、鬼姫は対面出来たのだろうが……で、だ。


 彼ら彼女らは、一見するばかりでは人である。死者ではなく、生者のように見えるだろう。


 だが、乳デカ姫とは異なり、霊的存在である鬼姫には分かる。あのような存在は、もはや『異界』の住人ですらない、異質の化け物だ。


 あの天照ですら、『貴様が魔道に堕ちたのならば、どんな手を使ってでも消滅させに行く』と吐き捨て、心底嫌悪した領域。それで、如何におぞましい事なのかが幾らか想像出来るだろう。



 『……試しに、そやつの脳天を砕いてみるがよい。どのような存在であるかが窺い知れるのじゃ』


「……承知、ならば、討つまでよ」



 乳デカ姫の返答は、簡潔で。そして、眼前の老人に向かって放った一撃もまた、簡潔であった。


 仄暗い熱気が、乳デカ姫より放たれる。


 それは寸分狂わず老人の顔面にぶち当たり、どじゅう、と熱した鉄に水を掛けるかのように、パチパチと泡立ちながら蒸発した――が、しかし。



「なんと……!」



 驚くべき事に、老人はその場に留まっていた。


 いや、それどころか、剥き出しになった首の断面より、ずぶりと飛び出した肉塊がぐねぐねと身をくねらせたかと思えば、元に戻ってしまった。



 ……端的に言って、非常に気色悪い。



 ぶっちゃけ、乳デカ姫は引いた。表面上こそ無表情のまま一歩も退かなかったが、心の距離は地平線の彼方にまで広がって、輪郭すら確認出来ない程に遠ざかっていた。



 『うわぁ……相変わらず魔道に堕ちた者は気色悪いのじゃ……』



 そして、鬼姫もめっちゃ引いていた。


 場所が場所、タイミングさえ良ければ有無を言わさず『黒蛇』を連射して完全に消滅させているところだが……ある意味、老人は運が良かったのかもしれない。



「――厳龍斎げんりゅうさい!」



 その声に、乳デカ姫たちの視線が……影一へと向けられる。その声は、傍目にも怒りと焦燥感が滲んでいるのが分かったが……ふむ。



 『……で?』

 『我も詳しくは知らん。たしか、闇の陣営のおさが、そのような名だった気が……』

 『何じゃ、お前も知らんのか?』

 『長は日常的に姿を隠し、顔は側近以外誰も知らん。たまに姿を見せたかと思えば声すら機械で誤魔化していたからな……呪術対策か何かだと思っていたのだ』

 『まあ、気色悪いからのう。ワシがお前の立場なら、面倒臭くて調べる気にもならぬのじゃ』

 『だろう? そう思うだろう?』



 ひそひそ、と。


 念話を通じて雑談を続けている二人を他所に、厳龍斎と呼ばれた老人は、実に気色悪い笑みを浮かべた。



「ぬふふふ……さすがは闇の巫女……否、暗黒の姫よ。転生してもなお、その力は健在という事だな……!」

「――何だと?」

『――何じゃと?』



 それは、聞き捨てならない台詞であった。


 乳デカ姫が暗黒神(笑)と勘違いされているのは、当人以外は誰も知らない最重要事項。とてもではないが、捨て置く事は出来ない。


 まあ、闇の巫女だとか、聞き覚えのない単語もあるので多少なりとも勘違いが見られるけれども……それを抜きに考えても、乳デカ姫の注意を引き付けるには十分――。



「ぬふふふ、隠しても無駄だ。全ては、我が一族に伝わる『暗黒神話』に記されている。さあ、暗黒の姫よ、古の契約に従うのだ……!」



 ――過ぎると思ったが、どうやら違う感じがする。



 ……。


 ……。


 …………え、いや、まあ、えっと、そんな事よりも、だ。


 なに……その、え、なに……暗黒……しんわ?



 『なにそれ、そんなの我は知らんぞ』



 困惑……そう、困惑である。


 寝耳に水どころの話ではない。あまりに突然な新情報の開示を受けて、さすがの乳デカ姫も心より混乱する他なかった。



「なにっ!? 暗黒神話だと!?」

「ま、まさか……実在していたというのか!?」

「そんなぁ! 嘘でしょ……!!」



 だと言うのに、何故か中心人物であるはずの乳デカ姫(暗黒神)を除いて、誰もが知っているかのような口ぶりで驚いている。



 ――断言しよう、驚きたいのは乳デカ姫の方である。



 しかし、そんな乳デカ姫の動揺が落ち着くのを周りは待ってくれない。特に、厳龍斎と呼ばれた老人は、ニタリと気色悪い笑みを浮かべると……いきなり術を唱えた。


 それは、特定の相手を拘束する術である。


 老人の掌より発せられた黒い霧が、瞬く間に乳デカ姫を包み込み、見えなくなる。「――姉さん!」影一の怒り混じりの悲鳴が響く中、当の乳デカ姫は……と、言うと、だ。



 『動けぬ、下手に動けば術を破ってしまう……!』


 下手に動いて拘束を破いてしまうだけでなく、術そのものを崩壊させてしまうのが怖くて、身動きが取れなくなっていた。



 ……うん、まあ、アレだ。



 例えるなら、工務店で売られている一個100円程度の激安ビニールロープで、戦車を止めようとしているようなものだ。


 突破しようと思えば、楽勝である。ぶっちゃけ、ちょっと強めに振り返る程度の感覚で破けるだろう。


 けれども……それで、良いのだろうか。そんな考えが、乳デカ姫の抵抗を封じていた。


 只でさえよく分からないうちに『暗黒神(笑)』という変な話になっているのに、ここに来て、まさかの新説『暗黒神話(笑)』である。


 乳デカ姫としては、『まただよ(笑)』みたいな感覚でしかないが、影一たちの反応を見る限りでは、彼ら彼女らにとっては非常に重要なナニカであるのは間違いない。


 わざわざ、実在していたのか……と零した辺り、色々と察せられる。悲しいけれども、乳デカ姫と鬼姫は、察した。



 ――加えて残念なのは、そこに肝心の乳デカ姫が欠片も関与していない……という点だろうか。



 おかげで、素直に拘束を突破して良いのか、このまま身を任せた方が良いのか、それが分からない。ていうか、このタイミングで新情報は本当に止めてほしい。


 正直、お腹いっぱいを通り越して腹を壊しそうな勢いだ。



 『……何なのだ、これは?! いったい、どうすればよいのだ?!』

 『知るか、そんな事……なあ、事が終わるまでワシは引っ込んで良いかのう?』

 『逃がさぬ、お前だけは……頼む、我を独りにするな。とりあえず、我はどうしたら良いのだ?』

 『そんな事をワシに聞かれても……とりあえず、大人しく様子を見れば良いと思うのじゃ』

 『む、むう……それしか、ないか……』

 『こうなれば、状況に合わせて臨機応変に柔軟な対応を取る他あるまい……ワシも、こっそり付いてゆくから安心するのじゃ』

 『おお、異世界の我よ……!』



 そんな、異なる世界とはいえ同一人物である二人が互いを慰め合っているのを他所に……乳デカ姫を黒い霧で包み込んでしまった厳龍斎は、ニヤリと笑った。



 ――さあ、儀式だ。暗黒神の力が、この身に宿る時なのだ……!



 その言葉と共に、ふわり……と。


 老人が浮上するに合わせて、黒い霧……いや、黒い繭も浮かぶ。中に閉じ込められた乳デカ姫の姿を外からは確認出来ず、それ故に、影一たちは……影一は、憤怒に顔を歪めた。



「厳龍斎! 貴様、何のつもりだ!」

「何のつもりだとは、それはこちらの台詞だ」



 対して、厳龍斎は欠片も動じた様子もなく……それどころか、はっきりと嘲笑った。



「闇の巫女の捜索は常に最優先を肝に銘じよ。まさか、忘れたわけではあるまい?」

「――っ!?」

「ぬふふふふ、気付いていたぞ。お前が闇の巫女の所在に気付いている事、我らをかく乱させる為に嘘の情報を流していた事……何より、本当はこの娘を護る為に我らに近づいていたという事もな!」

「――きっ、貴様!?」

「ふはははは、とおにお前の思惑なんぞ筒抜けなのだ! そこで指でも咥えて待っているがいい! 暗黒神話は、ここに完成するのだ!」

「待て! くそ、咬合絶鬼こうごうぜつき! 咬合女劫こうごうじょごう! 食らえ、厳龍斎を仕留めろ!」



 上昇を始めた厳龍斎に向かって、影一は術を放つ。まっすぐ向かうのは、角を生やした雄の蛇と雌の蛇であった。


 それは鬼姫の放つ『黒蛇』に似ているが、はるかに弱く、はるかに頼りないモノではあったが、並みの『力』では防ぐことは難しく、大怪我は必至の呪いであった。



 ――が、相手は人を捨てた怪物である。



 蛇は、確かに厳龍斎の胸元へと食らいつき、体内へと潜り込んだ。だが、直後に皮膚が盛り上がったかと思えば、肉片と共に傷口より蛇の残骸が噴出した。



 ……呪いが通じない? いや、違う。



 通じてはいるが、それ以上に回復力が速いのだ。


 頭を喪失しても、死なない生命力。もはやこの世の生き物ですら無くなっている厳龍斎にとって、急所と呼ばれる部分は皆無なのである。


 先程、乳デカ姫が行った、お試し程度のアレでは駄目だ。


 倒すのであれば、回復する暇すら与えない圧倒的な『力』。文字通り、瞬時に絶命させるほどの『力』で圧倒する他ない。



「くそったれめ!」



 だが、それをするわけにはいかない。何故なら、それほどの『力』を込めた術を放てば、傍の黒い繭にも被害が及ぶからだ。


 ……まあ、実際にソレを行ったところで、乳デカ姫には傷一つつかないけれども……この場の事実は、違っている。


 影一だけでなく、悠馬と香里もそれを理解していた。並の悪霊たちでは手も足も出ない3人が、この場においては手も足も出せない状況に追い込まれていた。



「ん、どうした? とっておきの術を撃ち込まぬのか? 多少なり傷ついて大人しくなってくれた方が、こちらとしては手間が省けるというものだ」

「お、おのれ……!」

「ぬふふふふ、あはははは、なんと楽しい余興だ! しかし、何時までも遊んでいられるほど暇ではないのでな……!」

「――っ! 待てぇ!」



 当然、厳龍斎は待たなかった。


 殺意だけで殺せたら……それ程の憤怒に顔を歪ませる影一を尻目に、厳龍斎は高笑いと共に日が沈もうとしている茜色の空へと飛び立ち……そのまま、彼方へと向かって行った。


 ……。


 ……。


 …………後に残されたのは、激情を堪える3人の術者と、主の居なくなった室内にて気配を殺している鬼姫だけであった。



 『おい、お前は何処へ向かっているのじゃ?』

 『……感覚的には、おそらくあの気色悪い祭壇じゃな。どうやら、決戦の地を変更する必要はなさそうじゃな』

 『なるほど、ではワシは何とかあの3人を誘導……いや、そうするまでもなく、そこへ向かうようじゃな』



 とりあえず、念話にて無事を確認。次いで、3人の様子から、このまま当初の計画通りに事を進める事にした。


 アドリブで対応するようにと口にした鬼姫だが、もともと、そういうのが得意ではない。先ほどの乳デカ姫の反応を見る限り、彼女もまた得意ではないだろう。


 なので、出来うる限りは計画通りに事を進めようと判断するのは、ある意味では当然の帰結であった。



「――こうなれば、俺の命を賭して事を成す他あるまい」

「影一、いったいどうする気だ……ま、まさか、それは!?」

「勘違いするな、これは『神仏器しんぶつき』のレプリカだ。本物が有れば良かったが……そっちは光明の姫が所持しているからな、手が出せん」

「で、でも、凄い『力』を感じるよ……それ、まさか、正倉院に納められていたやつじゃないでしょうね!?」

「レプリカとはいえ、かつて、暗黒の姫を封じる時に使用されたという神器だ……これで、暗黒神の『力』を抑え込む!」

「しかし、それではお前の命が……それは、人の身で扱えるモノじゃないんだぞ!」

「もとより覚悟の上! 俺を人に留めてくれた姉さんを、今度は俺が助けるのだ!」



 けれども……なにやら、見知らぬ単語というか、続々と新たに出てきた不穏なワードを耳にした鬼姫は。



(次から次へと……あやつが怖がる気持ちが、少し分かったのじゃ)



 元の世界の己は、こんな感じで誤解されてなくて良かった……と、胸を撫で下ろすのであった。





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