第25話:(表の上)何なのだ、これは! いったい、どうすればいいのだ?!




 ――古来より、『鉄』は魔除けの道具として扱われていた。




 それは精神的な意味合いが強いのだが、同時に、即物的な意味での魔除けも兼ねていた。


 どういう事かといえば、単純に鉄の加工は古来より行われていると同時に、武器にも防具にもなるからだ。


 尖っていない鉄の棒でも、ある程度の太さと重さがあれば子供でも大人を殺せる武器になる。


 叩いて薄く延ばせば、人の拳では早々穴なんぞ開けられない堅牢な盾になる。


 鉄を作り出す工程にこそ長い道のりが必要だが、完成さえすれば堅い石をも容易く砕けるようになる。


 そんな圧倒的なアドバンテージを持つおかげか、人々は『鉄』というものに様々な意味を持たせてきた。



 ある時は『力』の象徴として。


 ある時は『富』の象徴として。



 そして、『鉄』が一部の限られた者にのみ得られた物から、人々の生活を支える道具として広まるにつれて……徐々に、教訓やお守りとしての意味を持つようになった。


 たとえば、馬の蹄鉄(ていてつ:馬のヒヅメを護る道具)が、それだ。


 西洋などではヒヅメを護る→守る→魔除けという流れでお守りの一種として考えられ、『魔』を遠ざける願いを込めて玄関などに飾られた。今でも、その意味は残されている。


 他には、小刀を始めとした鉄の刃物だ。


 こちらは、キラリと光を反射する→光り輝くモノ→魔物は光を嫌うという連想から生まれたとされている。現代でも、『魔』が近づかないようにと赤子に守り刀を与える風習がある。


 後は、魔物や物の怪に襲われてもスパッと返り討ちが出来るようにと願掛け。もっと即物的な、人さらいや暴漢に襲われた時の身を護る為の武器として。


 只の物質でしかない『鉄』は、現代に至ってもまだ様々な意味を持ち、人々の生活を支える掛け替えのない道具として、ソコにあるわけであった。


 ……。


 ……。


 …………で、話を戻すわけだけれども……そもそも、『鉄』は本当に退魔の役割を果たすモノなのだろうか……という話だが。



 単刀直入に言えば、『ある』。それが、ひとまずの……霊能力を持つ者たちにとっての、共通する答えであった。



 とはいえ、その原理を説明しろと問われれば……誰も説明など出来はしないだろう。


 何せ、そもそもが『魔』をどのように証明するのか……まず、それが出来ないからだ。


 というのも、『魔』は……いや、一般人が想像しやすい『霊』で例えるならば、人間が日々直面している物理法則にのっとった存在ではない。


 見えない、触れない、聞こえない。それが、『霊』である。


 科学的には証明出来ない『力』を持つ者でなければ、存在を感知する事すら出来ない。触れて聞こえる段階なんて、更に難易度が上がる。


 そうなっているから、そうなのだと認識する……ただ、それだけである。それ以上も、それ以下も、誰も根拠立てて証明出来ないのだ。


 ……で、そんな霊を……霊的存在に対して、どうして『鉄』が有効なのか……仮説の一つではあるが、綺麗だから……というものがある。


 つまり、鉄は腐らないからだ。もちろん、腐食という意味で鉄も酸化し劣化はするが、本質的な部分ではそうならない。



 一般的に、霊というのは『不浄』に引き寄せられる。



 これは純粋に汚い場所も含まれるが、停滞した場所、澱み……人の行き交いが成されていない場所、暗闇などが該当する。


 そして、鉄……言い換えれば光り物と呼ばれるソレは、この『不浄』とは対極に位置する物質である。


 後は、鉄を……特に、刃物を始めとして光り物を作る際、何度もハンマーで叩くことで、『念』が込められるから……だという説もある。


 スピリチュアルな話ではある。しかし、それを馬鹿に出来ないのが霊的な世界の話なのだ。


 少なくとも、霊能力者の間ではそう思われているし、霊的存在にも有効性が確認されている。特に、鍛えて真新しいモノ、よく手入れが成されている鉄は有効である。


 要は、霊的存在に対する武器にも防具にもなるわけで、文字通り切り捨てる事も身を護る盾にも活用出来るわけだ。


 なので、『力』を自覚する者。あるいは、その手の知識を有している者は、触媒や御守りの一つとして、所持していたりする……というのが、長々とした前置きであるわけれども、だ。


 そんな、鍛えた鉄=退魔の道具という認識が常識として根付いている、世の霊能力者たちが……たとえば、だ。



 ――そう、たとえば、そんな常識が一切通用しない存在。



 対魔の道具なんぞ羽虫を掃うが如く一息でぶっ壊した挙句、『あれ、また何かやっちゃいました?』みたいな感じで自覚無く煽るような存在が、だ。


 とある、山中に居る。そういう存在が……だ。


 時刻は昼過ぎで、日差しが存分に入り込んでいるおかげで辺りは明るい。人里からも離れ、主要道路からも外れているのもあって、誰も異音に気付かなかった。


 カンカン、カンカン、と。固いナニカを叩く音が、山中に木霊する。


 いったい、どこから。いったい、なにから……答えは、特に隠されているわけではなかった。


 鍛えた鉄どころか、並みの霊能力者では瞬殺されるレベルの悪霊すらも身動き出来ないまま消滅してしまうほどに清められた結界の、中心。



 そこが、音の発生地である。そして、その中で何が行われているのかと言えば……鉄を叩いているのだ。



 正確に言い直すのであれば、製鉄。つまり、鍛冶だ。


 ごうごう、と。燃え盛る炎の中に赤くなるまで熱した鉄芯を入れて出しては、カンカンとデカいハンマーで叩いている。


 それは、不思議な光景であった。


 薪を始めとして火種など一つも無いのに、凄まじい熱気が頭上へと登ってゆく。だが、火の粉が周囲に飛び散る事も、ましてや、それが火事に至る気配もない。


 そんな不思議な場所で、そういう存在が、霊的存在に対して毒であり武器である鉄……それも、鍛え……いや、現在進行形で製鉄しているわけだ。



 ……さて、だ。



 その存在の姿を、端的に言い表すのであれば……巫女の少女である。だが、世間一般がイメージする巫女ではない。


 巫女服そのものが簡素というか、現代の巫女服よりもシンプルな造形ではあるが、そんなモノよりに何よりも、他者の目を引くのは……少女の頭部に生えた、二本の角だろう。



 その様は、まるで鬼である。鬼の少女である。いや、まるで、ではない。



 少女は、鬼である。しかも、普通の鬼ではない。


 少女は、死人である。しかも、只の死人ではない。



 とある亡骸に憑依する事で一時的に肉体を得ている存在であり、その本体は霊的な……つまりは、悪霊。物理的な実態を持たない幽霊……それが、この少女の正体である。


 更に付け加えるならば、この少女には前世の記憶がある。


 まあ、その前世自体には大したモノではなく、それなりに長生きした男の記憶でしかないのだが……と、話を戻そう。



 この少女の名は、『鬼姫』。鬼の姫と書いて、鬼姫。



 かつては帝すら恐れ慄き、討伐を仕掛けるも返り討ちにしたという大怨霊。色々有って今では気ままなニートライフに勤しむ、精神年齢1000歳越えの怨霊であった。


 ……で、知っている者が見れば即座に気絶してしまう事が確定な、そんな怨霊の隣には……1人の少女が居る。


 少女の外見は、東の和をイメージする鬼姫とは対極(という言い方は語弊があるだろうが……)の、西の洋をイメージする姿をしていた。


 まあ、ぶっちゃけてしまえば、修道服を身に纏った少女である。


 光を浴びて輝く麦畑のような金髪に、澄み渡った空を思わせる碧眼。どこぞの十字架の教会からやってきたのかと思ってしまうような風貌をしていた。


 ……さて、おそらく大半の者がお察しの通り、この金髪碧眼少女……名を『ソフィア・スタッカード』と言うのだが、只の少女ではない。


 彼女もまた、鬼姫と同様に色々と事情を抱えている人物である。


 ある意味、鬼姫よりも厄介な少女である。まあ、常人であれば鬼姫より放たれている『力』を受けて死ぬところを、平然としているあたり……っと。



「……どうじゃ? 我ながら上手にはなっておると思うのじゃが……」



 叩き続けていたハンマーが、どすんと地面に置かれる。じゅう、と傍の水樽にて冷やされた……刃を受け取ったソフィアは。



「上手くは成っていますけど、ムラが有り過ぎて駄目ですね、これ。」

「鍛冶歴4日じゃぞ、少しは手加減するのじゃ」



 しばしの間、眺めた後。『素人にしてはヨシ!』という評価が下された鬼姫は、不満タラタラな様子で受け取った刃(と呼ぶには、短すぎるが……)を眼前にて垂らすと。


 ――フッと息を吹きかけた。


 途端、刃は瞬時に砕け散り、粉々になった。


 中に爆薬でも仕込んでいるのかと思ってしまう光景だが、鬼姫ほどの悪霊にとっては、この程度は造作もない事なのである。



 ……まあ、これは、それ以前の話なのだが。



 技術を習得した職人が手掛けた刃ならともかく、一打の度に『これで良いのか?』と不安の念を込めてしまっている時点で、まともな刃が作れるはずもない。


 肉体を持つ一般人が行うのであれば、手順を間違えずに行えば刃は出来る。質はともかく、普通の生者が行えば、当たり前の結果が残る。


 もちろん、鬼姫とて通常の手順をそのまま行えば、結果は変わらない。素人が作ったにしてはマシな刃が一つ出来上がるだけだ。


 しかし、死者であり怨霊である鬼姫が今、行っているのは、ただの鍛冶ではない。『とある目的』の為に必要な特別なモノ……それは、手順をなぞらえれば出来上がる代物ではないのだ。


 故に、鬼姫はこうして慣れぬ作業というか、初めての鍛冶に勤しんでいるわけだが……まあ、言うまでもない結果が続いているわけである。



「しかし、この調子ですと完成まで10年20年ですよ。正直、気の長い私でもそこまで面倒を見るつもりは……」

「むむぅ……やはり、そうか。良い考えと思ったのじゃが……」

「いや、方向性は良かったと思いますよ。ただ、腕が足りていなかっただけです」

「中々言うのう……お主は」



 ズバリと言い切ったソフィアに、鬼姫は苦笑を返す事しか出来なかった。



 ……そう、『とある目的』とは、すなわち『鬼姫を縛り付けている御神体の複製を作る』というものである。



 いったいどうしてそんな事をしているのか……それは単に、行動出来る範囲を広めたいという鬼姫の願いに尽きた。


 と、いうのも、だ。


 鬼姫は、己の存在を『とある刀』によって山中の神社に縛り付けられている。それは鬼姫を『神』として奉り、『御神体』という楔を持ってその地に留める封印である。


 詳しく説明するならば、それこそ数百年以上も前にまで遡らなければならなくなるので省く。そういうのは、色々と見返せば分かるので見返してください。


 ……つまりは、もう少し自由に動き回りたいから、己を縛り付ける封印を誤魔化す手段が欲しい……という流れである。



 とはいえ……いや、そもそもは、だ。



 昔に比べて、幾らか鬼姫は行動範囲が広がっている。


 懇意にしているお由宇(『性愛の加護』を司る神様)の神社との間は自由に行き来出来るようになったし、『亡骸』に憑依すれば、神社の外にも出られるようにはなった。


 それ以上を望むのはワガママというか、ある意味では自業自得の果てに今の状況になったわけだが……まあ、鬼姫からすれば、元々不本意な事ではある。


 自ら望んだのならばともかく、出来る事なら、いちいち枷を気にする事無く気ままに動き回りたいと望むのは、鬼姫でなくとも当然の願いだろう。


 しかし、これまでは幾ら望んだ所で叶う話ではなかった。


 鬼姫を封じている『とある刀』をどうこうする事は、当の鬼姫には出来なかったからだ。


 鬼姫が無理なら、外部の者とて不可能だろう。


 まあ、わざわざ鬼姫の封印を解こうとする者が現れるわけがないので、前提が間違いである。


 加えて、そういった方面に頭オカシイレベルで色々と詳しいソフィアからも、『何がどうして作用しているのかさっぱり分からん』ときた。


 刀そのものは鬼姫の根幹にも密接であるが故に、力技でどうこうするわけにもいかない。


 だから、これまで鬼姫は大人しく刀に縛られ続けていた……わけなのだが。



 つい先日……ふと、鬼姫は気付いた。



 封印そのものをどうにか出来ないならば、封印の影響範囲をあえて広げる事は出来ないのか……と。


 つまり、封印そのものを解除するのではなく、封印を錯覚させるというわけだ。


 この、前人未到な閃き……その瞬間、鬼姫は動いて……そうして、今に至るわけだ。



 ――原理としては、そう複雑な話ではない。



 要は、擬似的なアンテナを幾つも立てて、鬼姫は封印の範囲内に居ますよ~と、封印の本体である『刀』を騙すわけだ。


 『刀』に意志があるならともかく、『刀』はあくまでも『刀』だ。そして、封印とて如何に優れていようが、システムである事には変わりない。


 一度でも騙す事に成功すれば、その後、意図的に暴露しない限りは封印が働くことはない。なるほど、発想の転換というやつだ。


 ……で、そういう流れから、眼から鱗とはこの事かと思い至った鬼姫が行動を開始したのは数日前の事。


 幸いにも、諸事情から『刀』というか刃物の作り方を知っているソフィアを強引に連れ出したのは、行動を開始してすぐの事。



 ちなみに、連れだした理由はソレだけではなく、単純に設備諸々の用意をしてもらう為である。



 いくら知識皆無の素人であるとはいえ、焚き火程度の炎で刃物が作れないということぐらいは知っている。また、専用の設備が必要である事も知っている。


 だから、ソフィアを連れて来たのだ。ソフィアならとりあえず用意してくれそう……という、他力本願満載な考えからだ。


 実際、ソフィアのおかげで、必要となる道具や設備諸々の全てを不思議な魔法パワーによって解決したから、鬼姫の判断は正しかった。


 非常に面倒くさそうな顔をしていたソフィアの視線も何のその、鬼姫の神社より少し離れた人の来ない(苦情が来ない)場所にて、さっそく『刀』を作ろうとした……わけなのだが。



 ――そう易々と可能なら、職人なんて言葉は生まれない。



 手順こそ間違っていないが、手順が分かればそれで出来上がるならば、誰も苦労はしない。言葉では説明出来ない部分にこそ、技術は隠されているものなのだ。


 最初の一本目は、ハンマーで叩いている途中で芯が折れた。温度と力加減を間違えたのが原因であった。


 何とか形にはなった四本目は、『力』を込めた瞬間崩れ落ちた。見た目だけで、中身はガラクタ同然であった。


 少しばかりマシになった十一本目は、少しばかり『力』を込められるようになったが、少しでも動かすと崩れてしまった。


 そうして、4日目の今日……祝30本目となるソレは、これまでに比べたらマシという程度の結果となってしまった。



「……ふと思ったんですけど、たぶん、貴女を抑えている神社の刀って普通の金属ではありませんね」

「ふむ、そうなのか?」

「いくら『術』や『力』が込められているからって、数百年も錆びず欠けない刀なんてあるわけないでしょ」

「……言われてみれば、そうじゃな」

緋緋色金ヒヒイロノカネでしたっけ? もしかして、それじゃないですかね。こっちに有るかは不明ですけど、前世の世界ではオリハルコンという精霊のみが作り出せる金属がありましたし、可能性はありそうですよ」

「……ちなみに、なのじゃが」

「あ、無理ですよ。非緋色金の所在なんて知りませんから」

「阿呆、それぐらいワシも知っておるのじゃ。非緋色金なんぞ、高天原(たかまがはら)にでも行かねば手に入らぬ……ワシが知りたいのは、もう一方の方じゃ」

「そっちはもっと無理ですよ。火精サラマンダー土精ノームの二つが協力して生まれる至宝しほうですからね……下手すれば全ての精霊と敵対しちゃいますよ」

「むう……そうか、上手く事は運ばぬものじゃな」



 深々と、鬼姫はため息を零した。


 それを見て、ソフィアは苦笑と共に様々な鍛冶道具をポンポンポンと消してゆき……次いで、お茶飲みの為のバーナー一式をポンと何処からともなく(まあ、魔法である)取り出した。


 ……最近、ソフィアはお茶にハマっているらしい。


 鬼姫としては酒の方が好みではあるが、それ以上に好きなのはタダで飲めるやつだ。他人の金で飲み食い出来る、これほど上質な隠し味がこの世にあるのだろうか。


 無言のままに視線で催促すれば、「淹れてあげますから……」ソフィアは更に苦笑を深めた。


 なので、砂糖は増し増しでと声を掛けた後、鬼姫は用意してもらっていた丸椅子に腰を下ろし……ぼんやりと茶を入れるソフィアを眺めながら、ふと、考える。



 ……元々、鬼姫が持つ力は『負の力』。普通に扱うだけならともかく、退魔・邪気の力を持つ刃物は、基本的には相性が悪い。


 最初はイケるかなと思ったが、考えが甘すぎた。


 鬼姫ほどの怨霊を抑え込む封印の複製を作ろうなんぞ、土台無理な話だったのかもしれない。



「……残念でしたね、お由宇さんと一緒に出掛けられる可能性が一つ、駄目になってしまって」



 そこまで考えた辺りで、不意にソフィアより声を掛けられた。


 ハッと我に返ると同時に差し出されたマグカップからは、甘ったるいミルクの香りがした。



「……茶を入れるとばかり思っておったのじゃが」

「チャイっていう外国のお茶ですよ。貴女は甘い方がお好きでしょ? ミルクと砂糖増し増しだからその色なんですよ」

「ふむ、そうか……ありがとう、良い香りじゃな」



 受け取ったカップに口づけ、一口、二口。飲み慣れぬ類の味ではあるが、とても鬼姫好みの味付けであった。


 ……ソフィアの言う、お由宇と一緒という言葉……何てことはない。


 要は、いちいち亡骸に憑依したり、ソフィアの手を借りたりしなくとも、気ままに二人でそこらを散歩したい……それが、今回鬼姫が頑張っていた最大の理由である。


 というのも、元来、お由宇は奥ゆかしい性格をしている。


 小柄で温和な顔立ちのままに心優しく、『性愛の加護』を司っているとはいえ、その性質は和を大事に想い、一歩後ろを歩いて見守る、とても遠慮がちな神様のだ。


 故に、お由宇は何度も何度もソフィアの手を借りる事を良しとしない。


 本質的に、手を貸されるよりも手を貸したい性格なのだろう。ソフィアが気にするなと何度も口にしても、そこまでお手数を……と、気持ちにブレーキが掛かってしまう。


 だから、だいたい一緒に居る鬼姫とお由宇の二人が一緒に外に出た機会が、両手で数えきれてしまう。鬼姫としては、それが不満であった。


 けれども、不満がどれだけ有ろうが、無理なモノは無理。


 わざわざ鍛冶道具と設備一式を用意してもらい、4日間にも渡る監修の元で汗水垂らして(実際には垂れてないけど)きたわけだが……まあ、それが分かっただけでも……といった感じか。



「――そういえば、『飛びっ子』って遊び、知ってます?」



 必然的に暗く成りかけた空気。


 そういう薄暗~い空気というか、シリアスな空気が大嫌いなソフィアが居て、そんなモノが続くだろうか。



「知らぬ。なんじゃ、『ぽけぇもん』以外に流行りがあるのか?」



 答えは、続くわけがない。


 油断すると、いきなりその場で腰振りダンス踊るような変態に常識を問うてはいけない。


 まあ、コイツもコイツなりに気を使って……いるのかなと首を傾げつつも、ソフィアからの話題に鬼姫は乗る事にした。



 ……そうして、サラサラッと語られた『飛びっ子』の内容は、名前の印象通り大した中身は無い。



 要は、縄跳びを使った複数人で行う遊びだ。


 地面に足場を二つ作り、その上を交互に両足で着地する。その際、回ってくる縄に足が引っ掛からないようにタイミングを計りながら行う。


 見たままを語るなら、二人掛かりで回される縄の間を飛びながら反復横跳びをして、決められた足場に着地する……というだけのものだ。


 それの何が面白いのかはさておき、一部のSNS(この言葉に、鬼姫は首を傾げた)でちょっと話題になったのだとか。


 定められた方向へのジャンプと着地、体勢や力加減、迫る縄の動きなど、同時に複数のタスクを処理するのが脳の動きに良いらしい……で、だ。



「それが、どうしたのじゃ?」

「私も詳しくは知らないんですけど……どうも、人が消えるって噂があるんですよね」

「人が?」

「ええ、飛んでいる最中に、パッと消えてしまうとか……どう思います?」



 尋ねれて、鬼姫は湯気が立ち上るカップから空へと視線を移し……ふむ、と視線をソフィアに向けた。



 ――可能性としては、無くは無い。それが、鬼姫の率直な返答であった。



 どうしてかと言えば、それは閉じられた空間の中に……この場合、定めた場所から場所へと飛び移るという行為が原因だ。



 ……これは霊的な話になるのだが、形は何であれ区切られた場所、囲われた場所というのは、ある種の特殊な世界が作られる。それこそ、チョークで描いた○でも、同じ。


 その世界は、言うなればこの世からもあの世からも隔離された空間。もちろん、それが影響を及ぼすかと問われれば、限りなく0に近い。


 まあ、当然である。実際、物理的な意味では、所詮は地面に描いた○でしかない。


 『力』を込めなければ霊的な効力も無いし、そもそも、それだけで影響が出ていればもっと大騒ぎになっているところだ。



 ……で、鬼姫の言う『可能性』とは、だ。



 完結に述べるならば、この閉じられた空間から、別の閉じられた空間へと移動するという行為。その、一瞬の間に生じる移動が危険である……というわけである。


 もちろん、何度も言うが、危険性は限りなく0だ。


 何気なく放り投げた石が奇跡的な事象が重なった事で宇宙へと跳ね上がり、偶発的にも衛星軌道上に乗って人工衛星を撃ち抜くぐらいの確率である。



「まあ、言葉では分かり難いじゃろう。実際にやってみせよう、その方が想像しやすいと思うのじゃ」



 ……だから、鬼姫は別に悪くない。



「こう、地面に描いた円の中から、別の円へ。閉じられた空間から別の空間へと移る時の刹那、ワシは世界を飛び越えてしまうわけなのじゃが、この一瞬に何かが起こると大変というわけじゃ」


 カップを片手に、ピョイッと。


 言葉通りに円から円へと飛んだ鬼姫は、「まあ、まず起こり得ない話なのじゃ」苦笑と共に振り返り……首を、傾げた。



 ――何故なら、そこには誰も居なかったからだ。



 というか、存在しないのはソフィアだけではない。


 今しがたまでそこにあったバーナーもそうだし、何より枝葉の隙間より差し込んでくる……夕陽の赤み。



 ……。


 ……。


 …………いや、よく見ると赤いのは夕陽が原因ではない。



 何と言えばいいのか……全部が赤いのだ。



 まるで、眼球に赤いセロテープが張られてしまったかのように、全てが薄らと赤みが掛かっている。


 周囲の木々も、自然そのままの大地も、晴れ渡っていた空も、彼方より光を放っている太陽も、全てが赤い。多少なり濃淡の違いがあるにせよ、赤い事は変わらない。


 そして何より、空気が違う。


 これまた、何と言えばいいのか……臭いというわけではない。ただ、感覚的に、ここは己が居た世界ではない事を……鬼姫は察した。



 ――明らかに、先ほどまで己が居た場所ではない。ていうか、世界ですらない



 いやおうでもソレを理解させられた鬼姫は、スンッと真顔になった。


 とはいえ、それほど鬼姫は動揺していなかった。


 いや、平静とは言い難いが……まあ、こういう斜め上な展開には慣れてしまっているおかげだろう。


 とりあえず、カップのチャイを一口……空っぽになっていた事を思い出し、それを無言のままに捨てると。



「……あ、やはり無理なのじゃ」



 もう一度作った円と円の間を、ぽんぽんと反復横跳びしたのであった。


 まあ、やった所で意味は無いというか、元の世界に戻れる可能性は限りなく0なので、全く期待はしていなかった……けれども。


 何故かは知らないが……視界の全てに広がっていた赤色が消え去り、見慣れた色合いに戻ったので……とりあえず、少しは効果が有ったからヨシ、とした。




 ……。


 ……。


 …………眼に優しくない世界だとばかり思っていたが、赤色が取れてしまえば、世界は見慣れた色合いであった。ついでに、今は昼間のようだ。



 ――さて、だ。



 とりあえず、頭上より降り注ぐ太陽の明るさに、気持ちは少しばかり良くなった。基本的に、薄暗い場所よりも明るい場所の方が鬼姫は好きである。


 太陽神である天照とは対極に位置する怨霊なのに、太陽の光が好きとは……それだけ強大な存在の証ではあるが、こういう変な図太さを鬼姫は持っている。


 兎にも角にも、己が別の世界へと来てしまったのを受け入れた鬼姫は……とりあえず、己の神社へと向かう事にした。


 理由は、大したモノではない。


 ここが別の世界であるならば、もしかしたらこの世界の己が居るかもしれないと……考えたからだ。


 力を貸してくれるかは不明だが、存在しているのであれば、己と同等の『力』を持っている可能性が高い。


 現状を打破するには、少しでも『力』が有った方が良い。後はまあ、自分の事だし、見知らぬ誰かを頼るよりも気が楽だというしょうもない打算もあった。



 ……あ、言っておくが、向かうとは言っても、己が居た世界の神社ではない。



 あくまでも、元の世界には有るはずの場所へと向かっているに過ぎないわけで……これがまた、不幸中の幸いと言うべきか。


 神社は、記憶の通りに変わらずそこにあっ――え、あ、いや、何だろう、凄く汚い。



 思わず、鬼姫は何度か己の目を拭って確認した。



 かなり失礼な行為で、仮に自分がされたら気分を害するところだが……そうしてしまうだけの理由が、そこには広がっていた。


 見たままを述べるのであれば、酷く寂れていた。あと、色々とボロボロだった。


 鳥居は無く、社の屋根は穴だらけで雨風はまるで防げないだろう。石畳は軒並み泥が被って見えなくなっており、内部の床板は例外なく腐り落ち、異臭を漂わせていた。


 恐ろしい事に……鬼姫にとってはの話なのだが、賽銭箱も無い。置かれた形跡もなく、始めから設置されていないようだ。


 当然ながら、お供えが成された形跡も無い。ましてや、この様子だと参拝客など夢のまた夢……そんな有様であった。


 正直……新しくなる前の、己の神社よりもボロいのではないか……そう、鬼姫は思った。



(いや、似たり寄ったりじゃな。ワシも大概な場所に住んでいたのじゃな……)



 しかし、こうなると困るのは……今が何時なのか、だろうか。


 神社があるとはいえ、ここにこの世界の己が居る保証は無い。建て替えられて看板の一つでも有れば分かるのだが、何もかもがボロボロのここには看板一つ無い。


 加えて、この世界が、己が知る世界と同じ歴史を辿っている保障もないし、そもそも、姿形が同じなのかも不明だし、最悪バケモノみたいな外見の可能性だってある。



 ――正直、バケモノな姿をしている己を見るのは嫌だなあ……という気持ちは強い。



 また、己と繋がっている『刀』との気配に変化は無い。言い換えれば、眼前の『鬼姫の神社』と、己との間には何ら関係性はなく、影響は受けないと考えられるだろう。



 ……とりあえず、『力』は感じる。



 室内と呼ぶのも自意識過剰な隙間風だらけな中を進み、元の世界では『刀』が安置されていた場所へと向かえば……すぐに分かった。



 強大な、『力』だ。


 そして、その『力』を抑え込む気配も感じ取れる。



 己と同質……か、どうかはさておき、己と同レベルの『力』を、鬼姫は感じ取っていた。ついでに、抑え込む気配も鬼姫の知るソレと同等だ。



 ――居るのう。じゃが、『刀』は無いのう。



 しかし、室内を見回した後……意外な事実に鬼姫は首を傾げた。


 元々、元の世界でもけっこう無造作に『刀』は安置されていた。なので、この荒廃具合から見て、それこそ床に捨て置かれても不思議ではないと思っていたが……ん?



 『――何奴だ? 我の眠りを妨げる者は……!』



 何処に居るのかなあと気配を探っていると、突如、脳裏に声が響いた。


 声というよりは、思念。実際に音がしたわけではない。いわゆる、テレパシーというやつか……まあ、何でもいい。


 そんな事よりも、鬼姫の注意を引いたのは……己へと向けられた思念と共に伝わってきた……膨大な『負の力』であった。


 何処から向けられているのかは、分からない。だが、強大だ。


 下手に霊感を持っている者が受ければ、即座に体調を崩すレベルだ。敏感な者なら、失神の後に重大な後遺症を残しかねない。


 実際、たかが余波でしかないのに、神社の周囲から一斉に音が消えた。耳鳴りを覚えるほどの静寂の中、そよそよと、通り過ぎる風だけがこの場の唯一の音であった。



 ……あらゆる命が、少しでも思念の主に気付かれないよう息を潜めているかのようだ。



 いや、実際に息を潜めているのだろう。


 立ち向かう事も逃げる事も出来ないまま、ただただ身を固くして災難が過ぎ去るのを待つ他ないわけであった。



 『ワシは鬼姫じゃ。正確に言えば、他所の世界より迷い込んだお前なのじゃ』



 だが、如何な強大とはいえ鬼姫には通じない。相手が本気で来ているならともかく、軽い威嚇程度で退く鬼姫ではない。



 『ワシの世界では、この地にワシの神社があった。お主がこの世界のワシであるならば、力と知恵を貸して貰おうと思ったのじゃ』



 なので、率直に鬼姫は来訪の理由を答えた。まあ、答えるといっても実体が見えないので、同じように思念を送ったわけ……なのだが。



 『その話、まことか?』



 思念の声色が、ガラリと変わった。困惑……というよりは、確認といった感じだろうか。



 『嘘を付いてどうするのじゃ? お主もこの世界のワシであるならば、探ればすぐに分かるはずなのじゃ』



 思っていたのとは違う反応に首を傾げながらも、思った事をそのままに返せば……しばしの沈黙の後。



 『……鬼姫よ。いや、他世界の我よ……我からも、相談したい事がある。是非とも、我の下へ来て欲しい』



 何故か、向こうから相談を持ちかけられた。



 ――いや、お主が相談するのか。



 反射的に鬼姫はそう言い掛けたが、何やら困った様子なので言わないでおいた……と。


 声が聞こえた時が唐突ならば、鬼姫の眼前に……そう、元の世界において『刀』が有った場所に、地下へと続く階段が出現したのもまた、唐突であった。


 普段は、術で隠しているのだろう。


 手が込んでいるというか、何というか……鬼姫にもやれない事はないが、さすがにこの規模となると……一日二日で出来るものではない。


 階段の先は、真っ暗だ。暗闇を問題としない鬼姫だからこそ平気だが、生者であれば立ち昇ってくる『負の力』も相まって、足が竦むだろう。


 また、奥行きは深く、その鬼姫の目を持ってしても最奥が見えない。ヒヤリとした冷気が暗闇の向こうから漂ってきていた。



 ……。


 ……。


 …………何だろう、負けた気がする。ちょっと格好いいぞと、鬼姫は思った。



 でも、それはそれとして、だ。率直に、頼み事があるならお前が来い……というのが、鬼姫の感想である。



 『その、ワシが助けて欲しいぐらいなのじゃが……』

 『そう言わず、頼む。非常にのっぴきならない事態で、事は一刻を争うのだ!』

 『えぇ……ま、まあ、仕方がないのう。じゃが、事が済めば必ずワシを手伝うのじゃぞ』

 『うむ! 我が名に誓うぞ!』



 けれども、こうまで急かされるうえに名に誓われては、あまり強くも言えない。


 別世界とはいえ己であるわけだから、誇張抜きでどうにもならない問題が生じているのも、何となく分かる。



 ……ならば、行くほかあるまい。



 そう結論を出した鬼姫は、とりあえずは何か有っても対処できるように身構えつつ……緩やかに、階段を下りて行った。





 ……。


 ……。


 …………そうして、結局は何も起こらないままに最下層へと降り立った鬼姫を出迎えたのは……巨大な地下空洞と、その奥に安置されている……巨大な祭壇であった。


 パッと見た感じ、巨大と付くだけあって地下空洞は広い。まあまあ、ボールなり何なりで遊べるだけの広さはある。


 だが、自然的に発生したわけではない。


 空洞を支える柱が点在しているのもそうだが、何よりも目を引くのは……この空間を支える柱の形というか、四方の壁の模様だろう。



 有り体に言えば、生物の内臓をモチーフにした……といった感じだろうか。



 筋肉のように筋目が入った壁、網を掛けるように縦横無尽に伸びている血管。柱に至っては、まるで生きているかのように臓器が飛び出しているような作りになっている。


 と、言うか、飛び出しているのは柱だけではない。


 いたる所から頭蓋骨やら何やら、それっぽいのが飛び出しており……分かり難いが、臭いこそ無くとも、過去に血が塗られた形跡も見受けられた。


 明らかに人為的に作られた空間である事が、一目で分かる。


 こういうのが好きな人なら喜ばれるのだろうが、鬼姫の基準からすれば、気持ち悪過ぎてドン引きであった。



 うわぁ、と思わず一歩退いたぐらいにはドン引きであった。



 そして……最奥に安置されている祭壇。


 大きさそのものは、小さな御社といった感じだ。御神体とその他諸々を飾れば満杯だろうなあ……という程度である。


 まあ、その社も人間の骨っぽいモノで構成されていたり、頭蓋骨がシャチホコの如く飾られていたりと、鬼姫基準では趣味の悪い外観をしているが……うむ。


 ……ちなみに、地下空間に明かりはない。


 鬼姫だからこそ詳細に見えているわけで、常人ならば暗闇に押し潰されてその場から動けなくなっているところだ。


 というか、仮に見えてしまっていたら、それはそれでだいたいの人は失神していたかもしれない。



『――ありがとう、では、我も姿を見せようぞ』



 しばしの間、祭壇を眺めていると。タイミングを見計らっていたかのように、思念が鬼姫の脳裏に響いた。


 合わせて、気配が……闇の向こうより動く。視線を向ければ、その先にあるのは……祭壇だ。



 ――さて、何が出てくるのやら。



 期待半分、不安半分。


 姿形に拘りはないが、せめて直視しても問題がない程度の見た目でありますように……そう祈りながら、見つめている……と。




「やあやあ、我だぞ」




 思いの外、あっさりと。


 言葉にすれば、ひょっこり、といった様子で……祭壇の後ろより、温和な顔立ちをした少女が姿を見せた。



 ……。


 ……。


 …………???



「あ、その顔、信じておらんな? おらんだろう?」



 あまりに予想外というか、想定外というか。


 言いたい事は承知しておりますよと言わんばかりに頷きながら近づいてくる少女を前に……鬼姫は、ぽかんと呆け、目を白黒させるしかなかった。


 と、いうのも、だ。少女(暫定、この世界の鬼姫)の外見が……こう、あまりにこの場の雰囲気に合っていなかったからだ。


 見たままを語るのであれば、少女の外見は美少女である。鬼姫の着ている巫女服とは少しばかり異なるが、方向性は同じだ。


 加えて、おそらくは……眼前の少女は、鬼姫と同じく死人だ。だが、ただの死人ではないし、霊的存在というわけでもない。


 あえて言葉にするならば、半生半死。生きてはいるが、死んでもいる。鬼姫の憑依とは少し違う……といった感じだろうか。


 何らかの術を用いているのは分かるが、それ以上は鬼姫にも分からない。見た目は生者そのものだが……気配は、明らかに死人のソレであった。


 ちなみに、背丈は鬼姫と同じぐらい。体格も華奢で、鬼姫とそう変わりない。


 顔立ちは、鬼姫がキリッと引き締まった感じの美少女であるならば、眼前の少女は……ほわほわっとした感じの美少女である。



 ……で、あえて明確な違いを挙げるならば、二つ。一つは、角の角度だろうか。



 鬼姫が左右に伸びているならば、少女は後頭部に沿うようにして、くるりと曲がっている。まるで、羊の角を思わせる曲がり方だ。



 そして、二つ目は……巫女服を押し上げる、胸部の厚さであった。



 具体的には、デカい。何がって、乳腺を内包した脂肪というな名の、乳房が。


 思わず、視線を向けてしまう大きさ……顔や角や感じ取れる『力』よりも真っ先に鬼姫の視線を釘づけにしたのは、豊満なバストであった。


 いったい何を食えばそのようなサイズに成るのだろうか。


 己の胸のサイズなんぞ気にした事などない鬼姫だが、あまりの大きさの違いを前に、思わず鬼姫は己の胸と、少女の胸を交互に見やるぐらいであった。



「……お主、どうなっておるのじゃ?」



 とりあえず、気になった事を尋ねてみる。



「どうもこうも、ただ大きいだけだ」

「……ちなみに、如何ほどじゃ?」

「知らんが、最後に測った時には約33寸(約101cm)だったぞ」



 すると、あっさり答えてくれ――デカいな、おい。


 思わず呆気に取られる鬼姫を他所に、「なるほど、別世界の我はそのようななりになるわけか」乳デカ少女はジロジロと鬼姫を見まわし……さて、と仕切り直した。



「……で、お主が、この世界のワシでよいのじゃな?」

「うむ、我こそは現代に蘇りし古の鬼の姫。かつては取るに足らない平凡な男であったが、生まれ変わるは女、死してなお恨みは消えず鬼と成り果てた死にぞこないである」



 ――で、お前は? 



 そう視線で促された鬼姫は、一つ頷いて答えた。



「お主と似たような経緯じゃな。違うのは、ワシも鬼には成ったが、その過程にて肉体は焼き払われた。今もなお封じられておる、しがない悪霊なのじゃ」

「悪霊なのか? その成りで?」

「お主も似たようなモノじゃろう?」

「何だ、羨ましいのか?」

「ワシが嫉妬すると思うか?」

「思わん。我ながら、つまらぬ事を聞いたな」



 からからと笑う少女……『鬼姫』を前に、鬼姫は苦笑した。少し話しただけだが、分かる。こいつは、この世界の己である、と。



 ……正直、もっとこう……この空間にピッタリな化け物が出てくるとばかりに思っていた。



 客観的に見て、思わず疑いの眼差しを向けてしまった鬼姫は悪くないだろう。『鬼姫』が逆の立場であってもそうしただろうから、『鬼姫』は特に気にしては居なかった。



「……さて、のっぴきならない事態とは、何じゃ?」



 何時までも雑談を続けるのも……そう思った鬼姫は、単刀直入に本題に移った。



「うむ、話せば長くなるが……結論から述べるならば、暗黒神を復活させようと企む者たちがいて、近々それを決行しようとしているのだ」

「……済まぬ、上手く聞き取れなかったのじゃ」

「だから、暗黒神を復活させようとする邪悪な者たちが、近々儀式を始めようとしているわけだ」



 回りくどいのが嫌いな性質なだけなのだが、まさか、こうまで意味不明な返答が成されるとは鬼姫とて夢にも思わなかった。


 いや、まあ、というか、暗黒神って……。


 思わず白けた眼差しを向ける鬼姫を他所に、何故か『鬼姫』は言い辛そうに視線をさ迷わせた後……そのな、と言葉を続けた。



「その暗黒神とやら……我なのだ」

「……はっ?」

「うむ、話せば長くなるのだが……付いてまいれ」



 まるで意味が分からない話に困惑する鬼姫を他所に、『鬼姫』は……いや、乳デカ姫は、さっさと歩き出す。


 とりあえず、後に続く。祭壇の裏手……入口からは祭壇が死角になって入れない暗闇(まあ、この空間全部真っ暗だけど)へと手を伸ばした――かと思えば。



 がちゃり、と。



 まるで、扉を開けたかのように、何も無い空間が開かれた。いや、まるで、ではない。よくよく目を凝らしてみれば、有る。


 いわゆる、錯視を利用したトリックアートというやつだ。


 見る角度によっては壁に見えるそれは、開かれた事で初めからそこにあったのが鬼姫にも分かった。



 正直……盲点だと鬼姫は感心した。



 何かしらの術や道具を用いているのであれば、鬼姫は一発で勘付く。しかし、こうまで力技で誤魔化されてしまえば、鬼姫でも気付けないわけであった。


 ……で、そうして中に入って……階段を少しばかり降りて、向こうより光が漏れている扉を開ければ……だ。



「……ここは?」

「我の住処だ」



 案内されたそこは、先ほどの趣味の悪い空間とは裏腹に、実に大人しいというか……よくある一人住まいという内装をしていた。


 四方全てを滑らかなコンクリートで囲い、天井には煌々と照明器具の光が室内を照らしている。


 部屋の片側には大きなベッドが一つと、小さい箪笥が一つ。もう片方にはテーブルを挟んでテレビが置かれ、その横にはデスクトップ型のパソコンと、椅子や台などが一式。


 出入り口すぐ傍には、冷蔵庫と電子レンジまで置かれている。ていうか、カセットコンロや流し台も……まさかの、浴室と思わしき出入り口すらあった。


 いったい、どこからインフラを引っ張って来ているのか……「まあ、座れ」促されるがままベッドへと腰を下ろした鬼姫は……お湯を沸かし始めている『乳デカ姫』を見やった。



「ここは、お前が作ったのじゃな?」

「うむ、10年掛けてコツコツな。水や電気はこっそりパイプや配線を繋いで横流ししておるわけだ」



 ……とりあえず、この世界の『鬼姫』はそういった知識を有しているのは理解した。機械音痴の鬼姫とはえらい違いである。



「あー……その、何から聞けば良いのか分からぬのじゃが……とりあえず、上のアレは何なのじゃ?」

「まあ、そうだな。最初に気になるところは、やはりそこか」



 率直に尋ねてみれば、乳デカ姫は傍目にもはっきり分かるぐらいに苦笑いを浮かべると……ぽつり、ぽつりと……話を始めた。



 ……簡潔かつ端的に内容をまとめると、だ。



 此度の『のっぴきならない事態』の発端は、『鬼姫』……いや、乳デカ姫の悪ふざけであった。


 始まりは――今から千年前。この世界の乳デカ姫ならぬ『鬼姫』が命を落とした後。


 鬼姫とは異なり命を落としこそしたが肉体を燃やされることはなかった彼女は、生来より持ち合わせていた『力』を用いて復活し、復讐を果たした。


 その後、我に返った彼女は……そこら辺りまでは、鬼姫と同じである。

 しかし、ここからが異なる。この世界の鬼姫は、日本に留まらずに世界を放浪したのだ。


 肉体を失った鬼姫とは違い、死人とはいえ肉体を持つ彼女は生者のフリをして大陸に渡り、当てのない一人旅をしていた。


 彼女としては、これ以上の恨みを晴らしたい……なんて気持ちは欠片もない。ただ、前世では出来なかった海外旅行というか、海外を旅したいという夢を叶えたかっただけである。


 けれども、いくら似せているとはいえ、死者は死者。


 術を掛けて生者に見せかけても、術を解けば身体は青白く、氷のように冷たく、自然には温まらない。死臭こそしないものの、彼女は確かに死んでいるのだ。


 いわゆる、大陸で恐れられたキョンシーとは我の事……とまあ、そんな感じで色々と誤解を重ねつつも、のんべんだらりと旅をしていた……わけなのだが。


 時代が進むに従って、いつしか彼女は有名人になってしまった。まあ、そりゃあそうだろう。



 (死者なので)何時まで経っても歳を取らず、見た目も変わらない。(膨大な『力』によって)傷を負わず、あらゆる地域で目撃情報があるわけだ。


 不本意ながら、旅をする中で色々な事件に首を突っ込んだ回数は数知れず。


 結果、伝聞や記録という形で彼女の噂は広がり、いつしかどの町に行っても半年と経たない内に『もしや、あの娘は……』という感じで、騒ぎになってしまうようになった。


 これには、彼女もまいった。


 というのも、彼女は気付いていたのだ。この噂(悪評とも言う)は自然発生したモノではなく、一部の王様や貴族なのだという事を。


 心当たりは、幾つか思いついた。


 彼女が首を突っ込んだ事件の中に、王様や貴族が関わっていた事があるからだ。おそらく、己を貶めようと残党が流したに違いない……そう、彼女は察したわけだ。


 故に……彼女は、己の死を擬装する事にした。


 いくら強いとはいえ、影も形もない噂にはさすがの彼女も太刀打ちできない。なので、月日が流れ人々の記憶から己の存在が廃れるその時まで、隠れる事にしたのだ。


 もちろん、ただ単に隠れ潜むだけでは時間が掛かり過ぎるし、もしかしたら……と思う者が残ってしまう。


 なので……彼女は、盛大な一人芝居を行ったわけだ……とはいえ、そう複雑な内容ではない。


 人の居ない辺境で、ド派手に雷やら炎やら音やらを立てて、『ここで、噂の怪物が何者かと戦っておりますよ~』と、周囲にアピールしまくったわけである。


 当然、それまでに仕込みは十分に行った。


 背中に純白の翼を生やす『顔を隠した者たち』の目撃例を作り、夜の闇の中にひと際耀く光の柱を作ったりして、『なんか聖なる存在が邪悪を倒しに来たぞ』という感じなアレにした。


 そして、極めつけは……石碑である。


 それも、ただの石碑ではない。なんかこう、古代文字というか中二病文字というか、漢字なのか絵文字なのかよくわからん、良い感じな文字がこれでもかと彫られている巨大な石碑だ。


 加えて、その石碑の周囲には……こう、何かを封印してますよ~みたいな印象を与える、これまたよくわからん文字が彫られた柱を何本も立てた。


 頭上から見れば、謎の石碑を囲うようにして立っている幾つもの謎の柱……何かのストーンサークルかな?


 交易ルートからも外れた辺境に、何故にそんなものが……その石碑を見た者は、1人の例外もなくそんな事を思うような感じにしたわけである。


 更に、駄目押しの噂を流すと共に、ド派手なパフォーマンス。


 中身は、『邪悪なる存在を、神の御力を帯びた聖なるストーンによって抑え込み、ストーンを東の彼方にて封じる』という噂と共に、翼を生やした光輝く存在が夜空を飛び回り、何処かへ飛び去ってゆく……というものだ。



 これがもう、プロデュースした彼女も驚くぐらいに上手く行った。



 おそらく、偶然にもその年、大陸全土が豊作になったのも拍車をかけたのだろう。


 誰も彼もが、彼女は神の使いによって封じられ、邪悪なるモノはこの世に出てこないと信じた。そのおかげで、豊作になったのだと信じた。


 記憶には有っても、彼女はもうこの世界に居ないと思われるようになった。


 これには、彼女もニッコリである――さて、後は適当に100年ぐらい寝ていれば全部解決だ。


 ……そう判断を下した彼女は、東の彼方……故郷である日本の、とある山中に安置した石碑の地下奥深くに作った隠れ家にて、ぐっすりと眠りに付いた。


 ちなみに、日本を選んだ理由は故郷だけが理由ではなく、海を隔てている為に彼女の噂が伝わっていなかったからである。


 なので、万が一見つかっても、そこまで大騒ぎにはならないだろうなあ……という程度の感覚であった


 ……だが、しかし。100年ぶりに目覚めた彼女は……何気なく地上へと出て愕然とした。何故かと言えば、それは――。



「……起きたら、邪神として祀られていたわけじゃな?」

「うむ……驚きのあまり二度寝しそうになった。何か顔色の悪いやつらが、よう分からん祝詞を謳って我の復活を祈願していたのだ……」

「なんじゃろうな、他人事とは思えぬせいか、何だか胸が痛いのじゃ……」



 ――で、あるからだった。



 これには、さすがの彼女も困惑しっぱなしであった。


 何せ、『お前ら、ちゃんとご飯食べてる?』って感じの老若男女の者たちが石碑に向かって頭を下げ、物騒な台詞を呟きながら祈りを捧げているのである。


 邪悪なるモノと言われた彼女でなくとも、困惑するのは当然だろう。


 しかも、少しずつではあるが、月日を経るごとに人数が増えてゆく。これはイカンと思った彼女は、どうにかしてそいつらを追い返そうとした……のだが。



「あいつら、怖い。脅しても何しても顔を真っ赤にして喜ぶし、儀式だ何だの言い出したかと思えば、石碑の前で夜伽を始めて……我、どうしたら良かったのだ?」

「……いっそのこと、殺せば良かったのではと思うのじゃが」

「それ、やった。だが、あいつら物凄い笑顔で死によるのだぞ。首をはねれば吐精とせいしたり女陰じょいんより汁を撒き散らす者たちの相手を我はしとうない」

「……で、どうしたのじゃ?」

「とりあえず、相手をするのが嫌だったから放っておく事にした。もう100年200年も経てば、廃れて跡形も無くなるだろうと思って……」

「……いちおう聞いておくが」

「無論、目覚める度に悪化しておった。上の気持ち悪い細工は、200年ぐらい前かな……ひと際イカレタやつが多数現れた時でな」

「……アレを作ったのじゃな?」

「正直、気色悪くて仕方がない。アレ、生きた人間が望んで埋め込まれて白骨化したやつもあるから……我、触りたくもないし相手したくない」



 ――いっそのこと、徹底的に全部壊せばよいのでは?



 思わず問い掛けた鬼姫に、彼女……乳デカ姫は、遠い目をしながら答えた。



 ――もう、やった……と。



 つまり、一度徹底的に壊したのに、ゴキブリのように何処からともなく復活したうえに、あの気持ち悪いオブジェをこれでもかと用意したわけだ。



 ……何だろう、そいつらこそが暗黒神ではなかろうか……そう、鬼姫は思った。



 何せ、別世界の己をドン引きさせたうえで戦意を喪失させるようなやつらだ。少なくとも、暗黒神よりもよほど邪悪な存在だろうなあ……と、鬼姫は思った。


 ……で、そこまで話を聞いた辺りで、ふと、鬼姫は思い出した。


 元々の本題である『のっぴきならない問題』とは、乳デカ姫曰く『暗黒神である我を蘇らせようとするやつら』で……つまり、どのように蘇らせるかということを考えれば……だ。



「もしかして、生贄じゃな?」



 話の途中で受け取ったココアを、鬼姫はグイッと飲み干すと。



「もしかしなくとも、生贄だ」



 乳デカ姫もまた、グイッとココアを飲み干して答えた。


 ……おのずと、答えは決まっていた。



「ならば、再び力ずくで止めれば良いではないか。何故、手をこまねいておるのじゃ?」

「そうするわけにはいかない事情がある。我とて、好き好んで静観していたわけではない。生贄とて、既に対処は出来ているのだ」

「……いや、そうなる前に止めれば良いではないか」

「それが出来たら苦労はせんと言っただろ……考えてもみろ、この問題はそれこそ数百年にも渡って続いている問題なのだぞ」


 ――肝心の我は一切関与しておらんけどな!



「それこそ、数え切れぬ死者が出ている。光と闇という言い回しは大げさだが、暗黒神の復活を目論む者たちと、それを防ぐ者たちとの間で幾度もの戦が起こり、その度に血が流れた」


 ――肝心の我は一切関与しておらんけどな!



「つまり、それほどの因縁があるのだ。数百年にも渡って邪法を練り上げて極めた闇の一派は、もはた人の形を模した怪物も同然。光の一派もまた、それに対抗するために幾度となく涙を堪え、歯を食いしばってきた」


 ――肝心の我は一切関与しておらんけどな!



「だが、闇の一派とて全てが邪悪ではない。中には遠縁ゆえにほとんど『力』もなく、平和に暮らしていただけのやつもいた。逆に、光の一派の中にも戦いを嫌って一般人になろうとした者はいた」


 ――肝心の我は一切関与しておらんけどな!



「どちらも結局は仲間に、あるいは敵対する者たちに殺された。長く降り積もった恨み辛みは、もはや言葉では説明出来ないほどに根深く、どちらかが絶滅したところで止まる事はない」


 ――肝心の我は一切関与しておらんけどな!



「悲しい話ではあるが……『暗黒神』と呼ばれている我の存在は、ある意味ではそんな彼ら彼女らの心のよりどころ……すなわち、根本なのだ。初めから暗黒神など存在しないと判明した時、あやつらの心にどれほどの衝撃をもたらすか……我は考えたくない」


 ――肝心の我は一切関与しておらんけどな!



「故に、我は動きたくとも迂闊に動けないのだ。少なくとも、血塗られた数百年が虚構でしかなかったと知られるのだけは避けたい。せめて、その数百年にも意味が有ったと思わせたいのだ」


 ――肝心の我は一切関与しておらんけどな!



 ……。


 合間、合間、そのまた合間に挟まれる言葉に、「お、おう、そうじゃな……」鬼姫は思わずこみ上げてくる涙を堪えた。


 乳デカ姫の言い分は最もである。


 血塗られた歴史であろうが戦いの歴史であろうが、肝心要の彼女は一切関与していない。本当に、これっぽっちも彼女は何もしていないのである


 被害者以前に、そもそもが、たまたま近くに住んでいた人……ぐらいな関係である。


 そんな彼女に、責任を果たせというのも滅茶苦茶な話だろう。

 とりあえず、鬼姫が彼女の立場になっていたら確実にブチ切れていたところである。



 ……で、だ。



 だからといって、無駄な犠牲者というか、これ以上の無益な(初めから無益だけれども)犠牲者を出すわけにもいかない。


 それは、乳デカ姫だけでなく、鬼姫としても同意見であった。


 なので、何か案は有るのかと鬼姫は率直に尋ねてみれば……だ。



「うむ、要は、お互いが納得出来る形で決着を付ければ解決だと、我は思うわけだ」

「ふむ、なるほど」

「頭オカシイ闇の一派の目的は、暗黒神と呼ばれる我の復活。引いては、我の力を手中に収め、この世界を自由自在にしようというものだ」

「ほうほう、まあ、考えそうな事じゃな」

「対して、光の一派の悲願は暗黒神である我を打ち倒す事。それが出来なくとも、より強固な再封印を掛けるというものなのだ……ここで、我は考えた」



 ぱちん、と。乳デカ姫は手を叩いた。拍子に、たゆん、とバストが揺れた。



「我がこの世に復活したように見せかけて、あえて、光の一派にやられたフリをすれば、自ずと闇の一派は離散し、この騒動にも決着が付く……というわけだ!」



 グイッと、固めた決意を鼓舞するかのように右手を掲げた。豊満なバストが、ばるんと弾んだ。



「……やりたい事は分かったのじゃが、どうするのじゃ? 暗黒神と呼ばれているのじゃろう? 下手な演技は余計な疑心を生むだけじゃぞ」



 思わずといった様子で尋ねた鬼姫に、乳デカ姫は「……お前の不安は最もだ」否定せずに頷いた。



「だからこそ、既に布石を打っておいたのだ」

「布石?」

「うむ、我が記したわけでもないのに、何故か我が記したとされている『闇の言い伝え』なる伝承に対して、我はこっそり新たな伝承を世界各地にこっそり配置しておいたのだ」

「伝承……?」



 首を傾げる鬼姫を前に、乳デカ姫は、えへんとドデカい胸を張った。



 ……あえて難解な言い回しにしたらしいその伝承を分かり易くまとめると、こうだ。



 まず、始めから何一つ監修していないのに何故か乳デカ姫が記したとされているらしい、『闇の言い伝え』。



 ――天より大地を照らし、その大いなる力で闇が這い上がるのを防ぐ、天照大御神

 ――弥勒菩薩が成仏するまでの間、人々の救済を釈迦より任された地蔵菩薩

 ――始まりは異なるも、二つの光は、この世に生まれた邪悪なる神……“暗黒の姫”を双方より封じ込めた。

 ――天の国より降り注ぐ力によって、その動きを封じ込め。

 ――根の国より広がる慈悲の御心で、憎悪を静め、癒し。

 この世全てを呑み込まんとする邪悪なる暗黒の姫を眠りに付かせ、その災いが地上に溢れないようにした。


 ……だが、その封印はいずれ解かれるだろう。


 人々の心に闇がある限り、生きとし生ける者の心に絶望が巣食う限り、暗黒の姫はそれらを糧として、必ずやこの地に生まれいずるだろう。

 そうなった時、この世を生きる者たちに逃れる術はない。高天原の神々すらも、暗黒の姫を恐れて扉を閉めるだろう。

 光有る所に影が生まれるように、暗黒の姫の力は天照と同じ。

 この地に天照大御神が降臨すれば大地が焼け爛れるように、暗黒の化身である姫が降誕すれば、大地の全てが闇に包まれるだろう。


 』



 ……これが、『闇の言い伝え』である。



 なるほど、最終的にこの世界の全てが闇に呑まれるという、何ともツッコミどころ満載な言い伝えだ……さすがは、『闇』と強調されているだけの事はある。


 問題なのは、肝心の乳デカ姫が知らぬ内に記されたという事なのだが……さて、それに対して、乳デカ姫がカウンターとして各地に配置したという、通称『光の言い伝え』の中身は、だ。



 ……闇より生まれた暗黒の姫。神々をも恐れ戦く暗黒の化身。

 天より降り注ぐ天照の力と、地蔵菩薩の慈悲の力によって封じられしその神には……映し出された水面の如き神が一柱有り。

 

 ――それは、暗黒の姫の片割れ……双子の姉である、光明こうみょうの姫。


 光と闇、善と悪、陽と陰。同じ処より生まれいずる神ではあるが、その性質は全てにおいて真逆である。


 ――己を含めて全てを呪い自らと共に、闇の底へと誘う暗黒の姫。

 ――全ての心より湧き起こる善を信じ、手を差し伸べる光明の姫。


 暗黒の姫が目覚める時、光明の姫もまた目覚めるだろう


 しかし、忘れるなかれ。

 光明の姫を永劫の眠りより目覚めさせるのは、ひとすじの小さき勇気と希望なり。

 光明の姫は善なる者へと手を差し伸べはするが、何よりも人々の心を信じる神なり。


 』




 ……とまあ、これが『光の言い伝え』である。



 これを聞いた時、最初に鬼姫が抱いた感想は、『お前こんなの作って恥ずかしくないの?』、であった。


 他者が作るのであれば、分かる。


 鬼姫とて、己の『力』が如何ほどのモノなのかは熟知している。そして、その『力』が如何に周りへ影響を与えてしまうかも身に染みて理解している。


 だからこそ、怖れのあまり過大な戒めを伝聞として残そうとする。『闇の言い伝え』が、正しくソレだ。


 対して……いや、話が長くなるので止めよう。



「……で、それが、どうなるのじゃ?」



 さっさと思考を切り替えた鬼姫が続きを促せば、「まあ、率直に結論を述べるならば、だ」乳デカ姫は仰々しく頷き、ピンと突きつけるように指を立てた。



「お前が、『光明の姫』を演じるのだ」

「……は?」

「そして、我が『暗黒の姫』を演じる。幸いにも、異なる世界とはいえ我らは同じ存在。多少なり細部は違っても、基本的な造りは同じである。つまり、双子のようなモノだ」



 ――どうだ、妙案であろう、そうであろう?



 そう、鼻高々に胸を張る乳デカ姫を前に……鬼姫は、言葉も忘れ、思わず頭を掻いて呆けるしかなかった。



 と、言うのも、だ。



 かつては帝すら恐れた大怨霊である鬼姫は、その性根こそ善性に比重が傾いてはいるものの、本質は紛れもなく悪霊である。


 つまり、間違っても人々に加護を与え、癒しをもたらす類の『力』を有してはいない。むしろ、命を削り、あらゆる生者に死を与える存在である。


 だからこそ、鬼姫は基本的に必要に迫られない限りは『力』を抑え続けている。何度も言うが、下手に開放すれば、それだけで周囲に悪影響を与える事を理解しているからだ。



「――あ、言っておくが、我は何もそのまま演じろと言うてるわけではないからな」



 果たして、眼前の己はソレを理解しているのか……そう思って見つめていると、まるで鬼姫の内心を読んでいたかのように乳デカ姫はあっさり告げた。



「何を驚いているのだ。お前は我、我はお前であろう。どう足掻いても、お前が善神に扮する事など出来ようはずもないのだ」

「では、どうするのじゃ?」

「我だけではどうにもならん。故に、ほくそ笑みながら事の成り行きから茶番を眺め続けている糞ババァの力を借りるだけだ」

「……糞ババァ?」



 首を傾げる鬼姫を他所に、乳デカ姫は……頭上へと声を張り上げた。



「見ているのだろう、天照大御神よ! このまま地上に死を撒き散らされるのはお前とて不本意だろう? それが嫌ならば、貴様も手を貸すが――」



 そこまで叫んだ辺りで、口上は止まった。


 何故ならば――閉じられた空間なのに、突如虚空より現れた光の柱が、2人を覆い隠したからであった。



「うぉ、眩しぃのじゃ!?」

「アッツ!? 熱い!? アツゥイ!!!???」



 光の柱は同じ形状同じ明るさ同じ大きさでも、どうやら中身は異なっていたようだ。


 眩しさを訴える鬼姫とは違い、乳デカ姫は悲鳴を上げた。「アッツ、乳が、乳が焼ける! 止めろ、乳がアツゥイ!!」何やら酷い事になっているようだが……と、思ったら光が止まった。



 後には……何時ぞやの、スサノヲ騒動の時の、四本の腕を生やし、『生の力』を身に纏った鬼姫と。


 実に纏っていた巫女服は灰と化し、全身から煙が燻っている全裸の乳デカ姫が残された。




 ……前に迫り出した分だけ光を浴びたからだろう。



 明らかに、お仕置きの意味合いが大きいソレの理由は、おそらく『糞ババァ』と口走ったからだと鬼姫は推測した。


 弟の事になると見境が付かなくなるとはいえ、何だかんだ言いつつも三大神に名を連ねる存在。その『力』は、世界が異なっても……いや、違うか。


 天照ほどに神格の高い存在ともなれば異なる世界を見渡し、介入することなど造作もない。というか、鬼姫の知る天照と同一の存在である可能性を否定は出来ない。


 そんな存在であれば、だ。


 並みの霊能力者では体表を削ることはおろか、意識して抑えなければ垂れ流される程度の微細な『力』を突破することすら難しい鬼姫の防壁を貫通するなんぞ、簡単な事なのだろう。



(……世界が異なってもババァ呼びが禁句というのは変わらぬか)



 我が事ながら、己が先に口走っていた可能性を考えた鬼姫は……「ほれ、はよう起きるのじゃ」とりあえず、ピクピクと震えている焦げ乳デカ姫を蹴っ飛ばしておいた。





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