第22話(裏): 次期当主・綾乃尋実夜紗那姫(あやの・ちひざめ・やさなひめ)の懸念

※(裏)と明記されてはいるけど、ちょっと裏というには違うかな? 




 ――他人は、己より下の存在だ。



 そう、夜紗那姫(やさなひめ)が思うようになったのは、手も足も何もかもが小さかった頃。思春期特有の気難しい時期に見られる不相応な万能感すらまだ無い、世界の何もかもが未知に溢れていた時であった。


 道を歩いていてもそうだし、ご飯を食べている時もそうだし、お風呂に入っている時もそう。トイレで用を足している時や、布団の中で何気なく天井を見上げたその時ですら、そう。


 自分の名前が他所様よりもずっと長ったらしい事や、一般的な家庭と比べて些か特殊であることを自覚するよりも前に、夜紗那姫が密かに思い続けていた事であった。


 いったい、何がどう下に思うか。どうして、そう思ってしまうのか。当時の夜紗那姫には、その理由が分からなかった。


 最初は、これかもしれないという理由を幾つか考えてはいた。己の容姿だったり、己の家だったり、思い当たる点は幾つかあった。


 というのも、だ。小学校に上がる段階で、彼女は自分自身を美少女であると漠然と自覚していた。それは自意識過剰ではない。客観的に見ても、彼女は同年代と比べて明らかに容姿が整っていた。


 そう思う理由としては、幼稚園の先生を筆頭に、他の子たちと比べて扱いが異なっていたからだ。目に見える特別扱いはされなかったが、子供心に他よりも過剰な対応をされていると思っていた。


 それが顕著になったのは、小学校高学年の頃。明らかに他人よりも特別視される回数が増えて来ていることに彼女は気付いていた。


 それは男であれ女であれ、良い意味でも悪い意味でも贔屓されるようになった。


 だから、この頃になると、彼女は己が美少女であると確信を持って自覚していた。


 男も女も放って置かないから、『自分は他人より上だ』と考えるのだと本気でそう思っていた。


 また、もう一つ。彼女自身が暮らす家の事情もあって、己は他社より贔屓にされるのだろうと彼女自身は結論を出していた。



 一言でいえば、彼女の家系は古くより伝わる『祓い師』の家系であった。



『祓い師』とは、『見えざる者たち』から人々を守り、『見えざる者たち』を祓う者である。


 幼い頃は分からなかったが、中学へと入学する前に両親より改めて教えてもらったこと。


 それは、自身の先祖が朝廷に仕えていた『祓い師』にして、代々その『力』を受け継いで『見えざる者たち』を相手にしてきた歴史ある一族の末裔であるということ。


 それ故に、己は違うのだと彼女は思っていた。


 実際、彼女の家にはその歴史故に政界や経済界の著名人が顔を見せることが多く、彼女がそう認識してしまうのも無理からぬ話であった。



 ……だが、それでも。



 そうであると理由を付けはしたが、それでも完全には納得出来ない。心の何処からで、それらとは違う理由でそう思っているのだという考えを、捨て去ることは出来なかった。



 何とも、傲慢な考えだろう。


 だが、そうなってしまうのは仕方ないのだ。



 何故なら、夜紗那姫が自我を形成してゆく最中における様々な環境が、彼女をそうさせたからだ。



 一般的かつ客観的に考えれば、だ。



 夜紗那姫は、生まれついての勝ち組である。それは金銭や家庭環境のみならず、彼女自身の素養もそうだ。地頭に恵まれながら容姿端麗で運動神経抜群、コミュニケーション能力にも長けている。


 祓い師としての修業を課せられはしたが、それも不満はない。夜紗那姫は祓い師としても優秀であったからだ。



 ……いや、もはや優秀などという言葉には当てはめられない……『天才』であった。



 他人の半分の努力で他人の倍以上の結果を出せるだけの素質を持っていたから、むしろ修行自体は他者からの羨望や嫉妬の眼差しの中で優越感を覚える事が多く、楽しいとすら思っていた。


 そのうえ、世間一般からの認知度は皆無だが、いわゆる上流階級からの覚えが広い。


 締める所はきっちり締めるが、基本的に望んだ物はすぐに手に入ったし、習い事だって望めば幾らでも体験し、自由に続けることが出来た。


 正しく、だ。世界レベルのブルジョワジーには遠く及ばないが、それでも夜紗那姫は何もかもに恵まれた稀有な存在であった。


 それ故に、彼女の人生において『理不尽』というものは存在しなかった。不満を覚えることはあっても、彼女は理不尽を体感したことは一度としてないのであった。


 夜紗那姫にとって、『理不尽』とは本やテレビの向こうで起こっていることだ。間違っても自分に降りかかるものではなく、全て何処か遠くで起こっていること、誰かの身に降りかかるもの。


 仮に己に降りかかることが有っても、容易く振り払う事が出来る。何故なら、己は他人より上だから……心の底から迷いなく、それが当然であると夜紗那姫は思っていた。


 ……。


 ……。



 …………本当の、怒りすら覚えられない程の『理不尽』を前にする、その日までは。






 ――年が明けてから、幾しばらく。




 夜間の冷え込みがもっとも辛いであろう一月末の、18時30分。とある都市部の一角にある多目的ホールの一つが、とある団体によって借りられていた。


 その団体の名は、『全国神寺連盟(ぜんこく・じんじ・れんめい)』。どういう団体なのかといえば、読んでその通りの神社と寺院とを合わせた組織である。


 連盟という何とも仰々しい形容詞が付いているが、そう大そうなものではない。要は、大御所から零細に至るまでを幅広くカバー&情報交換するための、言うなれば巨大なクラブみたいなものである。


 ……神社と寺院ではそもそもの考え方、信仰における根本的な部分が異なっているのに、どうしてこの二つが合同で集まっているのだろうか。


 少しでもそういった方面に関心が有る者からすれば、当然の疑問を思い浮かべる事だろう。実際、集まっている者たちの中には、そう考えている者もいた。


 だが、大多数がこの集まりが必要であると考えているからこそ、この集まりは成立していた。


 何故なら、いくら国から助成金が出ているとはいえ、だ。歴史こそ有るが歴史だけという神社や寺院は日本全国に多々存在し、助成金も建物の維持に費やされて神官や住職の元にはほとんど残らない場合が多い。


 もちろん、墓地やら駐車場やらで一定収入を得ている所もある。というか、そちらの方が多いのだが……それでも、全てではない。それに、全国的に名の知られた有名所以外ともなれば、その家計は言われる程裕福ではない。


 20年前や30年前ならいざ知らず、今では檀家の数が減り、家族葬を始めとして需要がどんどん減っている。つまり、若い世代になるほど『宗教』が必要とされなくなっているのだ。



 坊主丸儲け等という言葉があった時代など、遠い過去の事である。



 オカルトブームの影響もあって最近は仏教や神道に囚われることなく関心を持つ者が増えた為、黒字の収益を出した所は多かった……が、それも一時的な話に過ぎない。


 何時か……いや、3年後には完全に関心が薄れ、ブームも鎮火してしまっていることを大多数の者が予感していた。


 だからこそ、彼ら彼女らは以前と変わることなく、それでいて教義の区別なく集まっているのであった。



 ……しかし、その内容を一般人が知ることは出来ない。



 何故なら、会場となるホール入口前には団体の名が記された看板が立てられてはいるものの、それだけ。


 出入り口は一つ残らずしっかりと鍵を掛けられており、その前には神官と住職の者が一人ずつ、番をするかのように見張りをしていたからだ。


 彼らの顔は、あくまで笑顔だ。けして睨みつけるようなことはしていないし、むしろ、逆だ。


 話しかければフレンドリーに答えてくれるし、悩みを訴えれば、彼らなりに真摯に答えてくれる。正しく、宗教の有り方を見せてくれるだろう。



 ――だが、そんな彼らも部外者を中に入れるようなことはしない。



 たまたま傍を通った(位置的に、トイレを利用する際に一般人が通ったりする)者たちが不思議そうに首を傾げ、中では何をやっているのかを尋ねる事もあったが……彼らは、「内密のことですので、ご容赦を」とだけ答え、黙秘に徹していた。



 ……その、奥で何が起こっているのか。



 建物そのものが大きいだけあって、中も相応に広かった。人数にして、だいたい150人近くだろうか。等間隔で置かれた長机には宗派の区別なく三人ずつが腰を下ろしており、室内は薄暗い。正面には、大きなスクリーンが設置されている。


 そのスクリーンに映し出されているのは……グラフだ。棒グラフなり、折れ線グラフなりと様々な表が映し出されている。椅子に座っている誰もがスクリーンと、机に並べられた資料を交互に見ていた。



 ……彼ら彼女らが何をしているのかを一言でいえば、報告会だ。



 各地(神社と寺)における参拝者のおおよその人数と、収益等を始めとした……要は、神社や寺を運営するにおいて発生している諸々の報告会であった。



 ……何だ、そんなものかと誰もが興味を失くすだろう。



 実際、法衣を着ている者は数少なく、ほとんどがスーツなどを着ている。一見する限りでは何かのプレゼンテーション、あるいは団体の集会か何かにしか思えない光景であった。


 空気も何処か堅苦しく、マイクを片手にスクリーンに映し出された映像を元に司会がプログラムを進行している。


 時折、司会者の方から質問の有無を投げかけられ、何人かが尋ねるという問答を繰り返しはしたが、そこに不自然な所は見られなかった。



 ……まあ、出入り口にわざわざ見張りを立てている辺りは不自然だが、昨今は色々と物騒だ。



 好奇心に促されるがまま中を覗こうとする者が一人や二人、現れた所で不思議ではない。いや、覗きはしなくとも、SNSで注目を浴びたい為に盗撮&盗聴しようとする者だっている。



 ――それを防ぐ為に、見張りを立てているのだろう。宗教というモノに対して病的なまでに毛嫌いする者もいるし、それも仕方ないのかもしれない。



 この場を通り過ぎる者の誰もが内心にてそんな判断を下し、会釈して出入り口前を離れて行く。そこに不穏な影は何もなく、見張りの者たちも何かをするわけでもなく、椅子に座って大人しくしていた。



 ……。


 ……。


 …………そんな、色々な意味で注目されたり秘匿されたりしているホールの中では、だ。比較的高い年齢層の者たちばかりが集まっている人混みの中で……ひと際年若い女性が、紛れていた。



 彼女は、贔屓抜きで美女と呼ばれるに足る美貌を持っていた。スーツの上からでも十二分にうかがい知れるスタイルの良さ、揃えられた足はすらりと長く、伸びた背筋は緩やかで、雰囲気が他とは違っていた。



 年齢は高校生……いや、大学生ぐらいか。どちらにしてもアイドル以上の美貌は、自ずと周囲の視線を集めていた。



 その証拠に、彼女の両隣に座る男性は(一人は初老の男性で、一人は還暦に近いぐらい)視線こそ前を向いてはいるが、気が横に逸れているのが周囲からはバレバレであった。


 当然、他からそれとなく視線を向けられて居住まいを正しはするものの、すぐに注意が横へと……仕方ない。


 このレベルの美女とこうまで接近する機会なんて、そう多くはない。横の男性だけでなく、比較的近くにいる女性からも時々は視線を向けられているぐらいだ。


 男性ばかりを責めるのは、酷というものである。美男美女に対して無意識に視線を向けてしまうことがあるように、彼ら彼女らとて悪気はない。悪気が無いから許されるという話でもないが……まあ、とにかくは、だ。



(……退屈だわ。早く終わってくれないかしら)



 報告会が進行する最中、多数の視線を向けられていることに当然ながら気付いていた彼女……夜紗那姫は、すまし顔の下で大欠伸を噛み殺しながら、前方のスクリーンを眺めていた。


 映し出されている映像には、何ら興味を引かれる部分はない。それは夜紗那姫が不真面目というわけではなく、夜紗那姫の家は立派ではあるが、自身の立場は他所様の運営に関われる程ではないからだ。


 つまり、知った所で世間話の一つや二つになるぐらいで、それ以上の意味がない。何故なら、知ろうが知らなかろうが、何の問題もないぐらいの『力』を、夜紗那姫は持ち合わせているからだ。


 何せ、幼い頃より神童なり天才なりと持てはやされてきただけあって、その実力は並みの『祓い師』を軽く凌駕している。しかも、夜紗那姫はまだ19歳……これからが、成長期なのだ。

 根拠のない自信を持つ若者は男女問わずにいるが、彼女は違う。才覚という絶対的な根拠を元に形成された自信は、もはやある種の風格となって薄らとその身より放たれていた。



 だからこそ、だ。



 何もかもが恵まれた彼女にとって、此度(に、限った話ではないが)の報告会はただの面倒臭い慣例行事に過ぎない。


 それを表に出すようなヘマはしていないが、内心では欠片もやる気を出してはいないのであった……のだが。



『――只今を待ちまして、定例の――報告を終了させて頂きます』



 出入り口が閉ざされ、報告会が始まってから30分ほどが経った頃だろうか。


 集まった者たちの視線が集まる中、スクリーンに映し出されていたグラフやら何やらが消えるに合わせて。



『――続けて、近年懸念されている『特例事案』について、に関する報告を始めます』



 司会者のそんな言葉と共にスクリーンに『特例事案』の文字が表示された時。


 それまでは右から左に報告を聞き流していた夜紗那姫の目つきが、少しばかり変わった。



 ――それは、夜紗那姫だけではない。



 気が逸れていたばかりであった者たちも、一斉にスクリーンへと視線を戻す。そこにはもう先ほどまでの空気はなく、何処となく緊張感が漂い始めていた。



 ……いったい、何が始まろうとしているのだろうか。



 それは単に、この場に集まった者たちにとっては馴染み深い、『見えざる者たち』に関する報告会であって。


 実の所、此度の本命はココからであり、夜紗那姫に限らず、一同の意識が切り替わるのは当たり前であった。



 ……『見えざる者たち』とは、言うなれば霊的存在……つまり、『幽霊』と呼ばれる存在のことである。



 実は、ここに集まった者たちは他でもない。


 その『見えざる者たち』を視認することが出来るだけでなく、それが害となれば排除する『力』を有している者たちなのである。



 ……関係者が、出入り口に見張りを立てるのも当然だ。



 何せ、これからスクリーンに映し出される映像を始めとした、様々な報告は、この場に集まる者たちからすれば全てが真実である。


 だが、見ることが出来ない一般人からすれば、この場に集まる者たちは、『出来の悪いオカルト映像を注視する集団』にしか見えない。


 これから行われる報告とて、事情を知らない者からすれば頭や精神の心配をされるであろうモノばかりだ。


 万が一、盗撮されて外部に漏れようモノなら……ということもあって、この報告会の中身は秘匿されているのであった。



 ……ちなみに、『特例事項』とは数多に存在する霊的存在の中でも放って置くと周囲のみならず人間に対しても害をもたらす存在として、危険視されている霊的存在……つまり、『悪霊』の事である。



 なので、『特例事項』の報告とはつまり、危険な悪霊に関する報告を行うということで……そんな中、自然と高まる緊張感を前に、司会者はぐるりとホール全体を見回した後。



『それではまず、除霊を完了したモノと未完了のままとなっている事例を順次報告していきます』



 集まっている全員に聞こえるようにマイクの音量を上げた。


 次いで、司会席にて置かれているノートパソコンを操作すると……スクリーンには、様々な姿をした怪物(悪霊)が表示されていく。



 ――不鮮明かつ被写体がブレて分かり難いそれは、正しく怪物であった。



 表示されたそのどれもが偶発的、あるいは苦労して撮影されたのだということがよく分かる画像であった。



 ある者は十数本に渡る腕を生やしたウニのような悪霊。

 ある者は全身に頭を生やした悪霊。

 ある者は昆布のように平べったい姿をした悪霊。



 そのどれもが、元は害をもたらさない霊魂であったとは思えない姿だ。


 司会者は、それらがスクリーンに表示される度、その悪霊が現在どのような状態になっているのかを説明してゆく。


 除霊が完了している悪霊に関しては、どのような手順を踏んで、どれほどの人数と時間を掛け、その結果、どのような形で除霊を終えたのかという、一連の流れを。


 未だ除霊が行えていない悪霊に関しては、現在どのような状況にあるのか。周囲や移動する危険性はあるのか、除霊を行う手段が確立されているのか……など。


 映し出される映像こそオカルト的なアレではあるが、報告自体は真っ当……というか、現実的なモノが全てである。


 部外者が知れば意外に思われるかもしれないが、この場に集まる者たちにとっては別に意外でも何でもない事であった。


 除霊というのは、結局のところは悪霊との戦いである。食うか食われるかの戦い、銃で撃てばお終いという簡単な話ではなく、負ければ命を落としかねない危険な作業だ。


 それ故に知恵を絞り、力を合わせて立ち向かうというのは良くある話でしかなくて……霊的存在を相手にする、『力』を持った霊能力者たちがそうするのも当然であった。



(あ~、なんか見覚えがあると思ったら、前に祓ったやつか。大したことないなと思っていたけど、『特例事項』のやつだったのね)



 そして、誰もが真剣な眼差しを向ける最中……ただ一人、夜紗那姫だけは先ほどまでとそう変わらない態度であった。


 いや……正確には、だ。少しばかり上がり掛けていたやる気が、元に戻ってしまっていた。



(あの程度で『特例事項』に入るのか……最近、基準が緩くないかしら? そりゃあ数人掛かりの大捕り物にはなるでしょうけど、こうも次から次へと『特例事項』を追加されると、こっちに掛かる負担が半端ないのよね……)



 内心にて、夜紗那姫はため息を零した。彼女が憂鬱になるのも、無理のないことであった。



 ――何故なら、人手が足りないのだ。



 具体的にいえば、『特例事項』を相手取るだけの『力』を有した祓い師の数が絶対的に足りていないのだ。


 祓い師にとっての『力』は、武器だ。そして、防具でもある。


 そして、『力』はよほどの例外を除いては、先天的な素質が物を言うとされている。


 つまり、修行を経て『力』を身に着けることは出来るが、上げられても平均かその少し下ぐらいが限度。それ以上は、才能が全てという世界なのである。


 故に、夜紗那姫を始めとした素質持ちは本当に貴重であり、かつ、数が少ない。


 いくら夜紗那姫が天才と称される祓い師とはいえ、身体は一つの心臓一つ。若さに任せた無理が利くとはいえ、限度はある。



(せめて、この人たちがもう少しマシになってくれたら……無理か。大半が爺さん婆さんだし、私と同年代ぐらいの子は、まだまだ見習いって感じだし……私ぐらいとなると……)



 ちらりと、夜紗那姫の視線がスクリーンから外れ、その横。特別席として用意されている椅子に座っている、数名の老人たちへと向けられた。


 その席に座る者たちは、いわばこの集まりにおいてはトップに位置する祓い師たちである。


 ナチュラルに『自分が上』だと思っている夜紗那姫が、まだマシである評価しているほどの『力』を有している、この界隈においては名を知らない者はいないとされている有名人であった。



(でもなあ……祓い師としては優秀なんだろうけど……)



 だが、それでも夜紗那姫は迷うことなく却下を下した。何故かと言えば、答えは一つ。



(杖が無いと出歩けないのは、いくら何でもマイナスかなあ……)



 衰えてはいるが、『力』はある。だが、単に高齢過ぎるのだ。


 もはや権威の象徴的な扱いをされているその老人たちの平均年齢は、85歳を超えている。その内の二人は杖を使わなければ歩行が覚束ない有様で、とてもではないが祓い師としてやれる状態ではない。


 はっきり言えば、根本的に、除霊を行えるだけの体力がもう無いのだ。


 現に、この老人たちが祓い師として最後に表に出たのはもう何年も前の事で、それだって他の祓い師でもやれる程度の悪霊相手であった。



(はあ、あの人たちがあと40歳は若かったら、部下として使ってやれたんだけどなあ……それなら、もっともっと金を稼いで悠々自適に遊んで暮らせるのに……)



 心の中で無い物強請りをしつつ、夜紗那姫はため息を零し……改めて、スクリーンを見やる。グロテスクな外見をしている悪霊の姿が映し出されているが、もう慣れた。 


 只の悪霊とは違い、夜紗那姫が相手にする悪霊はだいたいまともな姿をしていない。人の形をしているのが稀なぐらいで、この前なんて全身から性器を生やした……止めよう、思い出したくない。



 ――とりあえず、早く終わってほしい。本気で、そう思う。



 この程度の事、FAXで紙一枚送ればそれで済む話なのに……どうしてこう、老人たちはいちいち集まろうとするのか。もういっそのこと適当な理由を付けて退席してやろうか……そう、思っていると。



『――以上が、現時点で認定されている『特例事項』の報告となります。また、これを持ちまして此度の報告会の全行程を終了となります。皆様、貴重な御時間を割いていただき、ありがとうございます』



 タイミング良く、話が終わったようだ。ハッと我に返って顔を上げれば、スクリーンに映されていた映像は止まっていた。合わせて、照明に光が……明るくなった室内に、司会者の問い掛けが響いた。



『ここまでで、何かご質問がある方はいらっしゃいますでしょうか? 無ければ、これで本日の報告会を終了とさせていただきますが……』



 その問い掛けに、わずかに広がり始めたざわめきが一旦収まる。再び訪れる静けさの中、手が上がるのをしばしの間待った司会者は……では、とマイクを口元へ向けた。



 ――あの、いいですか?



 その、時であった。手を上げたのは、とある寺の住職を務める男性であった。


 傍に座っている人は知り合いなのか、いったいどうしたのかと訝しんだ様子で彼を見上げていた。



(あいつって誰だっけ? 大した『力』も持っていないから、有名でないのは確かなんだけど……)



 周囲の者たちの視線が彼へと向けられているように、夜紗那姫の視線もまた、彼へと注がれる。


 だが、その視線は他の者たちとは違い、かなり冷め切ったものであった……と。


 おそらく、人から人へと回されて来たのだろう。眺めている夜紗那姫を他所に、彼の手にマイクが渡された。「あ、ありがとうございます」気の弱い性格なのか、マイクを通されたその言葉は、あまり大きくはなかった



『す、すみません、一つだけ聞きたい事があるのですが、よろしいでしょうか?』

『構いませんよ。それで、どこか分からない所が有りましたでしょうか?』



 お互いの声が、マイクを通して増大する。同じ型のマイクを使っているはずなのだが、やはり性格が出ているのか。彼の声はか細く、司会者の声ははっきりとしていた。



『い、いえ、分からないのではなく、聞きたいことがあるのです。それは、その、私も風の噂程度にしか耳にしていないのですが……』



 だが、それも。



『あ、あの、あの伝説の、鬼姫伝説の、あの鬼姫が目を覚ましているというのは、本当なのでしょうか?』



 彼がその質問を投げかけるまでは、の話であった。



 ――ざわり、と。



 ……静まり返った場の空気が、動いた。


 例えるならそれは、今にも湧き立ちそうにうねる水面のようで。それまでの行儀の良さがまやかしであったかのように、室内からはどよめきが起こった。


 不思議な事に、だ。


 反応が顕著であったのは集まっている者たちの中ではご年配の方で、年齢が若くなるに連れてそれが薄い。


 特に、最も若い部類になると小首を傾げるばかりであり、それは夜紗那姫とて例外ではなかった。



(鬼姫伝説……聞き覚えが有るような、無いような……)



 いったい、それは何なのだろうか……夜紗那姫も首を傾げた。



『特例事項』であるならば当然、夜紗那姫の耳に入っているはず。しかし、はっきりと思い出せない辺り、そうではないのだろうが……それにしても、この反応は何だ?


 左右を見やれば、だ。だらしなく目じりを下げていた男たちの様子が、一変している。顔色は目に見えて悪く、まん丸に見開かれた眼を彼に……そして、司会者へと向けている。


 ――一目で、分かる。


 知らないから驚いているのではなく、この二人は……いや、二人だけではない。この場に集まっている老人方は、知っているのだ。『鬼姫』という名の、何かを。



(……ちょっと、気になるわね)



 不安……いや、違う。怖気にも似た好奇心が背筋を登ってくる。寒気を伴うその感覚に夜紗那姫は……いや、止めよう。





 ――私は、笑みを浮かべそうになっている頬に手を当てて誤魔化した。





 いったい、何時頃からだろうか。何もかもが私の予想を上回ることも下回ることもなく、何もかもが退屈過ぎて、何もかもを客観的に見るようになったのを。


 最初は、ただの暇潰しでしかなかった。


 あまりに順調すぎる日々に飽いた私が、自分そっくりのアバターを作って、自分自身をロールプレイするというハンデ(遊び)を始めたのは。


 夜紗那姫(私自身)という皮を被っているこの感覚は、自分自身の身体をコントローラーで動かしているかのようで、思いのほか楽しかった。


 ……けれども、何時からだろうか。そのハンデですら、退屈を覚えるようになったのは。


 考えてみれば、当たり前だ。ハンデを付けた当初ですら、私は同年代の追従を許すことなく圧倒していたのだから。


 他の人が何週間と時間を掛けて行う禊ぎ(身を清め、『力』を高める)ですら、私には必要がないのだ。そんな私が、歳を重ねるに連れて『力』を増して行けば……考えるまでもない。


 気付けば、ハンデを自分に課した状態ですら、私と肩を並べられる者が回りからいなくなっていた。


 時々、マシなやつを見かけはするけど……駄目だ。伸びシロが既に無かったり、後は下がるだけの御年輩であったり、まあ、その程度。


 私が、私自身にちょっとだけ戻れば、もうお話にならない。


 実際、もう私の目には……あの自分は特別だと思い込んでいる老人たちと、周りにいるやつらとの違いが分からなくなっていた。



(……へえ、あの人たちまで顔を強張らせているのね)



 だが、一つだけ。あの老人たちすら顔色を変えているのを見て……私のやることは決まった。



「……ねえ、あんた」

「え、あ、はい?」



 だからこそ、ぐだぐだとおっさん同士が本当かどうかを言い争っている事なんて、もう私には関係なかった。



「あの人が話している、『鬼姫伝説』って、何の事?」

「あ、え、いや、それは私にも……」

「隠さなくていいよ。それとも、いちいち自己紹介をしないと駄目な人なの?」



 はっきりと分かるぐらいに青ざめた顔は面白かったが、それよりも、だ。「わ、私も詳しくは知らないのですが……」軽くお願いをしてみれば、そいつはあっさり教えてくれた。



 そうして、教えて貰った『鬼姫伝説』の『鬼姫』というのは、だ。



 何というか、私としては胡散臭さしか感じないぐらいの、超凶悪な悪霊なのだという。


 封印のおかげで害をもたらさないが、あまりに規格外過ぎる存在故に、ある種の禁忌として話題に出すことすらこの界隈では禁じているのだとか。


 それでも鬼姫という悪霊の存在を忘れ去るわけにはいかないので、ある程度の歳になったら連盟からなり師匠からなり教えてもらう(子供に早くから教える場合もあるのだとか)というのが習わしになっているのだという。



 ……その年齢というのが、だいたい……騒いでいるおっさんぐらいの世代より少し下ぐらいらしい。



 だから、それよりさらに下になると知らなくても無理はないらしく、室内の空気が変に二分されているのはそのせいなのだろう……等々、そいつは教えてくれた。



 ……正直、何時の時代の話をしているのかと私は思った。



 そりゃあ、私だって悪霊の恐ろしさというやつは知っている。命の危険を覚えたことは一度としてないが、危険な存在であるのは知っている。


 だが、昔と違って今は幾らでも情報が共有出来る時代なのだ。


 それだけ危険ならば、いや、それだけ危険だからこそ、秘匿するのではなく、むしろ広めておかなければならないのではないだろうか……まあ、いい。



(鬼姫、か……ふふふ、面白くなりそうだわ)



 どちらにしろ……私の今後の予定は決まった。最近働きっぱなしだったし、次の仕事まで……一週間ぐらいは休みが取れる。


 噂の鬼姫とやらがどの程度なのかを見ておこう。


 せいぜい、面白そうな相手なら良いのだけれども……そう決めた私は、ぎゃあぎゃあと言い合いまで始めた阿呆共に白けた眼差しを向けた後、席を立った。







 ……そうして、三日後。やってきた鬼姫が封じているという噂の神社は……まあ、普通であった。




 京都にある有名所のように大きな神社でもなければ、今にも倒壊してしまいそうな寂れた感じでもない。つい先日作られたわけでもなければ、百年も前からあるというわけでもない、ふっつう~の、神社。


 東京のように都会の真っただ中にあるわけでもなく、爺と婆しかいない寂れた町はずれにあるというわけでもなく、写真を見せられても地元以外ではまず分からないぐらいの、ふっつう~の、住宅街の一角に、それはあった。



「……ここ、よね?」



 ……何というか、拍子抜けした気分だった。


 いや、まあ、事前にどういう神社なのかは調べておいたけど……それでも、思っていたよりもずっと普通だった。辺りを見回した私は、境内へと続く入口の前にて、どうしたものかと頭を掻いた。


 何故ならば、神社からは脅威を全く感じなかったからで……拍子抜けした理由が、それであった。


 というのも、だ。あの日、報告会の後……私は、『鬼姫』という悪霊がどういうモノなのかを調べた。


 だが、私が思っていた以上に『鬼姫』という悪霊に対して恐れを抱いている者が多かった。そのせいで、一通りの情報を集め終えるまで思いのほか時間が掛かってしまった。


 名を使ったり実家の伝手を利用したりして、ようやく『鬼姫』が封じられているという神社を探し当て、こうして意気揚々とやってきたわけなのだが……なのだけれども。



(そりゃあ、ガチで封印が解けていたら噂程度に収まってはいないだろうけどさ……)



 いや、分かってはいたのだ。


 目覚めるかもしれない鬼姫を封じる為に、この神社に居たであろう神を生贄に捧げた。


 その結果、鬼姫は静まり、平穏は保たれているというのを……だが、それを差し引いても、だ。



(僅かに鬼姫のモノらしい『力』は感じ取れるけど……これだけ?)



 あまりに、か弱い。私が抱いた率直な感想が、それであった。


 衰えたとはいえ、あれだけ老人方を震え上がらせたのだ。さすがの私も、何の対策も取らずに突っ込んだりはしない。


 術を用いて身を隠し、無暗に鬼姫を刺激しないように、服だって勝負服ではなく、目を誤魔化せるように私服で来た。


 おかげで何度かナンパされて鬱陶しかったが……まあ、それはいい。それよりも、ここからどうするかだが……まあ、とりあえず中に入ろう。


 いちおう、警戒は怠らないままに境内へと足を踏み入れてみる……が、やっぱり拍子抜けする。定期的に神官の者が訪れているのは本当らしく、思っていたよりもずっと綺麗だ。


 多少なり落ち葉が散らばってはいるが、ゴミやら何やらはない。こういう場所では時期によっては花火の跡やら何やらが酷いものだし……ただ、タイミングが悪かったのか、境内に私以外の人の気配はない。


 それを偶然と捉えるべきか、あるいは鬼姫の影響だと捉えるべきか……たぶん、前者だろう。まあ、そういう時期でもない。



(安産祈願に子宝祈願に縁結び。ふ~ん、祭られている神様も普通……あ、違う、性愛か。へえ、性の営みを司る神様なのね)



 神社の入り口から社まで、距離にして数十メートル。その間に建てられた看板には、この神社の由来と授けてくれる加護が記されている。


 手水舎(ちょうずや:神社などにある、柄杓などもセットに置いてある、手等を洗い清める場所)は、無いようだ。


 まあ、アレ自体は絶対に置いておかなければならないモノではないので、そこはいい。


 それよりも気になるのは……件の鬼姫が全く姿を見せていないということだ。


 情報が確かなら、封印はされているが目覚めているらしいのだが……いない。



(神様の気配はするし、薄らと『鬼姫』のモノらしい気配はするんだけど……社の中にいるのかな?)



 社には入らず、境内の半ば辺りから覗き込むように目を凝らす。ついでに気配を探ってみるが……やっぱりない。『特例事項』なら、もうこの時点でこちらに接触を図りに来る頃なんだけど……来ない。


 ……深入りするのは危険だが、こうも手応えを感じないのでは肩すかしもいいところだ。そう思うと、何だか気持ちも萎えて来る……いや、もう萎えてしまった。



(でもなあ、正直ここらって面白そうなのは何もないし、駅前に出ても大したモノがあるわけじゃな……ん?)


 ――でも、せっかく遠出したのだ。交通費も馬鹿にならなかったし、適当に観光でもして帰ろうか。



 踵をひるがえし、外へと向かう最中。そう思っていた私の視界の端で、何かが動いた。ほとんど無意識のままに、私はそちらへと目を向け――。



『…………』



 ――いつの間にか傍に出現している女の子に、私は一瞬ばかり思考が止まった。反射的に足を止めてしまった事に、私は内心にて舌打ちをした。



(び、ビックリした……背筋が吊り掛けたわよ)



 反射的に声を上げなかったのは、私だからだろう。あ、いや、違う。そんな事よりも問題なのは、この生きてはいない女の子だ。


 考えるまでもなく……というか、恰好と気配で分かった。


 この子は……私に気配を悟られることなく、この距離まで接近したこの子こそ、あの『鬼姫』だということが。



(わ~お、この私の傍まで接近するとは大したもんだわ……でも、やっぱり変ね。あれだけ爺婆どもを震え上がらせていたにしては、ずいぶんと……)



 悪霊の類であるのは確かだけど、これではあまりに……そこまで考えた辺りで、私はごく自然な動きを装って……鬼姫から視線を外した。


 悪霊に限らず、霊的存在を相手に直視することは危険だ。


 私ぐらいになると何の問題もないことだが、視線を通じて繋がりが出来てしまうと……まあ、後々面倒だ。


 とりあえず、こちらを見てくる『鬼姫』から視線を外したまま、神社へと向き直る。


 そうして、一礼……それから私は、忘れていたといわんばかりに肩に掛けた鞄から、小瓶を取り出した。


 中身は、酒だ。ここに来る前にスーパーで買った(税込498円)物だが、それを社の……賽銭箱の縁に置く。


 情報通りであるなら祭りを開いて鎮めてからがセオリーなのだろうが、ここに来たのは私事であり極秘だ。これでどれ程の効果が有るかは分からないが、少しは気が逸れ――あっ。



 と、思ったら。するりと、鬼姫の手が伸びた。



 見た目相応の小さい手が、小瓶を掴む――かと思った瞬間、その手は空を切った。けれども、私の目には見えていた。


 一般人には分からないだろうが、その小さな手には……私が置いた小瓶と、瓜二つの小瓶が握られていた。


 半ば呆気に取られている私を他所に、鬼姫は満面の笑みで蓋を開けて……クイッと傾けた。見た目とは裏腹の飲みっぷりに合わせ、小さい喉がこくんと音を立てているように……と、思ったら。



 ――ぬるり、と。



 前触れもなく、鬼姫の手が動いた。


 避けることはおろか、仰け反ることすら出来なかった。その指先が、私の胸元へと伸ばされ――直後、引っ込めた。その指先が抓むモノを見て、私は理解した。



(こいつ、私の前に居たやつを……?)



 鬼姫が捕まえたのは、魑魅魍魎と呼ばれる類の霊であった。例えるなら、悪霊の幼虫みたいものだろうか。


 こんな街中に漂うやつは無害(正確には違うが、気にするだけ無駄)だし、いちいち祓っていてはキリがないから、普段は放っておくようなやつだ。


 何故なら、魑魅魍魎というやつは本当に何処にでもいる。『力』こそ素人でも何とか出来るぐらいに弱いが、探そうと思えば冗談抜きでゴキブリ並みにうじゃうじゃいる。


 でも、ちょいと霊感のあるやつが作った御守でも祓えるぐらいだから、あえて放って置いたのだが……と、思っていると、鬼姫はソレをぎゅっと握り締めて消滅させてしまった。



 ……お礼の、つもりなのだろうか。



 いちおうは自然な動作で見やれば、もう鬼姫はこちらを見ていなかった。ぐびりと小瓶を傾けながら、何をするでもなく空を眺めていた。



 ……。


 ……。


 …………ふむ。



 どうやら、こちらへ攻撃を仕掛けたわけではなさそうだ。


 一向に動く素振りを見せない鬼姫を見て、私は内心にてため息を零すと、今度こそ外へと向かって歩き出す。その、私の胸中にあるのは……どうしようもない、落胆であった。



(神社が拍子抜けなら、鬼姫も同じね。わざわざあんなことまでした辺り、もしかしたら私の実力に気付いて媚でも売っているつもりなのかしら?)



 それが出来るだけの知性を残しているのはまあ、驚嘆に値する。しかし、蓋を開ければ中身は大したモノではなかった。



 ……それが、私の出した結論であった。



 件の神社は何処にでもある無人の神社で、当の鬼姫は悪霊の類であるのは確かだが、それだけ。大した『力』も感じ取れないし、期待ハズレもいいところだ。


 いったい何がどうなってそうなったかは知らないが、大方、噂が噂を呼んで、それが真実になってしまったのだろう。



 ……正直な気持ちは、だ。



 少しは楽しませてくれる相手になるかもと期待してだけあって、私の気持ちはすっかり萎えてしまっていた。もう、鬼姫という存在に対して興味すら薄れていた。



(観光名所もないし、さっさと帰って……ああ、でも、ここまで来たんだし、もうやってしまうべきかしら?)



 話を聞いた誰もから、鬼姫に対しては手出し無用と厳命されていたが……祓ってしまえば、結果オーライだ。何を恐れているのかは分からないが、それが良いのかもしれない。



(そうよね……この際だし、爺婆の印象を良くする為の手土産は必要よね)



 いずれは私がトップに立つのだろうが、その為の布石は有った方が良い。


 一週間放置したフランスパン並みに頭の固い爺婆共も、これまで以上に私に一目置くだろう……そう思った私は、ポケットに入れておいた札へと手を伸ばした。



 ――その、瞬間。



「――っ!?」



 背筋を、いや、そんな程度じゃなかった。それは……理不尽としか言いようがない感覚であった。



「ひっ、いっ!?」



 脳天から腰に向かって氷柱を差し込まれたかのような感触。背筋を走る強烈な悪寒に、私はたたらを踏み……振り返った。直後、私は……生まれて初めて、言葉を失った。





 鬼姫が――私を見ていた。





 ただ、それだけだ。



 だが、決定的に違うことを私は理解させられる。先ほどは私ではなく、酒の入った小瓶を見ていた。だが、今度は違う。小瓶ではなく、私だけを明確に見つめている。


 たった、それだけだ。


 だが、だったそれだけの事なのに……私は、理解してしまった。己が全てを掛けてでも届かない『力』の差を、理不尽としか言いようがない存在がいることを……思い知らされてしまった。



「…………っ」



 息が、苦しい。息が出来ているのかが、分からない。苦しいというのは分かるけど、それ以外が分からない。分かるのは、こちらを見ている鬼姫の視線……ただ、それだけ。


 おそらく、鬼姫は何もしていない。


 ただ、何かしらの興味を持って私を見た。ものの次いでではなく、私という存在を明確に認識し、そのうえで私を注視している……たぶん、それだけしか鬼姫はしていない。


 私に対して敵意など向けてもいないし、攻撃だってしていない。ちょっかいを掛けてきたわけでもなければ、私を追い返そうとしているわけでもない。ただ、見ているだけ……ああ、それなのに。



(に、逃げ……逃げ……)


 それだけで、私は悟ってしまった。


 視線の先より垣間見て、感じ取ってしまった『鬼姫の力』。底が、まったく見えない。何処までも何処までも続いている深い闇底を見つめるかのような……その、感覚。


 逃げろと己の両足に訴える。でも、動かない。動かせられない。


 まるで、地面に縫い付けられたかのようにビクともしない。震えているのが分かるのに、まるで言う事を聞いてくれない。


 せめて、鬼姫から視線を逸らせと己に訴える。でも、無理だった。


 一瞬でも視線を逸らしてしまったら……そう思えば、逸らすなんて出来ない。鬼姫から、視線を外せ――あっ。



 ――突然、鬼姫の視線を遮るようにして何かが境内に落ちた。



 反射的にそちらへと目を向けた私の視線の先で止まったのは……小さい、ビニール製のピンク色のボールだった。


 少しばかりの間を置いて、神社の外から子供の声がした。私よりも若いそれは、小学生ぐらいか……ああ、いや、そうじゃない。そうだ、逃げ――逃げるんだ!



 鬼姫の注意が、逸れたおかげだろうか。考えるまでもなく、私の足は動いていた。



 幸いにもボールに気を取られているのか、気配が私を追いかけて来るようなことはなく……走って、走って、走って……気付けば、私はここに来る途中で通り掛かったバス停の前にて立ち止まっていた。


 住宅街の近くにあるそのバス停の周辺には、お店といった建物は見当たらない。有るのはアパートや一軒家、少しばかり階数のあるマンション。時間が時間だからか、私以外に人影はなかった。



「はあ、はあ、はあ、はあ……!」



 ここまで全力を出して走ったのは、高校の時以来だろうか。


 痺れにも似た痛みが、全身の至る所から広がっている。今にも爆発しそうな胸に手を当てながら、私は……目の前のベンチに腰を下ろした。



 ……それをやれた辺りで、もう限界だった。



 自分でもはっきり分かるぐらいに震える両手へと視線を向ける。抑えようと思っても、まるで言う事を聞いてくれない……その掌を、私は強く握り締めた。


 体中から汗が噴き出ていて、張り付いた下着から漏れ出た汗が肌を伝ってゆくのが分かる。むせ返ってしまうぐらいの熱気が衣服の裾から立ち昇り、目に痛みを覚えるほどだ……けれども。



 ……不思議と、暑くはない。いや、むしろ、逆だ。



 背骨と氷柱を差し替えられたかのような寒気が、全身にある。いや、もはやそれは悪寒ではなく、苦痛にも等しい感覚をもたらしていた。


 こんなのは、初めてだ。頬に触れれば熱く、その熱は首筋を通して心臓へと続いている。


 なのに、どうしてか……触れる指先が、凍り付いているかのように冷たく、強張っている。触ることすら、嫌に思えてくるほどに。


 堪らず、両腕で己が身体を抱き締める。思いっきり、とにかく全力で。


 痣が出来るぐらいに強く、とにかく強く……震えが、和らぐ。痛みが、恐怖を紛らわせてくれる。


 大きく息を吸って、吐く。身体を丸め、強張った四肢に息を吹き込む。それは、修行時代にて教えられた、祓い師としての最初の技であった。


 乱れた気力を整え、精神を落ち着かせ、『力』を循環させる。


 最初から意識せずに行えたソレを、私は初めて意識して行う。そうしていると、少しずつではあるが頭の中が澄み渡ってきて……ようやく自覚した私は、項垂れるしかなかった。


 ――負けたのだ、と。


 その言葉が、ぐるぐると頭の中を回る。何のことはない、あの瞬間、私は諦めたのだ。勝てると思っていた『鬼姫』を前にして、私は戦うことすらせず敗北したのだ。



(……いや、もはやそういう話ですらないか)



 苦笑すら、零れなかった。戦いも何も、私はその前に逃げた。あの『鬼姫』だって、同じだ。


 ただ、こちらを見ていただけ。


 私は、その視線の向こうにある鬼姫の『力』を感じ取り、勝手に怖気づいた……ただ、それだけ。



 ……今なら、分かる。爺婆共があそこまで『鬼姫』を恐れた、その意味が。



 アレは、人間が立ち向かえる相手じゃない。私ですら、戦うなんて考えが思い浮かばない程の差があった。格下のあいつらなら……たぶん、近づくことすら――っ。


 不意に――スマフォの着信音が鳴った。「とっ、たっ」あまりに突然のことで、思わず身体をビクつかせた私は……間を置いてから、スマフォを手に取る。画面に表示されている名に……私は目を瞬かせた。



『――あ、もしもし、今は大丈夫?』

「……大丈夫よ。というか、忘れたの? 今日は遠出するって話したじゃん」

『――あっ、ごめ~ん。すっかり忘れてた』



 電話の相手は、母さんだった。


 トンビが鷹を生むというやつで、母さんは祓い師としては並ぐらいだ。でも、料理は美味いし子供の頃から『お母さん』をやってくれたから、私は好きだ。


 とはいえ、母さんがわざわざ電話をくれるとは……いったい、何だろうか。基本的に電話はしてこない人であることを知っているから、私は首を傾げ、尋ねた。



『――ほら、前に話したでしょ。テレビに出るかもしれないっていう話。少しでもPRになれたらって、色々とオファーが来ていたでしょ』



 その言葉に、思い出せることが一つあった。「……ああ、あれか」それは以前、連盟を通じて家の方に来た話で、要は美人である私をテレビで使いたいというものだった。


 その時はまだまだ企画の段階だし、決まるかどうかも未定のうえに、私も進路をどうするかで気難しい時期だった。


 とりあえずは諸々が決まってから……という感じでお茶を濁した後、それっきりになっていたが……あっ。



「――その話、ちょっと待って。今は外だから、また後でかけ直してもいい?」



 辺りを見回し、ベンチから立ち上がる。周囲に人の気配はないけど、外は外。どこで話を聞かれるか分かったものじゃない……けれども。



『――それなんだけど、もう向こうのお偉いさんが来ているのよ。周りに人がいなければそこで話をしても構わないらしいから――じゃあ、電話を代わるから』

「へ、あ、ちょ、来てるって何の――」



 有無を言わせず、電話の向こうでガサガサとノイズが走った。いや、人の話を聞けよ……そう思って舌打ちした直後、『――お電話代わりました、木原と言います』電話口の人が変わった。



 ……声色からして、けっこう齢が行っている男……だろうか。



 少なくとも、私には聞き覚えがない。以前、お話に伺いに来たテレビ局の……誰だったか、プロデューサーだったか。いや、その声とも、少しばかり違うような気がする。


 でもまあ、あれは対面しての事だったし、今回は電話越しだ。とりあえず、「あの、夜紗那です……もしかして、以前尋ねてくださった方ですか?」カマを掛けてみた。



『――いえ、違いますよ。私はテレビ局のスポンサー側の人間です。ええっと、○○食品の専務を務めさせていただいております――と言います』



 ――○○食品。日本ではその名を知らぬ者などいない超大手企業の名に、思わず私は目を瞬かせた。



 それは何も、大手の名前が出ただけが理由ではない。私を困惑させたのは、そんな企業の重役が、代理を通さずになぜわざわざ私に電話をしてきたか、である。


 相手が嘘を言っていない(つまり、第三者の詐欺ではない)のは、声を通じて分かる。夜紗那ぐらいになれば、『力』の応用でそれぐらいは簡単に出来るからだ。


 だが、そうなると余計に腑に落ちない。


 スポンサー企業が番組などに注文(キャスティング等)をするのは、そういった業界には大して興味は無い私にも想像がつく。


 しかし、広報担当でもなければ営業担当でもない、重役の……そんな人が、どうして直接連絡を……と、思って尋ねてみると。



『――実は、うちがスポンサーとなっている○○局で、××って番組を生放送でやることが決まっておりまして……その番組に出演のオファーをと、思いまして……』

「え、あ、あの、そういうのはちょっと私の一存では……」



 話が突然過ぎて、正直ちょっと困惑する。というか、何がどうなってそのような話が母さんの方へと流れたのか……いや、そうじゃない。


 そもそも、テレビに出たい等と母さんに話したことが有っただろうか……いや、ない。


 あれ、でも、少しは話した……駄目だ、鬼姫との邂逅を終えたばかりのせいか、上手く頭が働かない。『――お母様の方からは、了承を頂いております』だから、そう言われた私は。



「――分かりました。それなら、やらせてください」



 気付けば、よく考えもせずオファーを受けていた。それから数分ほど通話を続けた後、母さんに変わって貰ってからしばらく話を続け……後日、改めて挨拶やら何やらをするということで、通話を切った後。



「……何やってんの、わたし……!」



 きっかり、5分経ってから。ようやく状況を呑み込めた私は……思わず、頭を抱えるのであった。





 ……。


 ……。


 …………この時の夜紗那姫には知る由もないことであったのだが。



 まさか、もう二度と会う事ではないだろうと思っていた鬼姫と、一方的に再開……まあ、遭遇することになるとは。


 それは、テレビを通して知名度を得て、業界全体への注目を集め、少しばかり己の立場を向上させる……ただ、その程度の感覚で出演したテレビ番組にて。



 ――へえ、本物を連れて来たのね。



 偽物……あるいは三流レベルの、夜紗那姫の基準からすれば雑魚としか言い表しようがない悪霊ばかりがちらほら。その中に、中々なやつが紛れているなと思っている最中。


 突如訪れた暗闇、想定外の事態に動揺を露わにする主演者や観衆、スタッフその他諸々の人達。その中で、何やら『どう言い表したら良いのか分からない不思議な力』を感じて顔を上げた、その瞬間。



「――っ!!?? ――っ!?!? ――っ!??!?!?!?!??」



 空間より出現した、『鬼姫』の腕を目にして。


 当たり前のように封印の外へ出現した、おぞましき腕を前に。


 ……僅かばかり、下半身の堤防が決壊してしまい。


 必死に……それはもう、己が状況を悟られないよう、全身全霊を以て事に当たらなければならない状況に至るなど。




 この時の夜紗那姫には……知る由もないし、想像すら出来ない事であった。




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