第20話 (裏の下)永遠の結末

※グロ要素あり、さらに口汚い感じになります。そして、バッドなエンド注意









 ――トンネルを抜けた先は、山道よりもさらに気温が高かった。



 気温だけを考えれば冬であるのは間違いないが、雪が積もらない程度に温かい。それは俺だけが感じ取っているわけではなく、実際に周辺の景色がそうだと俺たちに教えてくれた。


 外ではあれだけ見られた雪が、ここにはない。いや、雪どころじゃない。何というか、辺りに生い茂る木々もそうだが……空気そのものが、トンネルの外とは異なっているように思えた。


 何処となく、生温いのだ。気温ではない、気配というか、上手く言葉に言い表せられないが……とにかく、生温い。それでいて、妙にべたつくというか、纏わりついてくるような気がする。



 いったい、何が纏わりついているのかは分からない。何となく、そんな気がするだけだ。



 調べようにも辺りは真っ暗で、外灯はおろか、夜空には月も浮いていない。トンネルに入る前にライトを取り出していたからまだ良かったが、いきなりこんな場所に入っていたら、手元すら見えずに難儀したことだろう。


 佐田さんたちも同じことを思っているのか、少しばかり機嫌悪そうにライトを辺りに向けている。まあ、トンネルまでの地図は作れたが、そこから先への地図はないらしいから……ここから先は夜霧村まで手探りというわけか。



「……何で、夜になってんの? さっきまで太陽が頭上にあったのに、どうして!?」



 そんな中で、これまた空気を読まない女が、空気を読まずにどうでもいいことを言い出した。この人は美人だけど、いちいち細かい事に目を向ける性格をしているようだ。


 何が心配なのか、きょろきょろと辺りを見回している。「なんで……まだ、お昼過ぎなのに……!」そのうえ、時計と夜空を見上げては、不安そうに俺たちを見ている……鬱陶しい。



(美形だけど、そこらへんはマイナスかな)



 夜になっているって、それがいったいどうしたというのだろうか。たかが、夜になっただけじゃないか。遅かれ早かれ夜になるのだから、それが思ったよりも早まった……ただ、それだけのことだろうに。



「あの、あの、叔父さん! 変ですよ、まだ昼なのに、夜になってる! ねえ、帰ろう! 帰ろうよ、叔父さん!」

「何を言っているんだ、優子ちゃん。まだ来たばっかりだろ」

「でも、夜だよ! お昼なのに、夜になっているんですよ! 変だよ、絶対に危ないって!」

「夜になっただけだ。それに、俺にはもう『宝』に縋るしかない。怖いなら、車に戻って待ってなさい」

「そんな……」

「優子ちゃんだって、願いがあるから来たんだろう? 少しぐらい、我慢したらどうだ?」

「そうだけど、でも……」



 黙って見ていると、彼女は佐田さんを説得し始めた。そんなことをしても無駄なのにと思っていると、説得は失敗に終わったようだ。案の定というか、まあ、当然の結果だ。


 しかし、彼女は諦めていないようだ。佐田さんの説得が無理だと理解したら、今度は鈴木さんの説得に向かった。同性である鈴木さん相手なら、了承なり共感なりしてくれると考えての判断なのだろう……でも、さあ。



「……あのね、佐田さんの親族だからこういうことを言いたくはないけど、怖気づいたからっていちいち騒ぐのを止めてくれないかしら?」

「そんな、私はそんなつもりじゃ……」

「佐田さんも言っていたけど、私たちの足を引っ張るぐらいなら、車に戻りなさい。私たちは『宝』を探しに行くだけだから」

「でも……危険ですよ。絶対、変なことが起こりますって……」



 同性だからこそ、鈴木さんの言葉には棘が有った。俺としては、言いたいことをスパッと言ってのけたから満足だ。佐田さんも似たようなことを思っていたのか、鈴木さんの発言を咎めようとはしていなかった。


 それを感じ取った彼女は、薄気味悪そうに二人を交互に見やり……次いで、俺を見た。


 今度は俺の方に来るのだろうか。そう思って内心にて身構えていると、彼女は視線をさ迷わせ……俯いて、黙ってしまった。その足は……トンネルの方には向いていなかった。



 ――何だ、つまらないやつだ。



 思わず、俺はため息を零した。初めは仲良くなりたいと思っていたが、これならそうならない方が良かった。今みたいにいちいち騒がれたら堪らん……そう思いつつ、俺は佐田さんに声を掛けて、先へと歩き出した。


 俺の後ろを、佐田さんと鈴木さんが付いてくる。二人も俺と同じく、これ以上彼女の戯言に付き合うつもりはないのだろう。



 最後に、彼女が……俯いたまま俺たちの後を追いかけてきた。



 本当に、鬱陶しいやつだ。でもまあ、いい。煩かろうが、いざという時には何かしらの使い道はある。明かりだって、一つでも多い方が何かと便利だろうし。


 そんなふうに彼女の使い方を考えながら、傾斜を下る。その最中、何気なく周辺に明かりを向けながら……俺は首を傾げる。


 それにしても、トンネルの向こう……つまり、俺たちが居るこちら側の何処かに『夜霧村』があるわけなのだが、いったいどこに有るのだろうか。


 看板か何かが有れば良いのだが、今の所それらしいものは何も無い。有るのは相も変わらず生い茂っている木々やら雑草やらの自然ばかりであり、人工物の欠片も見当たらない。


 俺だけじゃなく佐田さんも鈴木さんも辺りを(というか、俺と同じモノだけど)探しているが、まだ見つけられないようだ。彼女は……探してはいるようだが、不安のあまりライトが震えている……期待しない方がいいか。



(何処かに夜霧村があるのは確かなんだが、こうも真っ暗だと村に近づいているのかすら分からないのがなあ……最悪、村の前をぐるぐる行き来していた……ってことになったら大変だぞ)



 感覚的な話だが、夜霧村が有るというのは何となく分かる。だが、それだけ。近づいているのか、通り過ぎてしまったのか、それとも明後日の方向へと向かってしまっているのか……それが、分からない。


 本当に、寂れて文字が読めなくなった看板モドキでもいい。何か、『夜霧村』への手掛かりさえ掴めれば……そう思って、俺は幾度目かとなるライトの明かりを、傍の茂みへと向けた。



 ――がさり、と。



 その、瞬間であった。ライトに照らされた茂みが、揺れた。それは風に揺れたとかそんな些細なものではなく、もっと大きな何かが動いた音だということが、瞬時に分かる音であった。



 こんな場所に出てくる動物って……まさか、イノシシか?



 俺が向けたライトの光に合わせて、佐田さんたちのライトも向けられる。横目で顔色を伺えば、佐田さんも鈴木さんも強張った顔をしていた。


 そりゃあ、相手はイノシシだ。光に驚いて逃げてくれたら……そう思った途端、茂みの向こうから肌色の物体が飛び出して――いや、待て。



 ……イノシシでは、ない。では、アレは何だ?



 人間の顔をしている。だが、人間ではない。蛇のように長い胴体から伸びる、あの手足の数。まるで、人間のフリをした百足(むかで)のような……百足……百足……百足……百足人間?



「――きゃあああ!!!!」



 俺がその異形を認識するのと、彼女が悲鳴を上げたのは、ほぼ同時であった。そして、その悲鳴が切っ掛けになったのか、あるいは威嚇になったのか。


 今にも零れ落ちそうなぐらいに目玉を飛び出させた百足人間は、百足のような動きを見せて……茂みの向こうへと消えて行った。



 ……え、今のは、なんだ?



 呆然としたまま、隣の二人を見やる。けれども、二人も俺と同じく理解が追い付いていないようで、呆然とした様子で茂みを見やっていた……と。



「きゃあああ!! きゃああああ――っ!!!!」



 また、彼女が悲鳴を上げた。振り返って彼女を見やれば、彼女は俺たちのさらに後方へとライトを向けていた。その光に映し出されたのは……先ほどの百足人間とは異なる姿をした、化け物たちであった。


 そう、化け物だ。誰一人、何一つ、まともな形をしていない。目玉が多数付いているやつ、全身が粘液まみれのやつ、腹が破けて内臓を垂れ流しているやつ……そんな化け物たちが、こちらを見つめていた。



「――走れ! 急いで村に向かうぞ!」



 何だと思うまでもない。佐田さんの号令に、俺たちは走った。「もうやだー! 家に帰りたいー!」彼女の鳴き声が、辺りに響く。「黙れ、見つかるだろうが!」堪らず、俺は彼女を怒鳴りつけた。


 不幸にも、化け物たちがいるのはトンネル側……つまり、俺たちが来た方向だ。だから、車へと逃げることは出来ない。何であれ、村がある方向へと逃げるしかない。


 おまけに、足元は傾斜で走り難いうえに、明かりはライトだけ。御世辞にも視界は悪く、何度か転び掛けそうになる。未だ誰一人転んでいないのが不思議に思えるぐらいだ。


 しかし、幸いにも化け物たちの動きは鈍く、普通に歩いた程度の速度しか出せないようだ。おかげで、リュックを背負った俺たちでも逃げることが出来た……あっ。



「村だ……本当にあった! 『夜霧村』だ!」



 不意に照らしたライトに映し出された家屋に、俺は声を張り上げた。それは、直感であった。何故かは分からないが、俺は確信を持ってそれが『夜霧村』だと思い……そこへと突っ走り、村の中へと入る。


 最後の住民が離れて久しいという佐田さんの話の通り、点在する建物はどれもぼろぼろだ。人が離れた家屋は劣化が早いと聞くが、こうして見るとそれが事実であるのが分かる。



(……貧乏な農村にしては、立派な建物ばかりだ)



 と、同時に、『宝』が実在していることも分かる。何故なら、ぼろぼろとはいえ家屋の一つ一つがあまりに立派だからだ。息子や娘を奉公に出したり女郎部屋に売ったりしていた農村とは、とてもではないが思えない。



 やはり――改めて確信を得た俺は、さらに力が湧いてくる気がした。



 火事場の馬鹿力というやつなのか、全力で走っているのに不思議と息が苦しくならない。まるで、軽いジョギング程度の感覚だ。佐田さんたちも同じらしく、振り返って確認した二人はまだ平気そうであった。


 ……だが、あの女。見た目だけは可愛い彼女だけは、違っていた。


 俺たちの中で一番若いはずの彼女が、一番息が乱れている。先ほどの化け物がよほど怖かったのか、パニックを起こしたかのように手足を振り乱しているが……喧しい。


 黙って走ればいいのに、いちいちギャーギャーと……駄目だ、このまま延々と走り続けるわけにもいかない。あの女が叫び続ける限り、俺たちの居場所は……振り返って後方をライトで照らした俺は、改めてそう思う。



(動きは遅いけど、まだ追いかけて……!)



 あの化け物たちは動きこそ遅いが、かなりしつこいようだ。かなりの距離を離したが、それでもまっすぐこちらへと向かって来ている。このまま、『宝』を見つけるまで逃げ回り続ける……駄目だ、絶対に体力が持たない。



 どこか、休める所は……あっ!



 キョロキョロと辺りに向けた俺のライトが、家屋の陰から顔を覗かせた新たな化け物を捉えた。直後、『――きょあああ!!』化け物は雄叫びを上げて、俺たちに向かって来た。


 そいつは、手長猿のように異様に長い腕をしていた。浮き出た肋骨をぐねぐねと揺らしながら、俺たちへと迫る――反射的に、俺は手に持っているライトを投げつけた。



「――こっちだ、早く!」



 運よく、化け物の頭部にライトが当たった。怯んだ様子で立ち止まる化け物を他所に、佐田さんがとある家屋を指し示す。それは、他の家屋よりも幾らか綺麗であり、隠れるには打って付けであった。


 駆け込んで中に入れば、佐田さん鈴木さんと続き、最後にあの女が中に入る。それを見届けた俺は、急いで扉を閉める。「――閉めろ、早く!」佐田さんの声が一拍遅れて聞こえたが、俺はそのまま扉を押さえた――直後。



 ――ずどん、と。



 扉が、向こうから押された。さっきの、手長の化け物だ。思わず扉から離れた俺たちを他所に、どんどんと扉が蹴られる。やばい、このままだと扉が……そう思っていると、音が止んだ。




 ……。


 ……。


 …………諦めたのだろうか。痩せ細った身体をしていたし、扉を破る力が無かったのかは不明だが、静かになった扉をしばしの間見つめていた俺は(俺たちは、だな)、ようやく息を止めていたのを自覚し、深々とため息を零した。



「……子供?」



 そうして、すぐ。ポツリと響いた呟きに、俺たちは鈴木さんを見やる。その視線が俺たちの後方へと向けられていたので、俺もそちらを見やり……目を、瞬かせた。


 ――何故かといえば、だ。


 今になって気づいたのだが、部屋の奥。囲炉裏だと思わしきそこに青白い炎が灯っており、そのさらに向こう側にて、奇妙な出で立ちの子供が横になって何かを食べていたからだ。


 その子は……女の子なのだろうか。


 青白い炎に照らされたその顔立ちは、女の子のソレだ。だが、普通の女の子じゃない。こんな場所に居るのだから普通じゃないのは当たり前だが、そうじゃない。


 何というか、雰囲気が違うのだ。上手く言葉には言い表せられないが、いったい何がどう違うのか……分からない。でも、違う。俺の違和感は、他の3人も感じているのか……クソ女も、驚きのあまり涙が止まったようだ。



(あの化け物たちの……いや、それも違う?)



 よく見れば、頭に……何だろうか、角のようなモノが生えている。この場に来て初めて遭遇するまともに近い姿をしたやつだが、いったいこの子は……そう思って見ていると。



「嬢ちゃん、まさか、ここに住んでいるのか?」



 佐田さんが、最初に話しかけた。



「阿呆、こんな場所に住めるわけがなかろう」



 対して、その子は間髪入れずにそう言い返した。当然と言えば当然の返答に、俺は思わず喉まで出かかっていた言葉を呑み込んだ。というかこの子、普通に会話が出来るのか。



「――お主らこそ、如何な野暮用で参ったのじゃ? ずいぶんと、御大層な姿のようじゃが?」

「それは――」



 その子の問い掛けに、あの女が答えようとした。だが、その前に「――馬鹿、言うな!」佐田さんが待ったを掛けた。どうして、と言わんばかりに女が佐田さんを見やった……そんなの、当たり前だろう。


 だって、この子が此処にいる理由なんて……『宝』以外に何もないじゃないか。そんな事も分からず、この女は馬鹿正直に……零れそうになる溜め息を、俺は堪えた。



「……俺たちも、野暮用さ」



 対して、分かっている佐田さんは濁した言い方をした。女の子もそれ以上を尋ねるつもりはないのか、ふん、と鼻息を吹いただけであった。



「身内事だからあまり詳しくは言えないが、大事な用があって来たんだ……ところで、嬢ちゃんは、その……」

「外のやつらとは別モノと思うてよい。まあ、見ての通り『お嬢ちゃん』で一括りされるようなモノでもないがな」



 その言葉と共に、女の子は腕を……二本ある片腕を掲げた。その事に、俺は驚かなかった。


 雰囲気もそうだが、こんな場所にいるよく分からん子供だ……佐田さんも鈴木さんも同じことを思っているのか、取り乱すような事はなかった。


 しかし、どうしたらいいのだろうか。黙って見ていると、勝手知ったると言わんばかりに佐田さんは囲炉裏の前に腰を下ろしてしまった。


 この人、けっこうそういう所が有るとは思っていたが、まさかこんな場所でそれを見せなくても……そう思っていると、女の子の方から、こちらに来ないのかと誘われた。


 正直、有り難いと思った。


 そこまで疲れてはいないが、汗は掻いている。今は寒くないが、いずれは相当に身体が冷えるだろう。街中ならそこまで気にしなくてもいいのだが……そう思った俺は、二人に視線を送った後、そっと囲炉裏の前に腰を下ろした。



 ……それっきり、場に沈黙が下りた。何処となく、居心地が悪いと思った。



 女の子は、目を瞑って横になっている。どうやら、お喋りをするような子ではないようだ。というか、こちらと仲良くなる気がないのだろう。場の沈黙に耐えきれなくなった佐田さんが、ポケットに入れていた煙草を咥えた。


 ――その瞬間、「煙草は、ワシの前では吸うな」女の子がジロリとこちらを……というより、佐田さんを睨んだ。


 煙草の臭いが、嫌いなのだろうか。吸いたいらしい佐田さんは食い下がっているが、女の子は一言で切り捨ててしまった。舌打ちを零しながら、佐田さんは煙草を仕舞い……話題を、替えよう。



「その、お名前を伺ってもいいかな?」



 とりあえず、お互いに自己紹介だ。そう思った俺は、先に名を名乗ろうとした――のだが。



「名乗るな」



 これまでのどこか面倒臭げな様子を一変させたその子は、すっぱりと俺の言葉を切って捨てた。あまりに唐突な変化に、俺は思わず面食らった……だが。



「ワシに名を伝えるのも、尋ねることもしてはならぬ。不可抗力でワシに名を知られても、ワシは名をけして呼ばぬ。お前らも、ワシを呼ぼうとしてはならぬ……よいな?」



 その子は、何一つ譲歩することはなかった。その言い方には少しばかり思うところがあったが、それとは別に純粋に気になったので、「え、あの……どうして?」理由を尋ねてみた。



「どうしてもじゃ。下手にワシに名を知られると、ワシと繋がりが出来てしまうからのう」



 けれども、その子は答えなかった。それで、納得しろと言わんばかりに、そのうえ犬を追い払うかのようにシッシと手を振られた……なんだ、こいつ?


 ふわっと……苛立ちが脳裏に染み出てくる。横目で佐田さんたちを見やれば、俺と似たような表情で、眼前の生意気なガキを睨んでいた……ああ、いや、違う。


 よくよく見れば、足を引っ張るだけのこの女だけは違う。こいつだけは、苛立ちよりも困惑が表に出ているようで、不機嫌そうにしながらもどこか反応が異なっていた……と。



「……とはいえ、あれも駄目、これも駄目ならばお主らも気分が悪かろう? お主らの目的には何ら興味はないのじゃが、ワシがここにいる理由ぐらいは教えてやろう」



 どうやら、少しは空気を読めるようだ。俺たちが不機嫌になっていることを察したのか、このガキは此処に居る理由を話し始めた……が、それは。



 ――ワシはな、この地に『箱』を探しに来たのじゃ。



 俺たちに……いや、俺にとって、聞き捨てならない理由であった。何故なら、このガキが語る『箱』というのは、おそらく……いや、確実に俺たちが求めている『願いを叶える宝』に他ならないからだ。


 やはり――俺の危惧していた事が現実になってしまった。『宝』は、実在している。実在しているからこそ、俺たち以外に……狙っているやつが現れても、不思議じゃない。


 どうして、このガキはわざわざそれを俺たちに教えたのか……そんなの、決まっている。俺たちへの牽制と、脅しを掛けて俺たちを撤退させたいからだ。


 その証拠に、このガキはブツブツと耳障りな文句と共に、『宝』には手を出すなと口にする。だが、俺には分かる。この糞ガキは、『宝』を独り占めしたいだけなのだ。



 表面的には、俺たちの身を案じているようだが……馬鹿か、こいつ。そんなので騙せると思っているのだろうか。



 チラリと横目で二人を見やれば、佐田さんも鈴木さんも目に見えて機嫌を悪くしている。あの女ですら、不機嫌そうな様子を見せ始めている……ん?



 気付けば、糞ガキは身体を起こして……何だあれ、水筒かな。



 いったい、何をしているのか。おそらくは水筒だと思われるソレに、糞ガキは唾液を垂らし始めた。何だコイツ気が狂っているのかと思わず背筋を伸ばす俺たちを他所に、糞ガキは傍に置いてあった棒で……だん、と床を叩いた。



(――え?)



 直後、俺は身体の違和感に気づいた。それが何なのかが最初は分からなかったが、ゆっくりとこちらに近づいてくる糞ガキを前にして……ようやく、俺は自分が動けなくなっていることに気づいた。


 ブツブツと、糞ガキが何かを呟いている。何だ、何を……そう思っていると、顎が上を向いて、唇が勝手に開いた……まさか……いや、まさかそんな……!


 頭上より近づく、水筒。声を上げたくとも、声が出ない。逃げようと思っても、びくともしない。近くで見て、それが竹で出来た物だと気づくのと、そこから滴る中身が俺の口に入って来るのとは……ほぼ、同時だった。









 ……。


 ……。


 …………出て行った糞ガキと、女の後姿を見送る。結局、最後まで糞ガキに振り回されるがままで。喉を通っていった生温い味に吐き気を覚えながら、俺は……佐田さんと鈴木さんを見やった。

 二人も、俺と同じくむりやり飲まされたから、顔色が悪い。まあ、当然だろう。そういう趣味がなければ、誰が好き好んで唾液混じりの水を飲まされて嫌な顔をしないと思うのか。



 だが……これは好都合だ。



 二人に背を向けた俺は、零れそうになる笑みを手で押さえる。だって、そうだろう……『宝』があるのが確信ではなく確実になったなら、もうこの二人は邪魔でしかない。


 下手に一緒に行動して、いざ願いを叶える段階になって、だ。もし、その『宝』が叶えられる願いが有限であったなら、どうする。まず間違いなく、誰の願いを叶えるかで揉める。そうなるぐらいなら、ここで捨ててやった方がこいつらのタメだからだ。



 だが……迷いはある。本音を言わせて貰えば、正直ここで置いて行きたい。しかし、ここで別れた後……こいつらが、『宝』を見つけた場合だ。



 気付かれないように二人を横目で見やれば、こいつらも俺と似たようなことを考えているのだろう。ブツブツと何かを呟いているが……その目つきは、どう見ても善人のソレではない。


 薄暗く、澱んでいて。人を騙すことに欠片の罪悪感を抱いていない者が持つ、荒んだ目つきだ。その証拠に、こいつらは俺を気遣うようなセリフを吐いてはいるが……目が、全く笑っていない。


 佐田の野郎も鈴木の婆も、同じ目をしている。俺を出し抜こうとしているのがバレバレなのに、それを隠し通せていると本気で思っている顔をしている……なんて、滑稽なやつらだ。


 俺は、二人を無視して……ふと、囲炉裏の傍に置かれた竹筒を見やる。


 それは、あの上から目線のうざい糞ガキが置いていったやつだ。中身は、あの唾液入り……想像した俺は、それを蹴飛ばして囲炉裏の中に入れてやった。


 全く、胸糞が悪い……そう思って振り返って二人を見やれば……何やら、爺と婆が険悪な雰囲気になっている。俺は、首を傾げた。



 ――こいつら、ちょっと目を離した隙に何をやったんだ?



 今の今までギスギスした雰囲気ではあったが、ここまでではなかった……と、思っていると、何やら二人は言い合いを始めた。どうやら、『宝』を見つけた後に何を最初に叶えるか、その事に二人が思い至り、どちらが先に願いを叶えるか……というのがこの雰囲気の原因らしい。


 喧嘩をするなら外でやってくれ。ついでに、適当に化け物を呼び寄せて餌になってくれれば御の字だ……そう思って眺めていると、二人は遂に言い合いを始めた。



 ……正直、こいつらは馬鹿かと思った。



 今更……本当に今まで、こうなることを全く考えていなかったのだろうか。俺ですら最初に分かっていた事なのに……救いようがないにも程があるぞ。


 ……だが、俺は寛大な心でそれを許してやることにした。


 遅かれ早かれ『宝』が俺の物になるとはいえ、それを早めてくれた恩はある。俺の願いが叶った時には、少しぐらいはお零れをくれてやろう。



(そうだ、人手が足りない以上は仕方ない。ここは、我慢するべきところだ……とにかく、あの糞ガキよりも先に『宝』を見付けないと)


 傍に放置されているリュックの中身を見やる。もしかしたら、眠っている間に抜かれたかもしれない。そう思って確認してみる……大丈夫だ、何も抜かれてはいない。立ち上がってリュックを背負った俺は……外の様子を伺った。



 ……ひと眠りしたおかげだろうか。



 気だるさが少し残っているが、頭ははっきりしている。そのおかげか、妙に耳が冴えているというか……化け物たちの囁きを感じ取れるような気がする。


 実際、目に見える範囲には化け物の姿はない。もしかしたら、あの糞ガキを追いかけたのかも……それなら、今の内に行動した方が良い。



「そこの煩い爺に婆、何時までも喚くな。今の内に動くぞ」

「――何だと! おい貴様、今何と言った!」



 婆に罵声を浴びせていた糞爺が、俺に目を向ける。その顔は囲炉裏から向けられる青白い光の上からでも分かるぐらいに、鬱陶しく紅潮していた。傍の婆も、同様に顔を赤くしていたが……俺は構わず、二人を睨んだ。



「先を急ぐと言ったんだよ、年寄り共。喚いている暇があるなら、『宝』を探すぞ。こうしている間にも、あの糞ガキが『宝』を見つけているかもしれないからな」

「なっ――お、おい、待て!」



 外へ出て、先を急ごうとする俺の肩を……糞爺が掴んだ。「てめえ、何時からそんな――」瞬間、俺は……臭い息を吐くその糞爺の横っ面を、殴りつけてやった。途端、そいつは涎を吹いて倒れた……くそっ、裾にかかったじゃないか。


 拳と腕に痺れが走るが、痛むほどじゃない。顔を押さえて蹲るそいつの脇腹を思いっきり蹴りつけてやれば、ぶふうと唾を吹いて転がった。「ひっ!?」顔を上げれば、震え上がっている糞婆と目が合った――直後。



「いっ!?」



 がくん、と。足に衝撃と痛みが走った。見やれば、今の今まで呻いていた糞爺の足が俺の脛へと伸びていた。還暦間近とはいえ、本気で蹴られれば俺でも――あっ!


 蹴り返そうと思った瞬間、視界の端で糞婆が叫びながら迫って来るのが見えた。反射的にその場を後ずさり――ギョッと、俺は目を見開いた。何故ならば、向けたライトの先、婆の手に……刃物が握り締められていたからだ。


 長さ的に、果物ナイフというやつだろうか。


 急いで足元の石を手に取って、構える。一拍遅れて、体勢を立て直した二人が俺と対峙する。鼻息荒く拳を構える爺のライトと、真っ赤な顔でナイフを構える婆のライトが俺に向けられる……くそ、武器を持っていたのは想定外だ。


 殴り合いになればこっちに分が有るが……この状況では、もう無理だ。婆からナイフを取り上げようとすれば、爺が邪魔をする。爺をどうにかしようとすれば、婆が邪魔をする。



 ……ああ、クソ、鬱陶しい。深々とため息を零した俺は……静かに、腕を下ろした。



「ひとまず、休戦だ。こんな場所で殴り合ったところで、化け物をおびき寄せるだけだ」

「なん――だと! てめえから始めた事だろう! 誰のおかげで、お前が今ここにいると思っているんだ!」

「うるせえ! だいたい、俺ばっかりに注意を向けていいのか? 俺が居なくなれば、隣の婆は間違いなくあんたにその刃を向けるぞ」



 俺の言葉に、怒鳴り声を発しかけた爺の視線が……ぎょろりと、婆へと向けられた。「そ、そんなこと――」慌てた様子で婆は手を振ったが……もう、遅いんだよ。


 俺もそうだが、爺も見てしまったのだ。俺たちの視線が向けられた、その瞬間。『――しまった』と言いたげに表情を歪めたのを……今更言い訳を繰り返したところで、もはやその言葉には何の説得力もなかった。


 この場に置いて、信頼出来る相手は誰一人いなくなった。必然的に俺たちは互いに距離を取り……まるで三角形を描くかのように、俺たちは互いを睨み合った。



「……止めよう、ここで争ったって、無駄に時間を食うだけだ」



 その中で、俺はすぐに話を元に戻した。当然、二人の反応はよろしくない。「よく言うわね、最初に騒動を起こしたのはあなたでしょう?」吐き捨てるように投げられた糞婆の嫌みに、俺は嘲笑を返した。



「いや、違うね。最初は、もっと前からだ。俺も、お前も、あんたも、わざと目を逸らしていただけさ。だって、そうだろう? 願いが幾つも叶うなんて、誰が決めた?」

「そ、それは……」

「遅かれ早かれ、こうなっていたんだ。それが表面化しただけのことだ……それとも、まさか本当に『宝』を分けようだなんて、考えていたわけじゃないだろう?」



 俺の問い掛けに、糞爺はもちろんのこと、糞婆も黙ってしまった。ほら、コレだ。いちいち善人ぶりやがって。初めから騙して独り占めするつもりだったくせに、いちいち……反吐が出る。



 ――これで、話は終いだ。



 そう告げた俺は、二人に背を向けて歩き出す。少しの間を置いて、足音が追従してくる。どうやら、まともに考えるだけの頭は持っているようだ……ひとまず、これでいい。



(今の騒動で化け物たちが出てこないのは、幸運だった……最悪、一人で『宝』を探し回ることになっていたかもな)



 ライトの光を腕時計に向ける……思わず、俺は舌打ちした。先ほどの騒動か、それともその前からなのかは分からないが、時計の秒針が動いていない。


 ならばと思ってスマフォを取り出すが……駄目だ。いつの間にか充電が切れてしまっているせいか、電源が入らない。リュックの中にモバイルバッテリーが入ってはいるが……いま、あの二人を前にして迂闊な事は出来ない。



 ……仕方ない。まあ、時間は何時であれ、今は夜だ。ここを出るまではどうせ夜なのだから、時間など知ったところで……そう思った俺は、行き先も分からないまま、ただ歩き続けた。


 不思議と、迷っているという感覚はなかった。むしろ、その逆だ。まるで、見えない糸によって手繰り寄せられているかのように、何処へ向かえば良いのかが……何となく、分かる。


 方向だけじゃない。どうしてかは分からないが、夜霧村の地理というか、何処に何があるのかが何となく分かる。覚えなど無いはずなのに、あそこを曲がれば……というふうに、分かってしまう。


 それは、この村の至る所を動き回る化け物たちとて例外じゃない。まるで、頭上から全てを見下ろしているかのように、その動きが手に取るように……これは、俺だけしか感じていないことなのだろうか。



 ――どうでもいい。とにかく、あと少しだ。



 それまで、後ろの邪魔な二人を我慢すればいい。もうすぐ、『宝』が俺の前に現れる。俺には、それが分かる。何故なら、『宝』は俺の物だからだ。



 ――ああ、『宝』が手に入ったら、何をしよう。



 酒、食い物、金、女、ギャンブル……次から次へと、色々なことが思いつく。でも、足りない、もっと、もっとだ。もっと手に入る、何でも俺の物になる。


 そう思えば思う程、身体中から活力が湧いてくる。あの家屋を出てから、おそらくは小一時間ぐらいは歩きっぱなしのはずだが……全く、疲れない。


 風は、ない。とても、静かだ。身体が、熱い。でも、熱っぽいわけじゃない。まるで、『宝』に導かれているかのようで……俺は、ただただ歩き続けた。







 ……。


 ……。


 …………そうして気付けば、目の前には井戸が有った。


 何か、地面が揺れている。そう思った直後に姿を見せたソレは古ぼけているうえに土砂塗れで、まるで間欠泉のように砂埃をぼふっと噴き出している。降りかかってくるそれらが鬱陶しく、俺は頭を抱える。


 何が起こったのか……それを理解するよりも前に、ふと、目を開ければ……傍に、小さな箱が転がっているのが見えた。



(『宝』だ!)



 その瞬間、俺は……頭の中が沸騰したかと思った。実際、ぼこぼこと何かが湧き立つ音がした。何処かで、誰かの声が聞こえたが……気付けば、俺はその箱を手に取っていた。


 ――そのとき。


 何か、何かが『宝』を通して俺の中に入って来たような気がした。熱くて、大きくて、まるで大海原のようなとてつもない何かが俺の中に――そう、感じ取った直後。



 ――針のような鋭い快感が背筋を走り、気付けば俺は射精した……いや、そう錯覚してしまう程の、これまで感じた事のない凄まじい快感だった。



 堪らず食いしばった歯の隙間から涎が吹き出し、足が震える。生まれて初めて覚える『腰が砕ける』という感覚に、俺は……頬に痛みを覚えるぐらいの、満面の笑みを浮かべた。



 今なら……いや、今の俺は、何でも出来る!



 そう願った瞬間、脱力感は瞬時に消える。手の中にある『宝』から欲しかったモノが花火のように首位へと飛び散って、俺の足元へと積もり始めた。


 金、宝石、金、金塊、肉、酒、金、肉、魚、肉、酒、宝石、金、肉、宝石、金……そして、美男美女。挨拶すらしたことがないレベルのそれらだが、どうして男までもと思ったが、すぐに『宝』が教えてくれた。


 どうやら、一部の男女はエキストラみたいなものらしい。要は、俺の方が格上だと爺と婆に見せつける為に、あえてそうしているのだとか……なるほど、だいたいの意図は分か――っと。


 この後のことを考えていると、唐突に唇を奪われた。奪ったのは、中学生……いや、小学生ぐらいの裸の美少女であった。まるで絵の向こうから抜け出してきたかのように、その姿に非の打ちどころがない。


 そんな美少女が、俺の首に腕を回して何度も何度も唇を重ねてくる。あまりにも情熱的なので堪らず手で遮れば、美少女は心底寂しそうに目じりを下げ、すりすりと身体を擦りつけて来た。



「まあ、待てよ。後で相手にしてやるから……さあ」



 宥めてやれば、女たちは一斉に俺から離れた。その従順な態度に俺は堪らず笑みを浮かべ……次いで、空中で静止している『棒』を睨んだ。


 途端、その『棒』にヒビが入って砕ける。あっという間に粉々になったそれには、見覚えがあった。


 確か、あの糞ガキが持っていたやつだ。じゃらじゃらと喧しくて、苛々したのを覚えて……あれ、苛々なんて……いや、苛々した。そうだよ、俺は凄く腹が立っていたんだ。



「……そういえば、あの糞ガキは偉そうに説教してきやがったよなあ」



 これは……仕置きをしてやらねばならんよな。


 そう思った瞬間、俺の身体が浮き上がる。その事を、俺は驚かない。そんなことよりも、あの糞ガキに思い知らせてやらねば……いや、違う。


 これは、教育だ。目上の相手に対しての口の聞き方を教育させてやらねば……あの身体に、分からせてやる!


 そう願った瞬間、俺は夜空へと飛んでいた。眼下にて蠢く化け物たちの数に少しばかり驚きながらも、糞ガキは何処かと『宝』へ念じ、そして……!













 ……。


 ……。


 …………強烈な頭痛がする。そのうえ、身体が重い。まるで、酷い二日酔いのような感覚と共に目を開けた俺は……最初、自分がどういう状況になっているのかが分からなかった。


 昨日、俺は何をしていたのか。目が覚めるまで、何をしていたのか。全く思い出せなかったが、まるでオイルを流し込まれているかのように少しずつ、意識がはっきりしてくる。



 ……ああ、そうだ。



 俺は確か、会社が倒産して、失業したんだ。そんで、むしゃくしゃしたからパチンコ行って、ボロ負けして、その帰り道に佐田さんに会って……そんで、村に……夜霧村に……よぎ……あっ!



「う、うう、な、何だ……?」



 そこまで思い出した辺りで、物凄い悪寒が背筋を走った。だが、それは一瞬のことだった。ハッと我に返った時にはもう悪寒は消えていて、それにつられたかのように諸々の苦痛が俺の中から消えていた。


 身体を起こして、辺りを見回す。周囲には、俺以外誰もいない。化け物たちもそうだし、あの……女の子もいない。



「おーい! 誰かいないのかー!」



 呼んでみるが、何処からも反応はない。いったい、何処へ行ったのか。立ち上がって辺りを見回した俺は、ふと、傍に転がっている『箱』に視線が止まった。


 ああ、そうだ、そういえば……急いでソレを手に取った俺は、願いを叶えるよう強く念じる。



 ……。


 ……。


 …………あれ?



 思わず、俺は掌に乗せた箱を見やる。何か、違う。箱を手にした時に感じた、あの快感や爽快感、全能感がない。マグマのように沸き起こる『力』が、まるで感じ取れない。



 まさか……壊れた?



 そう、考えてしまった、瞬間。「お、おい、冗談だろ!?」俺は、堪らず箱を叩いた。せっかく手に入ったのに、これではいったい何の為に……い、いや、それよりも。



「――ひっ、ひぃ!?」



 状況を理解した瞬間、俺の手から箱が零れ落ちた。


 箱が使えない以上、今の俺は無力だ。あの人……鈴木さんが持っていたナイフのような武器が、俺にはない。傍の石ころや木の棒……だ、駄目だ、そんなので化け物たちを……に、逃げよう!



(佐田さんたちは……いや、今は自分の命が大事だ!)



 視線が、行きの時に通ったトンネルにて止まる。


 明かりは……クソ、手元にない。おそらく、箱を拾ったあの井戸の辺りに転がっているのだろうが……戻るのは自殺行為だ。まず間違いなく、化け物たちと遭遇する。


 何か、明かりはないだろうか。外まで一直線の曲がり道一つない通路だったのは覚えているか、足元が幾らか凸凹していた覚えがある。壁を伝って行けば、いずれは外に出られるが……出来るなら、明かりが……あっ、これがあった。


 内ポケットに入れておいた100円ライターを取り出す。これは、山で火を点ける必要があるかもと思って入れておいた物だ。まさか、こんな形で役に立つとは……よし、行こう。


 急いで、トンネルへと向かう。


 そうして覗いて見れば、相変わらずトンネルの向こうは真っ暗だった。ただ、行きの時にあった出口の明かりが見えないが……もう、日が暮れてしまったのだろう。



(こんなことなら、懐中電灯を二つ持って来れば良かった……)



 しゅぼっ、と。100円ライターの頼りない炎が手元を照らす。ガスの放出量を操作して最大限に火力を出しているが、正直……頼りない。


 ――でも、無いよりはマシだ。


 そう諦めた俺は、足元に気を付けながら先へと進む。気温が低いからなのか、ライター自体がそう熱くならないのが幸いで……歩き続け、徐々に近づいてくる出口に、俺は足を早め……外へと、出た。



「……え?」



 その、直後。俺は奇妙な違和感に目を瞬かせた。その違和感の正体が分からず、真っ暗な周囲の森を見回し……理解して、愕然とした。


 雪が、無いのだ。行きの時にはあった、周辺の雪が無い。『夜霧村』へと続く山道に積雪は無かったが、そこから外れた場所には大量にあった。だが、今は……全く、見られない。


 少しばかり歩いてみるが、やはり無い。たった数時間……長くて半日程度の間に、全部溶けてしまうなんてことがあるのだろうか。それこそ、いきなり真夏並みに気温が上がらなければ……ん?


 何かを、蹴飛ばした。視線を下に向ければ、四角い何かが転がって……え?



「……な、んで?」



 自分の声が、震えているのが分かった。俺は、震える指先で……足元のソレを手に取る。見間違いであって欲しいと願ったが……それは、紛れもなく『箱』であった。



「――っ!」



 俺は、急いでトンネルへと引き返す。腕を振ったことでライターの火が消えてしまったが、構わない。有ろうが無かろうが、からだ。


 走って、走って、走って、走って……トンネルを出る。迷う事はない、一本道。俺は、まっすぐトンネルを突き出たはず……だったのに。



「……嘘だ」


 景色は、全く変わっていなかった。



「嘘だ、嘘だ、嘘だ……」



 俺は、また引き返す。外へ出る為に、家へと帰る為に外へ……でも。



「……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」



 景色は、変わらない。また、引き返す。また、引き返す。また、引き返す。また、引き返す――また……何度目だ?



「――うそだ、うそだ、うそだ……嘘だ――っ!!!」



 理解した瞬間、俺は叫んでいた。無我夢中で傾斜を下り、村が有る方向へと走る。化け物は、いない。でも、何時現れるか分からない。


 早く、早く佐田さんと合流しなければ。もしかしたら、佐田さんならこの村から脱出する方法を知って――ああっ!?


 何かに、足を取られた。


 そう思うと同時に、身体が浮き上がる感覚。手を伸ばそうと思うよりも早く、視界の全てが地面となり――ごりっ、と首がズレる音がした。





 ……。


 ……。


 …………あれ?


 ふと、目が覚める。うつ伏せになっている己の体勢に気づき、身体を起こす……途端、かくん、と視界が傾いた。身体が、じゃない。前触れもなく、視界が斜めに傾いたのだ。



「あ、え?」



 地震なのかと思って身構えたが、変だ。揺れが、一向に訪れない。そのうえ、少しずつではあるが……傾きが酷くなっている。意味が分からなかった俺は、思わず視界を支えようと手を伸ばした。


 ――途端、グイッと。


 上げた腕が頭に当たったと思ったら、傾いていた視界が元に戻った。「……え?」一瞬、俺は何が起こったのか分からなかった。


 だが、その直後。今度は反対側に視界が傾き始めた。右斜めから、左斜めへ。ゆっくりと倒れてゆく視界に、俺は慌てて頭を支えた……その時、俺は気付いてしまった。


 ごりっ、と。


 視界をまっすぐにした時、首の中で変な音がしたことに。いや、音だけじゃない。まるで関節を鳴らしたかのような感触が、首の中心から伝わって来て……俺は、そっと、片手をあてがった。



「――うあ、うああああ!!!???」



 瞬間、俺は全身の毛穴が開く感覚を覚えた。鏡が無いのでどうなっているかを確認出来ないが、皮膚越しの感触だけでも十分にどういう状態になっているのかを思い知らされた。


 これは、折れている。ヒビどころじゃない、ぼっきりと上下に別れてしまっている。先ほどから右に左に傾いているのは、これのせいだったのか……あ、待て、何で。



「何で俺は生きて――っ!!??」



 そこまで考えた時点で、限界だった。気づけば俺は、走っていた。


 とにかく、一人になりたくない。誰かが傍にいてほしい。


 ただ、その一心で走る。佐田さんと鈴木さんが無事なら、まだあの場所にいるはず。そうだ、あの二人が、まだいるはずだ。


 だから、走る。佐田さんなら、もしかしたら何か知っているかも――どうにかする方法を――そう、思っていた。


 だから、俺は走った。右に左にぐらぐらする頭を押さえながら、ぼろぼろ零れる涙やら鼻水で顔をべちゃべちゃにしながら、俺は走った。



 ……でも、おかしい。



 どれぐらい走ったのか……脳裏を過る不安に、歯ががちがちと鳴る。


 どこまで走っても、村に辿り着かない。既に、一時間……いや、その倍は走り続けているはず。なのに、『夜霧村』に辿り着けない。


 道を間違えたのだろうか。いや、そんなことは有り得ない。


 トンネルから村までは、ほぼ一本道だ。わざわざ茂みの方へと足を踏み入れない限り、迷う事はない……はず。



 あれ……そういえば、明かりもないのにどうして道が見えるんだ?



 ぐらぐらと、視界が揺れる。頭が、身体が、震える。俺は、慌てて引き返す。一本道を、ぐるりと引き返す。


 どうして気付かなかったんだ、俺は今、リュックを背負っていない。そうだ、トンネルの……あそこだ、あそこで落として来てしまったんだ。


 明かりだ、まず、明かりが必要だ。ライターでも懐中電灯でもスマフォでも、何でもいい。兎にも角にも、光が欲しい。


 ここは真っ暗だ。手元は見える。足元も見える。傍の道も景色も見える。でも、そこから先が見えない。見る為に、明かりが、光がいる。


 明かりだ、明かりが欲しい。


 それさえあればいい、明かりをくれ。


 真っ暗だ、何も見えない、明かりが、明かりが、明かりが。






 ……。


 ……。


 …………トンネルは、何処だ?



 あれ、変だ。俺はまっすぐ降りて来たはずなのに、まっすぐ登っているはずなのに、トンネルが見えてこない。


 何処だ、おかしいぞ、どうしてトンネルが見えてこない。


 ずっと走っているのに、ずっと走っているのに、ずっと走っているのに……どうして、辿り着けない?


 何処だ、トンネルは何処だ?


 光は何処だ、明かりは何処だ、何処にある、何処に行けばいい。何処へ行けば、トンネルへ……俺は、ここを出られるんだ?





 ……。


 ……。


 …………どうしてだ、何も無いぞ。茂みの中に入っても、道に戻っても、何も変わらないぞ。





 ……。


 ……。


 …………おい、何だこれは。どうすればいいんだ、俺はどうしたらいいんだ、何をしなければならなかったんだ。


 なあ、俺は何時まで走ればいいんだ。もう、足が棒だ。皮膚が擦り剥けて、骨が見えているんだぞ。痛みはないけど、血だって出ているんだぞ。


 服だって、ボロボロだ。首だって千切れて、抱えて走っているんだぞ。身体は痩せて穴が開いて、ハエが集っているんだぞ。


 爪が割れて、指が変形している。目から、口から、酷い悪臭が出ている。どろどろとした粘液が、滴っている。


 頭を割っても、木に首を打ち付けても、枝で目玉を抉っても、何も変わらない。痛くも無い、痒くも無い、ただ、臭い液が出て来るだけ。


 このままだと病気になってしまう。医者だ、いや、医者じゃなくてもいい。明かりを、どうかこの暗闇から俺を出してくれ。


 出してくれるなら、何でもする。金だって払う、ギャンブルだって止める、これからは心を入れ替える。何でもいい、出してさえくれば、何でもする。


 なあ、頼むよ。頼むよ、頼む、お願いだ、頼む、願いを聞いてくれ、頼むよ、なあ、お願いだ、頼む、頼むよ、なあ、なあ、お願いだから、頼むから。



「ごろじれ……ぐへぇ……」



 俺を、楽にしてくれ。







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